音の解像度の問題

2022年06月25日 | オーディオ談義

 

 オーディオマニアは、低音や高音の話題には拘りますが、「音の解像度」には頓着しない人が多いのでは? 貴方は如何思われますか? この事は音の良し悪しに関わる重要なテーマであるはずですが、実は「音の解像度」に関しては、聴覚に基づいたアカデミックな定義や測定手法は存在していません。本当にそれで良いのでしょうか? 或いは、どうしてその様になってしまったのでしょうか?

 ところで映像業界では、画像の「解像度」(※)と言う物が定義されていて、いわゆるテストパターン映像(↑)で、白黒の細い線がどこまで細かく見えるかで簡単に議論できます。この細かさは即ち映像信号の上限周波数の高さ(周波数帯域の広さ)で決まりますので、定義も評価も簡単です。

※ 現代では、解像度は画面の画素数で表しますが、敢えてアナログTV時代の「周波数帯域」という言葉を使わせていただきました。

 さて、スピーカーシステムにおいてはどうでしょうか。再生可能な上限周波数さえ高ければ、解像度の高い音が出ると? 少なくとも耳の肥えた方には納得できない話ではないでしょうか。ここに大きな問題提起があります。スピーカーには楽器的な要素が多分にあって、技術論だけでは扱えないと言われているのは、100年の歴史がありながらも解像度の定義がいまだに出来ない、という事と深い繋がりがあると思います。

 ここで、私の独自の視点での「音の解像度問題」の解説を試みてみます。

 まず、電子系における信号の解像度は、一般に再生可能周波数帯域の上限と下限が決まっていれば、その中間の周波数に関しては特に問題なく機能するとして、「帯域幅=解像度」で問題ないと考えます。ところが、スピーカーシステムの場合は事情が異なります。その中間の周波数域であっても、様々な周波数において共振現象が発生する(※2)ので、音が滲んでしまって、解像度が悪化していると考えるべきです。従って、上のテストパターン画像に当てはめて言えば、太い線も細い線も全てが滲んでいて、周波数帯域の広い狭いに関わらずに分解能が良くない、という現象が生じています。これが正にスピーカー特有の楽器的要素であると考えられます。

※2 共振鋭度(Q)が低いので問題ないと喧伝しているメーカーもありますが、私の場合は共振現象そのものが解像度を劣化させる原因であると考えています。人の聴覚は思った以上に共振現象(音の滲み)に鋭敏だと思います。音楽愛好家はすぐに気が付く問題だと思っていますが、オーディオマニアにありがちである「低音や高音への拘り」は、解像度を聴く耳を失わせる傾向があるようです。

 さて、ここで表現を置き換えさせていただきます。音の解像度とは、音楽演奏の表情の違いや生き生き感、実在感、或いは音力(パワー感とかパンチ感、厚み感)の再現に必要不可欠なものと考えております。これが良くなければ、音楽が愉しくありません。

 閑話休題

 この事は、歴史的な機械式録音(※3)のSPレコードで、針雑音の多い狭帯域な再生音でも、音楽の感動が得られる事の説明でもあります。究極のダイレクトカッティング・レコードである「機械式録音」の音の良さは、正に中音域の解像度の高さにあるという事です。(感受性の高い人が、酷い音質でも感動できるという事とは意味が違います。)

※3 「機械式録音」「アコースティック録音」でググってみて下さい。機械式録音には、中音域が主体であるヴォーカルやヴァイオリンの音において注目すべき解像度があります。(針雑音や歪み音に騙されないで下さい)然るべき装置での再生音は、とてもナチュラルで生々しいものです。残念ながら現代の多くのオーディオシステムで失われてしまっている音だと思います。

 小型スピーカーである 島津Model-1 においても同じ考えです。DSS振動板ユニットによる再生音は、小型の割に立派な低音が出るとか、フルレンジスピーカーなのに音離れの良い高音が出るとか、そういったことは、敢えてオマケであると申し上げます。音楽が愉しく聴ける理由は、中音域の解像度の高さにあります。そして、中音域の解像度が軽視されているのが現代のオーディオの問題点であると考えており、これに対する問題提起をする立場もであります。

 

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