2025/01/12 sun
前回の章
このままだと無駄な経費だけ掛かるだけで、利益がまるで出ない店になる。
これは俺だけの独断でなく従業員の総意。
猪狩が休みの日を狙って、番頭の根間から連絡あった際直談判する機会が必要だ。
入客数だけは確かにある。
一日平均百五十人。
しかしその大半が千円しか使わない乞食客。
猪狩ことガリンは何を勘違いしているのか、食事を頼む人が少ないと「お客が最初席に着いたら、お腹の減り具合いはいかがでしょうかと、食事を促して下さい」と言い出す始末。
千円の利益にならない客にまで、それを従業員に強要するから、みんなのストレスがどんどん溜まる。
先日も意味不明な事を言い出した。
「岩上さん、OUTは客が勝つおめでたい事なので、コールしたあと、従業員全部でおめでとうございますと声を揃えてコールしましょう」
そんな変な真似をする店などどこにも無い。
それにOUTといっても、二十万のINをして残りの端数をOUTする負けの場合だってあるのだ。
俺はガリンにそれを説明し、やめたほうがいいと反対する。
「でもOUTはおめでたい事なので、やはりみんなでコールしたほうがいいと思うんですよね」
「いや、絶対にやめたほうがいいです。それで馬鹿にしているのかと来なくなる客が出ても、おかしくないですよ」
いくら諭してもガリンは一味違う。
俺に言うのを諦めると、次は伊達、彼が嫌がると谷田川と次々OUT一斉コールを促す。
帰り道新人の渡辺が、食事を誘って来る。
「いいよ。何か食べたいところあるの?」
「どこでもいいです」
彼がそういう時は、またガリンに変な事を言われた時だった。
食事をしながら渡辺の話を聞く。
すると、やはりOUTの一斉コールについてだった。
「さすがにそんな恥ずかしい真似、自分はしたくないですよ」
「それは誰だってそう思うよ」
「猪狩さん、OUTのコール入ったあと、いつも自分のほうを見て、おめでとうございますと言えと目で訴えてくるんですよね……」
「ナベリン、それは違う」
「え? 何がですか?」
「猪狩じゃなく、ガリン。その言い方は徹底しないと」
吹き出す渡辺。
「やめて下さい。笑わせないで下さいよ、岩上さん」
「まあでも次のガリンの休みの時、根間さんから連絡あったらちょっと店の事で相談してみるよ」
「そうですね。岩上さんしか、それを言える人はいないですよ。本当こんな変な店、自分は初めてですよ」
それぞれがストレスを抱えていた。
ガリンが休みの日、業務中根間から電話が来る。
「お疲れ様です。現状はどうですか?」
「入客が七十六名で現在八名。回銭が二百三十万。客のIN状況は全部で三万円くらいですね」
「分かりました。では、よろしくお願いしま……」
「あ、根間さん!」
「はい? どうしましたか?」
「ちょっとお店の件なんですが、お話できませんか?」
「お話?」
「店を良くする方向性についてです」
「分かりました。これから『ボヤッキー』へ顔出すので、そのあと『牙狼GARO』へ寄りますよ」
「了解しました」
賽は投げられた。
根間と猪狩は前からの知り合い。
ガリンがタメ口で話している事から、かなり仲がいいと思う。
だから話す内容を猪狩批判ではなく、細かい客に対するシステム変更。
あくまでも店を良くしていく為にとの前提で、話をしなければならない。
再度電話が鳴る。
根間から。
俺は伊達に店を任せ、一階まで降りる。
「お店の事って、岩上さんどうしたんですか?」
俺はアマツカソラを始めとするINが千円だけの客に対して三千円払う妙なシステムの変更。
乞食ホスト大塚太一が家出少女たちを連れてきて、IN千円入れただけで、紹介料分をそのまま持っていくギャンブルでないやり方の改善を淡々と話す。
「なるほど…、よく分かりました。その辺は岩上さんの仰る通りですね。最低五千円のINがないと、紹介料三千円は出せない。そのように決めますか」
根間がまともな神経を持ってくれて助かった。
但し乞食客は食事一品までというのは、フリーフードを謳っている以上できないと言われる。
話を済ませ、店に戻って結果をみんなに伝えた。
伊達、谷田川、渡辺はとても嬉しそうな表情で喜ぶ。
少しずつ改善をしていけばいい。
じゃないと俺が、新宿へ戻ってきた意味合いが無くなる。
混沌とした中、ようやく一筋の光明が見えた気がした。
乞食ホスト大塚太一が、今日も家出少女四名を連れてやって来た。
「あー、この子たち新規ね。はい、これ五千円。みんな千円ずつね、マイクロで」
「一卓様、二卓様、三卓様、四卓様、五卓様、マイクロ十ドル、マイクロ十ドルずつお願いします」
何も知らずに連れてこられた家出少女たちは、サイトを立ち上げようともせず食事メニューを凝視している。
「みんな、好きなの好きなだけ食べていいからね」
このガジリ野郎が……。
根間から止められていなかったら「一人一品までです」と言ってやりたいのをグッと堪える。
「ほら、お兄さん。早く紹介のポイント八千円分入れてよ。早く!」
家出少女四人分の紹介分、八十ドルが太一の卓に反映された。
さっき根間に確認したばかりなので、さすがに今日だけはこれまで通りのシステムでやらないといけない。
でもいつものように千円だけ消費して、残りをOUTはさせるつもりはない。
「私、ナポリタンとホットサンド」
「あー、私も同じ」
「私はオムライスとフランクフルト」
「カレーライスとフランクフルト」
腹ペコの胃袋を満たそうと家出少女たちは、厨房のほうをずっと眺めているだけで、マウスを誰もいじる様子がない。
太一はいつものように十ドルだけ使い、残りクレジットの八十をOUTする気満々で待ち構えている。
伊達が俺の顔をチラリと見てきた。
谷田川は家出少女たちの食事を一生懸命作っている。
渡辺は不安そうな表情で俺を見た。
食事ができる。
少女たちは凄い食いっぷりでご飯を食べた。
食べ終わるのを待ってから太一が「OUT! あ、この子たちも全員OUTね」と偉そうに言ってくる。
「いやいや、大塚さん。これじゃOUTはできませんよ」
「え、何で?」
「彼女たちは誰一人ゲームすらしていない。大塚さんは千円しかやらず、残りを持っていく。うちも商売でやっていますので」
「俺さー、早番の店長の山本さんと仲がいいんだけど?」
山本の奴、こんな乞食ホストに店長なんて嘘をついているのか。
本当にどうしょうもない奴だ。
「それがこの件とどのような関係が?」
「山本さんに電話するよ?」
「したければどうぞ、ご自由に。ただOUTはできませんよ」
常に絶対に負けないギャンブルをしているだけの乞食ホスト。
八千円の収入見込みが突然できなくなり、焦りが出てくる。
「じゃあとりあえず、この子たちだけOUT」
「だからできませんって。誰一人サイトすら開いてないじゃないですか。それで紹介料なんて、渡せないですよ」
「はあ? いつもやってくれてるけど? 山本さんに言うよ?」
「いくらでもどうぞ言って下さい」
「だからー、OUTしてよ!」
「だからできませんて」
「何で?」
「平たく言いますと、お客様のはギャンブルじゃないんですね」
「千円勝負してるじゃん」
「あのですね…。当店は鉄火場なんですよ。ギャンブルをしないお客様は、他の真面目にしている方からすれば、いい迷惑なんですね。そういった理由で、OUTはできかねます」
「じゃあ、二度と来ないからOUTしてよ!」
たかが数千円の為に目に涙を溜める太一。
「出入禁止という事ですね。分かりました。それならいいですよ」
俺はキャッシャーの伊達に合図して、太一に八千円、家出少女たちへ千円ずつ渡す。
乞食退治第一幕無事終了。
太一らが帰ると、満面の笑顔を見せる渡辺。
余程痛快だったのだろう。
翌日になり、山本が俺に文句を言ってきた。
もちろん大塚太一の一件。
あんなゴミのような客を排除して、何の文句があるのか?
山本の言い分は、自分の顔を潰されたという主張だった。
「山本さん…、いい加減にして下さいよ。ガジられるだけで一円の得にもならない客なんか、客じゃないですから」
「岩上さんねー、自分は責任者ですよ、責任者!」
「だったらもっと店が良くなる方向性で物事考えて下さいよ」
番頭の根間の許可を取った上での行動である。
ガリンも癌だが、この山本も癌細胞の一つだ。
俺は下の人間たちが、快く働ける環境を作らないといけない。
猪狩は猪狩らしく「大塚太一は出禁にすべきではなかった」とボソッと呟くように言ってきた。
「はあ? あんな乞食いらないでしょ?」
「太一は新規客をたくさん連れてこれる見込みのあった客です」
「だから…、乞食ばかり集めて何がしたいんですか? 入客数大事なのは俺だって分かるけど、もっと質に拘りましょうよ? いい店にしたくないんですか?」
この辺りから俺と猪狩の衝突が始まる。
これまでは便利な人間と俺を思ってきたガリン。
今となっては言う事を利かない従業員という目で、俺を見るようになった。
こっちは時間給千円でみんなやっている。
これを乞食客に配る無駄な気遣いあるなら、何故従業員へ向けられないのか不思議でならない。
川越祭り前日。
金を貸した名義社長の青柳は、あれから何度も会っているのにまだ五千円しか返してもらっていない。
この日青柳が出勤していたので、返済を要求した。
会う度言っていたが、その都度言い訳をして結局返さないのである。
「いや、実はですね、岩上さん…」
「そういうのはもういいです。俺だって一日一万二千円の日給の中から、どうしても必要だっていうから五万貸したんですよ? 何で毎度毎度返せないんですか?」
「明日になれば五千円を……」
「明日からは地元で祭りがあるから連休ですよ! 今日出て日払いもらえますよね? とりあえず五千円だけでも返してもらいますから」
「いや、今日はですね……」
「青柳さん! いい加減にして下さいよ。何で名義料月に三十万もらえてて返せないんですか?」
「分かりました。明日、川越まで届けますから」
「……」
金にだらしない青柳。
谷田川も青柳から金を貸して欲しいと来たらしいが、俺との様子を見て断ったと言っていた。
「明日は川越祭りで、本当に人がごった返すので大変なんですよ」
川越祭りは二日間で百万人以上の人が集まる。
混雑時、百メートル歩くのに一時間は掛かるほどだ。
ただこの機会を逃しダラダラなるのも嫌だったので、西武新宿線の本川越駅に来るよう伝えた。
青柳から指定は土曜日の夕方六時。
ちょうど山車のひっかわせがある出発の時間じゃねえかよ……。
まあ向こうの都合もあるから仕方ない。
日曜日に比べて土曜日なら、幾分か迎えに行くまで人が若干少ない分マシだろう。
結局金を俺が簡単に貸したりするから、こう面倒な事になる。
岩上整体の時、散々懲りたはずだろう?
内野には金を持ち逃げされ、整体を畳む羽目になった。
スイートキャデラックの常連である水野と日野には、グランプリ受賞の時寿司屋でたかられた。
KDDIの時もそう。
俺は過去痛い目に遭っているのに、未だ甘い。
京子叔母さんに結局お金を返せないまま亡くなられ、試合の時のコスチューム代として借りた八万円も未だ返せていない。
人に金を貸す身分じゃないだろうに。
今一度引き締めよう。
川越祭り土曜日。
俺は例年同様栗原名誉会長宅にて、会長と酒を飲みながら過ごす。
隣では先輩の始さんが相変わらず忙しそうに動き回っている。
栗原真紀美は相変わらず背が伸びず、チビのままだ。
俺は着物に着替えてからお囃子連の雀會と連々会へ祝儀を持って行く。
連々会では、吉岡さんや三枝さんなど祭りじゃないと顔を合わせない人たちとの再会。
雀會では人畜無害な金子修一が俺を見て、ペコリと一礼しニコニコしている。
修みたいな性格だと、周りと揉める事なんて無いのだろうといつも思う。
織江と恵子の馬鹿コンビが近付いてくる。
「智一郎さん、あのユーチューブの私たちの動画、消して下さいよ」
「絶対に嫌だ。生涯黒歴史として百年は語り継いでやるからな」
コロボックル真紀美がいたので、松永さんと婚約を解消された知子の姿が見えないので聞いてみる。
「あの人は雀を休会してるよ」
以前はいつも二人で仲良くつるんでいたはずのコロボックル真紀美の素っ気ない態度。
事情を聞くと、真紀美の子供の男三兄弟の事を悪く言ったらしく、親としてどうしても許せないと小さな身体をブンブン動かしながらプリプリ怒っていた。
再び栗原名誉会長宅へ戻ると、息子の一郎さんが帰郷していた。
一郎さんは俺より十歳年上の幼馴染。
勉強のし過ぎで顎の先端が左方向へ少し曲がっている。
埼玉県朝霞市で自分の整形外科の病院を開業している院長である。
「あ、智一郎、この野郎ー」
「一郎さん、久しぶりです」
数年ぶりの再会を喜び、昔話に花を咲かせた。
一郎さんは自分の病院で雇っているスタッフを数名連れて川越へ戻ってくる。
「コイツはな、本当に悪い奴だから気を付けろよ、みんな」
「フン、君らもこんな院長の下で働いていると、顎が曲がるぞ」
スタッフたちは俺たちのやり取りを見て「本当に仲がいいんですねー」と感心していた。
俺と親父の仲の悪さの話題になり、これまでの近況を話す。
「うーん、智さんもなー。昔は本当格好良かったんだぞ。おまえがまだ小さい頃だけどな。俺も当時は憧れたもんだ」
「でも結局捕まえたのが、あの物の怪じゃないですか。名誉会長とも話さなくなっちゃったし、ここにも祭りなのに顔すら出さなくなったじゃないですか」
腕組みをしながら、一郎さんは考え込んでいる。
随分前の話になるが、俺はタンベさんが知子のスナックで偶然会った時の事を話してみた。
バラバラになった雀會をまたまとめようとしたあの頃。
途中まで良かった。
始さんとタンベさんはまた普通に話せるようになり、澄夫さんのわだかまりを少しは解消できた。
親父が誰にそそのかされたんだと非協力的にならなければ、あのいいムードのままいけたはずなのだ。
「なあ、智一郎……」
「ん、どうしたんですか?」
「おまえの親父さん、ここへ掻っ攫ってくるか?」
「まあ川越祭りくらいですよね、こんな事できんの」
「俺とおまえで、まずおまえの親父さんをここへ拉致」
「次はチビですか?」
「よく分かってんじゃねえか」
岩上家、栗原家の長男同士がタッグを組み、普段はまず俺と話す事のない親父を捕獲。
「何だ、テメーは! お、一郎じゃねえか。おい、どこへ連れてくんだ?」
強引に栗原名誉会長宅へ。
親父は最初気まずそうにしていたが、やがて会長と話し出した。
その様子を確認すると、俺は一郎さんへ話し掛ける。
「次はチビですね!」
「おう」
連雀町の雀會詰所前にいた現会長の高橋さんを捕獲。
「何しやがんだ、離せ! 離せ!」
俺たちは高橋さんの両脇を抱えて持ち上げ、問答無用で会長の元へ連れて行く。
酒が入っていたのもあり、無礼講で傍若無人に振る舞う。
栗原名誉会長も、親父や高橋さんと久しぶりに話していて、とても嬉しそうだった。
川越祭りという特殊な空間だからこそできた行動。
土曜日の祭りが終わって初めて気が付く。
そういえば青柳の野郎、来るって言っときながら連絡も無しに来なかった。
俺は家に帰ってから怒って電話をする。
「すみません、すみません…。ちょっと立て込んだ用事がありまして」
「分かりました。根間さんへ報告して、青柳さんの名義料から金を引かせてもらうから、もういいですよ」
「え、ちょっと待って下さいよ! 明日、明日にはちゃんと行きますから! お願いしますよ!」
結局明日の一番忙しい時間帯に、青柳が川越へ来る事が決定した。
日曜日、俺は昼から一郎さんと名誉会長たちとダラダラ飲む。
夜の八時に青柳は来ると言っていた。
祭りで一番の過度期なので、絶対に本川越駅に来いと伝えてある。
説明して連雀町まで来させたいが、この混雑時で初の川越では、絶対無理なのも分かっている。
何で金を貸して、こんな面倒な目に遭うのか?
途中抜け出して、大正浪漫通りにある加賀屋で場所を借りて恒例のペイントを顔をした。
連雀町を歩いていると、町内のチビっ子たちが寄ってくる。
俺は群がる子供たちを抱っこして、写真撮影に応じた。
この辺の子たちは毎年の事なので俺のペイントは理解している。
だが通行人の小さな子たちは、俺の姿を見て泣き出すのもいた。
また栗原名誉会長宅へ戻り、酒を飲む。
予定した時間になり、俺は人混みを潜り抜けて本川越駅へ到着した。
八時三分、ようやく青柳から着信が入る。
「すみません、岩上さん。今、川越駅なんですけど」
「何で川越駅なんだよ! 本川越って、あれほど言ったじゃん……」
コイツ、全然人の話を聞かないタイプか。
まあ今さら本川越駅まで来いと言ったところで無理だろう。
仕方なく川越駅まで進む。
よりによって連雀町から一番遠い駅へ間違ってくるなんて、どれだけ嫌味なんだよ……。
やっとの思いで東武東上線川越駅の東口へ到着。
改札出たところにいるって言っていたよな。
「岩上さーん」
背後から声が聞こえたので、振り向くと青柳が手を振っていた。
「……」
青柳は家族で来たようで、嫁と小学低学年の娘が一緒にいた。
何だよ、金を返しに来たんじゃないのかよ……。
「はじめまして、岩上さんですか? いつもうちの青柳がお世話になっているみたいでして……」
青柳の奥さんが挨拶をしてくる。
「あ、はじめまして。こちらこそお世話になりっ放しでして」
「こんにちは!」
ペイントしている俺を初対面で見て驚かないのか。
「こんにちは、元気がいいね。小学生?」
「うん、小二!」
家族がいる手前、怒る事もできない。
「川越は初めて?」
「うん、初めて!」
しょうがない。
青柳がズルい事は判明したが、これも一期一会だ。
この子の為に今日は思い出に残るいい日にしてやらなきゃいけない。
俺は青柳家族を連雀町まで案内する事に決めた。
数え切れないほどの出店の数々。
「お名前は何て言うの?」
「私? 優香!」
「へー、優香ちゃんって言うんだ。いい名前だね。じゃあ教えてくれたお礼に、色々屋台あるでしょ? 好きな物買ってあげる」
「ほんと?」
「ああ、好きなの選びな」
ちょうど連雀町にはお化け屋敷が川越祭り時のみ建てられる。
俺が小学生の頃は隣に見世物小屋まであった。
今じゃ人権問題どうのこうので無くなってしまったが、あれはあれで良かったのにな。
結局青柳家族も含め、また栗原名誉会長宅で酒や料理をご馳走になる。
「智一郎、こちらは?」
一郎さんが俺との関係性を尋ねてきた。
さて、何て紹介しよう?
まさか裏稼業インターネットカジノの店のパクられ要員だなんて言えないしな……。
「自分が今働いている店の社長なんですよ」
「へえ、まだお若いのに凄いですね」
「青柳さん、こちらはここの家の栗原名誉会長の息子さんで、俺の幼馴染でもある一郎さん。朝霞で病院の院長をやってるんですよ。…で、あちらにいるのが全日空のパイロットの中川さん」
ただのホスト上がりの青柳は、ひたすら小さく畏まるしかないようだ。
まあ今日は貸した金の事は忘れて純粋に祭りを楽しもう。
「優香ちゃん、ここからすぐのところにお化け屋敷あるけど見に行ってみる?」
「うん、行きたい!」
「岩上さん、何から何まですみません…。うちの子が、男の人にこんな懐くのって珍しいんですよ。申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
青柳の奥さんは、社交辞令のできたしっかりしたいい人そうだ。
はぐれないよう手を繋ぎながら、連繋寺境内を案内する。
「優香ちゃん、お面欲しい?」
「いいのー?」
「ああいいよ。たこ焼きは? それともお好み焼きのほうがいい?」
「うーんとねー……」
途中で雀會会員でもあり、始さんの同級生の松永さんとバッタリ会う。
「おー、智一郎! ん? おまえの子供か?」
「違いますよ。知り合いの子です。それより松永さん……」
「何だよ?」
「入学金は用意できたんですか?」
「テメー、ぶっ殺すぞ!」
「ほら、優香ちゃん。おっかないおじさん来たから走って逃げるよ」
「テメー、この野郎!」
こんな調子で二千十一年の川越祭りも楽しく過ごす事ができた。
祭りが終わると肌寒く感じる。
いつもの日常がやってきた。
仕事の休憩中、息抜きに外へ出た。
深夜の歌舞伎町を徘徊していた時、ちょうど西武新宿駅前通りに差し掛かった。
駅ビルpepeと靖国通りにあるマクドナルド…、その辺りを歩いていたわけだが、店の壁に貼ってあるポスターに目が行く。
『1971……、ビックマック200円』
千九百七十一年といえば、俺の生まれた西暦でもある。
久しくジャンクフードを食べていないなあと感じた俺は、マクドナルドの中へ入ってみた。
俺が小学生の頃、当たり前だがマックはもっと安かった。
高校生の頃はサンキュウセットと称して三百九十円でセットが買えた。
当時ロッテリアも対抗して、サンパチセットで三百八十円でセットを買えるよう戦略を練っていた。
一昔前なら歌舞伎町内に、マクドナルドとロッテリアは三軒あった。
それがロッテリアは全滅。
気づけばこの西武新宿駅前の店以外、マクドナルドはいつの間にか無くなってしまった。
セントラル通り沿いにあったマックは、今やうどん屋に……。
コマ劇場前にあったマックも、カラオケ店に……。
十数年前、コマ劇のマックでバリューセットを買った際、一つ驚いた事があった。
普通にセットを一つ頼み、会計をしようとすると、当時のこのマクドナルドは夜十時から深夜料金三十パーセントを取っていたのである。
例えば六百円のセットが、深夜料金もプラスされ七百八十円になってしまう。
この時は『さすが歌舞伎町だなあ』と妙な感心の仕方をしたものだ。
それが今ではビックマック単品を四つ買っても、会計は八百円……。
従業員たちの分も買っていこうかなとレジで注文しようと列に並ぶ。
すると隣のレジのところへ二十歳前後の男性客が並ばずに「すいませ~ん」とデカい声で連呼しだした。
スタッフの人数が足りないらしく、レジではスタッフが一人のみ。
そんな事などまるでお構いなしに「すいませ~ん! すいませ~ん!」と繰り返している。
前の客の注文が終わり私の番が来ると、マックのスタッフは隣の男の方へ向かい、用件を聞き出した。
「何でしょうか、お客さま……」
男は空っぽになったビックマックの箱をカウンターに出しながら、「このビックマック、下の方が変だったんで、もう一つ作り直してもらえませんか!」と意味不明の事を言っている。
「あの~…、ハンバーガーはどうしたんでしょうか?」
「ああ、ゴミ箱に捨てましたよ! もう一つ早く作り直して下さい!」
予想の範中ではあるが、この男がゴネてもう一つビックマックをタダで貰おうとしているのが分かった。
店員は困り果てている様子。
ここで少し考えてみた。
問題点は二つある。
一つは、男が自分で食べてしまったビックマックの空箱だけ持ってきて、いちゃもんをつけ、タダで作ってもらおうという卑しい考え。
もう一つは、俺の番など気にせず列も並ばずゴネて、平然としている点である。
「……」
「おい、兄ちゃん……」
俺は静かに口を開いた。
男は慌ててこちらを振り向く。
「人が大人しく列に並んで待ってんのに、おまえは何をクソくだらん事でゴネてんだ? 俺に喧嘩売ってんのか?」
「い…、いえ…、そんなつもりは……」
「人の順番抜かして偉そうに吼えてるじゃねえか。平たく言えば、俺を小馬鹿にしているからこそ、できる芸当だよな?」
「い、いえ……、すいません……」
「いいか? 謝る時は『すいません』ではなく、正しくは『すみません』だ。覚えておけ」
「はい……」
シーンとなる店内。
俺は笑顔でマクドナルドのスタッフに声を掛けた。
「すみません…、注文よろしいでしょうか?」
「は、はい。どうぞ」
「ビックマックを四つ、持ち帰りでお願いします」
「かしこまりました」
何故かスタッフは、ビックマックの単品四つしか注文していない俺に対し、手さげ袋へ丁重に入れてくれ、オマケにペーパーナプキンを大量に中へ入れていてくれた。
少し肌寒くなった道を歩きながらハイジア…、大久保病院の近くへ通り掛かると、立ちんぼの女が一人立っていた。
短いスカートで薄着の為、腕を組みながら寒そうにしている。
一瞬目が合う。
俺は見ないふりをしながら通り過ぎようとすると、立ちんぼが口笛を吹いてきた。
もの凄く下手くそな口笛。
しかし彼女はそんな事お構いなしにずっと口笛を何度も吹き続ける。
足を止め振り返ると、立ちんぼが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「お兄さん…、二枚で……」
「悪いんだけど、今仕事中なんだ。また今度ね」
「じゃあ、お兄さんタイプだから一枚でいいよ」
昨夜辺りから肌寒くなってきた中、彼女は何とか客を取ろうと必死だ。
たった一万円の金で、見ず知らずの男と平気でホテルへ行こうとする精神。
ある意味凄いなあと感心してしまう。
「あはは、ありがとう。でも、ほんとに仕事中なんだよ。寒い中大変だね。今日は暇なの?」
「うん、全然お客さんいない」
「そっか…。あっ、腹減ってるか?」
「え?」
「ちょっと待ってろ」
俺はそれだけ言うと、近くの自動販売機で缶コーヒーを買いに行った。
遠くで女は俺の方向をジッと眺めている。
コーヒーを買うと女の元へ向かい、先ほど買った手さげ袋の中からビックマックを一つ取り出し手渡した。
「え、いいの?」
「いいよ、余計に一つ多く買っといたんだ。お腹減ってるならどうぞ。それと寒いだろ、これでも飲みな」
そう言いながら缶コーヒーも手渡した。
「ありがとう…、ありがとう」
女は何度も俺に頭を下げて礼を言い出した。
ハンバーガーとコーヒー……。
実際に使った金額って、たった三百二十円なんだけどなあ……。
「風邪引くなよ」
それだけ言うと俺は背中を向け、歌舞伎町の町並みを歩き出した。
トホホ…、帰ったら一人でビックマック二つ食べようと思っていたのに、これで一つになっちゃった……。
心の中でそんな事を考えながら、もうじき冬だなあと肌で感じた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます