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荒木田みつ殺法帳 Ⅱ その十一

2022年10月29日 | 荒木田みつ殺法帳 Ⅱ
 みつは伝兵衛を静かに見つめる。
「……道場で相対した時よりは腕を上げているようだが……」みつは静かに言う。「わたしに、その刀に寄り掛かり過ぎていると言われ、地擦りの構えを解いたのか?」
「ほざけ!」伝兵衛は一喝する。「お前などに、定盛の力などいらぬと言う事だ!」
「あなたは刀の妖しい話を受けて、日々の修練を怠っている。そのような者の剣など、わたしには通じない。腕が上がって見えるのは、単に場数を踏んで血の気を帯びただけの事。しかも己より弱い者を相手にして得た、まさにその邪剣に相応しい恥晒しな腕前だ」
「抜けい!」
 伝兵衛が怒りに任せて叫ぶ。その場の空気がびりびりと震える。
 その空気に気圧されながらも、周りの者たちは息を凝らして成り行きを見ている。
「抜かぬ」みつは伝兵衛に答える。「あなたがその刀を手にしている限り、わたしは抜かない。そのような邪剣を相手にするは、神仏を貴ぶ武士道の恥だ」
「言わせておけば、この小娘が……」伝兵衛は怒りで震える。「ならば抜かずとも好いわ! この定盛とオレの腕とで、お前を真っ二つに斬り伏せてやる!」
「それは、無理だ。出来ぬ」
「黙れいぃぃぃ!」
 伝兵衛はみつに突進した。みつは動かない。
「きええええぃ!」
 己の間合いに入ったみつの、その頭頂部に目掛けて、伝兵衛は定盛を斬り込もうと腕を振り下ろした。が、刀はみつに届かず、宙で止まった。伝兵衛の動きが止まったのだ。
 みつは片膝を地に突いている。左手は鞘と鍔とを握って前方へと勢い良く突き出されていた。柄の先端が伝兵衛の鳩尾に深々と埋まっていた。
「うっ……」
 伝兵衛は呻く。
「所詮、あなたの剣はその程度のもの」みつが片膝を突いたままの姿勢で伝兵衛を見上げて言う。「……修練が全く足りていない」
 伝兵衛はよろよろと数歩下がった。誰もが勝負ありと見た。みつも大きく息をついて立ち上がった。周囲の宿場の者たちも安堵の息をつき、ざわつき始めた。
 伝兵衛は目を閉じたままで立ち尽くしていた。不意に上段の構えを地擦り下段に構え直した。刃をみつの方に向ける。陽光を受け、切っ先が鈍色に光る。
 ざわつきが止み、緊張が走った。
 伝兵衛の眼が見開かれた。虚ろだが闇の深い陰鬱な光があった。人の持つ眼の光りでは無かった。……やはり定盛は妖刀で、伝兵衛が憑りつかれて操られている。そこの誰もがそう思った。
「ふん、わたしに勝てぬと察し、定盛の陰に隠れたか」みつだけは伝兵衛を小馬鹿にしたように笑む。「己の心を邪剣に渡すとは、何と嘆かわしい……」
 伝兵衛は声を発する事なく、みつに突進した。上を向いた地擦りの刃がみつに迫る。みつは動かない。妖刀の魔力で身動きが出来ないのか? 定盛はみつの両脚の間を斬り上げる。みつはからだを少しを後ろへ引くと、斬り上がる刃に己の右手の手刀を当てた。
 定盛はみつが討ち据えた所で二つに折れた。切っ先はみつの頬をかすめ、宙を回転しながら飛び、草むらに突き立った。伝兵衛は折れ残った刀身の柄から両手を放した。刀は地に落ちた。
「あなたの負けだ。邪剣に頼る者に、抜刀は不要だと分かったはずだ」みつは言い放った。「もし次があるならば、修練を積んだあなたと正々堂々と対峙しよう」
 伝兵衛は、みつの言葉が届いたかどうか分からなかった。何も言わず、鳩尾を押さえながら魂の抜けた者のようにふらふらと歩き、経福寺の壊れた門から出て行ってしまったからだ。
 勝負は完全に着いた。

「うわあああっ! おみつさんっっ!」
 そう叫びながらおてるがみつに向かって駈け出した。それをきっかけに宿場の者たちはみつに駈け寄った。
「おみつさん、手は、大丈夫なのかい?」おてるがみつの右手をつかんでしげしげと見る。「……傷一つないよ! 凄いや! おみつさんにはやっぱり神通力があるんだね!」
「いや、そうではない。最初、鞘で刀身を討った時に、亀裂が入ったのだ。そこを叩いただけの事」みつは言うと、ぺろりと舌を出して見せた。「……でも、やっぱり痛い事は痛い……」
 その仕草に若い娘たちは「可愛い!」と言って、きゃあきゃあと騒いだ。
「……さて」そう言ったのは文吉だった。「これで勝敗が決まりやしたねぇ…… 親分衆に二言はござんすまい?」
 文吉はそう言うと、松吉、竹蔵、梅之助のそれぞれを見た。三人とも何か言いたそうな顔をしている。
「……何か文句があるのか?」みつはそう言うと、柄に右手を掛けた。「妖刀には抜かぬが、卑怯で卑劣な者に抜くのは吝か(やぶさか)ではないぞ」
 松竹梅の三親分は悲鳴を上げると、その場にひれ伏した。
「いえいえ、これは荒木田様の勝ちでござんす」梅之助が卑屈なまでの笑みを浮かべて言う。
「左様で。あっしらの負けで間違いござんせんです」竹蔵が両手を合わせて拝むような格好で言う。
「宿場の衆の言う通りに致しますです」松吉が何度も頭を下げながら言う。
「そうか……」みつは柄から手を放した。「ならば、昨夜、宿場の者たちで、もしわたしが勝ったのならと言う事で決めていた事がある」
「へい、何でも承りやす」梅之助が言う。「それで良いよな? 松吉、竹蔵!」
 松吉も竹蔵も「へい、仰せの通りに」と答えた。
「そうか、殊勝な心がけだ。さすが、一家を持つ親分たちだ」みつは言ってうなずく。宿場の衆はくすくすと笑っている。「……それで、決めた事だが、三人の親分たちにはこの宿場から出て行ってもらう。もちろん、子分たちもだ」
「へ?」
 松竹梅の三人が一斉に頓狂な声を上げた。子分たちもざわつく。
「待って下せぇ!」そう言ったのは文吉だ。「正直、『松竹梅の三馬鹿』って言われている三人に着いて行っても。何の目もありゃしやせん。あっしは本日只今をもって一家を抜けますぜ! きっぱりと足を洗いやす! 梅之助親分、盃をお返ししやす!」
 その言葉に、他の松竹梅の子分たちも我も我れもと従った。子分は一人も残らなかった。
「ははは、子分のいない親分って言うのは憐れなものだな」みつは笑う。「さあ、今すぐに出て行ってもらおうか」
 松竹梅の三人は何とも情けない顔をしながら経福寺を出て行った。
 宿場の衆から歓声が上がった。文吉たちも今まで悪行を宿場の衆に謝っていた。みつはうなずいている。
 皆がみつを中心にわいわい騒ぎながら経福寺を出て行った。

 おてるの祖父の太助は、折れ飛んだ定盛が気になって、皆がいなくなった後、切っ先部分が落ちたであろう草むらへと向かった。陽光に光るそれはすぐに見つかった。太助は摘まみ上げると、伝兵衛が落した柄の方へと向かった。柄はそこに転がっていた。太助は柄を握って持ち上げた。
 太助の左手に切っ先、右手に柄。
「妖刀定盛ねぇ……」太助はつぶやく。「荒木田様のおっしゃるように、あの黒田っちゅう浪人、刀の噂話に惑わされてたんだろうなあ……」
 と、突然、太助は悲鳴を上げると両手を掃った。切っ先と柄に残った刃とが、いきなり錆びだしてさらさらと砂のように崩れたからだ。地面の草の上には柄だけが転がっていた。
「妖刀…… 本物だったのか……」
 太助は言うと身震い一つして経福寺の門を駈け出ていった。

 
 みつが家に戻りしばらくすると、おてるから手紙が届いた。太助に教わりながら書いたのだろう、ほとんどがひらがなで、所々判読出来ない文字もあったが、宿場のおおよその様子は分かった。
 三人の親分たちは宿場を出て、山に籠り山賊になろうとしたが、先達の山賊たちに捕まって好い様にこき使われているらしい。「さんばかはさんぞくにもなれないです」と、おてるは書いていた。松竹梅の子分たちは、すっかり心を入れ替え、文吉を筆頭に据えて旅籠を再開した。文吉は中々の知恵者だったようで、色々と新機軸の案を出して、近隣の宿場町で一番の賑わいにまでさせたそうだ。「ぶんきちさんはむすめたちのいちばんにんきです」と、おてるは書いている。清左衛門の事は何一つ書かれていなかった。いつの間にか宿場を去ったのだろう。

「……一度、訪れてみるか」
 ふと流れる秋の風を感じながら、みつは他人に見せた事の無い娘らしい笑みを浮かべてつぶやいた。


おしまい

作者註:と言う訳でおみっちゃんの第二弾でした。元々神霊や怪異を信じないおみっちゃんですが、後にさとみちゃんを助ける様になるとは、面白いものですね。

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