たろうくん(太郎)のつぶやき

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エッセイ「じぃちゃんの人間革命」応報ー⑸

2016-06-23 10:36:35 | 日記
エッセイ「じぃちゃんの人間革命」応報ー⑸

学校の庭に立ち、周りを風が吹き、その中心に泣いている、私がいました。夜の光に敏感になり、「火事だ、消防車を、呼べ」と叫び、消防車が来て、大騒ぎになりました。知り合いの子供さんの顔に、唾を塗ったりしたのです。家の中では、もっと変な事を続けていたのです。夏の暑い日の事です!
狂った結果が、精神病院へ3日間の入院でした。「誇大妄想症」と診断されたのです。病院へ行く途中の風景が変でした、着いた時の事は興奮状態で覚えて居ません。待合室で「こんな所には、俺は絶対入らない」と抵抗したようです。「何か運動をしてますか?」とも聞かれたようです。
大きな部屋に入り、沢山食べるように言われましたが「そんなに、食べられない」と言いました。「小鳥さん」と呼ばれている人の近くにいました、廊下を連れて行かれて、頭に脳波を測るセンサーをつけられ、鎮静剤の注射もされたようです。庭にある観音像を拝んでいる人もいました。「書道の道具を持ってきて欲しい」と頼みました、その日に洋子さんが、迎えに来たのです。もし、暴れていたら帰れなかったでしょう。
帰ってきて(寝ながら、とんでも無い事になった)と気がつきました。洋子さんがいなかったらと、今でも思うのです。その時に書いた「夢日記」は未だ残してありますが、他に書き残したものは捨てました。暗い部屋で、見た微かな観音の様な幻視と、ハッキリと現れて消えた、「海の怪獣たちの後に、本箱があり、その前の椅子に座った、白い服で外国の神のような人」の記憶だけが、鮮明でした。(この時に「潜在意識を、表に出せば、前世の記憶が現れ霊的に進歩する」言っていた、本を読んだ事があるのです。しかし、人間は知らなくても良い事があるのです。)
「神様が、助けてくれる」との依存状態から抜けるまで、数年かかりました。もちろん、仕事を探しました、採用されても、すぐに辞める、また探すの繰り返しでした。娘が生まれる時に、面接に行っていたのが、豊田商事でした。採用担当者の言っていることは、支離滅裂でした、適当に相槌をして、そのまま北里大学病院に直ぐ向かいました。
「2908g」の娘が生まれました、帝王切開でした。お産の費用は義母に借りました、それまで、洋子さんが貯めていた貯金は使い果たしていたのです。
暫くは仕事が手に付かない状態でした。「保育園に入るから、もう里見はいなくなるよ」と洋子さんに言われて、探した仕事が派遣の運転手でした。薬は2年ほど前まで飲み続けました、寝付けないので「ハルシオン」は今でも飲んでます。ハルシオンは、依存性が強いので変えたほうが良いと言われて、先月から交互に同じような薬に変えつつあります。
洋子さんと出逢ったのは、京都ヘ車でなく新幹線で行った時のことです。その頃は、サニー1200GXツインキャブに乗っていました。最初に買った車です。この車で奈良や京都に、高速道路を使って行ったのです。免許を取って直ぐにこの車を買いました。スポーツ用品問屋の仕事で、同僚と静岡の長崎屋に行った時の事です、どの位のスピードが出るのだろうかと、アクセルを踏み込みました。メーターが振り切れ、180キロが出ました。車体が中に浮いている感じでした!冬の朝にはエンジンが中々掛からなくて、バッテリーが切れて、団地の友人に押しがけを頼んだものです。「太郎さんが、出かける時は捕まるのが、嫌だったよ」といわれたものです。
寺を訪れるのが、好きでした。奈良と京都に、気心の知れた安い民宿が有ったのです。京都の宿に泊まった時の事です、「電球が切れたので、替えてきてくれない」と女主人から頼まれたのです。その部屋に、3人で来ていた女性の一人が洋子さんでした。
次の日に、「この子たちを、案内してあげてくれない」と頼まれ、三千院に行き、坂を登る途中に、「この女性とならいいな」と何故か思ったのです。正月で三十三間堂は、通し矢が行われてまいました。千体仏の廊下を歩いている時に、僧侶が通る人達に、浄めのお水を手に持った「椀?」から、笹の枝で振り撒いていたのです。私の顔から肩にかけて、そのお水が架かりました。
帰って、数日後だったと思います。女姓から電話でした、会う約束をしました。「あのひとだったらいいな」と思った女性でした、6月10日に結婚式を挙げました。「時の記念日」でした、「6月はジューンブライド」と呼ばれてるいるのを、あとで知りました。


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