
本当の安息を見つける
神は、助けを求めて信頼する人々を忠実に救い出してくださいます。
詩編 62:2-3 新共同訳
[2] わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。 神にわたしの救いはある。 [3] 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。 わたしは決して動揺しない。
詩編 62:6-9 新共同訳
[6] わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。 神にのみ、わたしは希望をおいている。 [7] 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。 わたしは動揺しない。 [8] わたしの救いと栄えは神にかかっている。 力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。 [9] 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。 神はわたしたちの避けどころ。
重いものを長時間持ち続けて、その重みで腕が焼けるようになったことはありますか? ようやく腰を下ろすことができるまで歩数を数えます。そして、下ろせると、痛みが治まり、安堵感が体に溢れます。 私たちも自分の重荷を主に委ねるとき、霊の中で同じようなことを感じることができます。
デイビッドはこの種の安堵感をよく理解していました。 敵が容赦なく追跡してきたため、彼は命を守るために身を隠すことを余儀なくされました。 彼が苦しそうに叫んだとき、彼が背負っていた重さは明らかでした。 私を永遠に忘れてくれるの?」 (詩篇 13:1)。 しかし、ダビデは、長い試練の季節を通して、神の忠実さと苦悩の中での神の慰めを経験しました。
神が忠実であることを思い出すと、私たちは心配の重さから解放されるでしょう。 ですから、神が働いておられるという視点を持ち、問題ではなく解決策に目を向けていきましょう。 そうすれば、私たちはダビデのように、「私は大きく動揺することはありません」(62:2)と言えるでしょう。
自分の重荷を手放す方法を学んでいる間、必ず神に祈りを語り(詩篇62:8)、希望を持って神を待ち望みましょう(詩篇62:5)。 そして、神があなたの岩であり救いであることを決して忘れないでください(詩篇62:2)。 それが本当の安心です。
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