私たちはよく「幸福」と「喜び」という言葉を同じ意味で使いますが、本当に同じものなのでしょうか?
幸せと喜びは似ているようで実は全く違います。 重要な点は、神は喜びを約束するが、私たちに幸福を約束することは決してないということです。
幸せであることは、悲しみ、嫉妬、恐怖と同じように感情です。 それは儚いものです。 何かに満足しているかもしれませんが、永遠に幸せが続くわけではありません。 幸福は素晴らしいことですが、私たちは地上のものを含め、さまざまなものから幸福を得ることができます。
一方、喜びは長く続く状態です。 喜びは神によって約束されており、私たちはそれを目指して努力すべきものです。 ヘブライ人への手紙 12 章 2 節には、「ヘブライ人への手紙 12:2 新共同訳
[2] このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。 」とあります。
私たちは死後に待っている永遠の命を喜ぶことができます。 私たちの救いと私たちに対する神の愛についての絶え間ない知識は、たとえ現在の状況が理想的でなくても、あるいは現在「幸せ」でなくても、間違いなく私たちに喜びを与えてくれるでしょう。
私たちにはたくさんの喜びが待っています。 ローマ人への手紙 14 章 17 節には、「ローマの信徒への手紙 14:17 新共同訳
[17] 神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。 」と書かれています。
私たちは天国で喜びがあることを知っているので、今、楽しみに待っている間も喜びを感じることができます。 神は救いを約束されるとき、私たちに喜びを約束してくださいます。 この真理を心の最前線に置いておくと、地上の苦しみの中でも平安と喜びを見つけることができます。
詩編 16編11節で詩編作者はこう書いています。 「命の道を教えてくださいます。 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。 」
繰り返しになりますが、たとえ私たちが幸せでなくても、神は私たちに喜びを与えてくださいます。 私たちはいつも笑顔でいる必要はありません。 私たちにはこの世で太陽の光や虹が約束されているわけではありませんが、救いと永遠の命が約束されており、それは苦しみや不幸のただ中にあっても大きな喜びとなります。
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