朝、うっすらと陽が壁板の隙間から射し込んで来る。遠慮のない鳥たちの囀りが喧しい。
おくみは目を覚ました。まだ少し疲れの残るからだを起こす。
「おや、お目覚めかい、早いねえ」囲炉裏の火に折った枝を放り込みながら坊様が笑っている。「腹が減ったかい?」
「……」おくみはゆるゆると起き上る。乱れた鬢を手で整える。「……起きてすぐになんか食べられませんよ……」
おくみはまだ半分方寝呆けていた。はぜる囲炉裏火と脂の焼ける香りを放つ串焼きとを交互に見ているうちに、おくみははっきりとしてきて、昨夜の事を思い出した。
「そうだ! お千加さんは? 藤島様は?」
「ははは、二人とも大丈夫じゃ」おくみの剣幕をさらりと流して坊様は言う。「藤島さんはまだ寝ておるよ。魔と戦こうたのじゃからのう…… しばらくは起き上がれまいて」
「さいですか……」おくみは周りを見回す。壁に凭れて頭を深く垂れ、刀を内抱きにしたまま、微動もしない藤島がいる。しかし、お千加の姿が無い。「あれ? お千加さんは?」
「お千加さんかい?」坊様は引き戸を顎でしゃくってみせる。「裏の井戸で顔を洗っておるよ」
「一人で大丈夫なんですか?」
「邪気は失せたよ、大丈夫さ」
「ちょいと見てきます……」
おくみは言うと立ち上がった。坊様は串焼きをくるりと回して裏側を焼いている。新たにじゅっと脂が音を立て、香ばしい香りを放つ。
おくみが外に出ると、裏手から、ざざざと水音が聞こえた。おくみがそちらに行くと、お千加が、縁の傷んだ古い盥の残り水を地に撒いていた。
「お千加さん!」おくみは歓びの声と共にお千加に駈け寄る。「良かった! 元に戻ったんだね!」
「……」お千加はおくみを見ると、拭いたばかりの顔を涙で濡らしながら、おくみに抱きついた。「おくみさん! 怖かったよう!」
「うんうん……」おくみはお千加の背を優しく撫でた。「もう大丈夫だよ。藤島様とお坊様のお蔭だよ」
「……はい……」
「さ、戻ろう」
おくみは震えるお千加の肩を抱きかかえるようにして小屋に戻った。
引き戸を開けると、坊様と藤島が囲炉裏を挟んで向かい合っていた。坊様は戻って来た二人を見ると、串焼きを数本炉縁から抜き取った。
「おお、戻ったか」坊様は言うと串焼きを差し出した。「さあ、食べなさい」
お千加は藤島に駈け寄ると、床に膝を付き、頭を深く下げた。
「お坊様に聞きました。ありがとうございました。お助けいただいて……」お千加は泣きながら言う。「そして、今までの悪態、お許しくださいまし!」
藤島は、じっとお千加の震える背中を見ていた。
「……もう良い……」藤島は素っ気無く言った。「わたしも怒りに任せた大人気無い応対をしてしまったと思っておる。確かに刀に頼り過ぎていたかもしれん。しかしな、わたしには他に頼れるものが無いのだ……」
ふと見せた藤島の表情に、おくみは何とも言われない悲しみを感じた。……どんな人にも辛い思いはあるんだねぇ。ついつい自分だけが不幸のどん底って思っちまうけど、人の数だけどん底はあるのかもしれないねぇ…… おくみは坊様を見た。坊様は差し出した串焼きをぶらぶらさせながら二人を見ている。その眼差しは優しいものだった。
「さあさあ、話が着いたのなら、腹ごしらえじゃ」坊様がおどけた様に言う。「焼き立てが美味いでな。急いで食べなさい」
「さいですね」おくみも坊様に調子を合わせる。「もう、親の仇ってくらい食べさせてもらいますよ」
「おっと、それじゃあ、仕込が足りなくなっちまうか」
坊様は言うと呵呵と笑った。おくみも笑う。頭を上げたお千加も涙を流しながら笑っている。
藤島は無言で坊様の持っている串焼きから一本取ると、黙ってお千加に差し出した。お千加はそろそろと手を伸ばし、それを受け取った。
「良い良い……」坊様は深く頷く。「これなら森の主に勝てるじゃろう……」
つづく
おくみは目を覚ました。まだ少し疲れの残るからだを起こす。
「おや、お目覚めかい、早いねえ」囲炉裏の火に折った枝を放り込みながら坊様が笑っている。「腹が減ったかい?」
「……」おくみはゆるゆると起き上る。乱れた鬢を手で整える。「……起きてすぐになんか食べられませんよ……」
おくみはまだ半分方寝呆けていた。はぜる囲炉裏火と脂の焼ける香りを放つ串焼きとを交互に見ているうちに、おくみははっきりとしてきて、昨夜の事を思い出した。
「そうだ! お千加さんは? 藤島様は?」
「ははは、二人とも大丈夫じゃ」おくみの剣幕をさらりと流して坊様は言う。「藤島さんはまだ寝ておるよ。魔と戦こうたのじゃからのう…… しばらくは起き上がれまいて」
「さいですか……」おくみは周りを見回す。壁に凭れて頭を深く垂れ、刀を内抱きにしたまま、微動もしない藤島がいる。しかし、お千加の姿が無い。「あれ? お千加さんは?」
「お千加さんかい?」坊様は引き戸を顎でしゃくってみせる。「裏の井戸で顔を洗っておるよ」
「一人で大丈夫なんですか?」
「邪気は失せたよ、大丈夫さ」
「ちょいと見てきます……」
おくみは言うと立ち上がった。坊様は串焼きをくるりと回して裏側を焼いている。新たにじゅっと脂が音を立て、香ばしい香りを放つ。
おくみが外に出ると、裏手から、ざざざと水音が聞こえた。おくみがそちらに行くと、お千加が、縁の傷んだ古い盥の残り水を地に撒いていた。
「お千加さん!」おくみは歓びの声と共にお千加に駈け寄る。「良かった! 元に戻ったんだね!」
「……」お千加はおくみを見ると、拭いたばかりの顔を涙で濡らしながら、おくみに抱きついた。「おくみさん! 怖かったよう!」
「うんうん……」おくみはお千加の背を優しく撫でた。「もう大丈夫だよ。藤島様とお坊様のお蔭だよ」
「……はい……」
「さ、戻ろう」
おくみは震えるお千加の肩を抱きかかえるようにして小屋に戻った。
引き戸を開けると、坊様と藤島が囲炉裏を挟んで向かい合っていた。坊様は戻って来た二人を見ると、串焼きを数本炉縁から抜き取った。
「おお、戻ったか」坊様は言うと串焼きを差し出した。「さあ、食べなさい」
お千加は藤島に駈け寄ると、床に膝を付き、頭を深く下げた。
「お坊様に聞きました。ありがとうございました。お助けいただいて……」お千加は泣きながら言う。「そして、今までの悪態、お許しくださいまし!」
藤島は、じっとお千加の震える背中を見ていた。
「……もう良い……」藤島は素っ気無く言った。「わたしも怒りに任せた大人気無い応対をしてしまったと思っておる。確かに刀に頼り過ぎていたかもしれん。しかしな、わたしには他に頼れるものが無いのだ……」
ふと見せた藤島の表情に、おくみは何とも言われない悲しみを感じた。……どんな人にも辛い思いはあるんだねぇ。ついつい自分だけが不幸のどん底って思っちまうけど、人の数だけどん底はあるのかもしれないねぇ…… おくみは坊様を見た。坊様は差し出した串焼きをぶらぶらさせながら二人を見ている。その眼差しは優しいものだった。
「さあさあ、話が着いたのなら、腹ごしらえじゃ」坊様がおどけた様に言う。「焼き立てが美味いでな。急いで食べなさい」
「さいですね」おくみも坊様に調子を合わせる。「もう、親の仇ってくらい食べさせてもらいますよ」
「おっと、それじゃあ、仕込が足りなくなっちまうか」
坊様は言うと呵呵と笑った。おくみも笑う。頭を上げたお千加も涙を流しながら笑っている。
藤島は無言で坊様の持っている串焼きから一本取ると、黙ってお千加に差し出した。お千加はそろそろと手を伸ばし、それを受け取った。
「良い良い……」坊様は深く頷く。「これなら森の主に勝てるじゃろう……」
つづく
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