2025/01/10 fry
前回の章
インターネットカジノ『餓狼GARO』。
まず猪狩に頼まれたのは、店で作って出す料理のメニューである。
前の『ボヤッキー』とは違い、厨房もそこそこの広さはあるし、大型冷蔵庫も完備しているので、遣り甲斐はありそうだ。
まず向こうの店と比較して、料理の面でもグレードを高くして勝ちたい。
店の経費で自由に食材を買って、試作品を作っていいので俺は思う存分腕を振るう。
この頃福田真奈美が当時行っていたクックパッドを思い出し、俺は登録してレシピを載せだした。
もちろん客へ食べ放題で出すものなので、あまり一品に原価を掛ける訳にもいかない。
『ボヤッキー』では定番だった焼肉丼。
あっちは豚小間肉を焼き、エバラ焼き肉のたれで味付けしただけのもの。
俺は丼ではなく、焼き肉プレートという形で出したほうがお洒落に見えるのではとアイデアを話し、猪狩は嬉しそうに「その調子でどんどんお願いします」と頼んでくる。
ここまで俺の料理を必要とされるなんて、生まれて初めての経験だった。
とにかく嬉しくて嬉しくて、俺は様々な料理を作る。
仕事で料理を作れるなんて、何て素晴らしい事だろうか?
俺はこの感動をミクシィで記事にしてみる。
ここ最近の私の日常の生活を書きますので、ダイエットをしたい方、参考程度にどうぞ
二千十一年八月二十七日。
■PM06:00 家を出て新宿へ向かう。
■PM07:30 店到着。
■接客、従業員の指導をしながら食事。
※昨日は和風ブイヨンパスタを作べる。
■朝方になって鶏肉の竜田揚げ味噌風味丼を作って食べる。
■AM08:00 仕事を終え、店を出る。地元川越へ向かう。
■AM9:30 地元へ到着。軽く食事を済ませ、自宅にあるトレーニングルームで軽く汗を流す。
■AM11:00 寝る。
■PM02:00 起きる。
■PM3:00~PM5:00 ジムでトレーニング、帰り道マクドナルドへ寄り、ビックマックとてりやきバーガーを食べる。
■PM6:00 新宿へ向かう。
※昨日の場合、このような生活をしていたら、一日で三キロ落ちていました。
新聞の三行広告で出した求人で新人も入ってきた。
遅番では飯浜、伊達、鐘ヶ江の三名を採用。
猪狩に俺、そしてこの三名の新人で、夜の八時から朝の八時までの時間を共に働く。
猪狩は俺の五つ年下。
飯浜は同じ年。
伊達は三つ下。
鐘ヶ江は一つ年上。
ほぼ似たような年齢の面子となる。
飯浜はゲーム屋時代を経験していたようで、俺が『ワールドワン』の店長をしていた事を知っていたようで「ワンオン系の人は、あの当時別格ですからねー」としきりに謙遜をしてきた。
確かに最大十一店舗まで歌舞伎町内で拡張したのだ。
ワンオン系と呼ばれた俺のいた系列は、この街ではかなり有名だった。
しかしそれは、新宿浄化作戦が始まる前までの話である。
二千五年に始まった浄化作戦から六年経つ。
もう昔の事だ。
過去の栄光なんて大層なものではないが、俺は一からのつもりでこの街へ戻ってきた。
今は新しいジャンルのギャンブルであるインターネットカジノでのし上がる為に……。
今日も仕事内容はオープン前の料理作り。
チキンライス。
オムライス。
京風お好み焼き。
原価計算をしつつ、客へ出しても問題ないか、味はどうか、様々な意見を出し合いながら次々と料理を作っていく。
客の各席に貼るメニュー。
最初は『ボヤッキー』にあるのと似たようなデザインで作ってみる。
実際に印刷してみて、いまいちしっくり来ない。
せっかく自分で好きなようにデザインできるのだ。
俺は猪狩へアイデアを話してみる。
「その辺は岩上さんへ任せているので、すべてやりたいようにやってもらって構わないですよ」
向こうとはまったく違った別のものを。
料理だけでなくメニュー表からグレードを上げたものにしたい。
現時点でメニューが決定している料理の写真を撮り、それをそのままメニューとして作ってみた。
九月に入る。
ようやく『餓狼GARO』のオープンを迎えた。
しかし裏稼業という性質上、派手は宣伝もできない。
ましてやビルの最上階。
せいぜいチラシ入りのティッシュを作り、店頭の一階まで降りて通行人へ配る程度の事しか宣伝方法がなかった。
「まずは客を入れないと話しにならないんで」
そう言いながら猪狩は飯浜、伊達、鐘ヶ江と一時間ずつ交代で外へティッシュ配りへ行かせた。
「細かい客でもいいから、客を引っ張って来て下さい」
猪狩がそう伝えるも、誰も客を連れてこれない。
俺が時間になって下へ行こうとすると「岩上さんはいいですよ。下の人間にやらせれば」と猪狩が止めて来る。
「いやいや、猪狩さん。そういうのは駄目ですって。上だから偉いみたいな感じでやっちゃうと、その下が上になった時同じ事の繰り返しです。だから俺がティッシュ行ってきますよ」
猪狩はいまいち納得しないような顔つきだったが、俺は下へ行き鐘ヶ江と交代した。
とにかく歌舞伎町の住人たちに、この店の存在を一人でも多く知ってもらう必要がある。
賭博場など、客が来なければどうにもならない。
若い女の集団が歩いてくるのが見える。
『ボヤッキー』でもそうだったが、若い女性客が店にいるというのは華やかでいいし、負けた客が女の手前怒りづらいという利点があった。
「そこの奇麗なお姉さんたち。インターネットカジノ『餓狼GARO』です。よろしく」
まだ二十歳そこそこの四名の女性。
不思議そうにティッシュを受け取ると、立ち止まり話し掛けてくる。
「これって何のお店なんですか?」
「インターネットカジノと言って、バカラとかポーカーのギャンブルができるところですよ」
「えー、私たちそんなお金持ってないしー」
「千円からでも大丈夫なんですよ。それにお姉さんたちは新規のお客になるので、最初に二千円分サービスがつきますよ」
「よく分かんなーい」
「つまり千円で、三千円分のギャンブルができるんです。しかもお金が増える場合だってありますからね。もしお時間あるような覗いてみませんか?」
『餓狼GARO』では全十三席。
まだオープンして数時間、誰一人客が来ていない。
細かい客でもいい。
猪狩の言うように閑古鳥の鳴く状況よりは、華やかな女性客がいたほうがいいだろう。
過去のゲーム屋の経験から、俺はとにかく店に客を入れるよう努力してみた。
「うちらお腹減ってるしー」
「食事も当然無料ですよ! ドリンクももちろん」
「え、ほんと? 千円だけで三千円になって、ご飯も食べられるの?」
「その通りです」
「行ってみよっか?」
「行ってみよ!」
「あとでボッタリしないよね?」
「そんな事する訳ないじゃないですか。ここで店を構えているんですよ?」
「じゃあ、お兄さん…。うーん、お兄さん何歳?」
「もうじき四十になりますね……」
「えー、うちのパパと一緒だ!」
「何かお兄さんというより、パパだ!」
「まあ何と呼んでもいいです…。お店来てみます?」
「行くよー」
ティッシュ配りで四名の女性客が釣れる。
この子たちが気に入ってくれて、周りに店の存在を話してくれれば、少しはマシになるだろう。
俺はエレベーターへ彼女たちを乗せ、最上階へと向かう。
いきなり若い娘四人の客を引き連れ戻ってきた俺を見て、従業員らは驚いた顔をしていた。
「まずはこの利用規約の紙に、名前書いて下さいね」
「はーい」
彼女たちが名前を書いている間、猪狩が近付き「また随分若い子たち連れて来ましたね」と呟く。
「客が誰もいないよりはマシでしょ」
せっかく客を連れてきたのにイマイチ面白くなさそうな猪狩の表情を見て、軽く言い返しておく。
「でも、この子たち細かそうじゃないですか」
自分でまずは入客と言っておいて、実際に連れてきたら不平不満を言う。
ちょっとこの男、駄目な奴かもしれない。
「ねえ、パパ。これどうやるの?」
「あのさ…、みんなの前でパパとかやめてくれない?」
「えー、だってパパみたいなんだもん」
「早くそこに名前書いて。やり方はそのあと教えるから」
客というより駄々っ子をあやすような感覚。
一通り名前を書かせ、次はINの説明。
サイトは面倒だったので全員マイクロを勧める。
「ドリンクはこちらから選んでね」
「私コーラ」
「バナナジュース」
「烏龍茶」
「リアルゴールド」
みんなINは千円ずつ。
これに一人新規サービスで二千円ずつクレジットが入るので、三十ドルスタートとなる。
全員負けたとしても、店の利益は四千円。
こんなんで店として成り立つのだろうか?
まあ客の良し悪しは、店が忙しくなってからかんがえればいい。
「パパー、お腹減ったー」
「そのパパって店の中で言うのやめて…。このメニュー見て好きなの頼んでね」
みなみ、かなみ、双子のりさとゆか。
みんな二十歳だが、こんな夜中に歌舞伎町を徘徊しているくらいだから、援助交際とかしながらホストへハマっているのだろう。
「私オムライス!」
「ナポリタン」
「焼肉プレート」
「ホットサンド」
厨房には飯浜が入っていたので、オーダーを通す。
「ねえ、パパ! このバカラってどうやるの?」
従業員の中でインカジ経験があるのが伊達だけだったので、彼に説明をお願いする。
伊達は迷子になった子犬のような困った表情で、双子にバカラの説明。
俺はみなみとかなみに、ポーカーの説明をした。
『ボヤッキー』にもよく来ていた藤村が、キャッチ集団を引き連れてやって来る。
総勢五名。
全十三席中、九席が埋まった。
向こうでは百万円単位の勝負をしていた藤村だが、こちらでは三万円のみのIN。
新店なので様子を見に来たという感じだろうか。
連れのスキンヘッドの浅黒い肌の銀次というキャッチが、十万も使わない内に「出ねえ店だな、おい!」とテーブルを叩き出す。
猪狩が注意しに行くと「うっせーんだよ!」と怒鳴る始末。
背後から猪狩の肩を軽く叩き、俺が銀次の前に出た。
「申し訳ないですが、他のお客様もいらっしゃるんですね。なので、大声を張り上げるような行為はご遠慮願えますか?」
「いくら負けてると思ってんだよ?」
「正確なINですと、八万七千円になります。まだクレジットが残っている状態ですね」
「そんなの分かってんだよ!」
「ですから、他のお客様もいます。もう少々声のトーンを落として下さい」
レート一円時代のゲーム屋なら、こんなクソ坊主強引に追い出しているところだ。
十万に満たないINで、ここまで偉そうにできるのが逆に凄い。
ただ百万円勝負する藤村の連れというのがあるから、こちらも低姿勢で対応しているだけ。
ジロリと睨む銀次。
客というだけで何を勘違いしているんだ、この猿は?
仕事じゃなかったら、頭を鷲掴みしたまま壁に叩きつけ、大根おろしのように摩り下ろしてやろうか……。
とりあえず黙ったので放置しておく。
次またがなり立てたら、その都度注意しに行けばいい。
キャッチ軍団は盆面が本当に悪かった。
業界用語でギャンブルに対する態度が悪い事を盆面が悪いと表現する事もある。
彼らが帰るとみなみらギャル軍団が「あー、怖かったー」と声を漏らす。
他の客に迷惑が掛かるほどのうるささなら、注意して駄目なら出入禁止にしなきゃいけない場合だってあった。
店長の猪狩を立てて一応質問する。
「銀二とか、次あいつら来てああだったら、何かしらの対策立てとかないとマズくないですか?」
「うーん……」
腕を組んで考え事をしているような顔をしたまま何も答えない猪狩。
彼に裏業界へ入る前、何をしていたのか聞いた事があった。
「半年間、家で引き籠もりしていました」
まったく悪びれずに言った猪狩。
番頭の根間と昔からの知り合いというだけで、たまたまタイミング的にこの店の店長となっただけ。
色々と判断基準や考え方がおかしい部分がある。
自分で指示を出しておきながら、その言動に責任感がまるで無い。
一応この店のトップなので、この場合どうしたらという問いに対し、明確な答えを出せない。
何より問題なのが、これまでまったく裏稼業というものを理解していないという点。
店のシステム的な事になると、俺へすべて丸投げする体質。
『ボヤッキー』の吉田は態度はデカいが、その分やるべき責任は果たしていた。
猪狩は頼れる部分が無いのだ。
オープンして三日目。
早番の責任者だった鈴木の退職が決定した。
理由は開けたばかりで客が入らない現状に対する悩みとプレッシャー。
二番手の西浦をそのまま責任者にする訳にもいかないので『ボヤッキー』から誰か一人こちらへ呼ぶそうだ。
翌日になり、山本がやってきた。
『ボヤッキー』の責任者から『餓狼GARO』の責任者になった彼。
前の店同様中々夜中になっても帰ろうとしない性質は変わらない。
俺が連れてきた初日の若いギャル軍団は、この店を気に入ったのか毎日のように顔を出すようになった。
似たような援助交際軍団は、増殖するのが凄い。
連れが連れを呼び、十三席ある『餓狼GARO』は常に三分の二以上、若い女性客で埋まるようになる。
利益にはならないが、ある意味凄い店になったものだ。
ここ数日で気になった事がある。
早番の西浦だ。
番交代の時挨拶をしても鬱病なのかと思うほど思いつめた表情で、会釈一つしない。
仕事中でもまるで動かず、常に虚ろ。
山本がさすがに注意をすると「山本さんは自分にもっと感謝したほうがいい」と言い出してきた。
「はあ? どういう事ですか?」
「番頭の根間さんから、鈴木さんが辞めて『ボヤッキー』からここへ山本か野沢のどっちがいいと聞かれ、自分は山本さんを押したんですよ。だから山本さんはこの店の責任者へなれたんですから」
「はあ? そんな事よりも、西浦さん仕事何一つしないじゃないですか」
「自分は『ボヤッキー』であの忙しさを一人で回してきた自負があるんです」
何を抜かしているんだ、コイツ……。
常にミスばかりで店長の吉田から怒鳴られていた印象しかない。
「それをね、みんな『岩上さん岩上さん』ってだけで自分を全然リスペクトしていない。面白くないですよね?」
何故自分が何もしない事に対し、そこで俺の名前が出てくる?
「だって岩上さんは、この店の事ほとんどあの人がやってんじゃないんですか。西浦さんはノーゲストで客がいなくてみんな掃除していても、座って漫画読んでいるだけじゃないですか。そりゃみんなから白い目で見られますよ」
「山本さん!」
「何ですか?」
「俺は山本さんの事責任者としてじゃなく、班長程度にしか思っていないですから。自分より上は店長の猪狩さん、この人だけです」
何もできないくせにプライドだけ高い西浦。
当然の如く、西浦はこの日で『餓狼GARO』をクビになった。
客席が埋まっているのに外へティッシュ配りへ行かせる猪狩。
相変わらず何かがズレている。
「猪狩さん…、今ティッシュ配り行かせたところで、空いている席無いじゃないですか。それよりホールの人間を増やして接客の質を高めたほうがいいですよ」
「岩上さん、そろそろ伊達さんと交代の時間なんじゃないですか? 代わってきてあげて下さい」
「……」
自分がこの店で一番上の立場というプライドだけはあるので、俺がいくら助言しても聞く耳を持たない。
最近ではキャッチではないが『アマツカソラ』という謎の若い男を使い、新規客を連れてきてもらうケースが多い。
彼は一日で新規の女性客を五名から十名ほど連れて来る。
但し欠点があり、みんな千円しか使わないのだ。
つまりどうでもいい利益にならない客を延々と連れて来られ、みんな食事を頼むので地獄のような忙しさになるだけ。
それを一人につき三千円の紹介料を払っているので、ただの無駄な赤字にしかなっていない。
この件に関しても、俺は猪狩へ助言した。
「上は入客数が第一なんです。アマツカさんのおかげで一日の入客数百人を切った事がありません。彼はうちの店にとって必要な人です」
乞食客が口コミで呼ぶのは、やはり乞食客。
こうした負の連鎖が続き『餓狼GARO』は無駄に忙しいだけの変な店となった。
裏稼業で警察に賭博法でパクられる仕事なのだ。
こんな客の数だけを求め、無駄に忙しい事をしていて何の意味になるのだろうか。
店でとにかく一番忙しいのは厨房だった。
ほとんどの乞食客が無料の食事を注文する。
十三席だが、横で見学する乞食客の連れも多い。
それらまで食事を注文し、酷いのは何品も頼むので、地獄のような忙しさの中料理を作らなければならない。
また暇を見て俺が料理のメニューなどを猪狩に言われ、新しく新調したばかり。
新しく作ったメニュー表は乞食共にとても好評で、より店を無駄に忙しくした。
俺はこんな事をする為に新宿へ復帰したのか?
絶対に違うだろ?
そんなジレンマを抱える日々。
ほとんどの客が千円札を握り締めて、店へやって来る。
こんなの裏稼業ではないだろ?
いいのか、こんな馬鹿な事をしていて警察へ捕まっても……。
いいわけないだろう!
俺ができる事は一つ。
あくまでも雇われなので、ティッシュ配りの際、金を持ってそうな客を引っ張ってくる。
そのくらいだ。
「ティッシュ行ってきます」
俺が外へ出ようとすると双子のゆかが「え、パパどこ行っちゃうの?」とついてくる。
「外へティッシュ配りだよ」
「じゃ、私も行くー」
「駄目。君にここでちゃんとギャンブルしてなさい」
「えー」
俺は外で配っている伊達と交代の為、エレベーターへ乗り込んだ。
一階へ着くと、伊達が退屈そうな表情で外へ立っている。
「伊達さん、交代の時間ですよ」
「あ、もうそんな時間でしたか……」
何か言いたげな伊達。
「どうかしましたか?」
「……。いやー…、今の店…、ちょっと大丈夫かなーと思いまして……」
「まあ、言わんとする事は何となく分かります」
「俺はここの前に『シルバーフォックス』っていう今のクルーズですか、それ専門のインカジで働いていたんですよ」
「ええ」
「何かもっと…、こう…、インカジって違うじゃないですか」
「確かにこんな細かい客だけを集めて、猪狩の方針がちょっと変ですよね」
「ちょっとと言うか、かなり変ですよ。普通はもっと太客集めて、バンバン金使わせて……」
インカジに関していえば、伊達は俺よりも数段経験値が違う。
彼の意見は今後色々と参考になるだろう。
「それは同意見ですよ、俺も。猪狩って半年前まで引き籠もりしてたような奴で、裏稼業の事を何も分かってないじゃないですか」
「それは自分もそう思いますよ」
遅番の従業員を見渡しても、飯浜はホールに出ようとしないで厨房で料理ばかり作ろうとしている。
鐘ヶ江も似たようなもの。
つまり同じ番で似た感覚を持つのが、伊達のみとなる。
危機感をもっと持たないといけない。
「まああまりここで話し込んでいると、猪狩に不審がられますよ。そろそろ伊達さん、上へ戻ったほうがいいです」
「あ、そうですね。じゃあ、岩上さん、自分は行きます」
伊達が行くと俺は路面へ出て、通りを見渡す。
目の前では愛本店の売れなさそうなホストが数名立ち話をしている。
俺は近付き「目の前のビルの最上階にあるインターネットカジノの『餓狼GARO』です。よろしくお願いします」とティッシュを手渡した。
「あ、うちら賭博禁止なんですよ。見つかるとうるさくて……」
「いえいえ、挨拶でしたまでです。ティッシュなら持っていても邪魔にならないじゃないですか」
「あ、そうですね。ご近所同士よろしくお願いします」
「あ、港…。おまえ、花粉症なんだからティッシュ多めにもらっとけば?」
「すみません、お兄さん。ティッシュもっともらってもいいですか?」
「全然いいですよ。うちの従業員にも伝えておくので、いくらでも持ってって下さい」
ホストという人種は昔から好きではない。
女から金を引っ張る行為自体、どうも好きになれないのだ。
しかし仕事でなら、気持ちを切り替えなければいけない。
賭博禁止といっても、それはあくまでも建前上。
一人がうちに来てインカジにハマれば、太客がどんどん来る可能性もあるのだ。
少なくでも援助交際軍団をメインにしているよりは、マシだろう。
会釈をして定位置へ戻る。
通行人へティッシュを渡そうとしても、そう受け取ってくれるものではない。
こんな事をしていても、客を取れる可能性など一パーセントも無いだろう。
それでも今の店の状況を変えたいという思いは強かった。
「ん?」
遠くでアマツカソラらしき姿を見つける。
そういえば毎日たくさんの細かい女性客を連れて来るが、どうやって連れてきているのだろうか?
夜中でも人通りの多い歌舞伎町。
手前の十字路に若い女二人が通ろうとした時、アマツカソラは両手に千円ずつ持ちながら、それを見せて目の前に立つ。
「お姉さん、この千円あげるから、ご飯食べて、これが増える事しない?」
「えー、何それ?」
スカウトやホストの営業行為ではない特殊な声の掛け方に、女は立ち止まり驚く。
「そこのビルの一番上にインカジがあるんだけど、この千円で入れるのね。食事もドリンクも無料だよ。もちろん俺も一緒についていくし」
「何か怪しいなあ」
「全然怪しくないって。この千円がギャンブルだから一万、二万に増える場合だってあるんだよ?」
「もしそうなったらお金取られちゃうんでしょ?」
「いやいや、この千円は君たちにあげたものなのね。それを増やそうが無くそうが全部自由。増えたら、遠慮なく持ってっちゃって」
なるほど…、アマツカソラが何故これだけの女性客を連れてこれるかが、ようやく理解できた。
歌舞伎町を歩く女性。
ほとんどが遊び目的だが、スカウトやホストの営業は男の俺が見ているだけでウンザリするほど、しつこく声を掛けまくっている。
女性からすれば、直にだからより一層ウンザリしているだろう。
それを目の前に千円札をチラつかせ、これをあげるからインカジへ行こうなら、暇を持て余した金の無い女ならほとんど食いつくはず。
アマツカソラ本人は、一人につき千円の損失。
しかし『牙狼GARO』へ一人紹介する毎に三千円ずつもらえるのだ。
うちの店だけが損をする図式を作っていたのである。
俺は一度店へ戻り、アマツカソラの実態を猪狩へ話す。
意味が無いから、彼からの紹介は断ろうと。
「岩上さん、うちは入客数が大事と前も言いましたよね? アマツカさんはうちにとって必要な人間です」
そう返された。
じゃあどうやって店の利益出すんだよ、この馬鹿と思ったが、トップが猪狩な以上変えようも無い。
『ボヤッキー』の店長である吉田が、俺にはこっちにいたほうがいいと言った意味合いが、ようやく分かってきた。
しかしすでに俺はこの店へ移籍してしまったのだ。
今さら戻りたいと言ったところで、それは通らないだろう。
今度伊達を誘い、インカジについて色々話を聞いてみたい。
酒でも飲みながら、今後のうちの方針を考える。
俺一人では、この悪循環を覆すのは大変そうだ。
誰かしらの理解者、また協力者が必要だろう。
腹を割って話せそうな相手。
俺には伊達しか思いつかなかった。
番頭の根間から入る定期的な連絡。
店の入客状況や、回銭状況の確認。
基本的に猪狩が電話で話す。
聞いていて不快に思うのが、猪狩は根間に対し常にタメ口。
妙に態度が横柄なのだ。
ゲーム屋『ワールドワン』時代、番頭の佐々木さんから連絡があると、俺は常に敬語で会話をした。
その当たり前の事すらできない猪狩。
元々知り合いだか友達かは分からない。
ただ単に周りの従業員に対し、自分は偉いんだぞと誇示しているようにしか見えなかった。
『牙狼GARO』は店長の猪狩も問題だが、早番の責任者の山本も問題だ。
若い女好きな山本は、俺が店に引っ張ってきたみなみやかなみ、双子のゆかなど常に席まで行って楽しそうに会話をしているだけ。
八時で仕事は終わりなのに、毎日のように夜中の二時頃まで女性客と会話をしていた。
それでいて朝はよく遅刻をするから質が悪い。
援助交際系女の発生で、乞食ホストの大塚太一という態度のデカい客が毎日来るようになった。
太一はほぼ毎日家出少女のような、ギリギリ未成年ではない子たちを連れて来る。
客が新規客を紹介したら、紹介料として二十ドルのクレジットをあげるシステム。
それを利用して太一は、三人の女を連れてきて自分の財布から四千円を出して「はい、これ。みんな千円ずつのINね。…で、一緒に俺のところ紹介ポイント六十入れて」と面倒臭そうに言ってくる。
「みんな、ここ食べ放題だから、好きなもの好きなだけ食べてね」
自分の店でもないのに家出少女たちへそう声を掛ける太一。
酷いのが、三人の家出少女たちはパソコンのマウスにも触らず、食事とドリンクを注文。
その間、太一は全部で七十ドルのクレジットの中、十ドルだけギャンブルで勝負をした。
残り六十ドルになると「OUT」と六千円を持って帰る。
サイトすら立ち上げていない家出少女たちのも指をさして「あ、この子たちのもOUTね」と、合計九千円の金をいつも持ち帰った。
絶対に負けないギャンブルをひたすら毎日続ける太一。
こんな行為を猪狩は黙認するので、店に利益が出る訳がない。
俺と伊達は、ウンザリしたように目を合わせ溜め息をつく日々が続く。
『牙狼GARO』では経費で、食料品の金額がとてつもなく掛かる。
当たり前だ。
毎日乞食客へ無料で食事を食べさせているのだから。
五合炊きの炊飯器も二台置いてあり、常にどちらかが米を炊いている状況。
俺が考案して作った料理は、様々な客へ受けた。
これまで家では誰一人食べてくれなかった料理をこうして求められるのを嬉しく感じたのは最初だけ。
今では何故こんな連中に……。
そんなジレンマを抱えるようになった。
食料品の買い出しは、主に飯浜と鐘ヶ江が担当している。
大きなビニール袋を三つ持ちながら、飯浜が店に戻ってきた。
伊達が入口を開けると、少しして飯浜の怒鳴り声が響く。
怒った表情のまま厨房へ消える飯浜。
俺は何があったのか伊達に事情を聞いてみる。
「いや…、入口開けたら『何でこんな重い荷物持とうとしないんだ!』といきなり怒鳴られまして……」
飯浜は彼なりにストレスを抱えていたのだろう。
連日乞食きの料理を俺の作ったレシピ通り作り続けるだけの日々。
但しストレスを抱えているからと、伊達に八つ当たりは違う。
俺は厨房へ行き、飯浜へ注意をした。
すると飯浜は「分かりました、自分は今日で上がりますから」と私服に着替えようとする。
俺が「おまえ、舐めてんのか?」と掴もうとしたところを猪狩に止められた。
「岩上さん、やる気の無い従業員は別にいいですよ」
まだオーブンして二週間も経たない内に、飯浜の退職が決定する。
こんなどうしょうもない日々を過ごしながら、俺は四十歳の誕生日を迎えた。
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