2024/11/07 thu
前回の章
歌舞伎町浄化作戦で捕まったおおよその人数は九百名。
俺はうまく切り抜け不起訴になったが、ほとんどが起訴で執行猶予。
累犯や執行猶予中の弁当持ちは、刑務所送りになった人間も多いだろう。
世間一般での弁護士は、立派な職業という認識は高いかもしれない。
だが浄化作戦時、国選弁護士とした中には腐ったような奴もたくさんいる。
「おい、どこか電話してほしいところあるか? 三十万で弁護引き受けてやるぞ」
薄笑いを浮かべながら拘留中の人間を完全に見下し、上から目線で偉そうな弁護士がいるのも事実だ。
裏ビデオ屋の名義人が捕まると、大抵は組織お抱えの弁護士がいる。
だが個人店や零細組織の場合、こういった国選弁護士に頼らざるおえない場合もあった。
今回山下の件で長谷川が頼んだ目黒の〇〇弁護士。
始めから銀座で接待しろだ、接待禁止など最初からついていないのに接見禁止だと嘘はつくわで、ロクなもんじゃない。
それでも裁判が終わるまでは、こちら側がいくら理不尽でも我慢するしかないのだ。
「山下は本当に接見禁止ついていないんですね」
「ええ、知人として俺が直に野方警察署へ連絡して、面会は大丈夫だと聞きましたからね」
静かな怒りの炎が根底で燃えている。
「とりあえず裁判までは、あの弁護士に文句言うにも言えないですね……」
事務所のインターホンが鳴る。
神田でパイナポーの名義人、石黒が売上を持って帰ってくる。
「石黒、お疲れ様」
「山下君どうですか?」
「まあ余計な事は謳っていないみたい。神田はまだ大丈夫だと思うけど、自分で危ないなと感じたら、外へ出て慎重にね」
「ええ、分かりました。それにしても知り合いが捕まったというのは、中々来るものがありますね」
山下は図に乗り、仕事もいい加減な馬鹿だ。
それでも長年に渡り、慕ってきた部下なのである。
「岡部さんへ連絡を取り、面会へ行く日にちや裁判の時の事を伝えに行ってきますよ」
留置所の中にいる山下の不安を少しでも取り除いてやりたい。
岡部さんは一週間後なら、面会に行ける時間が作れると言ってくれた。
自分の店を休んでまで、山下の接見へ行ってくれるのだ。
申し訳ない気分で一杯だった。
目黒の嘘つき弁護士から連絡が入る。
山下の接見禁止が解けたという報告。
今さら何を言っているんだか……。
こっちは警察にわざわざ連絡し、初日から接見禁止などついていないのを知っているのに。
こんなのに着手金三十万払い、山下の弁護をお願いしてもらっている。
今は裁判が終わりまで、こちらからキレる訳にもいかない。
今日は岡部さんと山下の面会へ。
本川越駅で待ち合わせ、西武新宿線で野方まで向かう。
地図上では野方駅からでも沼袋駅でも、距離的に変わらないように見えた。
「岡部さん、タクシーで行きますか」
野方警察署へすぐ到着する。
俺は知人、岡部さんほ身元引受人と書類に記入し、接見室へ。
少しして照れ臭そうな山下が現れた。
「山下、大丈夫か? 岡部さんも面会来てくれたぞ」
「あー、ありがとうございます」
ついさっきまで寝ているところを起こされたような表情。
隣に警官がいるので、仕事に関する事は話せない。
どうでもいい世間話をしながら、中の状況は変な事ないか時折質問を挟む。
「いやー、毎日同室の人たちと賭け事ばかりしてますよー」
まあとりあえず問題は無さそうだ。
接見時間が来たので俺と岡部さんは野方警察署を出る。
帰り道はゆっくり話をしながら歩く。
「山下あいつさー、何か自分の事なのに、どこか他人事みたいに見えたけど、大丈夫か?」
岡部さんが山下の事を気にしている。
「あいつ…、昔から馬鹿ですからね。まああの様子じゃ、余計な事は警官に言ってないようですが」
「せっかくだからその辺で、一杯飲んでいくか」
「そうですね」
俺たちは昼間から営業している居酒屋に入る。
「あと俺は、あいつの裁判の時に出るようなんだろ?」
「ええ、大変申し訳ありません。本当お手数お掛けします」
「そんなの身元引受人引き受けた時点で覚悟はしてるよ」
岡部さんと知り合ったのは、俺が北海道倶知安の自衛隊から辞めて帰ってきてから。
十九歳の頃だから、かれこれ十四年の付き合いになる。
家の隣にあるトンカツひろむで働いていた岡部さん。
真横という短い距離だったので、俺はよくご飯を食べに行く。
自分より五つ上の先輩なので、気付けば必然的に懐いていた。
また顔の広い岡部さんにはたくさんの人が集まってくる。
そのおかげで俺は地元の先輩たちからも可愛がられ、よくご馳走になった。
まだ当時若かった俺は、岡部さんの物事の常識や良識など、色々なものを見本に生きるようになる。
歌舞伎町の四十四人の死傷者を出した爆破事件の時も、一番始めに俺の安否を気遣い連絡をくれたのも岡部さんだった。
本当に頭の上がらない先輩だ。
俺の時は最初の二日間の刑事拘留。
そのあとの十日拘留二回で、二十二日間で留置所を出てこれた。
山下の場合、起訴は確定なので二十二日が経っても、これから裁判が待っている。
そこを弁護士に頼み、保釈申請をしてもらう。
これは基本どんな弁護士が申請しても、小便刑なのでほぼ通る。
長谷川は目黒の○○弁護士へ頼み、保釈申請を任せた。
裁判は一審で終わるだろうと言われる。
提示された保釈金の額は三百万。
この金額を払えば、山下の保釈が通る。
裁判でちゃんと逃げずに出てくれば、この保釈金はあくまでも一時預かりなので、後々戻ってくる金額だ。
山下の保釈はすんなり通り、一旦申請した弁護士の元へ返還される仕組み。
「岩上さん…、申し訳なんですが、野方警察まで山下を迎えに行ってやってもらってもいいでしょうか?」
全然問題無い。
元は俺の後輩なのだ。
約一ヶ月ちょっと牢屋の中で生活し、外の世界に飢えているだろう。
俺は急いで野方へ向かった。
あいつのドジもあったけど、これから釈放されるのだ。
無事山下を見受けして、タクシーに乗って中野駅方面へ。
「山下、何か食べたいもんあるか?」
「食べ物というよりビールが飲みたいっす」
「了解。とりあえずブロードウェイ辺りに行こうか」
タクシーを降り、ブロードウェイ周辺の飲み屋街へ。
「随分寒いっすねー。完全に冬ですね」
「もう十二月だからな。一か月半くらい中にいたのか?」
「そうっす。岩上さん、早くビール飲みたいす」
急かすので、焼き餃子の店に入る。
山下はビール、俺はウイスキーとお茶ハイをまず注文し、餃子屋つまみを適当に頼む。
「それではお疲れ様、乾杯!」
一気にビールを飲み干すと、山下は二杯目もすぐに飲んだ。
よほど酒に飢えていたのだろう。
俺も留置所にいたから分かるが、これは実際に経験した者でないと味わえない感覚だ。
「自分の弁護士いるじゃないですか」
「ああ、目黒の…。それがどうかしたか?」
「結局俺、野方警察の留置にいて保釈されましたけど…、中にいる時、ひょっとしたら拘置所へ行くかもしれないから覚悟しといてくれとか言われて……」
「あのクソ野郎……」
弁護士が弁護する人間を不安にさせて、どうするつもりだ。
接見禁止だってついてなかったのを十日ほどしてから、ようやく接見ができるようになったと嘘を平気でつくしな。
まあ山下もこうして出てきて、あとは裁判のみ。
そしたら保証金二百万は手に入る。
「そういえば捕まる二か月前は給料五十万になっちゃったけど、ちゃんと貯金してたんだろうな?」
しばらく山下は黙ってビールをチビチビ飲んでいる。
「ひょっとして貯めてなかったの?」
「だって岩上さんが前に売上自分で埋めろって言ったじゃないですか」
山下は以前売上を持ってこないで飲みに行き、無くした時の事を逆に責めてきた。
「それはおまえの自業自得だからしょうがないだろ。それにあの時百万近く金は払っていたぞ」
「まあそれはそうなんですけど……」
今日は警察から解放されたばかり。
これ以上つっこむのも可哀想か。
「よし、酒も飲んだし長谷川さんも待っているだろうから、新宿の事務所行くよ」
「あ、岩上さん……」
「何だよ?」
「鰻食いたいす」
「まったく、こいつは……」
何故月三十万程度しかもらっていない俺が、山下に鰻を奢らなきゃいけないのか腑に落ちないが、仮釈放で出たばかりなのだ。
鰻重二つに酒を注文。
「あ、岩上さん、肝焼きとかもいいっすか?」
好きなように頼ませてやる。
これで軽く二万円近くの金が飛んでいく。
里帆や早紀に、美味いものご馳走したかったな……。
長谷川のいる新宿の事務所へ到着。
「おー、お疲れ様。大変だったね」
「いやー、毎日同部屋の人間たちと、賭け事ばかりしてましたよー」
「裁判が十二月の十五日だから、それまで二週間足らずの間、ゆっくり休んで」
「あ、長谷川さん……」
「ん、どうしたの?」
「保証金って二百万ですよね?」
「そうだけど、保証金は裁判が終わって初めて出るものだよ」
「それがですね…、手持ちがまったく無い状態でして…。少し前借りできないですかね」
この馬鹿…、あれだけ給料を与えていたのに素寒貧なのか?
渋々長谷川は三十万円ほど前渡しする。
怒鳴りつけてやりたかったが、外へ出てきたばかりなので、グッと堪えた。
「裁判の日は俺の先輩の岡部さんがちゃんと出てくるから」
「あ、すみません。よろしく言ってといて下さい」
山下の台詞に対しさすがにカチンときた。
「おまえさ…、これからおまえの裁判で法廷に出てくれて身元引受人もやってくれるんだよ? 自分から岡部さんところへお願いしますと、顔を出すくらいの気持ち無いの? 面会だって自分の店を休んでまで来てくれたろ!」
「分かってます…。分かってますよ」
慌てて長谷川が間に入る。
「まあまあ岩上さん、山下も今日出てきたばかりなんですし」
段々自分のしている事が馬鹿らしくなってきた。
秋葉原のアップルを成功に導くよう誠心誠意最善の努力をして店作りをした。
結果アップルは流行り、名義の山下の給料は月に百万に対し、俺は三十万。
身元引受人すら用意できない山下に、自分の親しい先輩を引き合わせ用意した。
山下の手抜きが警察に捕まるのを早め、それでも俺は面会へ行き、仮釈放の時迎えにも行った。
自分の金で山下にご馳走し、ここまで連れてきた。
あれだけ給料をもらっていた山下はほとんどの金を使い果たし、保証金の前借までする始末。
山下の為に店まで閉めて動く岡部さんに対し、いまいち感謝の欠片も見えない山下。
全部放り出したかったが、岡部さんを関わらせた以上、裁判が終わるまでは我慢しなければならない。
「今日は俺、帰ります……」
それだけ言うと、事務所をあとにした。
翌日職場へ行くも、どうも苛立ちが収まらなかった。
長谷川もピリピリした俺に対し、気を使っているのか口数も少ない。
「ちょっと出掛けてきますね。岩上さん、今日は新作の作業お願いします」
重い空気の中、長谷川は外へ出ていく。
作業を黙々と進めていると、インターホンが鳴る。
組織とは関係の無いチビの高橋だった。
こいつは新作が入ると、半値で分けてもらえるよう火曜と金曜だけは必ず来る。
まずは自分の店の分が優先。
チビ高橋用のコピーは後回しにしていると、「岩上さん、新作まだですか?」と生意気にも急かしてくる。
ほとんどの作業を終えてから、ようやくチビ高橋の分に移った。
新作のコピーを渡し、すぐ帰ればいいのに事務所でくつろいでいる。
世間話をしてくるので、適当に相槌を打つ。
「それにしても秋葉原のお店、色々大変でしたね」
「まあでもあとは裁判くらいなんで」
「山下さん、頑張っていたのになあ」
長谷川情報でチビ高橋は、アップルの売上はすっかり山下のおかげと思い込んでいる。
「あいつじゃなくても、あの店は誰でも売上できるように作ったんですよ」
「うーん、でも山下さんの人柄でっていうのも大きいと思いますよ」
「まあそこは分かりますけどね。山下は妙に人懐っこい部分あるし。ただね、山下が月に約百万で、俺は月に三十万。この開きがさすがにちょっとね」
思わず出る愚痴。
こんなチビにこぼしたところで、どうにもならないのにな。
「え、だって岩上さんは裏方じゃないですか。そんなもんじゃないですか、給料」
張り倒すぞ、このガキ……。
外様のチビが何偉そうに抜かしてんだ。
言葉に出さないようにしたが、俺の怒った空気を読んだのか、チビはとっとと退散する。
一人になってタバコに火をつけた。
百合子に何度も言われたが、自分のこのお人好しな部分…、気付けば都合よく利用されるだけ利用されて、収入は見合わない。
もう少しちゃんと考えて動かなきゃいけなかったのだ。
この現状を招いたのは自分のせいでもある。
自分の中では始めにこの組織形態を作った自負があった。
今になって長谷川に力を貸さなきゃ良かったと思ったところで、あとの祭りなのだ。
山下に多額の金が入るよう条件を決めたのも俺。
そんな山下を図に乗らせたのも俺。
岡部さんを巻き込んだ裁判も、あと十日ちょいで始まる。
だがそれが終わったところで、まだ石黒も、その身元引受人として有路まで巻き込んでしまっていた。
「何をやってんだかな、俺は……」
あえて声に出して言ってみた。
変わらぬ日常。
俺は淡々と業務を済ませ、終わると川越へ帰る。
長谷川が山下に電話をして、たまには事務所へ顔を出すよう話をしているのが聞こえた。
何であんな馬鹿に、金を多く払うシステムなど提案してしまったんだろうな。
そりゃあの時百合子からも責められるよな……。
俺が馬鹿だったのだ。
山下が事務所へやって来る。
「山下は保釈してから毎日何をしてんの? 暇でしょ、いつも」
長谷川がニコニコしながら声を掛けた。
「いやー、毎日居酒屋ばかり言ってますよー」
気だるそうに話す山下を見て、顔面を蹴っ飛ばしたくなる。
こいつは今度の裁判で身元引受人として一緒に立ってくれる岡部さんの店へ、出てきてから未だ挨拶一つ行っていない。
保証金の前借りまでしているくせに、何が毎日居酒屋ばかりだ。
一番ムカついているのが、俺に対してまったく感謝を覚えていない部分。
駄目だ、こいつの顔を見ているとイライラがどんどん増してくる。
「おい! おまえ、岡部さんのところ顔出したのかよ?」
「え、いや…、まだ行けてません」
「どんだけおまえは不義理なんだよ! 裁判の時、岡部さんが身元引受人で来なかったらどうするの?」
「あ、あの…、その…、それは困ります」
「毎日暇こいているなら、何で一回ぐらい顔出せねえんだよ?」
山下は調子に乗ると本当に質が悪い。
ゲーム屋ワールドワン時代でもそうだ。
従業員が忙しさの中、急遽飛んでしまい、人が少ない中この馬鹿は食事休憩に行きたがり、四十分と伝えたのにも関わらず、酒を飲んで一時間半帰ってこなかった。
怒鳴りつけると責任取って辞めると無責任発言をしたので、あの時はつい頭突きをしてしまったのだ。
「何調子こいてんだか知らねえけどよ? あんま図に乗ってっと、俺がいつかおまえをやるからな。いいか? 人を舐めてんじゃねえぞ、おい」
「まあまあ、岩上さん……」
俺が怒ると、長谷川が止めに入るいつもの図式。
そろそろここも限界だな。
いっその事、岡部さんに払った身元引受人料の二十万を俺が突っ返して、山下の裁判そのものをすべて台無しにしてやりたかった。
いや、落ち着け……。
俺がそんな事をして、岡部さんが喜ぶか?
逆に俺を怒るだろう。
しかしこの現状じゃ、俺の精神が持たない。
それならしばらく休もう。
裁判の時までゆっくり過ごそう。
あと四日ほどで裁判は始まる。
せめてそれまでは、自分を癒やす為に身体を労ろう。
俺は長谷川に、裁判まで仕事を休むと伝えた。
当然反対されたが、俺はそこまでの給料をもらっていない。
ここまでで売上六千万は、組織に金を生ませてきた。
でもその手柄を山下に全振りしているようでは、俺の存在価値など無いに等しい。
どういう訳か自分でも分からないが、金に卑しく生きたくなかった。
裏稼業でしばらく働いているくせに、どこか崇高さに拘る自分がいた。
二千五年十二月十五日。
東京地方裁判所へ、俺と岡部さんは入る。
開廷表を見て、山下の名前を確認した。
さすがに裁判当日なので、長谷川には連絡を入れる。
入口でカメラなど持ち込めないようチェックをしているが、俺は携帯電話をスーツのポケットへ長財布に挟んで隠すようにして、やり過ごす。
俺は裁判所の中をこっそり隠し撮りしながら歩く。
いつか俺が新宿クレッシェンドの先の先の話を書く際、何かしらの参考記録になるだろう。
俺と長谷川は傍聴席から、山下と岡部さんは裁判の中へ。
岡部さんと別れる前に携帯電話を渡し、ドアの前で写真を撮ってもらう。
いつか何かしら役に立つ事があるかもしれない。
間もなく裁判が始まる。
「被告人山下哲也は、猥褻図画販売目的所持により……」
傍聴人が少ない中、裁判長が長々話していた。
「被告人、山下哲也前へ」
山下がオドオドしながら一礼する。
その時丸めたスポーツ新聞がポトッと音を立てて床に落ちた。
あの馬鹿、新聞を丸めてベルトの腰の部分に挟んでいやがったのか……。
「貴様っ! 舐めているのかっ!」
裁判中にも関わらず怒鳴りつける検事。
こちらが用意した目黒の〇〇弁護士も、一緒になって「そうだ、ちゃんとしろ」とか抜かしていやがる。
こいつ、被告人を弁護する意志あるのか?
裁判は進み、弁護士が何やらゴチョゴチョ話をしている。
するとまだ若い張り切り検事が立ち上がり激昂した。
「こんなのが、自分で物件借りて自分で商売なんて、絶対にできるわけ無いでしょうが!」
それに関しては張り切り検事の言う通りだ。
山下が一人でできるわけが無いのだ。
「わ、私が全部一人でやりました……」
とりあえず俺がシュミレーションした通り全責任を被って話す山下。
「おまえみたいのが、できるわけ無いだろ! 世の中舐めるな!」
エキサイトする張り切り検事。
「そうだ、世の中を甘く見るな」
何だ、この腐れ弁護士まで一緒になりやがって……。
全然弁護してねえじゃねえか。
「静粛に……」
裁判長がみんなを黙らせる。
「身元引受人、前へ」
岡部さんの出番だ。
「私は川越で飲食店を営んでおります。後輩の山下が過ちは重々承知しております。彼の更生を元に、私の目の届くところで見守り、また社会貢献できるよう精一杯頑張って努力したいと思っております」
うん、岡部さん、あなたは本当に立派だ。
よく裁判中、そんな嘘をペラペラ堂々と言えるものだ。
これまで裏ビデオの裁判の判決など、実刑二年の執行猶予三年六ヶ月程度。
もうそろそろ判決だせよ。
そう思っていると、検事が裁判長に何やら耳元でゴニョゴニョ話している。
「次回二審は……」
え、二審?
裏ビデオで二審なんて初めてじゃないのか?
裁判長が二審の日取りを伝えると、目黒の腐れ〇〇弁護士が挙手をした。
「その日は弁護士会があるので、〇〇で」
結局弁護士が指定した日にちで確定し、山下哲也の裁判一審が終わる。
二審という事は、また岡部さんも裁判へ携わるようになってしまった。
あの弁護士は一体何の役に立ったんだ?
ほとんど弁護士らしい弁護などしなかった。
だから二審までもつれ込んだんじゃないのかと思うほど。
東京地方裁判所を出て新宿へ戻る。
山下は「どうも今日はありがとうございました」と長谷川と岡部さんだけに頭を下げた。
あえて俺には頭を下げず、目線も合わせない。
この馬鹿の行動に俺は怒った。
「おい、小僧! おまえ、何なんだよ、この野郎! こっち来いよ」
「やめろって、智一郎! 一応まだ裁判残ってんだから。落ち着けって」
岡部さんが間に入った。
「山下、おまえも態度悪いぞ。智一郎がこれだけおまえの為に動いてきたのに、お礼一つ言えないのは駄目だろ」
不貞腐れた山下に岡部さんが軽く説教をしている。
「まあまあとりあえずご飯でも行きましょうよ」
長谷川がみんなを促す。
「ええ、そうですね。行きましょうか」
歌舞伎町のセントラル通りのすぐ近くにあるお好み焼きの大阪屋の階段へ、長谷川、岡部さん、そして山下と降りようとした。
「岡部さん…、俺は帰ります」
何かどうでもよくなった。
散々世話を焼き、金まで稼がせてやった山下の逆恨みの態度が許せない。
「智一郎!」
珍しく岡部さんが、俺に怒鳴る。
それでも意志は変わらない。
「分かった。それなら俺も帰るよ」
「え、岡部さんは食事してくればいいじゃないですか」
「いや、元々おまえが声を掛けたから、俺は今ここにいる。そのおまえが帰ると言うんじゃ、俺も帰るよ」
「……」
恩のある岡部さんにそう言われて、初めて冷静さを少し取り戻す。
「ほら、山下も智一郎にキチンとお礼を言え。智一郎が動いたから、この現状があるんだぞ? 山下は少し勘違いしているぞ」
俺が言いたかった事を説教する岡部さん。
俺は先輩の顔を立てる形で、大阪屋へ入った。
数日が経ち、山下の裁判第二審が始まる。
あと数分で裁判が始まるというのに、目黒の〇〇弁護士の姿は見えない。
長谷川はソワソワしながら待つが、結局現れないまま裁判は始まった。
張り切り検事が一方的に山下を責め、再び岡部さんが身元引受人としての決意を話す。
「判決、被告人山下哲也を実刑二年の執行猶予四年」
裁判長が判決を下す。
執行猶予が四年?
裏ビデオでこんなの今まで無かったろ?
とうとうこちら陣営は弁護士不在のまま、二審が終わる。
「何なんですか、あの弁護士は? 自分で二審の日にち言っといて裁判へ来なくて……」
「さすがにちょっと無いですよね。あとで電話してみます」
愛想のいい長谷川ですら怒っていた。
タバコを吸おうと外へ出ようとした時、〇〇弁護士の姿が見えた。
「あんた、何やってんですか? 裁判とっくに終わりましたよ!」
俺は弁護士に怒鳴りつける。
「電車が遅延したんだからしょうがないだろ」
裁判欠席を悪びれもせず、口の利き方さえ偉そうな弁護士。
「おい…、自分で裁判の日にち決めといて欠席して、何だそりゃ、おい?」
「な、何だね、君は……」
俺が凄むと慌てて岡部さんが引き剥がす。
「やめろ、智一郎! 相手は弁護士だぞ。いいから落ち着けって」
弁護士だから裁判をバックレて偉そうにしてていいのか?
何なんだ、この野郎……。
怒りが収まらない俺を岡部さんが無理矢理離し、長谷川が弁護士を遠くへ連れて行く。
「智一郎、おまえの気持ちはすげー分かるよ。でもここは裁判所の中だし、おまえが暴れたところで何一つプラスは無い! だから落ち着けって! 外へ出よう」
本当に後味の悪い裁判だった。
俺はこの時を生涯忘れる事はないだろう。
裁判が終わり、保釈申請の金が戻ってくる。
但しそれは申請した弁護士にだ。
長谷川に腐れ弁護士から電話が掛かってきた。
俺は作業をしつつも、聞き耳を立てる。
「え、そんな! ちょっと待って下さいよ」
いきなり声を荒らげる長谷川。
「それってちょっと…、いや、それはですね……。あ、切られた」
しばらく呆然としていたので、俺から声を掛けた。
「どうしたんですか?」
「保釈金の三百万…。あれってまず弁護士に戻ってから、うちに返ってくるものなんですが、保釈申請の成功報酬で三十パーセントいただくと……」
「はあ? 三百だから、九十万もですか?」
「これは決まり事ですからと…。それは無いですよね……。残りを振り込むって言って切られました」
接見禁止だと平気で嘘をつく。
裁判には来ない。
金だけは要求。
いくら法に乗っ取っているからと、あくど過ぎないか?
あと二審になったので、さらにプラスで三十万円の弁護料まで言ってきたようだ。
こんなのがまかり通るなら、本当にこの国は腐っている。
目黒の○○弁護士……。
静かな殺意が芽生えた。
二千五年十二月二十日。
ふと群馬の先生が言った台詞を思い出す。
「このまま働いていたら、あなた、命まで取られますよ?」
このまま過度なストレスで、おかしくなってしまうとでも言いたかったのだろうか?
力無き正義など、まるで意味は無い。
俺は色々思い知った。
自身の力の無さも痛感した。
もう何もかも嫌になった。
あの腐れ弁護士が許せない。
クズの山下の態度も許せない。
ここまでジレンマが溜まるのも珍しい。
もういいや。
俺は充分よくやったし、十二分組織に尽くした。
その結果がこれか……。
新宿の事務所へ行き、長谷川に伝える事に決めた。
「長谷川さん…、俺、もう辞めますわ」
「待って下さいよ! 岩上さんに辞められたら、うちはどうなるんですか!」
「すべてが馬鹿らしくなりました」
「確かに山下の態度や、あのどうしょうもない弁護士で怒るのは分かりますよ。でも、岩上さんに抜けられたら、うちは色々困ります」
必死に止める長谷川。
この際だ、言いたい事はすべて話そう。
「長谷川さん、そこまで俺を引き留めますが、ボランティアでやっているわけじゃないので、やっぱり収入って大事じゃないですか」
「ええ、それはもちろんその通りです」
「山下の歩合は確かに俺が設定しました。でも山下が月に百万近く…、俺は店がどんなに売上あげたって三十万。周りから見たら、どっちが大切にされていると思いますか?」
「ま、まあ…、岩上さんの仰る通りだと思います」
「俺は金に汚くありたくないんです。だから上を儲けさせ、そしたら勝手に金は来るものだという考えでこれまでやってきました」
「確かに岩上さんはそうですよね」
「山下は金を手にした途端、遅刻は当たり前、売上だって毎日持って来いと言うのに、面倒臭がって来ない日もある。知っていましたか? 山下は一度それで売上を無くしているんです」
「いや、それは初耳でした」
「あいつのせいなんで、もちろん埋めさせましたけどね」
「そうだったんですか…。言ってくれれば……」
「長谷川さんは俺が厳しくすると、いつも山下に味方して甘くさせていました」
「それについては申し訳ないです」
「アップルだって捕まった時、ここ出て一時間以内にパクられたんですよ? あいつが横着して道に立たず、店開けてのんびりしているところを踏み込まれたと思うの当然ですよね?」
「は、はい……」
「そして先日の裁判…、あの腐れ弁護士に、山下の態度…、あれで本当に何もかも嫌になりました」
「確かに弁護士にしてもあれは無いし、山下の対応も酷かったでした」
「俺…、そんな組織に役に立たなかったでしたか?」
「いえ…、横浜で福ちゃん使って失敗して…、岩上さん来てくれなかったら、秋葉原の成功は無いと思います」
「長谷川さんいい人だから、俺は精一杯頑張ってやってきたつもりなんです。でも、それももう…、限界です……」
「岩上さん! どうしても辞めてしまうんですか? 何か条件とか言ってくれたら……」
条件…、金が欲しいと言えとでも?
冷静に考えてみた。
この怒りの原点は何か?
山下とあの弁護士だ。
「辞めるの撤回するなら、二つ条件があります」
長谷川は俺の目をジッと見ている。
「どうぞ、言って下さい。言って欲しいです」
「一つは…、山下の奴、俺が事務所にいるから、あれからビビッてまったく顔を出さないじゃないですか」
「はい……」
「長谷川さんが呼べば、あいつは事務所へ来ます。今すぐ呼び出してもらえますか?」
俺の一つ目の要求に、長谷川は困った表情で黙っている。
「無理なら別にいいです。俺はこのまま辞めて帰るだけですから」
「分かりました。山下を呼びます」
電話を掛けている間、事務所にストックし、羅列してあるDVDを眺める。
一番から始まって、今じゃ千五百番まで……。
よくこんな種類を集めたもんだよな。
「あ、山下? たまには顔を出しなよ。え? 岩上さん? 今は出掛けてていないから。うん、分かった。じゃあ、待ってるよ」
長谷川の呼び出しが終わる。
恐る恐る長谷川は「山下をここへ呼んで、どうするんですか?」と聞いてきた。
「決まってんじゃないですか、ヤキを入れるんですよ。随分先輩である俺を馬鹿にしましたからね」
「……」
これであいつが来れば、一つ目の要求はクリア。
新宿の事務所のインターホンが鳴る。
山下が入ってくるのが見えた。
俺の存在に気が付くと、ビクッと一瞬仰け反るようにしてから怯えた表情に切り変わる。
「お、お疲れ様です……」
「山下……」
「は、はい……」
DVDが並ぶ棚を指さす。
「おまえが入ってから、何番くらいまで作品が出たか覚えているか?」
「あ、はい…、ええと……」
棚の前で前屈みになり、DVDを数えるふりをする山下。
俺は真横から、山下の顔面を蹴り上げた。
悲鳴を上げながら倒れる。
「随分と舐め腐った真似してくれたな、小僧」
もちろん加減はしているが、大袈裟に山下の身体を何度も蹴飛ばす。
「い、岩上さん、ヤバいですよ」
長谷川が止めに入るが、手で制し蹴り続けた。
「こいつはね、先輩を舐めたんですよ。そういう馬鹿はきっちりヤキ入れとかなきゃ駄目なんですよ。なあ、山下? 何だ、この間の態度は?」
「すいません! すいません!」
「随分前に教えたろ? すいませんじゃなくて、すみませんだと。おい、顔上げろ」
攻撃が止み、ゆっくり顔を上げた瞬間、また蹴飛ばした。
俺がこいつをここまで駄目に…、馬鹿に作り上げてしまったのだ。
長谷川から見れば、何て酷い事を思うだろう。
かなり加減して、後遺症が残るようにはしていない。
これまで俺を馬鹿にしてきた人間たちへの見せしめ。
そして叩かないと分からないほど、狂った山下。
いわばこれは愛の鞭だ。
事務所内が凍りついたような静けさに包まれ、山下の吐息だけが聞こえる。
「もう帰っていいぞ。おまえ、岡部さんところにお礼行かなかったら、また同じ事するから。分かったな?」
「はあはあ…、わ、分かりました! 失礼します!」
ヨロヨロしながらも、自分の足で事務所を出ていく山下。
出血はどこもしていない。
本人的にただ痛いというだけ。
執行猶予四年もつき、保証金だって前借りしているから、残り百数十万しか残っていない。
これから惨めな人生を送らねばならない山下に対し、俺は暴力を使うのが最善の療法だと思った。
馬鹿なのはしょうがない。
ただ心まで忘れたら、それは動物と変わらない。
年齢は関係無しに、叩いてでも教えないといけない事だってある。
少しはこれであいつも凝りて、身に沁みて分かってくれれば良いが……。
「長谷川さん」
「は、はい……」
「二つ目です……」
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