岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

8 忌み嫌われし子

2019年07月16日 18時02分00秒 | 忌み嫌われし子

 

 

7 忌み嫌われし子 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

1234567891011あとがき静かなジャズが流れる小さなカウンターだけのショットバー。今、私は部下の河合と二人で飲んでいた。「河合君、なかなかシックでいいお店だね」「ええ...

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 河合から解放され、まずは会社に連絡を入れた。
 昼になっていた。課長の立場で無断遅刻。どのくらいのペナルティを受けねばならないのか。非常に電話をしづらかった。しかし逃げる訳にもいかない。家族を養っていくという義務が、私にはあるのだ。
「すみません…。木島ですが……」
「あ、木島課長。お体の方は大丈夫ですか?」
 ビックリしたのが、私の遅刻に関して、誰も驚いていなかったという点である。
「お体って……」
「今朝、河合君から連絡あって、木島課長が昨日の夜から、体調がおかしくなり、今日は休むと伝えてほしいと、代わりに頼まれたって……」
 あいつめ…。私にあんな事を言いながら、自分ではちゃんと根回ししていた。悔しいが、ここは河合に合わせないといけない。
「あ、ああ…。そうだったね。彼、ちゃんと連絡してくれたんだ」
「具合良くなりましたか?」
「ああ、だいぶ良くなったよ。ありがとう。明日は必ず出勤するから、迷惑掛けてすまないね」
 次は家だ……。
 きっと河合が事前に、それとなく連絡は入れているだろう。そんな予感がした。
「はい、木島です」
 みゆきの声に、思わずホッとする。
「私だ…。昨日はすまなかった……」
「大丈夫よ。いつも頑張っているんだもの。河合さんから連絡あったわよ。昨日の内に…。課長が酔い潰れたから、自分のマンションに泊めるって」
「そうか……」
 みゆきも、まさか自分が河合に狙われているだなんて、知りもしないだろう。
 あの時、安易にしてしまった返事。本当に私は、妻を部下の河合などに献上せざるおえないのだろうか。
 河合のねちっこい笑顔が、脳裏にチラつく。あいつが、みゆきを抱く…。想像もつかなかった。
 この現状をどうしたらいいのか。いくら考えても答えは出ない。クモの巣に引っ掛かった虫のように、どんどん身動きがとれなくなっている事だけは自覚していた。
 とりあえず、妻にさり気なく話し、毎週水曜日のパソコンを教えてもらう件は、うまく断るしかない。ある程度、私の家族を団結させなければならない。
「あなた、どうかしたの?」
 みゆきの声で、我に帰る。
「ん?」
「急に黙っちゃったから……」
「いや、もう心配ないよ。多少、二日酔い気味だがね…。これから、家に帰るよ」
「ご飯は?」
「う~ん、まだ酒、残ってるからな…。あとでいいや、ありがとう」
 昨日のひと騒動は、とりあえずこの場だけでも尻拭いできた。
 家に帰ってから、ゆっくり今後の事について考えなければ……。



 しばらく数日間、河合からのリアクションはなかった。
 会社にいても、ごく自然に接してくるだけで、あの日の事は幻だったのかと思うぐらいだった。
 たまに背後から視線を感じ、振り向くが、河合は背中を向けて机に向かっていた。
 昼休み、社員食堂で遅めのランチをとっていると、女性事務員たちの会話が聞こえてくる。
「知ってる? 人事部に河合君、辞表出したって」
「えー、そうなのー」
「ちょっとショック。私、狙っていたのにな……」
「案外、裏で何をやっているのか分からないタイプだよ。ああいうの……」
「でも、笑顔が可愛いじゃない」
「あんたは、いつもそればっかじゃん」
 あとの会話など、どうでもよかった。
 河合が会社を辞める……。
 その事だけが、脳裏に刻み込まれた。
 もし、事務員たちの会話が、単なる噂でないとしたら……。
 一体、河合は何を考えているのだろう。
 あいつはどういうつもりなんだ?
 考えられる点は二つ。
 本当に会社に対し嫌気がさし、ただ辞めるというもの……。
 もう一つは会社を辞めてまで、私の妻であるみゆきをいただく算段でもしているのだろうか。
 どちらも少し違うような気がした。
 河合の運営するブログ、「忌み嫌われし子のスペース」。あれは毎日のように更新しているのか。
 あの日以来、私はブログを見ていなかった。今の精神状態では、正直ブログどころではなかったからだ。
 食事を終えたら、久しぶりに携帯からチェックしてみよう。そして、河合のブログも探し、本当に会社を辞めるのかどうか…。それを本人に、確認しなければいけない。
 ここ数日間、私は妻と夜になるとほぼ毎日のように性行為を繰り返していた。他の男に、この体を奪われる…。そう考えると、いても立ってもいられなかったのだ。不思議なものである。あれだけマンネリというものを感じていたのに……。

(トライ)
 ブログ徘徊中……。
 ここ最近、気まぐれパパさん、更新ないですね~。元気ですか~。

(気まぐれマダム)
 あれ~、まだ更新してないわ。パパさん、どうしちゃったのかしら…。ちょっと心配しています。

(しろたぬき)
 こんばんは、しろたぬきです。う~ん、休養中かな?

(青い鳥)
 今、チェンマイの日差しはとても暑いです。大汗を掻きながらゴルフ三昧の日々を送っています。夜は、肩こり酷いかな。

(新宿トモ)
 少し心配しています。何か話したい事あったら、気軽に言って下さいね。

(ちゃち)
 気まぐれパパさん、忙しいのかな? また、更新待っていますね。

(うめ)
 こんばんは、うめちんです。パパさん、頑張れ~。うめちんも頑張ります。

(カイコチャン)
 食欲の秋が過ぎ去ろうとしていますね。おいしいものは、いっぱい食べられましたか?

(らん)
 忙しいのかな? たまにはパパさん、また、ほのぼのした記事を楽しみにしていますね。

(牧師)
 今日は、いい写真が撮れました。コスモスの写真です。お時間取れましたら、是非、見に来て下さいませ。

(自分流)
 大丈夫でしょうか? 少し心配しています。

(たかさん)
 あれれ、最近、更新してないじゃないですか。奥さんや娘さんたちと、旅行でも行っているのかな? うちは相変わらず女帝が幅を利かしています。

(あさがお)
 おはようございます。
 あれ、まだ更新をしていないのですね……。
 僕の素敵な朝のポエムを聞かせようと、はるばるやってきたのに…。残念ですね。
 実は今日、彼女の内定式なんです。だから僕は、彼女と一緒にいたい。
 明日は、さんまのおひたしです。

(ストーカー男)
 ちょいさ~。

(ぴよ)
 パパさん、こんにちは。ぴよは、パパさんの更新待っていますよ。

(お絵描き番長)
 そうそう、パパさんの勤めている会社。以前、一部上場だって書かれていたじゃないですか? うちの息子に、「気まぐれパパさんの会社って、一部上場なんだって」というと、息子は、「金融か何かだろ」って言ってました。
 パパさんってサラ金の人?
 それなら取り立てとか、してるのかな~。恐い……。

(ネコ)
 こんばんは~、ネコです。パパさん、また更新、楽しみにしていますね。

(牧師妻)
 はじめまして。うめさんのブログから来ました。色々見させていただきましたが、本当に暖かいブログですね。また、楽しみにさせていただきます。

 ここ数日で、いっぱいみんなのコメントがあった。
 ほとんど見ていて元気付けられるコメントばかりだ。嬉しいものである。
 それにしても、このあさがお、お絵描き番長って何だ?
 あさがおって奴は、私を馬鹿にしているとしか、思えない内容のコメントばかり…。何がさんまのおひたしだ。彼女と一緒にいたい? 勝手にいろ。わざわざ私のブログにそんなものをコメントするな。
 お絵描き番長は、一体、何様のつもりなのだろう?
 別に私は金融業ではない。仮にそうだとしても金融業だからって、いつあなたに迷惑を掛けたのだと言いたい気分だった。それにこの息子も何様のつもりだ。以前リンクが番長の記事についていたから、そこへ飛んでコメントを残しただけで、文句を言うような奴である。ロクなものではないだろう。
 このストーカー男も、何がちょいさ~だ。まったく意味が分からん。
 こいつらを除けば、いい人たちばかりである。
 ん、次のところにも、まだコメントがあるぞ……。

(ミセス・マユミ)
 人が記事を読んでいるのに、私が書いたコメントを消すなんて、いや~な感じ……。
 私のスペースに来なくていいからね!
 この偽善者!
 バアバアで悪かったわね。これは削除しなさいね。

 何だ、この人は……。
 何を言いたいのかが、さっぱり分からない。携帯からなので、細かい作業はできないが、家に帰ったら、早速よく見てみるか。
 昼休みが終わり、自分の机に戻る。河合の姿を探したが、外へ出掛けたのか、この日は一日見ないで終わった。

 明日は火曜日。明後日には、河合が今のままだと、家へやってくる日であった。
 早めに仕事を片付け、残業せずに真っ直ぐ家へ帰る。いつものように家族総出で私を玄関先にて迎えると、みゆきはすぐに食事の仕度へと取り掛かった。
 今日も妻は、笑顔で料理を作っている。
 娘の佳奈は、ニコニコしながら、妻特製のハンバーグが焼きあがるのを心待ちにしていた。
「は~い、お待たせ~」
 思えば、みゆきとも、ほとんど喧嘩という喧嘩もせずに仲良くやってきた。
 妻をめとらば才長けて、見る目麗しく、情あり……。
 どこかで聞いた言葉だが、まさにみゆきは、そのまんまだと自慢できる妻でもある。
 河合の奴が、みゆきを抱きたいという男心は、分からないでもない。
 しかし、みゆきは私の妻である。
 冗談じゃない。他の男に抱かせるなんて……。
 そう思うものの、私はこれから一体、どうすればいいのだろう。
 食事を終え、久しぶりにパソコンを起動する。久しぶりといっても、一週間ぐらいの期間である。これから私はパソコンなしでは、生活できないようになっていくのだろうか。
 自分のブログを開く。河合の行動が気になってしばらく更新をしていない。
 コメントをくれるみんなに、心配を掛けてしまった。もちろん現状でも心配は何も拭えていない。あれから何も変わってないのだから…。しかし、ブログのみんなには、関係ない事である。
 私は、みんなを安心させるような記事を書いてみた。

『ご機嫌パパ日記 その六十三』 気まぐれパパ

 みなさま、一週間ほど更新もコメントもせず、すみませんでした。
 ただ単に、仕事が忙しく、パソコンを開く時間すらなかったのです。
 ご心配をお掛けしてすみませんでした。
 これからも私、気まぐれパパはほのぼのいる事をここに宣言致します。
 それと、変なコメントをくれる方……。
 ここはみんなが楽しくコメントをやり取りする場なので、意味不明のコメントはご遠慮下さいませ。
 あと、ミセス・マユミさん。コメントいただきましたが、何故、あのように怒っているのか、さっぱり私には分かりません。
 私は自分自身が善人かどうかまで分かりませんが、別に偽善者ではありません。その言葉の真意が分かりかねます。

 さて、このマユミという女……。何故、こんなコメントを残したのだろう?
 私は過去の記事にもらったコメントを一つ一つ調べていった。
 あった……。
 ミセス・マユミの初コメントは、すぐ手前の記事に載っていた。

(ミセス・マユミ)
 はじめまして、気まぐれパパさん。微笑ましい暖かい家族ですね。動物園に、焼肉…。楽しさのフルコースですね~。
 今度、私も娘と父を一緒に連れて行ってみようかな。楽しそうでいいですよ~。
 また、寄らせてもらいます。今度、ゆっくり見せて下さいね~。

 ブログの性質上、一つの記事のコメント数が多くなると、どうしても一度では一気に載せられず、次に表示されるボタンで、前のコメントが切り替わるようになっている。
 これはこのマユミという人が、勝手に勘違いして、自分のコメントが削除されたと思ったのだろう。
 それにしても、勘違いでここまでのコメントをする人間。これではコメントなど、今後いらない。周りが不愉快なだけである。
 自分でこのようなコメントを載せておいて、よく一日も経たない内に私を偽善者呼ばわりできたものだ。
 部下の河合の件でイライラしているのが、さらに増してくる。
 一体、どんな女なのだ?
 私は、マユミのブログを見に行ってみた。
「……」
 プロフィール写真を見た瞬間、呆れてモノが言えなかった。
 自分のプロフィール欄に、画像を一枚表示できるのだが、ミセス・マユミはハリウッドの有名女優の写真を使っていた。そして驚いた事に、自己の記事に自分の顔写真を実際に載せているのだ。
 自分が綺麗だとでも言いたいのか?
 それともプロフィールのところの女優と、私は似ているとでも思っているのか?
 恐ろしいほどの勘違い女……。
 なるほど、こんな自分を把握していない馬鹿な女だから、あのようなコメントを平気で書き込めるのか。
 まったく世の中、色々な人間がいるものである。
 自分のブログをサイド見直すと、大した時間も経っていないのに、新しいコメントがあった。

(ぴよ)
 こんにちわぁ~。トライに意味の分からん人がいるって教えてもらって来ました。
 ぴよが思うに……。
 ミセス・マユミさんの勘違いですね。
 初めに気まぐれパパさんの記事の、その六十二に、マユミさんの初コメントがあります。で、そのあとに数時間経って同じ記事に、また例のコメントがあります。
 おそらくですが、きっと……。
 返事きているか確認しにきて、コメントが切り替えないと表示されないのを勝手に自分のが消されたと、思ったんでしょうね……。
 勝手な勘違いだわ。
 気まぐれパパさんに謝りましょう……。
 では…、お邪魔しました。

 まだ高校生なのに、こんな私を擁護するコメントを残してくれるなんて……。
 ぴよちゃんと、トライ君の連携。嬉しいものである。
 本当はガツンと、ミセス・マユミに言ってやりたかったが、もういい。だいぶ、彼女の擁護コメントで、私の気は晴れた。
 私は顔も知らないぴよちゃんに感謝をした。
 みんなにコメントを返し終わったあと、部下の河合の「忌み嫌われし子のスペース」を探してみた。
 様々な検索エンジンを使ってキーワードを入力しても、どこにも「忌み嫌われし子のスペース」は見当たらなかった。

 やっきになって河合のブログを探している内に、数時間が経った。
 もうやめよう。あのブログを探したところでどうにもなるまい。
 今の私には本当にケツに火がついているのだ。呑気に他の人へコメントなど返している時点で間が抜けている。いつまでもブログで現実逃避している訳にはいかない。
 河合の魔の手が、妻のみゆきに伸びているのだ。
 明日会社に行ったら、河合が妻にパソコンを教える件、どうしても断らないと…。そして妻にもそれを了承させないといけない。
 あの場の勢いで、分かったと空返事をしてしまったが、私はみゆきを守らなくてはいけない。
 子供たちを寝かせると、私は寝室で横になったまま、みゆきに話し掛けた。
「なあ、みゆき……」
「なあに、あなた?」
「今度の水曜の河合君の件なんだが……」
「うん、私、楽しみでね。先週、彼、具合悪くて来れなかったでしょ。だから明後日は、あ、もう明日か。明日はすごいご馳走を作っておくようにするわ。じゃないと、あなたも会社でいい顔できないでしょ」
 複雑な心境だった。
 妻は河合の本性を知らない。どうやってうまく私の事は覗いて、説明すれば理解させられるのだろうか。
「河合君さ…。もう時期、うちの会社を辞めるんだよ。だからどうかなと思ってね……」
「え、そうなの?」
「ああ……」
「えー、でも水曜は家に来るんでしょ?」
「……。分からないな。彼も色々と大変だろうしね。あの性格だと、一度言ったから断れないだろ。うまくこっちから邪魔しないように断るのも、優しさじゃないかな」
「でも、私もパソコンもっと詳しくなりたいなあ……」
「……」
「あなただって、自分のブログとか持って、色々できるようになっているじゃない。私もやってみたいわ」
「で、でもさ……」
「あなたはいいわよ。ブログで色々な人と交流持って、好き勝手に楽しんでいるんだもん。私は子供を学校に送り出して、家の事をやったら、あとはいつもボーっとしているだけ…。そのぐらいパソコンを自由に扱えるようになりたいわよ」
 駄目だ…。口に出して言いたいが、例の件があるから言えない。そこまで妻の意思を奪うのに、納得いく説明ができない。
「そうすれば、あなたも分かるわよ。私の気持ちが……」
「え、何が?」
「自分は勝手に女性のメル友とか作って、楽しそうにやって…。私が同じ事をしたら、あなたはどう思うかしら」
「……」
「メル友って言うんでしょ? ああいうの」
「違うよ。あれはブログ同士で繋がっている訳で……」
「どっちにしても、あなたは、パソコンをやるようになってから変わったわ……」
「私はいつだって私だよ」
「あなた…。ずっと私たち、長年夫婦をやっているのよ?」
「……」
 確かに私は変わった。それは分かっていた。それを認めるのが嫌なだけだった。
「じゃあ、勝手にしろよ……」
「ええ、勝手にするわ……」
 布団を剥いで、私は寝室を出た。誰も私の悩みなど、分かっちゃくれない。
 何の為に、私はこんなに悩んでいるのだろうか。河合の要望、みゆきを抱かせる事……。それさえ約束すれば、私自身は何も問題ないのだ。
 河合の中で、他の男に女房を寝取られた男と、思われるだけである。
 みゆきもみゆきだ。そんなにパソコンを口実に河合と逢いたいのか? それならそれで勝手にするがいい。
 パソコンのある部屋へ向かい、ソファに寝転がる。
 今は妻と一緒に寝たくなかった。
 私は横になっている内に、自然と眠くなり、いつの間にか寝てしまった。

 実の母親に犯されている夢をまた見た。
 気持ち良さそうに、私の上へ乗って腰を振る母親。そこには、母親という仮面を剥いだ一人の欲望のままに動く女の顔だけがあった。
 精神的な苦痛とは裏腹に、いう事を利かない私の下半身。勃起度はさらに大きくなり、母親の胎内でされるがままになっている。
「もう、いいや……」
 私も思う存分、禁断の性行為を楽しんだ。
 モラルが何だ。いくら自分を戒め、節制しようとしても、体に流れる血は変わらないのだ。
 父親と同じ女を抱いた。ただ、それだけの事に過ぎない。
 もし、それが人間の所業ではないというならば、人間でなくても構わない。
 人間という名の道があるなら、私は自ら喜んで踏み外そう。
 河合…。人の弱みに付け込み、私の妻を交換条件で抱きたいというなら、勝手にすればいい。もともと赤の他人同士なのだから……。
 みゆきも、あいつにパソコンを教わるという事が、どういう結末になるのか、身を持って知ればいい。
 私は無我夢中で、母親を抱いた。今までのすべての憎しみを込め、全身に力を込めた。
「……」
 遠くに人影が見える。
 娘の佳奈だった。
「パパ……」
 絶望に満ちた表情の我が子……。
 その横で、幼い頃私を捨てた父親が、見知らぬ女性を抱いていた。
 醜い性行為を目にして、私は我に帰る。
 遠くからみゆきが、走ってくるのが見えた。私は近づこうとするが、体が動かない。
「ほら、早く…。私を気持ち良くさせなさいよ。早く!」
 母親は狂ったように、叫ぶ。
 まったく体の自由が利かぬまま、私は母親に犯され続けた。
「……」
 走っているみゆきの背後から、部下の河合が襲い掛かる。着ている服を千切り取られながら、泣き叫ぶ妻。
 近寄ろうにもまったく動けない。
 みゆきは最初だけ抵抗をしていたが、やがて河合に身を任せ、気持ち良さそうな表情に切り替わった。涙で視界が歪む。
 佳奈は、寂しそうな後ろ姿を向けて去っていく。
「佳奈……。待ってくれ。これは違うんだ…。佳奈……」
 突然目の前に川が現れる。
「……っ!」
 川の上に卓の小さな体が浮かんでいた。
「もう、たくさんだ…。もう、たくさんだ~っ!」
 私はその場で力なく座り込み、天を向きながら泣き叫ぶだけだった。

 体が動く……。
 起き上がると、そこは見慣れた我が家だった。夢から覚めたようである。
 私の体には、二枚の毛布が掛けられていた。大方、妻が私の寝ている時に掛けてくれたのだろう。
 ソファで寝たせいか、体のあちこちが痛い。
 それにしても嫌な夢だった……。
 全身、汗で濡れていた。
 時計を確認すると、まだ朝の五時だった。妻も子供も起きていない。
 軽くシャワーを浴びて、嫌な汗を洗い流す。
 そろそろ妻が起きてきてもおかしくない時間だ。昨日の言い合いが、まだ頭の中に残っていた。
 今、みゆきと顔を合わせても、いい風には話せないだろう。
 メモで、「今日は早めに会社へ出勤する」とだけ書き置きをして、家を出た。
 駅前の朝早くからやっているコーヒーショップで、時間を潰せばいい。コーヒーを注文してから、さきほど見た夢について考えてみた。
 夢の中の世界、あれは私の願望なのだろうか。
 いや、違う。
 両親共々、私を捨てていった事に今でも恨みを持っている。
 いつまで経っても消せない恨み。過去の凄惨なトラウマが、いまだに私をその呪縛から逃してくれない。
 血の繋がった両親にさえ捨てられた忌み嫌われし子……。
 思わず苦笑した。これじゃ河合の運営している「忌み嫌われし子のスペース」と同じ言葉じゃないか……。
 いや、あんな奴のブログを見る前から私は自分自身、忌み嫌われし存在と思う事があった。そんな自分が本当嫌で嫌で、もっといい風に変えたかった。
 だからこれまで懸命に努力して生きてきた。
 みゆきと結婚し、卓を失い、佳奈を産み、会社でも今の地位を築き、忌み嫌われし存在から新しい存在へと変わっていった。
 言うならば今の私は、新しく自分自身が作り上げたのだ。
 しかし、その作り上げたものでさえ、今、こうして無残に崩れ去ろうとしていた。
 夢の中のみゆきの表情。
 とてもリアルに感じた。
 今日は火曜日。このままだと明日になれば、河合は家にやってくる。
「殺すか……」
 咄嗟に呟いた言葉……。
 はっ…、一体、私は何を考えているのだ?
 しかし、一瞬でも河合を殺したいぐらい憎く思ったのは、自問自答しても、否定できなかった。
 昔の嫌な思い出を楽しい思い出に塗り替えてくれたのが、今の家族である。妻のみゆき、娘の佳奈…。これらの存在が、私を孤独から救ってくれた。
 卓の死から何とか持ち直し、築き上げた家庭。
 それを崩そうとする奴などは……。
「死んでしまえばいい……」
 物騒な……。
 私が人を殺すなんて、できやしない。できる訳がない。
 河合のあのいやらしい笑みが脳内をよぎる。
「……」
 どうすれば、この状況を打破できるのか?
 まだ出社まで一時間はある。気分転換に携帯電話でブログを見ようとした時、家から電話が入った。
「もしもし……」
「あなた…。私が起きたら、すでにいなくて書き置きだけ…。子供たちもいるんですから、子供みたいな真似はやめて下さいね」
「……」
 みゆきの言葉には棘があった。私はその棘で無性にイライラしていた。
「ねえ、あなた……」
「うるさいっ! 分かってるよ、そんな事は……」
「な、何よ。その言い方は……」
「望み通り、明日、河合を家へ連れて行けばいいんだろ?」
「ええ、そうして下さい。私たちは楽しみに待ってますから」
 感情的に電話を切った。
 私がこんなにも頭を悩ませているのに……。
 展開は思いとは裏腹に、どんどん逆方向へと進んでいく。

 

 

9 忌み嫌われし子 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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