2024/12/16 mon
前回の章
たまには伊藤久子のところでも顔を出そうかな。
彼女は家で働いていたが、散々扱き使われた挙句、我儘な親父の逆鱗に触れクビになってしまった。
以来俺は、定期的に気を使って顔を出すようにしていた。
弟の貴彦と叔母さんのピーちゃんの養子縁組の一件を話したかったのもある。
家の家族構成だけでなく、内部事情まで知っている人は少ない。
なので、話をできる人は極僅か。
伊藤久子は養子縁組の一件を知っていたようで、ひょっとしたら家族の中で俺と親父だけが知らされていなかったのかもしれない。
孤独……。
役員会議まで出て、散々嫌な思いをして、何の得にもならない事をしてきた。
その結果がこれか……。
家族が気持ち悪い。
吐き気がした。
俺が思っている事はおかしいのだろうか?
いや、絶対におかしくない。
内緒で養子縁組をして、戸籍上兄弟で無くなる。
一言報告さえあればいいのだ。
それを内密にするから、おかしくなる。
「智ちゃん…、孤独なのは悪い事じゃないんだよ!」
伊藤久子は放心状態の俺に、力強くそう言った。
「私だって山形で兄弟いるけど、縁を切って一人こっちで生活しているの。だから孤独だけど、それはそんなに悪い事ではないんだからね」
納得させようと?
元気付けてくれようとしているのだろうか?
何故…、この人は俺を孤独というものに、押し込めようとするのだろう……。
家に帰るとおじいちゃんの姿が見えたので、貴彦とピーちゃんの養子縁組の事を聞いてみた。
当然おじいちゃんなら知っているはず。
おじいちゃんは自分の部屋のほうの二階へ行く階段を上がりながら「私が死んだらすべて分かる」と、それだけを言い残した。
孤独…、俺は孤独だったのか……。
言いようのない虚無感に包まれた。
果たして俺は、生きている価値などあるのか?
自身を振り返る為に、ミクシィで記事を書いた。
三十八歳の私史実
これまでの人生で様々な職業の人間に会い、中途半端に色々首をつっ込んで生きてきた。
男三兄弟の長男として埼玉県川越市に生まれてから、住むという事で川越を離れたのは十八歳から十九歳までの北海道倶知安。
そして全日本に行く前の二十歳の時の神奈川横浜ぐらい。
小学校二年生の冬。
虐待の連続で俺の顔に傷を残したお袋は、黙って家を出て行った。
親父はずっと遊び呆け、俺ら三兄弟はおじいちゃんとおばあちゃん、親父の妹である叔母さんのピーちゃんに育てられた。
中学三年生の時おばあちゃんが病気で亡くなった。
高校の学費もおじいちゃんが出してくれ、叔母さんは自分の婚期を逃してまで俺らを育ててくれた。
親父は変わらず、家に三人の人妻が乗り込んできた事もあった。
この中の一人加藤皐月は群の抜いて図々しいと思った。
世間体を気にする親父は六大学に行けと殴るので、間逆の事をしようと自衛隊を選んだ。
高校を卒業して、俺はお袋のところへ初めて自分から会いに行き、離婚させた。
親父に「お袋がそんな恋しいのか? 岩上の姓を捨てろ」と殴られた。
職歴を思い返すと、自衛隊で朝霞駐屯地から俺の社会人生活は始まり、初めて家を出た。
すぐ北海道へ配属されるが上官を殴り辞める。
帰ってきておじちゃんが金を出すから車の免許ぐらい取っておけと免許を習得。
免許を取ってから、原一探偵事務所で働く。
その後広告代理業を経て、横浜八景島シーパラダイスを作る段階の仕事に関わる。
一本のビデオを見てレスラーになりたいと思い、辞表を出した。
この頃から毎日のようにお互い会い、ダラダラと一緒に過ごした先輩がいる。
思えばこれが坊之園智こと坊主さんと親密になるきっかけだ。
サツマイモの発泡酒小江戸ビールで有名な共同商事に世話になりながら、体重を増やす作業とトレーニングに一年間明け暮れ、全日本プロレスのプロテストに合格。
たまプラーザにある全日本の合宿の前日に、同級生の大沢が巻き起こしたチンピラ十五名との騒動で、警察に捕まり、ジャイアント馬場社長に来なくていいと言われる。
自殺を考えたけど、先輩の坊主さんから「行っちゃえばいいじゃん」と背中を押され、合宿に押し掛けた時、初めてジャンボ鶴田師匠と出会う。
一日だけ特別に見てくれ、プロレスラーたちと一緒にトレーニングをした。
「センスがあるからもっと体重を増やして、また来年来い」
そうジャンボ鶴田師匠に言われ、俺は茨の一年間を生きる事を決意した。
土木のアルバイトをしながら、日々鍛錬し、稼いだ金はすべて食事代につっ込んだ。
目指そうとした頃は体重六十五kgしかなかったっけど、気付けば八十五kgまで増えていた。
二度目の全日本プロレス入団。
しかし図に乗っていた俺はスパーリングで左肘を故障。
夢は本当に夢になってしまった。
その時坊主さんに「生きなきゃ駄目だ」と言われ、居場所を探しに歩き出した。
坊主さんは、この頃得意なパソコンの仕事で忙しくなっていく。
新潟県上越市にあるスキー場のホテル、グリーンプラザ上越でレストランで働くようになる。
すぐ浅草ビューホテルへ来て欲しいと言われ、気付けばバーテンダーになっていた。
でも、そこには俺の居場所なんてやっぱりなくて、深夜喫茶で働きながら、自分のカクテルの腕を知らない土地で活かそうと向かった新宿歌舞伎町。
無知だった俺は行った先が、ゲーム屋と呼ばれる場所だなんて知らなかった。
何故かそこのオーナーに気に入られたが、闇で死闘をさせられた。
六本木のデカいビルに連れていかれ、ヤクザの運転手として始めろと言われた。
当然断ると「プロレスは八百長だからのう」と言われ、「違います」と言い返したら、何度も顔面を殴られた。
それでも「違います」と言い続けたら、何故か殴るのをやめてくれた。
すごい怖い思いをした歌舞伎町だったけど、本能的にこの街が自分の肌に合い、また活かしてくれる場所なんだなと思った。
知り合いから別のゲーム屋に誘われた俺は、すぐ店の責任者になり、気付けば店長になって月に数百万の金を手にするようになっていた。
家の隣にあるトンカツひろむで知り合ったバージャックポットのマスターの野原さんから、プロレスを馬鹿にされ、頭に来た俺は再び身体を鍛え始めた。
その時知り合った整体の先生から、五年に渡って先生の施術の技を毎日のように教えてもらう。
ジャンボ鶴田師匠に恩返しできるかもと思って頑張っていたら、師匠は亡くなってしまった。
二十九歳の時、悲しみのまま総合格闘技のリングに立った。
その時坊主さんにお願いして、セコンドについてもらった。
その後復帰する原因となった野原さんも、病気で亡くなってしまった。
その人の死を忘れない為、俺はその人の髭を継承し生やすようになった。
一人の女に惚れ、絵を描きだした。
そして三十歳からピアノを始めた。
ピアノの腕が上達するのと反比例するように鍛えた肉体は衰えていく。
坊主さんから今のおまえの金の遣い方は何だか嫌だと言われながらも、俺にパソコンのスキルを教えてくれた。
ピアノ発表会に出場するが女にはフラれた。
金銭感覚が麻痺した俺に、歌舞伎町一番街の四十四人を巻き込んだ火災という事件が身近で起きた。
十一店舗まで増やした店のオーナーは、株と土地開発に手を出し億単位の借金を作り、店は無くなった。
これまで出会った人間の中で一番金に卑しいオーナーの北中の下で働くようになり、裏ビデオ屋でも働くようになった。
坊主さんのパソコンのスキルに少しでも追いつきたかった俺は、小説というものを書き出した。
人間を飼うといった表現が似合う北中の行動に怒り、命を狙われた。
名前が売れた俺は他の組織から誘われ、裏ビデオの組織の統括をするようになった。
一人の女と恋に落ちた。
歌舞伎町浄化作戦が発動し、三十三歳の誕生日を迎えた翌日俺はパクられた。
不起訴を勝ち取った俺と女の間に、子供が生まれるかもしれない状態になる。
前の組織のオーナーに誘われる形で風俗店を一から作る。
過去最大の酷い状況下で働き、金が一円ももらえない日々が続く。
女との間にできた子供をおろしてしまった。
辞めたいのに辞められない状況が続く中、とうとうその風俗店は崩壊した。
まったく別の他のオーナーの長谷川から誘いを受けた俺は、歌舞伎町を捨て秋葉原で裏ビデオの店を作る。
歌舞伎町の連中が真似して秋葉原に多数のビデオ屋ができる。
テレビ中継も入るような騒ぎになり、俺の店はやられた。
裏稼業に嫌気が差した俺は、女の望むようにまともな仕事を探すようにした。
職安で紹介された編集の仕事は、ネットのエロ画像を集めてエロ雑誌を作るようなクソ会社だった。
日本で悪名を轟かせた商工ファンドの改名した会社SFCGに入社するが、あまりの汚さに辞める。
昔から変わらない親父、弟から「少しは家の事を気に掛けてくれ」と言われ、初めて家の内部の事に目を向ける。
親父が社長になると共に世の中で一番嫌いな女がいつの間にか家に住みつくようになった。
それで五年前にすでに籍を入れていたという事実を知った。
おじいちゃんにも親父以外の家族にも親戚にも反対された女は「じゃあマンションを買って下さい」と毎朝おじいちゃんを責めた。
支店の土地売買の話をまとめ、法務局で登記し、四千万円の金を家の稼業に作る。
自分で商売をしようと、整体を地元川越で開業した。
それまで続いた女と別れる。
処女作で書いた小説が賞を獲り、全国出版になった。
総合格闘技のオファーを受ける形で多忙になった俺は整体を辞めた。
出版社の不可解な対応に対し不満を感じた俺は最悪の関係になる。
家に住みついた女は近所で、俺と叔母さんのピーちゃんの面倒を仕方なく見ているが、寄生虫が二匹いて困っていると言いふらしていた。
大日本印刷で働くも、ここは違うと辞める。
KDDIで働くようになり一年ほど働く。
その間にレスラーを目指すきっかけになった三沢さんが試合で死亡する。
またもう一度頑張ろうかと、柔術家たちと道場で稽古を開始するも体力の衰えを実感し、現役復帰を諦める。
再び執筆に邁進しだした。
無断欠勤一週間するほど熱を込めて文学の世界へ没頭した。
KDDIを辞めた。
あれだけ家に執着した戸籍だけ母親の加藤皐月が、今年になっていきなり危篤だから帰ると言い出した。
加藤皐月はその準備と称しながら、様々な商品券や書類などを車に色々詰め込んでいるのを昼間叔母さんのピーちゃんが見る。
親父の実印まで管理している加藤皐月は、様々な準備が整ったので家から出るようだ。
危篤と言っていたくせに、おじいちゃんから出て行けと言われたと人のせいにした。
不機嫌な親父は八つ当たりで一人の従業員伊藤久子をクビにした。
家を継ぐ話が出るが、まともな話し合いをしない親父に対し不信感を拭えず静観する。
親父夫婦は三年間で、俺がまとめて作った四千万をほとんど使い込んでいた事が分かる。
帳簿を見ると、この不況下なのに売り上げ自体はまるで落ちていない。
なのであの加藤皐月が様々な手を使って、四千万を削っていたのだろう。
継ぐのか?
継がないで家を捨てるか?
答えはいくら考えても出ない。
自分のこれまでを振り返ろうと、長編の小説の執筆に取り組む。
危篤危篤とただ騒ぐ加藤皐月がようやく家から出て行くが、月に一度は帰ってくるらしい。
親父が叔母さんのピーちゃんを理不尽に殴る。
昔から続く親父の家庭内暴力にうんざりした俺は初めて平手で顔面を叩いた。
それでもまるで変わらない親父。
今後どのように生きていいのか分からなくなる。
そして俺は一番信用できる先輩の坊主さんに相談した。
「おじいちゃんや叔母さんを守りたいと思うのなら家を継ぐべきだ」
「嫌です。あの男とはできません」
「俺は、ずっと前からおまえは家から出ちゃえって言ってるじゃん」
「でも、そうするとおじいちゃんが心配だし、だから歌舞伎町時代でも家から通ったんです」
「じゃあ継ぐしかないじゃん」
「いえ、あいつとは絶対に無理です。一緒になんかできません」
「おまえの立ち位置が中途半端だから駄目なんだよ。家に関わるなら継ぐ。おじいちゃんとか、もういいやって思うのなら前みたいに出て自由に飛び回ればいいんだよ」
「半か丁かしか、無いって事ですか?」
「今までおまえがやってきた事はその場だけで、意味が無い。同じ事を繰り返しているだけ」
「俺、多分、様々な世界で生きている人間と出会い、一緒に働いたって部分では日本で一番多くの人と知り合っていると思うんです。でもやっぱり坊主さんが一番信頼できます」
「それは人脈が無いか、人を見る目が無いね」
「しょうがないじゃないですか。俺が勝手にそう決めちゃったんですから」
「馬鹿だな」
「昔から馬鹿ですよ。だから分からないんですよ。半がいいのか、丁がいいのか。決めてもらえませんか?」
「家を継げ」
「……」
「俺の立場で言うと、本当はおまえの事しか考えてないから前みたいに構わないで家から出ろって言いたいけどね。でもそうすると、おじいちゃんがってなるんだろ?」
「はい」
「じゃあ、どんな悪条件でも、俺が家を守るって継ぐしかないじゃん」
俺は、ずっとこれまで宿命から逃げて足掻き続けていたのを痛感した。
「少し考えます。前向きに少し考えてみます」
さて、どうしたもんかな……。
結局のところ、最終決断は自分で決めるしかないのだ。
本当に坊主さんの言う通りだ。
俺は中途半端過ぎるのだ、生き方にしても、考え方にしても……。
何故こんな記事を書いたのか?
おそらく俺は淋しいのだろう。
一人でも多くの人に知ってほしいのだ。
この孤独感を……。
翌日になり、こんな記事を書いてしまった俺は、現在の心境をまた記事にしてみた。
今ある自分がいて、そこに追いつく為にこれまでを書く。
その作業自体がいかに愚かだった自分に気付き、それを噛み締め振り返りながら書いていく。
その時代に感じた頃の感情を心で感じ、それを反芻する。
ひたすら書いていけばいつかは今の自分に追いつける。
そう思いながら書いているのに、あまりの距離感を日々実感する。
それでも少しずつ時間軸を埋めていくが、今の自分もまた変化し距離が変わる。
なら慌てず心で感じ、頭で考え、素直な気持ちで書こう。
今の自分が変わると言うなら、また過去の自分を振り返る事すら今を変えている事になるのだから。
何かの答えを求め、掴んだと思うとまた新しい何かが生まれ、掴んだものが結論だという答えが薄らいでいく。
縦に書いた文字を横の状態にしてアップし、改行という時間を加える作業によって、自己の書いた拙い文章を再びこの目で見る事になる。
つまらないミスや誤字脱字、句読点の不可解な打ち方に気付き、改め直す。
腹が減ったら飯を食べ、喉が渇けば水分を取る。
眠くなったら寝て、起きたら書く。
これまでに欲した様々なものが、酷くつまらないものに見えてきた。
誰の評価を求める訳でもなく、自身をひたすら追及する。
その先にあるものを求め、辿りついたと思うとまだまだ先にある事に気付く。
こう生きれるのなら、あとは特にいらない。
これは俺自身の業である。
馬鹿だからミクシィ限定とはいえ、自分の心境や状況を詳しく書いて発信してしまった。
純文学が、しほさんの言うように俺の作風がそうだと言うのなら、この行動ですら純文学なのだろう。
やっと文学の世界で初めて信用できる人間と出会えたのだ。
ならば、流れに沿おう。
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