2024/07/26 fry
まったくの真逆になった生活
普通のサラリーマンと似たような時間帯に出勤し、混み合った電車の中で揺られて帰る
遅番と違うところはパートナーが世永ではなく社長の高橋に代わった事
この社長というのは実際の社長ではなく、名義を張って警察に捕まった際罪をすべて被る役割らしい
当然名義料という形で給料とは別の部分でお金がもらえる
高橋は陽気な性格で妙にチャラチャラしていた
だが悪い人間ではなさそうだ
元々ホストだったらしく現役ホストの先輩たちを店に呼び、ギャンブルをさせている
それでもベガは基本暇な店だった
共同経営の片割れの鳴戸は早番の時間だと、よく店に顔を出す
高橋と店について話し合ったあとは必ず俺にも気遣ってか他愛ない会話を振ってくる
いい人だと感じた
しかし恐ろしい一面を見て評価は一変する
早番と遅番の入れ替わりの時だった
共同経営の海野もいて、たまたま俺の全日本プロレス時代の話を聞いてくる
嘘偽りなく話していると、海野は額に手を当て「ポー」とジャイアント馬場社長の真似をしているつもりで小馬鹿にしてきた
俺と入れ替わりで遅番に行ったスタッフが、それを見て大笑いしている
駄目になったとはいえ、俺の原点である全日本プロレス
その長である馬場社長を目の前で馬鹿にされるのは我慢できなかった
反発した態度に腹を立てる海野
しかし譲れないものは譲れない
すると鳴戸が海野を一括した
彼は真面目に真剣に取り組んできたものを何故そう小馬鹿にできるのか神経を疑うとまで海野を責める
シュンとする水野を横目に鳴戸は笑っていたスタッフにも怒り出す
謝りなさいと言われ鳴戸へ頭を下げ必死に謝罪するスタッフ
「何で私に謝ってんですかー? 違うでしょー! 何故岩上君に謝らないんですかー?」
甲高い声で語尾を伸ばしながら恫喝する鳴戸は、今まで見た怖さとは違ったタイプのものだった
ごめんと頭を下げるスタッフに対し、灰皿を掴みいきなり頭を叩き割る
「何で私にはすみませんで、彼にはごめんなんですかー! あなたちょっと違うでしょうー!」
血だらけの頭を押さえながら懸命に謝るスタッフ
俺は彼を庇うように立ち上がり「鳴戸さん…、やり過ぎです」と言った
それを見た鳴戸は心から嬉しそうに笑いだし「うんうん、やっぱり岩上君、あなたはいいですよ!」と嬉しそうに口を開く
普通の店じゃないのは分かっていたが、本当にヤバい職場で働いてしまったのだと実感した
あんな危ない職場でこのまま続けていいのだろうか
普通じゃないオーナーの鳴戸
俺は一日休みを取る事にする
仕事を終えると、そのまま浅草ビューホテルの最上階にあるベルヴェデールへ久しぶりに顔を出した
どこかで昔の同僚たちと会い、ホッとしたかったのかもしれない
上司の林を始めとした同僚たちは久しぶりの再会を喜んでくれ、今日はこのままラウンジで飲んでホテルに泊まれと半ば強引に仮眠室へ泊まる羽目になった
翌日目を覚まし、ベルヴェデールで顔を出すとマネジャーがタダでいいからブッフェ食っていけと席に座らされる
俺を慕う後輩の一人がケーキとオレンジを絞った生のオレンジジュースを賞味期限近いから持って帰って下さいと袋に入れて渡してきた
断ろうとするも、後輩は譲らない
根負けした俺は誠意をありがたく受け取る事にした
そういえば最近競馬をしていなかったよなと、仮眠室にバックともらったケーキやジュースの袋を置いたまま、浅草JRA場外馬券場へ向かう
戻ると俺のバックが無くなっていた
仮眠室のどこを探しても無い
再度ラウンジへ向かい同僚に聞きに行くと、暗い表情をしたまますみませんと謝ってくる
状況を聞くと、支配人の一人がたまたま仮眠室のチェックに来た際、俺のバックを見つけた
誰のバックだとなり、つい俺の名前を出してしまったようだ
総支配人まで出てきて、支配人室に俺が来たら来るよう言われたらしい
後輩は泣きそうな顔で何度も謝るので、競馬しに荷物置いてった俺が悪いから気にするなと慰める
面倒だが必要なものも入っているし、俺は支配人室へ向かった
嫌な空気の部屋へ入ると総支配人の丸山は眼鏡の淵に手を掛けながら、何故辞めた人間がホテル内にいると責めてくる
他の同僚に迷惑が掛からぬようすべて自分で泥を被る言い訳をした
ケーキやオレンジジュースにしても、本来なら明日廃棄するものだからともらったのに、人を泥棒扱いされ警察まで呼ぶと言われる
さすがにそれはやめてほしいと懇願すると、総支配人の丸山は意地悪そうに一度はホテルにいた人間だからと10000円の金でこれらを買ったという事にしてやると、俺から金を奪う
ホテル業界にもこういった腐った人間がトップを張る事もあるのだと思い知る
この辺りからもう古巣とはいえ、部外者が立ち寄ってはいけない場所なんだと自覚した
鳴戸は仕事中だというのに高橋へ「岩上君少し借りますよ」と言ってよく外へ連れ出された
お歳暮で酒を贈りたいが、ホテルでバーテンダーをしていた俺ならいい酒を選んでくれると酒屋へ連れて行かれたり、一枚10000円はするステーキを食べさせてくれたりと、あきらかに他のスタッフとはまったく違う待遇をされる
よく言われたのが、従業員が変な事をしていたら教えて下さいという台詞だった
変な事が何を意味するのかさえ分からない俺は、はいとだけ返事をしておく
店は相変わらず暇で、高橋はよくテーブル筐体に鍵を差し込み、ボタンをポコポコいじってからゲームをしていた
何をしているのか聞くと、オーナーが客数を気にするからある程度の帳尻合わせで客のふりをしてゲームを打っていると説明される
店内の入口は常に鍵が掛かっている
インターホンが鳴るとモニターに外の様子が映し出され、誰が来たかすぐ分かるようになっていた
海野が映ると、高橋はゲームはすぐ止めてテーブルの上の遮光板を縦にずらす
こうする事で客が外出する際、この台をキープしているといった意味合いがあった
海野が誰がキープしているのか聞くと、高橋は自分の先輩のホストの誰々と適当に答えているのを見て、彼はオーナーサイドには内緒でやっている事なのかと感じる
鳴戸や海野に言われた変な事を他のスタッフがやっていたら教えるように……
高橋の事を告げ口するようなのかとちょっとした戸惑いを覚えた
海野が帰ると、高橋は聞いてもいないのにオーナーたちは俺を騙したと話を勝手に始める
ポーカーゲーム機には設定というものがあるらしい
出るも出ないも設定次第のようだ
以前海野からうちの店はこの設定だからと感熱紙で印刷された設定を見せられ、知り合いを呼ぶように頼まれた高橋
良かれと思って呼ぶと、実はまったく出ない最低の設定で多くの信用を高橋は過去に失ったと言う
彼がオーナーのいない時にゲームをして何がどうなるのかは分からない
鳴戸に言うかどうか考えている内に、インターホンが鳴った
見ると鳴戸が入口に立っている
高橋は俺の右手に「岩上さんしまって!」と四つ折りにした一万円札を握らせてきた
呆然とする俺に「早く!」とズボンにしまうジェスチャーをしながらドアを開ける
咄嗟に札をしまう俺
高橋は何事もなかったように澄まして鳴戸と店の状況を話していた
パラパラと客も入り、その日はそのまま仕事を終えた
給料とは別の一万円
高橋はオーナーに内緒で何か悪い事をしている
しかし流れとはいえ、俺も共犯になってしまったのではないだろうか
翌日高橋は休み、海野と俺の二人で店にいた
昨日の出来事をどうするか
今なら取り返しがつくはず
色々悩んでいると海野が食事はどうするか聞いてくる
彼と同じものを注文、立場が上の人間よりも高いものを頼むわけにもいかない
少しして出前が到着すると海野は手の平を差し出して「ほら、岩上君、千円だって」と金を請求してきた
オーナーなのに奢ってもくれないのか
動揺を出さないよう金を払う
食事をしながら海野は「岩上君、他に変な事をしている従業員いたら、ちゃんと頼むよ」とご飯粒を飛ばしながら言ってくる
これが鳴戸だったら俺も口を開いたかもしれない
海野からそう言われ、とりあえず高橋の一件は内緒にしておく事にした
休みから出勤すると、二人きりの時に高橋はこれまでの状況を詳しく説明してくれる
嘘の設定を見せられ多くの知り合いを店に呼んだ高橋は総スカンを食らう
お詫びにたくさんの金を払い、少しでも取り戻す為に毎日ちょっとずつ金をうまく抜いている事までハッキリ言う
「岩上さんが黙ってくれていて本当に良かったです。これ、受け取って下さい」とまた一万円札を出してくる高橋
状況的に共犯となるしかない立ち位置になってしまう
いや、違う
俺も余計に金がもらえるならと卑しい気持ちがあったのだ
少し早い忘年会
場所は焼肉の叙々苑だった
鳴戸はちょっと早いが今年もお疲れ様と封筒を各自に渡す
中身を確認すると10万円入っていた
まだベガへ入って一か月も経っていない
そんな俺にまでこのような金額をくれたのが嬉しかった
鳴戸と海野は俺の事を真面目だと信用している
一日置きくらいの頻度で旨い食事をご馳走してくれた
オーナーから妙な信用を得ている俺を見て、高橋的に抜きがやりやすかったのだろう
給料とは別に毎日副収入が入る
気付けば俺は今まで持った事すらない金額が溜まっていた
そう言ってもまだ百万円には届かない
今日も鳴戸から店の外へ連れ出される
ステーキをご馳走になり、もう一軒行くところがあると六本木方面へ連れてかれた
如何わしいビルのところで車を停めると鳴戸は海野へ車を見ているよう伝える
俺は共にビルの中へ入った
厳重な扉をいくつか経て、映画で見たような景色が目に映る
間違ってなければカジノだよな……
黒服の従業員たちが鳴戸を見ると深々お辞儀をし、彼は一瞥もくれず奥へと進む
別の部屋へ入ると明らかにここのボスなのだろうと分かる人相の悪い男がいた
お互い笑顔で話をしているが目は笑っていない
ボス格の男の横で、俺より身長の大きな太った男がこちらを睨んで立っていた
「鳴戸さん、今日はまた強そうなの連れてきましたね」
「ええ、彼は全日本プロレス上がりなんですよ」
「ほう、うちのは空手ですからね。そりゃ楽しみだ」
妙な会話を聞いている内に、横にいる大男と俺を戦わせようとしているのが何となく理解できた
空手家とか言っていたよな
打撃で張り合うのはやめた方がいいだろう
自然と右拳を強く握り、親指を横に突き出した
大男が口を開く
「俺は破門になったとはいえ、ヒクソングレイシーが来た時真っ先に立ち向かった流派の人間です。八百長もどきのプロレスラーなんて話になりませんよ」
やりあうつもりはまったくなかった
しかしこの言葉が俺の心の琴線に触れる
「我が流派は打撃の突きや蹴りだけでなく、いち早く関節も投げも締めも取り入れている。レスラーがそれに何ができるんや」
視野が狭くなるのが分かる
もういつの間にか逃げられないところまで連れて来られたのだ
完全に上から目線で余裕を見せる大男
俺は仕方なく口を開いた
「鳴戸さん……」
「何でしょう?」
「こいつ、やっちゃっていいんでしょうか?」
「何やと、コラ!」
大男が怒り狂う
「打撃以外にも色々やるんでしょ?」
「そうや」
「じゃあ、そんなの空手じゃねえじゃん。まずは空手って名前を外す事からしたほうがいいんじゃないの?」
鼻息が荒くなる大男
俺はさらに駄目押しをした
「いいかい? 空手なのに、締め、関節、投げ? 笑わせるなよ。それじゃ、すでに空手じゃないじゃん。それとさっきからおまえ、臭いよ。ちゃんと歯を磨いているの?」
「おい、もういっぺん言うてみいや」
「それよりさっきから気になっていたんだけどさ。何でそんな自分がまだ所属しているような言い方をしているの? 破門になったんだろ? 言い方を代えればクビ」
「上等や、コラ!」
真っ赤になった大男は大振りのテレフォンパンチで殴り掛かってきた
冷静でいれば何の恐怖すらない
俺は目をつぶらず、相手の攻撃の軌道に沿うように右手を差し出した
いきなり試すからこそ効果のある技
俺の秘中の秘的な防御策である『螺旋』
こちらに向かって勢い余ってくる打撃に対し、相手の手首辺りに横から手首を当て、そこを中心にして手を巻きつける
それだけで相手は攻撃の矛先がずれ、一気にバランスを崩してしまうのである
当たった瞬間の感覚で、本能的に動かなくてはできない技であった
大きな物音を立てて、前のめりに倒れる大男
面倒なので、ここで勝負を決めておこう
打突を使うまでもなかったようだ
すぐさま体重を大男に被せ、右腕を両腕でとる
左脇の下に腕を通し、通常の関節とは逆方向、つまりうつ伏せ状態のまま、上に向かって持ち上げる
プロレスでいう脇固めという技ではあるが、俺のは微妙に違う
さらに相手の手首を空いている自分の右手でつかみ、捻りつつ関節を固定させる
大男は、まったく身動きのとれない状態になっていた
俺がその気になって体重を後ろに反り返れば、簡単にこいつの肩と手首の骨は粉砕する
その時僅かに動く指先で大男は、俺の左目目掛けて指を入れようとした
「うぎゃぁ~……!」
気持ち悪い吐き気のする感覚が、全身を包む
嫌な音がして、そのあと大男の叫び声が聞こえた
こんな卑劣な男の骨など、いくら壊しても構わない
常にそう思う自分がいる
だが実際に人間の体を壊した時、いくら時間が経ってもこの嫌な感覚が消える事はない
室内は、右腕を抱えながら大袈裟に喚く大男の悲鳴だけが木霊していた
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます