「太吉さん! もう用は済んだ! この場から離れい!」
坊様は語気鋭く言うと、短い念仏を唱えた。太吉は、戒めが取れたように、固まっていたからだを揺すると、一目散に駆け出した。
「あ……」女は走り去る太吉に手を伸ばすも、振り返りもせぬ太吉から坊様に顔を向けた。「……おのれぃ!」
「ははは、太吉にはな、本人が気づかぬうちに袂に護符を入れておいたのじゃ。お前さんが太吉を追いかけても無駄じゃよ。今みたいに弾き飛ばされて、砂まみれになるがオチじゃ」
坊様は笑いながら言うと、座り込んでいる女の前に、ずいっと立った。見上げる女の双眼には憎悪が満ちていている。
「畜生! 何で邪魔しやがるんだ!」
「女!」
坊様の笑みが消え、真顔になって厳しい口調で呼びかけた。女はびくっとからだを震わせた。波の音が二人の間をよぎって行く。
「お前さん、おてるだろう? お島のからだを使っておるのも分かっておる」坊様は打って変わって優しい口調で言った。「……辛い思いをしたのう。もう良いのではないかのう。心穏やかに成仏せい」
おてるは無言で立ち上がった。付いた砂を手で打ち払っている。それが終わると坊様に顔を向けた。その顔は穏やかだった。坊様はほっと息をついた。
「坊様……」おてるは優しい声で言う。と、途端に目尻を吊り上げ、髪の毛を逆立てた。「ふざけんじゃないよ! 心穏やかだあ? そんな事できっこないね! わたしがこんなになったのは何故だか知って言っているのかい? 碌で無しのこの村の男共さ! どうだい、お前に分かるってのかい!」
「それは知っておる」
「知っているだけだろう? どれだけひどかったか、分かるのかって聞いてんだよ!」
「正直なところ、分からん……」坊様は頭を掻く。「分からんが、もうやめろ。さもなくば、お前は鬼になってしまうぞ」
「望む所さぁね!」叫びながら流れてくるおてるの息が生臭いものに変わって行く。「わたしを目茶苦茶にしやがったんだ、鬼にでもなんにでもなって喰らい尽くしてやるよ!」
「今なら、まだ成仏し、新たに生まれ変われるぞ」
「生まれ変わって、また同じ目に遭えってのかい!」
「……お前さん、相当ねじ曲がっちまったようだな……」
坊様は呆れたように言う。おてるの形相がさらに険しいものとなった。左右の口の端が吊り上り、細く鋭い牙が覗く。
「男共に好い様にされ、女共にも殴られ蹴られ、揚句には殺されたんだ。おっ母さんと一緒にね!」
「そうか、辛かったのう…… だがの、お前さんのおっ母さんは、恨んだりして無い様だがの」
「そんな事は知るもんか! わたしは、とにかく憎いんだよ、男も女もね!」
「だからと言って、お島のからだを使ってはいかんぞ」
「このお島って女も男狂いだ。わたしには丁度良いんだよ」おてるは言うと、割れた着物の前から手を入れて脚の付け根当たりをまさぐって見せた。淫靡な笑みを浮かべる。「ここに女の悦びはくれてやってんだからね」
「それは困ったヤツじゃのう……」坊様はため息をつく。「そんな事を続けていると、お島は壊れてしまうぞ」
「知ったこっちゃないよ! ……それにこの女は村の者だ。どうなろうと構わないさ。むしろこれでおっ死んでくれた方が嬉しいのさ!」
「お前さん、村を恨んでおるのじゃのう……」
「そうさ、村の一人一人を恨んでいるのさ」不意におてるの声が低く、地の底から響くようなものに変わった。「……そのためなら、鬼になってやる! 村のヤツらを喰らい尽くしてやる!」
「いかんな、鬼になりかけじゃ…… お前さん、鬼になっては救われんぞ!」
「構わない。この村を喰らい尽くして地獄に行く!」
坊様は錫杖を砂地に突き立てた。それを見たおてるは、全く別の顔になった。そして、そのまま崩れるようにその場に倒れた。気配を察したおてるが、お島から抜けたのだ。今倒れているのはお島なのだ。
坊様は周囲を見回し、鼻をひくつかせた。
「邪気が消えておる……」坊様は呟いた。「今夜の所はわしの負けか……」
つづく
坊様は語気鋭く言うと、短い念仏を唱えた。太吉は、戒めが取れたように、固まっていたからだを揺すると、一目散に駆け出した。
「あ……」女は走り去る太吉に手を伸ばすも、振り返りもせぬ太吉から坊様に顔を向けた。「……おのれぃ!」
「ははは、太吉にはな、本人が気づかぬうちに袂に護符を入れておいたのじゃ。お前さんが太吉を追いかけても無駄じゃよ。今みたいに弾き飛ばされて、砂まみれになるがオチじゃ」
坊様は笑いながら言うと、座り込んでいる女の前に、ずいっと立った。見上げる女の双眼には憎悪が満ちていている。
「畜生! 何で邪魔しやがるんだ!」
「女!」
坊様の笑みが消え、真顔になって厳しい口調で呼びかけた。女はびくっとからだを震わせた。波の音が二人の間をよぎって行く。
「お前さん、おてるだろう? お島のからだを使っておるのも分かっておる」坊様は打って変わって優しい口調で言った。「……辛い思いをしたのう。もう良いのではないかのう。心穏やかに成仏せい」
おてるは無言で立ち上がった。付いた砂を手で打ち払っている。それが終わると坊様に顔を向けた。その顔は穏やかだった。坊様はほっと息をついた。
「坊様……」おてるは優しい声で言う。と、途端に目尻を吊り上げ、髪の毛を逆立てた。「ふざけんじゃないよ! 心穏やかだあ? そんな事できっこないね! わたしがこんなになったのは何故だか知って言っているのかい? 碌で無しのこの村の男共さ! どうだい、お前に分かるってのかい!」
「それは知っておる」
「知っているだけだろう? どれだけひどかったか、分かるのかって聞いてんだよ!」
「正直なところ、分からん……」坊様は頭を掻く。「分からんが、もうやめろ。さもなくば、お前は鬼になってしまうぞ」
「望む所さぁね!」叫びながら流れてくるおてるの息が生臭いものに変わって行く。「わたしを目茶苦茶にしやがったんだ、鬼にでもなんにでもなって喰らい尽くしてやるよ!」
「今なら、まだ成仏し、新たに生まれ変われるぞ」
「生まれ変わって、また同じ目に遭えってのかい!」
「……お前さん、相当ねじ曲がっちまったようだな……」
坊様は呆れたように言う。おてるの形相がさらに険しいものとなった。左右の口の端が吊り上り、細く鋭い牙が覗く。
「男共に好い様にされ、女共にも殴られ蹴られ、揚句には殺されたんだ。おっ母さんと一緒にね!」
「そうか、辛かったのう…… だがの、お前さんのおっ母さんは、恨んだりして無い様だがの」
「そんな事は知るもんか! わたしは、とにかく憎いんだよ、男も女もね!」
「だからと言って、お島のからだを使ってはいかんぞ」
「このお島って女も男狂いだ。わたしには丁度良いんだよ」おてるは言うと、割れた着物の前から手を入れて脚の付け根当たりをまさぐって見せた。淫靡な笑みを浮かべる。「ここに女の悦びはくれてやってんだからね」
「それは困ったヤツじゃのう……」坊様はため息をつく。「そんな事を続けていると、お島は壊れてしまうぞ」
「知ったこっちゃないよ! ……それにこの女は村の者だ。どうなろうと構わないさ。むしろこれでおっ死んでくれた方が嬉しいのさ!」
「お前さん、村を恨んでおるのじゃのう……」
「そうさ、村の一人一人を恨んでいるのさ」不意におてるの声が低く、地の底から響くようなものに変わった。「……そのためなら、鬼になってやる! 村のヤツらを喰らい尽くしてやる!」
「いかんな、鬼になりかけじゃ…… お前さん、鬼になっては救われんぞ!」
「構わない。この村を喰らい尽くして地獄に行く!」
坊様は錫杖を砂地に突き立てた。それを見たおてるは、全く別の顔になった。そして、そのまま崩れるようにその場に倒れた。気配を察したおてるが、お島から抜けたのだ。今倒れているのはお島なのだ。
坊様は周囲を見回し、鼻をひくつかせた。
「邪気が消えておる……」坊様は呟いた。「今夜の所はわしの負けか……」
つづく
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