とぜんなかblog

2022年11月から透析生活が始まりました。
その透析について、思ったことや感じたことを綴っていきたいと思います。

金隈遺跡

2021-11-18 20:39:33 | 日記

 
 今日もいい天気、毎週木曜日は大野城の公民館だ。その帰り「金隈遺跡(かねのくまいせき)」へ行ってきた。

 実はこの遺跡も以前に行ったことがある。平成元年5月頃だ。なぜ年月を覚えているかと言えば、吉野ケ里遺跡の発掘のニュースで大いに盛り上がった時期である。平成元年のゴールデンウイーク頃に数々の装飾品(勾玉、ガラス製管玉、十字把頭の銅剣、細形銅剣、銅鏡など)や甕棺墓(人骨共に)などと共に石器、土器、金具が発見され、一躍全国紙のトップページを飾る日が続き、古代史フアンを狂喜させる日が続いた。

 すわっ!邪馬台国の発見か!?と全国から、古代史学者、歴史小説家、アマチュアの古代史ファン等々こぞって訪れた。私も3度か4度ほど見に行った。甕棺墓や、陶器、などがまだむき出しの状態の時だ。

 これほど話題になったのは、魏志倭人伝が記す「邪馬台国」の特徴と似ている部分があったからである。「宮室楼観城柵厳かに設け常に人有りて兵を持って守衛す」という記述にそっくりの場所があったのである。ただし、専門家の話によると吉野ケ里遺跡イコール邪馬台国ではないそうだ。

 しかし、貴重で一級品の遺跡であり国も特別指定の国史跡に指定し、当時の佐賀県知事も工業団地をあきらめ「吉野ケ里遺跡公園」として残すことを英断したのである。

 吉野ケ里遺跡の話はともかく、今日私が行ったのは「国史跡・金隈遺跡」だ。前回行ったのは33年ほど前。前述の吉野ケ里フィーバーの時だったからよく覚えている。

 ここは展示館の中で照明に照らされた甕棺墓などが妙に生々しく展示されている。綺麗に復元してあるので弥生時代のころの埋葬の様子がよくわかる。
 この展示館から少し奥に行った所には「金隈古墳の森」がある。6世紀ごろの古墳ということだ。発見された時には壊されていたらしいがこの古墳には横穴式石室もあったらしい。

 この古墳の森は、古代のロマンを思わせる趣があり静かにゆっくり時が流れている感じになった。罰が当たるかしれないが、その古墳の上に登ってみた。低いし柵も何もないので簡単に登れるのである。古墳の上でそのころの生活習慣などにふと思いをはせてみた。