
エフェソの信徒への手紙 6:14-15 新共同訳
[14] 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 [15] 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
聖霊によって服を着る
私たちが子供たちに教える最初の課題の 1 つは、服を着ることです。ボタンの留め方や靴ひもを結ぶ方法を学ぶことは、子供たちが毎日必要とする生活スキルです。私たちは子供たちに服の着方と、どのようなものを着るのが適切かを教えます。暑いですか、寒いですか? フォーマルな場所に行くのですか、それとも雨の水たまりに飛び込むのですか?
聖霊は、神の子である私たちに、服を着る方法を教えます。霊的な敵や戦いに立ち向かうには、神の鎧が必要です。そして、私たちが物理的な靴のひもを結ぶ方法の訓練を必要としたのと同じように、霊的な靴とベルトについても学ぶ必要があります。
ベルトのように「すべてをまとめる」のは、イエスの真理です。
イエスは道であり、真理であり、命です。イエスを通らなければ、父のもとに来る人はいません…そして、イエスのもとに来る人は皆、父を見つけます (ヨハネ 14:6-7)。
近道はありません。
胸当ては、着用者の弱い器官を保護します。 パウロは、十字架上でイエスが私たちのために犠牲を払ったことから得られる義(または正しい立場)を胸当てに例えています。
サタンが私たちを罪で告発して致命的な打撃を与えようとしたとしても、イエスの義はいつでも私たちを非難から守ってくれます(ペテロ第一 3:18)。
最後に、正しい靴を履くことで怪我をすることなくより遠く、より速く走れるように、正しい霊的な靴を履くことで、罪深い人々と聖なる神との間の平和という良い知らせ、つまり福音を語る準備をするのを最後までやり遂げることができます。この平和の福音は、かつて敵だった人々の間に橋を架けます。それは私たちがいつでも共有できる良い知らせです。
父なる神よ、今日、私にどんな霊的、感情的な戦いが起こっても耐えられるよう、私に服を着せてください。道であり、真理であり、命であるイエスに感謝します。イエスの和解を通して、あなたと他の人々との間に平和を持てるようにしてくださったことに感謝します。イエスの御名によって、アーメン。
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