たろうくん(太郎)のつぶやき

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じぃちゃんの人間革命 因縁−⑴

2016-06-15 09:52:05 | 日記
エッセイ「じぃちゃんの人間革命」因縁−⑴

「どうして、宮の前の彼処に住もうと思ったの?」
「会社に通うのと、買い物に便利だから!」
何時か、娘に聴いて置きたかった質問でした。確かに直ぐ側に「スーパーたいらや」があり、高尾駅まではバスも多く通っている。
はるとくんを寝かす為に、共立学園の坂を下り、高尾街道を家に帰る途中の車の中でした。はるとくんは娘の腕に抱かれて、寝ている。ゆうとくんは家で、洋子さんと待っているのです。
高速道路のトンネルを過ぎると左手の少し奥に、介護施設がある。
城山病院の系列に属する建物だとつい最近知りました、少し前の土曜日に「元八王子カフェ」の旗が立っていたのです。T字路の交差点にあるミニストップを曲がり、150メトル程先に私達が同居する家がある。
其の先の城山川に架かった出羽橋の下は改修工事が行われ、もう直ぐ終わる。この川にはホタル、鴨、シラサギ、カワセミ等がいる。私が遊んだ頃の清流が戻って来ている。
現在は広くなっているが、昔は細い農道で、多摩御陵を右手に見ながら、八王子の町に歩いて行ったものである。田圃があり、其処は「舟田」と呼ばれた古い地名でした、なだらかな丘に戦時中幼年学校があった関係で、破壊さたコンクリートの残骸が残ってのですが、其処に長房団地が作られ面影は何処にも有りません。
娘が家を出て住んだアパートは、高尾駅から廿里を越えた「宮の前」の地で、脇道を少し入った所にありました。細い谷は御霊谷「ごれいや」と呼ばれている、其の先に城山病院があります。菊谷姓の家が多いのは、北条氏照公に菊を献上して与えられた姓であるようです。赤門と呼ばれる家はここが、八王子城の大手道があった関係と思うわれる。
娘が住んだのは5年程前だろうか、70歳の老人の記憶は曖昧である。ゆうとくんはこのアパートで生まれ、八幡神社にお宮参りしました。はるとくんは今の娘の家で生まれ、やはり八幡神社にお宮参りをしました。私と二人の孫は本当の氏子なのです。
八幡神社の神主さんの裏の空き地に、父と身重な母が掘っ建て小屋を作り、双子の姉と弟の私が、昭和20年12月の24日?に生を受け、18年程暮らしたのです。大きな池があり其処で顔を洗い、洗濯や風呂等に池の水を使わせて頂きました。母方の縁で、東京からの疎開者です。この地は古刹である、慈根寺(じごじ)の本堂跡でした。