
他人を憐れむことはまさにイエスの教えの中心です。 「敵を愛し、あなたがたを迫害する者たちのために祈ってください。そうすれば、あなたが天の父の子供となれます」(5:44-45a)。 愛は慈悲を示すだけではありませんが、慈悲は愛の重要な部分です。
イエスは、あなたを不当に扱った人々に対して慈悲深くなければならない理由を、この聖句の中で 3 つ挙げています。
1.敵を憐れむことは、天の父に倣うことであり、「あなたが天の父の子供となるためです」(v.45a)。 神の憐れみは、ご自分に敵対的な人々にも及びます。「神は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、義人にも不正人にも雨を降らせます」(45節b)。
2.このように慈悲を持つことは、あなたをこの世から切り離すことを意味します。 徴税人たちもそんなことをしているではないか』(46節)。 私たちは、自分と似た人、または自分が好きな人だけを愛する傾向があります。 しかし、あなたは違うよう求められています。 あなたは、ディートリッヒ・ボンヘッファーが「並外れたもの…クリスチャンの特徴」と呼んだものに招かれています。
3.許すことと許されることの間にはつながりがあります。 私たちは自分自身が神の憐れみを受けながら、他の人に慈悲を示すことはできません。 私たちは他人を赦すことで赦しを得ることはできませんが、神から赦しを受けるためには他人を赦すことが不可欠であるとイエスは言います。 「例えば、他人を赦さなければ、神からの赦しを得ることはできません。 自分の役割を果たすことを拒否するなら、あなたは神の役割から自分自身を切り離すことになる』(6:14b-15、MSG)。 毎日、憐れみと許しを受け、毎日他人を憐れみ、許しなさい。
イエスはまた、自分の行為においてこの憐れみを具体的に表現する方法についても説明しています。 彼は祈りの重要性を強調しています。 「あなたを迫害する人々のために祈りなさい」(5:44)と彼は言います。 敵のために祈ることは、神が彼らを見るように彼らを見るのに役立ちます。 祈りの中であなたは彼らに寄り添い、彼らの罪と苦しみを自分自身に負い、彼らのために神に懇願します。 祈りは愛のリトマス試験紙です。 神の臨在の光の中に入ると、私たちの心の奥底にある本当の感情が明らかになります。
ディートリッヒ・ボンヘッファー
「弟子になるための代償」
並外れた質の高い人生に召され、それに応えて生きながらも、それを意識しないというのは、実に狭い道である。 イエスの内にある真理をありのままに告白し、証言すると同時に、その真理の敵、イエスの敵も私たちの敵も愛し、イエス・キリストの無限の愛で彼らを愛することは、実に狭い道である。 イエスの追随者たちが地球を所有するというイエスの約束を信じながら、同時に非武装、無防備で敵に立ち向かい、自ら悪事を働くよりも不正を被ることを好むのは、実に狭い道である。 他人の弱さや間違いを見て、同時に彼らを批判しないこと。 豚の前に真珠を投げずに福音のメッセージを伝えることは、実に狭い道です。 その道は言葉では言い表せないほど険しく、私たちは常にそこから外れてしまう危険にさらされています。 もし私たちがこの道を外部の命令に従って従う道だと考えるなら、もし私たちが常に自分自身を恐れているなら、それは確かに不可能な道です。 しかし、イエス・キリストが一歩一歩前に進まれるのを見るなら、私たちは迷うことはないでしょう。
ディートリヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoefferドイツ語: [ˈdiːtʁɪç ˈboːnhœfɐ], 1906年2月4日 - 1945年4月9日)は、ドイツの古プロイセン合同福音主義教会(ルター派)の牧師。20世紀を代表するキリスト教神学者の一人。反ナチ主義者。
第二次世界大戦中にヒトラー暗殺計画に加担し、別件で逮捕された後、極めて限定された条件の中で著述を続けた。その後、暗殺計画は挫折。ドイツ降伏直前の1945年4月9日、処刑を急ぐ国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)により、フロッセンビュルク強制収容所で刑死。ベルリン州立図書館の一階には、絞首台のロープが首にかけられたボンヘッファーを描いた大理石の胸像が展示されている。
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