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原爆という遠い昔

2019-08-12 18:35:05 | Weblog

8月6日
今年も広島に原爆が落とされた日を迎え
その記録をネットで探っている内に
この本のことを知った。

衝動的に買ってしまった。
買わざる終えない様な、どうしても知りたい気持ちが有った。


ヒロシマ 消えたかぞく


幸せそうな普通の暮らしが
温かみのある写真で写し出されている。

一瞬にして消え去ってしまった家族。
家で被曝し、救護所で死んだ父。
助けを求めて彷徨いながら死んでいった兄妹。
家に居て白骨だけが残された二人の幼児。
重傷で親戚の家に辿り着いたが
家族全員の死を悟ったとき、井戸に身を投げて死んでしまったお母さん。

原子爆弾一発は、数多の同じような家族を死に追い遣った。


今、日本は そのアメリカの属国になり
共同歩調を取って戦争が出来る国に変わりつつある。

「武力を持って戦争の抑止とする。」
そんなことを延々と続けなければならない人間とは
いかに愚かであるか。


誰かが覚えていてくれたら、まだその人は死んでいない。
私はそう思う。

この家族のことも しっかりと頭に入れて忘れない。
私が死んだ後も誰かが私の本の中から
これを見つけてくれるだろう。


原爆という遠い昔は、現代において原子力発電という
名前に代わり、利権のために残されている。

福島第一の事故から随分経つが
事故が本当の意味で収束するのは数百年でも足りないのではないだろうか?
今なお増え続ける汚染水
その内、政府が汚染水を海に流すという宣言をすることになるだろう。
後始末で税金をジャブジャブ使いながら
まったく使っていないような報道をするだろう。

だがそんな国民と政治のズレが
愚の象徴である先の戦争へと導いていったのではないだろうか?

その戦争では、本当に多くを失った。
それでもこの家族や私の家から出兵した祖父の弟、
戦争で死んだ人達が生きた証は消えることは無い。

せめて8月のこの時期だけでも
生きられたのに戦争のために殺された人の事を
想いながら過ごしたい。