岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 85(揺れる秋葉原編)

2024年11月05日 06時11分12秒 | 闇シリーズ

2024/11/05 tue

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1 食を忘れた男 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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ひょんな事から長谷川の事務所で知り合った夢。

病気に対する深刻な話ばかりだけでなく、今の世の中に対するお互いの意見を言い合ったり、パソコンの知識について話したりもした。

彼の話はとてもためになる。

一緒に話していると、自分まで頭が良くなるような錯覚さえ感じた。

俺より七歳も年が上だけど、お互いの相性がいいのだろう。

また価値観が合うというのか。

夢さんと一緒にいる時間は心地が良い。

長谷川は俺と夢さんの会話が盛り上がると、パソコンでインターネットを楽しんでいる。

「岩上さん、今日はちょっと見てほしいものがあるんです」

そう言って夢さんはバックの中から数百枚の紙を紐で束ねたものを出してきた。

何だろう?

手に取りゆっくり眺めてみる。

『今の中学校で教えている英語は間違っている』

そんなタイトルで、下にはお世辞でもうまいとは言えない平凡なイラストが描かれている。

「これって何ですか?」

「私がちゃんとした英語…、分かり易く言えば英単語の辞典みたいなものをイラスト入りで作ってみたんですよ」

どれだけ時間を費やして作ったのかは、この本となった紙の厚さを見れば分かる。

A5サイズの大きさに一枚一枚丁重にプリントアウトされた紙には、アルファベットのAから始まる無数の単語がイラストで分かり易い解説入りで作られていた。

「ちょっとこれ、凄くないですか? 凄い時間掛かりましたよね?」

「え、ああ…、私、時間だけはたくさん人よりもあるじゃないですか。だからついこのようなものを作ってみようかなと思ってましてね。先日完成したばかりなんですよ」

「いくら時間あるからって……。凄い! 素直にすごいなあって思います」

俺は英語が苦手である。

まったく話なんてできない。

だから夢さんの作った辞典を見ても、それがどの程度のレベルなのかの判断はつかない。

でもこんなものを作り上げてしまう夢さんの頭の良さだけは感服するばかりだった。

「何が面倒かってA4サイズの用紙を一枚ずつ半分に切る作業でしたよね」

「え? これって用紙をいちいち切ったんですか?」

「ええ、A4だと大き過ぎるし、じゃあその半分ならいいかなと」

「夢さん……。大きな店に行けば、A5サイズの紙って売っているんですよ……」

「え、ほんとに?」

こんなに凄いものを作る頭を持っているくせに、どこか夢さんは抜けている。

しかしまたこういった部分が人間臭いと親近感を覚えた。

「分からなかったら今度一緒に買いに行きましょうよ。これだけの紙を切る作業の時間、馬鹿にならないじゃないですか。もしくは裁断機使うとか」

俺は当時品川春美へ書いた小説をプリントして本を作る時、A4のままだと大き過ぎるので裁断機を買った。

プリントはA5サイズの紙を使うが、表紙だけは厚手の光沢紙にプリントしたのでそれを半分に切る裁断機が必要だったのだ。

「ありがとうございます、岩上さん」

「それにしてもよくもここまで丁寧に作ったもんですね。ほんと感心しますよ」

「数日貸すのでざっと通して読んでもらい、後日感想を聞かせていただきたいんですけど」

正直面倒だなと思った。

英語に対しまったく興味のない俺にとって、面倒な事なだけだ。

しかしこれを一生懸命作った夢さんの気持ちを考えると、無下にもできない。

「分かりました。ありがたく読ませていただき、あとで感想を言いますね」

俺がそう言うと、夢さんは笑顔でニコリと笑った。

 

借りてから数日が経つ。

夢さんから借りた英語の辞典『今の中学校で教えている英語は間違っている』を全然見られないでいる俺。

悪いなあと思いつつ時間だけが過ぎていく。

こんな事ならあの時正直に英語は分からないからと借りなければよかったのだ。

この状態でいる事が一番夢さんに対し失礼である。

「智ちん、めくるだけでも見ないとその人に悪いでしょ」

パラパラ読んだ百合子は何度も同じ台詞を言ってくる。

「まあそうなんだけどさあ……」

借りてしまった手前、俺は仕方なしに本をめくり冒頭から読んでみる事にした。

一つ一つの単語に対し、丁重に書き綴られた意味合いと活用例。

最初の数ページを読むと、俺は本をベッドの上に放り投げる。

正直俺にとって、どうでもいい事ばかりなのだ。

うんざりしていた。

「まったく智ちんはしょうがないなあ」

百合子は呆れた表情で俺を見る。

どんな思いでこれを作ったのか。

その苦労は分かるが、俺には判断のしようがなかった。

これ、とりあえず夢さんに返さなくちゃな。

これは世界に一冊しかない貴重な本である事は間違いないのだから……。

数日後、事務所へ訪れた夢さんへ、俺は『今の中学校で教えている英語は間違っている』を返した。

「どうでしたか、岩上さん?」

メガネの奥から小さな目を大きく見開き興奮した状態で、夢さんは聞いてくる。

「う~ん、自分の場合、英語とか分からないので参考になるか分かりませんが……」

「何でもいいんです。これを読んで何か思った事や気付いた事…。とにかく何でもいいから人の意見を聞きたいんです」

胸の奥がチクリと痛んだ。

この人はいつだって一生懸命に生きている。

夢さんが作った作品に対し、俺は中途半端でいい加減な対応をしているのだ。

とりあえず正直に、率直に思った事を言おう。

「分かりました。正直に言いますと、まずこの本のコンセプトについてなんですが、中学で教える英語は間違いだという事について、その時点で少し違うかなって思うんですよ」

「何故ですか?」

「中学の英語の教科書って、夢で認めて作っているものだと思うんです。それを真っ向から否定しているじゃないですか」

「ええ、だって岩上さん、中学の時に習った英語力で外国人と会話できますか?」

「確かに片言程度でまともに話しなんてできないですね」

「だから発音にも気をつけ、本来のその単語が持つ意味合いを若い内から知っておいてほしいんです」

「ターゲットは?」

「学生や受験生、またはそれに関わる親ですね」

夢さんの熱い思いは痛いほどよく分かった。

だからこそ非情に徹して言わなきゃいけない事もある。

「受験生と言いましたが、みんな、いい高校や大学に入りたいだけで、正しい英語を習いたい訳じゃないんですよ。夢さんの言う正しい英語、これが試験に出ればいいですが、学校で習う授業の範囲が試験にも出ると思うんです。嫌な言い方をすれば、非常にナンセンスなんですよ」

「……」

俺の厳しい意見に夢さんは下をうつむき、黙ってしまった。

少し言い過ぎたか……。

いや、夢さんは思った事を素直に言ってほしかったのだ。

これでいい。

「でも、夢さん。これって凄い事だと思うんですよ」

「あ、ありがとうございます」

「もうちょっと何か発想を捻れば、いい方向に行くんじゃないかなって気がします」

「いい方向? 例えば?」

「いえ、俺にはよく分かりません。無責任な言い方かもしれませんが」

「もし、思いついたらでいいので、その時は言って下さい」

「分かりました」

この日、夢さんの帰る後ろ姿がいつもより不思議と寂しそうに見えたのは、俺の気のせいだろうか。

 

ハンデを抱えながら日々を生きる夢さん。

以前話した『今の中学校で教えている英語は間違っている』の件で、残酷だけどいい名案を思いついた。

俺は早速電話を掛けてみる。

「ちょっと待って、岩上さん。今から事務所まで行きますから」

俺が話そうとしたいい名案に夢さんは興味を示し、こちらへ向かうと言う。

一時間ほどして夢さんが事務所へ到着した。

「岩上さん、いい名案って?」

「夢さんの作った本の中身とは別の問題なんですが、冒頭の部分で夢さんが何故この本を作ろうと思ったかを書いてあるじゃないですか」

「はい」

「その部分をある程度変えるんです」

「…と言いますと?」

ここから先は残酷な言い方になる。

でも、俺は話す事にした。

「これから話す事に、気を悪くしたらすみません。でも俺にはいい方法だと思ったんです」

「遠慮しないでガンガン言って下さい」

「分かりました…。まず夢さんの『クローン病』。これについてみんなが分かるような知識を冒頭で書くんです。そういった症状に掛かっている人が作った辞典。だから中学校のとかでなく、もっと違うタイトルにしたほうがいいかもしれません。マスコミが食いつきそうで、出版社も売りにしやすい部分を全面的に押し出して宣伝するんですよ。夢さんの作った趣旨とはまったく違った方向になるし、この本に掛けた情熱に対しても失礼な事を言っているのは承知の上で話しています……」

今の世の中、内容うんぬんより話題性がすべてなんじゃないかなってぐらい、情報に踊らされている。

だったらそれを逆手に取ってやってみるのも一つの手だと思ったのだ。

「岩上さん……」

「はい、何でしょうか?」

「私ね…、この『クローン病』を売りにして同情なんて買いたくないです……」

悲痛な表情で吐き出すように夢さんは口を開く。

「すみません……。夢さん、本当にすみませんでした……」

「いえ、岩上さんも良かれと思って言ってくれたのだから、その事については嬉しかったです。ありがとう」

俺はどれだけこの人を傷つけてしまったのだろう。

深い罪悪感が全身を取り巻く。

いくら親しくなったからとはいえ、言ってはいけない台詞だってある。

そんな事すら気付けなかった事に、いくら後悔してもしきれないでいた。

「お礼なんて言われる筋合いなどないです。ほんと夢さん、すみませんでした……」

「もう岩上さん。気にしてませんから。それよりまた今度蕎麦でも食べに行きましょうよ、ね?」

蕎麦を一本食べただけで吐いてしまうのに、この人は……。

「は、はい……」

一日中心の中が重く感じた。

 

俺にパソコンのスキルを伝授してくれた地元の先輩である坊主さんが、ウィニー(winny)というファイル共有ソフトを教えてくれた。

これは様々なデータのキャッシュファイルを集められる優れもので、欲しい音楽や漫画、ゲームのデータなどありとあらゆるものが手に入る。

俺はアップルとパイナポー二つの店の仕事をチャッチャと済ませると、ウィニーにハマった。

巣鴨留置所時代、同部屋だったヤクザの原から連絡あり、若い舎弟に裏ビデオ屋の基本的なやり方を教えてほしいと頼まれる。

 

叙楽苑 (西武新宿/中華料理)

★★★☆☆3.36 ■予算(夜):¥5,000~¥5,999

食べログ

 

組事務所へ出向くわけにもいかないので、隣の中華料理の叙楽苑を使わせてもらう。

この店は俺が歌舞伎町へ来たての頃、ゲーム屋でいうと最初の『ベガ』時代に知り、仲良くなった。

台湾人のママに日本人のオヤジさんが経営する店で、台湾、広東、北京料理を出す。

当初ここの麻婆茄子を出前で食べて感動し、台湾風骨付き豚ロースの唐揚げと共に、地元川越のトンカツひろむで働いていた岡部さんにお土産で持って行ったほどだ。

「おー、岩上さん、お元気ね」

叙楽苑のママとの付き合いは十年以上になる。

組事務所は隣にあるので、原もすぐに舎弟を連れてやってきた。

舎弟は二十歳半ばの真面目そうな男で、原と一緒でなければヤクザ者には到底見えない。

「こいつさ、喧嘩も弱いしシノギもできないし、参っちゃうよ。岩ちゃん、喧嘩の仕方教えてやってよ」

「まあまあ原さん…、優しそうでビデオをシノギにするにはいいと思いますよ」

「よ、よろしくお願いします」

本当にヤクザなのかと思うくらい、オドオドしている。

原の説明によると、秋葉原の露店で裏ビデオを売りたいようだ。

その為舎弟にイロハを教えてほしいとの事。

うちの組織が秋葉原に出して成功したのを聞いて、少しでも真似をしたいのだろう。

新作DVDも主な人気作品しか入れず、ストック枚数も少ないので、この子でも簡単にできるようレクチャーした。

それにしても道路に面した露店で、大丈夫なのだろうか?

「売上がちゃんとできるようなら店舗も借りるよ。色々ありがとね、岩ちゃん」

原は足代と手間賃として三万円を俺に握らせてくる。

「新作入る度に連絡入れますけど、それ以外に困った時はいつでも連絡下さいね」

思わぬ臨時収入、里帆と早紀に何かこれで買ってやろう。

俺は礼を言い、叙楽苑をあとにした。

ヤクザ者の原との付き合いは、巣鴨留置所の同部屋から。

ウマが合うのかいつも仲良く話をして過ごした。

釈放されてから一度組事務所へ顔出しにおいでと言われ、何度もヤクザにならないか誘われる。

丁重に断ると、時間作ってご飯食べに行こうと言われた。

「行くのはいいですが、若い衆とか一緒じゃ嫌ですよ」と伝えると、原は奥さんと幼稚園の娘を連れてくる。

それで俺も、原がヤクザでも信用する事ができた。

 

秋葉原の裏ビデオ屋状況は、徐々に増えていく。

道端の露店で売っている原のところでさえ、そこそこの売上が出ているようだ。

山下には新しいビデオ屋が近隣にできたら、チェックして報告するように指示した。

アップルは相変わらず好調な売上。

石黒のパイナポーは人がいないので中々の苦戦。

場所を神田でなく秋葉原にしたほうが良かったと思うぐらいだった。

夏も終わり秋に差し掛かる頃、テレビで秋葉原の裏ビデオ屋特集のニュースが流れる。

露店から店舗借りた原の店…、あの時の舎弟が映像に映っていた。

他にもロリータまで販売している裏ビデオ業界などと、大袈裟に放送している。

裏ビデオは捕まったら最後。

山下が事務所へ来た時、今後の営業の仕方を教えた。

「いいか? アップルの客はおまえしか顔分からないんだ。今までみたいに十一時に秋葉原行ってすぐ店を開けなくていい」

「え、休みでいいんですか?」

「違うよ、馬鹿! 店は開けないで店の外に立ってろ。そしたらアップルに来る客の顔分かるだろ? その客が買うという明確な意志があったら、初めて店へ一緒に入って鍵を閉めてから売る。金を受け取ったら、一緒に出て鍵は必ず閉める。これだったら警察にも捕まりづらいから。明日からはそういう風にやってよ」

「分かりました」

長谷川にはこの方法で売上は落ちても、店がやられないのを第一にと説得する。

今まで歩合で数万もらえていた山下は、明らかに不服そうな顔をしながら事務所へ来た。

一日の売上が二十万行かない日が多くなっている。

それでも捕まるよりはマシだ。

消極的な営業をしながら様子を見ていると、とうとう秋葉原で初の摘発があった。

「岩上さんの言う通りでしたね。あのまま山下の店を普通に開けていたら、やられていたかもしれませんね」

摘発されるテレビ画面を眺めながら、長谷川はホッと胸を撫で下ろす。

たまたま捕まらなかっただけで、秋葉原もそろそろ撤退時期に差し掛かったのかもしれない。

 

俺も俺もと多方面から秋葉原へ集結した裏ビデオ屋。

派手にロリータを売る馬鹿もいれば、値段を安くして売り出す店もある。

こうなるの分かっていたから、秋葉原のケツモチに忠告したんだけどなあ……。

「長谷川さん、秋葉原のアップル…、撤退しますか?」

「うーん…、まだ一応売上はあるから勿体ないなあと……」

ここで一旦引くのも英断だと思う。

しかし長谷川は秋葉原当初の成功が忘れられないし、まだ美味い汁が残っていると思っているのだろう。

今なら山下もパクられる事は無いし、岡部さんだって無関係でいられる。

神田のパイナポーはまだ大丈夫だろうが、秋葉原はその内歌舞伎町浄化作戦に近い取り締まりがあるはずだ。

ニュースで全国的に裏ビデオ屋の存在を知られてしまった。

そんな風に考えていると、原の舎弟から電話が入る。

「もしもし、どうしたの?」

「原さんが捕まってしまいまして」

「えっ! 何で? 原さん裏ビデオはタッチしてなかったでしょ?」

「銃刀法に公務執行妨害です」

「あらら…、あの人短気なところあるからな。どこにいるの?」

「池袋署です」

「分かった、ありがとね」

電話を切り、長谷川へ簡単な状況を話した。

巣鴨の時は傷害罪と言っていたが、一年ちょっとで二つの罪状。

恐らく実刑で刑務所送りは確定だろう。

知らない仲じゃないので、接見へ行きたかった。

池袋署の留置所へ行って面会をして、そのあと秋葉原の現状も見ておきたい。

まだ八月で娘さん夏休みじゃないかよ……。

「分かりました。では岩上さん、どうぞ行ってきて下さい。秋葉原の状況の把握、よろしくお願いしますね」

長谷川の許可を得て、新宿の事務所を出る。

俺は池袋署へ向かった。

 

池袋留置所、接見室。

透明なガラスの板一枚を隔て、俺は原の目の前の椅子に座った。

原の隣では警察官が一人ついている。

「原さん…、どうしちゃったんですか?」

「岩ちゃん…、一般人でさ…、こうやって面会に来てくれたの、岩ちゃんだけだよ……」

目をウルウルさせる原。

「何をやって捕まったんですか?」

「俺さー、喧嘩っ早いじゃない。酔って三人組と喧嘩になったんだけど、大人数に勝てなくてさ…。頭来て車に入れてあったチャカ取りに行ったんだよ」

「まったく原さんは……」

「そしたら職質食らってね。拳銃持ってるから取り押さえられて、思わず殴っちゃったんだよ」

「……」

「うちの女房も来てくれてさ、実家北海道なんどけど、地元戻って一応俺を待っててくれるって」

「原さん、娘さんにはいいお父さんでしたからね」

横で警官が立ち上がり、時計を見ながら「そろそろ時間だ」と言われる。

最低でも二、三年は入るようかな?

「じゃ原さん…、俺はそろそろ行きますね」

俺が接見室から出ようとすると、背後から声が掛かった。

振り返ると原は立ち上がり、透明な板に両手をつけて俺を見ている。

「岩ちゃんよー…、岩ちゃんは日の当たる世界で、俺たちの代表として世に出てくれよなっ!」

日の当たる世界か……。

群馬の先生も、同じ事言っていたな。

俺は原に向かってゆっくり右拳を突き出す。

「任せて下さい。精一杯頑張りますよ!」

「頑張れよ、岩ちゃん! 今日はほんとありがとう!」

「そろそろ行くぞ」

警官に腕を引かれながら、原は留置部屋へ戻される。

池袋署を出ると、無性にせつなくなった。

ヤクザそのものは嫌いだけど、原はヤクザらしいんだけど、ヤクザらしくもないんだよな……。

出てきたら、カレーライスご馳走してあげなきゃ。

あ、それはあの乞食にか……。

 

秋葉原へ向かう。

あの辺り一帯の空気を見ておきたい。

警戒して閉めている店が多数。

中には売上至上主義で堂々と開けている店もある。

山下のアップルへ向かった。

一階のパソコンパーツショップは当たり前だが営業している。

あれ、山下の姿が見えないな。

辺りを見回し、二階へ上がった。

アップルのドアは閉まっている。

すぐ外へ出て、目の前の道路でしばらく待つ事にした。

タバコを三本吸ったくらいで、ようやく山下の姿を発見。

山下は俺の存在に気付き、ギョッとしている。

「おまえ、何やってんだよ? 店の前にいなきゃ、せっかく来た客だって逃すだろうが!」

「いや、聞いて下さい。喉乾いてジュース買いに行ってただけなんですよ」

その割に山下の手にジュースは無い。

嘘なのは分かったが、今が正念場なのだ。

「今日の売上は?」

「まだ二万です」

「こっちはちゃんと給料払っているんだから、ちゃんとやれよな」

「はい、分かってます!」

「客は通っているのか?」

「そうでもないですね」

「ほんと頼むよ。店やられたら終わりなんだから」

しばらくアップルの前の道路で山下と立ち話をした。

「お兄さん、今日は店開けてないの?」

五十代のしょぼくれた中年オヤジが山下へ声を掛けてくる。

「あ、佐藤さん。やってますけど、買う時だけ一緒に店に行って、鍵閉めるのでそれから選んでもらってます」

「ほんと! じゃあ買うよ、買う」

山下と客の佐藤は二階へ上がっていく。

十五分ほどして二人は出てきた。

佐藤の姿が見えなくなると、山下へ声を掛ける。

「そう、今みたいな感じで頼むよ。徹底してれば、警察にも捕まりにくいだろうから」

「分かりました!」

「じゃあ八時になったら、事務所へ売上持ってきてね」

「はい」

俺だけ一足先に新宿へ戻る。

本当に今なら撤退するならしたほうがいいだろう。

長谷川に状況を伝えた。

しかし店はまだこのまま続行したいようだ。

調子良かった時の一日平均五十万として、一ヶ月で千五百万。

三月からオープンして九月まででの約半年間で五、六千万円くらいの売上。

もちろん給料や歩合を引いた上なので、オーナーサイドからしてみれば笑いが止まらないのは分かる。

今の検挙騒動が収まればくらいに思っているのだろう。

物事には何事にもいい潮時というものがある。

いくら俺が警告を言ったところで、上の目線は違うところを眺めているのだ。

帰ったら山下には捕まった時のシュミレーションを再度しとこう。

そのくらいしかできる事は思いつかなかった。

 


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