斉藤源馬は上段に構えた。一気に振り下ろして何者をも両断しようと言う気迫の籠った剛の剣だ。
村上清左衛門は正眼に構えた。相手の力をいなしながら懐に斬り込もうと言う静かな中に必殺の斬れ味を持つ剣だ。
……どちらもなかなかの使い手だ。みつは横並びになった源馬と清左衛門を見て思う。……さて、伝兵衛はどう出るか。みつは伝兵衛に目をやった。
伝兵衛は抜刀した刀をゆっくりと下げ始めた。右足先に地擦りの下段に構えると、刀を返し、刃を二人に向けた。
みつは道場での戦いを思い出していた。……あの時は下段の構えをしていなかったはずだが? あれから更に修業を積んだのだろうか? みつは思案しながら見つめていた。
「……おみつさん……」背後から声を掛けられた。振り返るとおてるが青褪めた顔で立っている。「あの浪人さんたち、斬り合うの?」
「そうなるだろうな」みつは答える。「刀を抜いた者としての矜持だな」
「えっ……」おてるはさらに青い顔をして自分の後ろにいる娘たちへと振り返った。「……斬り合いが始まるんだって……」
娘たちは恐ろしくなったのか、宿場の大人たちの後ろへと下がって行った。対峙する浪人たちに背を向ける娘、しゃがみ込んで耳を塞いでいる娘、顔を両手で覆いながらも指の隙間からちらちらと見ている娘。それぞれだった。みつは苦笑をすると、浪人たちへと目を転じた。
「……斬り伏せる前に教えておこう」伝兵衛が静かな口調で言う。「この刀は、定盛と言う者によって鍛えられたものだ。定盛は神仏では無く魔物の力を借りてこれを鍛えた。それ故に刀工と名乗る事を許されず、流浪の上に死んだと聞く」
「それがどうだと言うのだ!」上段のままで源馬が言う。「下らぬ能書きはわしには通じぬ!」
「これを手にした時から、定盛はオレに語るのだ。『……斬れ、斬り伏せろ。斬り伏せて相手の血を呑ませろ』とな……」
「おいおい、それじゃまるで噂に聞く、血に飢えた妖刀じゃないか!」正眼の清左衛門が呆れたように言う。「黒田さん、冗談はその顔だけにしておけよ……」
「冗談だと思うなら思うが良かろう……」伝兵衛の眼差しが虚ろなものになり始めた。何かに憑りつかれているように見えた。「定盛を手にしてから、今までの事は全て稚戯に思えた。オレの剣技は変わった。下段から斬り上げる型に変わった。これは定盛が欲したのだ。下から舐め上げるように、血を、臓腑を、定盛は求めているからだ」
「……斉藤さん」清左衛門は隣の源馬に困惑気味に言う。「黒田さん、どうしたんだ? 本当にあの刀に憑りつかれたんじゃ……」
「所詮は、はったりだぞ、村上殿。何を怖れようか!」源馬は言う。「それにだ、あの女侍に討たれ、額に傷をつけているではないか。その程度の腕なのを隠すための戯言だ」
「そうだろうか……」清左衛門は不安そうだ。「黒田さん、ただならぬ気配のようだが……」
「ふん、村上殿は臆したようだな」源馬は鼻で笑う。「その様子では、オレとの勝負はすでに目に見えておるな。……その前に、このいかれた男を斬ってしまおう」
源馬は言うと、下段のままの伝兵衛を睨み据えた。伝兵衛も討つのは源馬と定めたようで、虚ろな目を源馬へと向ける。
しばし睨み合いが続いた。みつは腕組みをしたまま成り行きを見ている。周りの者たちも息を潜めて見ている。
源馬と伝兵衛は身じろぎもせず、間合いを探っている。いや、探っているのは源馬だけのようだ。源馬の額に汗が伝り始めたが、伝兵衛は変わらない。源馬の呼吸の音が激しくなるが、伝兵衛は変わらない。源馬は時々上空で鳴く鳶にいらつくが、伝兵衛は変わらない。
……勝負あったか…… みつは思った。
と、源馬が裂帛の気合いと共に伝兵衛目がけて突進した。
「駄目だ! 間合いが取れていない!」
みつは思わず声を上げた。
源馬は伝兵衛の前に立ち上段のままで動かない。しばらくそのままだった源馬はゆっくりと仰向けで倒れた。下腹から顎にまで一直線に赤い線が走っていた。斬られた跡だ。伝兵衛は下段の構えのままだった。何時刀を振るったのか見えなかった。それ程の早業だった。確かに、魔物が憑いているのかもしれない……
線は赤い染みとなって広がって行く。源馬は絶命していた。
「斉藤先生!」
そう叫んだのは梅之助の陣営だった。梅之助と文吉とが駈け寄ろうとする。
「来るな!」伝兵衛が一喝した。その迫力に梅之助と文吉の足が止まる。「……まだ、終わってはおらぬ! お前たちの汚い足を踏み入れるな!」
伝兵衛は言うと、顔を清左衛門に向けた。無表情で虚ろな眼差しだった。清左衛門は射すくめられたように身を震わせると、刀を手にしたまま、その場に座り込んでしまった。
「ふん、ざまぁないな」伝兵衛は清左衛門を見て冷たく言う。「オレを醜いと言ってくれたな。ならば、お前のその顔をなますに斬り刻んで、それから殺してやろう」
「きゃっ!」清左衛門は女の様な悲鳴を上げ、刀を抛ると両手を合わせて拝むような格好をした。「……すまぬ! 命は、どうかどうか……」
「そうか……」伝兵衛は言う。「では命は取らぬ」
清左衛門はほっとした表情を浮かべる。伝兵衛は刀を下段のままで清左衛門に近寄る。
「だがな、オレを醜いと言った事は許されぬ。命は取らぬがその顔はなます斬りにさせてもらう」
「うわあ!」清左衛門は両手で顔を覆う。「顔だけは、命だけは……」
「顔を覆うとその手も斬る事になるぞ」
伝兵衛に脅され、清左衛門は慌てて手を下ろすが、目の前の伝兵衛を見て、再び手で顔を覆う。
「軟弱者めが!」伝兵衛が怒鳴る。「手も顔も命も奪い取ってくれるわ!」
伝兵衛の刀が動こうとした時、伝兵衛の手元に小石が飛んで来た。伝兵衛は小石を避け、飛んで来た方に顔を向けた。
みつが伝兵衛を睨み付けて立っていた。
つづく
村上清左衛門は正眼に構えた。相手の力をいなしながら懐に斬り込もうと言う静かな中に必殺の斬れ味を持つ剣だ。
……どちらもなかなかの使い手だ。みつは横並びになった源馬と清左衛門を見て思う。……さて、伝兵衛はどう出るか。みつは伝兵衛に目をやった。
伝兵衛は抜刀した刀をゆっくりと下げ始めた。右足先に地擦りの下段に構えると、刀を返し、刃を二人に向けた。
みつは道場での戦いを思い出していた。……あの時は下段の構えをしていなかったはずだが? あれから更に修業を積んだのだろうか? みつは思案しながら見つめていた。
「……おみつさん……」背後から声を掛けられた。振り返るとおてるが青褪めた顔で立っている。「あの浪人さんたち、斬り合うの?」
「そうなるだろうな」みつは答える。「刀を抜いた者としての矜持だな」
「えっ……」おてるはさらに青い顔をして自分の後ろにいる娘たちへと振り返った。「……斬り合いが始まるんだって……」
娘たちは恐ろしくなったのか、宿場の大人たちの後ろへと下がって行った。対峙する浪人たちに背を向ける娘、しゃがみ込んで耳を塞いでいる娘、顔を両手で覆いながらも指の隙間からちらちらと見ている娘。それぞれだった。みつは苦笑をすると、浪人たちへと目を転じた。
「……斬り伏せる前に教えておこう」伝兵衛が静かな口調で言う。「この刀は、定盛と言う者によって鍛えられたものだ。定盛は神仏では無く魔物の力を借りてこれを鍛えた。それ故に刀工と名乗る事を許されず、流浪の上に死んだと聞く」
「それがどうだと言うのだ!」上段のままで源馬が言う。「下らぬ能書きはわしには通じぬ!」
「これを手にした時から、定盛はオレに語るのだ。『……斬れ、斬り伏せろ。斬り伏せて相手の血を呑ませろ』とな……」
「おいおい、それじゃまるで噂に聞く、血に飢えた妖刀じゃないか!」正眼の清左衛門が呆れたように言う。「黒田さん、冗談はその顔だけにしておけよ……」
「冗談だと思うなら思うが良かろう……」伝兵衛の眼差しが虚ろなものになり始めた。何かに憑りつかれているように見えた。「定盛を手にしてから、今までの事は全て稚戯に思えた。オレの剣技は変わった。下段から斬り上げる型に変わった。これは定盛が欲したのだ。下から舐め上げるように、血を、臓腑を、定盛は求めているからだ」
「……斉藤さん」清左衛門は隣の源馬に困惑気味に言う。「黒田さん、どうしたんだ? 本当にあの刀に憑りつかれたんじゃ……」
「所詮は、はったりだぞ、村上殿。何を怖れようか!」源馬は言う。「それにだ、あの女侍に討たれ、額に傷をつけているではないか。その程度の腕なのを隠すための戯言だ」
「そうだろうか……」清左衛門は不安そうだ。「黒田さん、ただならぬ気配のようだが……」
「ふん、村上殿は臆したようだな」源馬は鼻で笑う。「その様子では、オレとの勝負はすでに目に見えておるな。……その前に、このいかれた男を斬ってしまおう」
源馬は言うと、下段のままの伝兵衛を睨み据えた。伝兵衛も討つのは源馬と定めたようで、虚ろな目を源馬へと向ける。
しばし睨み合いが続いた。みつは腕組みをしたまま成り行きを見ている。周りの者たちも息を潜めて見ている。
源馬と伝兵衛は身じろぎもせず、間合いを探っている。いや、探っているのは源馬だけのようだ。源馬の額に汗が伝り始めたが、伝兵衛は変わらない。源馬の呼吸の音が激しくなるが、伝兵衛は変わらない。源馬は時々上空で鳴く鳶にいらつくが、伝兵衛は変わらない。
……勝負あったか…… みつは思った。
と、源馬が裂帛の気合いと共に伝兵衛目がけて突進した。
「駄目だ! 間合いが取れていない!」
みつは思わず声を上げた。
源馬は伝兵衛の前に立ち上段のままで動かない。しばらくそのままだった源馬はゆっくりと仰向けで倒れた。下腹から顎にまで一直線に赤い線が走っていた。斬られた跡だ。伝兵衛は下段の構えのままだった。何時刀を振るったのか見えなかった。それ程の早業だった。確かに、魔物が憑いているのかもしれない……
線は赤い染みとなって広がって行く。源馬は絶命していた。
「斉藤先生!」
そう叫んだのは梅之助の陣営だった。梅之助と文吉とが駈け寄ろうとする。
「来るな!」伝兵衛が一喝した。その迫力に梅之助と文吉の足が止まる。「……まだ、終わってはおらぬ! お前たちの汚い足を踏み入れるな!」
伝兵衛は言うと、顔を清左衛門に向けた。無表情で虚ろな眼差しだった。清左衛門は射すくめられたように身を震わせると、刀を手にしたまま、その場に座り込んでしまった。
「ふん、ざまぁないな」伝兵衛は清左衛門を見て冷たく言う。「オレを醜いと言ってくれたな。ならば、お前のその顔をなますに斬り刻んで、それから殺してやろう」
「きゃっ!」清左衛門は女の様な悲鳴を上げ、刀を抛ると両手を合わせて拝むような格好をした。「……すまぬ! 命は、どうかどうか……」
「そうか……」伝兵衛は言う。「では命は取らぬ」
清左衛門はほっとした表情を浮かべる。伝兵衛は刀を下段のままで清左衛門に近寄る。
「だがな、オレを醜いと言った事は許されぬ。命は取らぬがその顔はなます斬りにさせてもらう」
「うわあ!」清左衛門は両手で顔を覆う。「顔だけは、命だけは……」
「顔を覆うとその手も斬る事になるぞ」
伝兵衛に脅され、清左衛門は慌てて手を下ろすが、目の前の伝兵衛を見て、再び手で顔を覆う。
「軟弱者めが!」伝兵衛が怒鳴る。「手も顔も命も奪い取ってくれるわ!」
伝兵衛の刀が動こうとした時、伝兵衛の手元に小石が飛んで来た。伝兵衛は小石を避け、飛んで来た方に顔を向けた。
みつが伝兵衛を睨み付けて立っていた。
つづく
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