博人が中学を卒業し、有名進学校に進んだことを祝う会が、桜沢家で催された。
会場となった某高級ホテルの大広間には多くの政財界人が集まっていた。博人の御披露目も兼ねていた様だった。
そして、そこには、将来を不安視している紫籐家関連の者達も招待されていた。博人はその一人一人と挨拶を交わした。不安視していた者達は、博人の誠実さ、聡明さ、人柄にすっかり魅かれた。
そして「最早、紫籐だ桜沢だなどと張り合っている時代じゃない。一つとなり、より強固なものとして行くのが正しい道だ」と、結論付けるに至った。
冴子はピアノ演奏を披露した。リストの「愛の歌第三番」だった。どんなに音楽に疎い者でも、博人への思いが充分に伝わる演奏だった。演奏が終わると、大きな溜め息と暖かな祝福の拍手が続いた。
その場に居た者達は、この若い二人を介して日本が更なる発展を遂げて行くだろうと確信を持った。
演奏を終えた冴子は、自分の中で高まった博人への思いに当てられて、恥ずかしさのあまり、大広間から飛び出した。俯いたまま、早足で、着替えの間として用意されていた小部屋に、飛び込むように入った。
なんて演奏をしちゃったのかしら! あんなに自分の気持ちが剥き出しになっちゃうなんて! まったく、恥ずかしいったらないわ!
冴子は逆上せ上がっている自分を鎮めようと、ごつごつごつと壁に何度も額を打ちつけていた。
「・・・何をしているんだい?」
背後から声をかけられた。振り返らなくても、冴子には分かっている。
博人だ。
「よくここだって、分かったわね・・・」
冴子は壁に額を当てたまま動かない。刺々しい声でこれだけ言うと、恥ずかしさが再び込み上げて来た。
「いきなり広間から出て行って、戻ってこないから、心配したんだ」博人の声は優しい。「探しに出たんだけど、見つからない。もしやと思って来てみた。ドアが閉まりきっていないので、ここだと確信したんだ」
「ノックぐらいしてよ」
「したんだけどね・・・」
「そう・・・」
気付かなかった。額を打ち付けている間にノックがあったのだろう。
「・・・とても良い演奏だったよ・・・」
「いやっ!」冴子は背中で答える。赤いドレスから見える襟足がドレス以上に赤くなっているように思える。「・・・とっても恥ずかしい! なんだか、もう、馬鹿みたい!」
「冴子・・・」博人の声がさっきより近い。「僕は君のそんな、自分に正直なところが大好きだ」
「・・・」
冴子は腹を立てた時のような強張った不機嫌な顔のままで振り返った。博人は目の前で、優しく、いつものように微笑んでいた。
「君の気持ちは充分に伝わった」
「博人の・・・ 博人の気持ちは?」
「僕の・・・?」
「そう。私はあんな大勢の前で告白しちゃったようなものよ! 子供じみた好き嫌いじゃなくて、もっと大人な・・・」
「ああ、分かっている・・・」博人は一歩前に出て、冴子の方を優しくつかんだ。「僕だって、大人な気持ちだよ。・・・愛している・・・」
博人の顔が近づいてきた。冴子の顔の強張りが、すっと取れた。素直な気持ちになって目を閉じる。閉じる前に、冴子は姿見に顔を近付けあった二人が映っているのを見た。
優しい柔らなかものが冴子の額に一瞬触れた。
「おでこ、赤くなっているぞ」
博人が笑う。冴子もつられて、笑顔になる。
「さ、落ち着いたら戻っておいで。君の演奏が今日の僕には最高の贈り物だよ」
博人は言うと出て行った。
冴子は額を指先で触った。博人の唇の優しくて柔らかな感触が、指先を通して冴子の心に流れ込んでくる。
「博人・・・ 唇でも良かったのに・・・」
冴子は額に当てていた指先を、自分の唇に持って行った。
続く
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会場となった某高級ホテルの大広間には多くの政財界人が集まっていた。博人の御披露目も兼ねていた様だった。
そして、そこには、将来を不安視している紫籐家関連の者達も招待されていた。博人はその一人一人と挨拶を交わした。不安視していた者達は、博人の誠実さ、聡明さ、人柄にすっかり魅かれた。
そして「最早、紫籐だ桜沢だなどと張り合っている時代じゃない。一つとなり、より強固なものとして行くのが正しい道だ」と、結論付けるに至った。
冴子はピアノ演奏を披露した。リストの「愛の歌第三番」だった。どんなに音楽に疎い者でも、博人への思いが充分に伝わる演奏だった。演奏が終わると、大きな溜め息と暖かな祝福の拍手が続いた。
その場に居た者達は、この若い二人を介して日本が更なる発展を遂げて行くだろうと確信を持った。
演奏を終えた冴子は、自分の中で高まった博人への思いに当てられて、恥ずかしさのあまり、大広間から飛び出した。俯いたまま、早足で、着替えの間として用意されていた小部屋に、飛び込むように入った。
なんて演奏をしちゃったのかしら! あんなに自分の気持ちが剥き出しになっちゃうなんて! まったく、恥ずかしいったらないわ!
冴子は逆上せ上がっている自分を鎮めようと、ごつごつごつと壁に何度も額を打ちつけていた。
「・・・何をしているんだい?」
背後から声をかけられた。振り返らなくても、冴子には分かっている。
博人だ。
「よくここだって、分かったわね・・・」
冴子は壁に額を当てたまま動かない。刺々しい声でこれだけ言うと、恥ずかしさが再び込み上げて来た。
「いきなり広間から出て行って、戻ってこないから、心配したんだ」博人の声は優しい。「探しに出たんだけど、見つからない。もしやと思って来てみた。ドアが閉まりきっていないので、ここだと確信したんだ」
「ノックぐらいしてよ」
「したんだけどね・・・」
「そう・・・」
気付かなかった。額を打ち付けている間にノックがあったのだろう。
「・・・とても良い演奏だったよ・・・」
「いやっ!」冴子は背中で答える。赤いドレスから見える襟足がドレス以上に赤くなっているように思える。「・・・とっても恥ずかしい! なんだか、もう、馬鹿みたい!」
「冴子・・・」博人の声がさっきより近い。「僕は君のそんな、自分に正直なところが大好きだ」
「・・・」
冴子は腹を立てた時のような強張った不機嫌な顔のままで振り返った。博人は目の前で、優しく、いつものように微笑んでいた。
「君の気持ちは充分に伝わった」
「博人の・・・ 博人の気持ちは?」
「僕の・・・?」
「そう。私はあんな大勢の前で告白しちゃったようなものよ! 子供じみた好き嫌いじゃなくて、もっと大人な・・・」
「ああ、分かっている・・・」博人は一歩前に出て、冴子の方を優しくつかんだ。「僕だって、大人な気持ちだよ。・・・愛している・・・」
博人の顔が近づいてきた。冴子の顔の強張りが、すっと取れた。素直な気持ちになって目を閉じる。閉じる前に、冴子は姿見に顔を近付けあった二人が映っているのを見た。
優しい柔らなかものが冴子の額に一瞬触れた。
「おでこ、赤くなっているぞ」
博人が笑う。冴子もつられて、笑顔になる。
「さ、落ち着いたら戻っておいで。君の演奏が今日の僕には最高の贈り物だよ」
博人は言うと出て行った。
冴子は額を指先で触った。博人の唇の優しくて柔らかな感触が、指先を通して冴子の心に流れ込んでくる。
「博人・・・ 唇でも良かったのに・・・」
冴子は額に当てていた指先を、自分の唇に持って行った。
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