2016.11.18
西山荘入場券・・・
元禄3年(1690年)水戸藩2代藩主徳川光圀公は家督を3代綱條公に譲り、同4年(1691)5月に栄華を極める江戸城を後に、光圀公自らが始められた「大日本史編纂事業」に生涯を捧げるべく、完成間もない西山御殿に移り棲まれました。同13年(1700年)12月6日、西山御殿の寝室で亡くなられるまでの10年間、編纂の傍ら多くの領民と親交を重ねられ、多くの人々から「黄門さま」と慕われました。
(徳川ミュージアムHPから)
くぬぎ(櫟)門
西山荘の座敷から見ると、庭にもみじの木が点在していますよ・・・
きっと良い眺めだったんでしょうね・・・
建物は茅葺き平屋建て、内部は粗壁のままで、どの部屋にも装飾はなく、書斎も丸窓だけの三畳間と質素な佇まいです・・・
なお、現在の建物は、文政2(1819)年に再建されたものです・・・
突上ご門(表門)
西山荘入場券・・・
元禄3年(1690年)水戸藩2代藩主徳川光圀公は家督を3代綱條公に譲り、同4年(1691)5月に栄華を極める江戸城を後に、光圀公自らが始められた「大日本史編纂事業」に生涯を捧げるべく、完成間もない西山御殿に移り棲まれました。同13年(1700年)12月6日、西山御殿の寝室で亡くなられるまでの10年間、編纂の傍ら多くの領民と親交を重ねられ、多くの人々から「黄門さま」と慕われました。
(徳川ミュージアムHPから)
くぬぎ(櫟)門
西山荘の座敷から見ると、庭にもみじの木が点在していますよ・・・
きっと良い眺めだったんでしょうね・・・
建物は茅葺き平屋建て、内部は粗壁のままで、どの部屋にも装飾はなく、書斎も丸窓だけの三畳間と質素な佇まいです・・・
なお、現在の建物は、文政2(1819)年に再建されたものです・・・
突上ご門(表門)