岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

先生と呼ばれて 02 

2023年03月14日 14時20分32秒 | 先生と呼ばれて

 

 

先生と呼ばれて 01 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

12345新宿歌舞伎町での裏稼業を引退し、まっとうに生きようと思った。もう俺も三十四歳である。いつまでも馬鹿な事をしていられない。真面目に働いてみよう。履歴書を重数年...

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 社長の命令で、毎週火曜日と金曜日は全社員八時出社となった。何か理由があってとかじゃなく、ただ単に気まぐれなのだ。

 元々そのぐらいの時間に出社していた俺は、さほど苦痛でもない。しかし早出させられても、定時が五時になる訳ではないのである。手当ても何もつかない。それを考えると、非常にくだらなく感じた。

 会社のタイムカードは、各個人に与えられたパソコンの中にある。パソコンの電源を入れ、タイムカードのアプリケーションを開かないと出社した事にならないのだ。

 よく会社の自動アップデートがされるので、その場合電源を入れ、起動したあとに始まってしまう。当然再起動が掛かり、ギリギリに来てもタイムカードを押せず遅刻扱いになる社員もいた。

 それを見越して俺は早めに出ていたが、たまたま寝過ごしてしまった時があった。

 会社内に入った時間は始業二分前。パソコンの電源を入れ、普通ならギリギリ間に合うところだ。しかしこの時アップデートが掛かり、再起動したので八時三十一分になってしまった。気の利く事務員が「神威さんはいつも三十分前に来てるから、このぐらい手直ししておきますよ」と言ってくれる。

 感謝を覚えながら仕事をしていると、別の事務員が来て「ここに判子を押して」と言ってきた。何でかなと書類を見ると、今朝の一分遅刻した件だった。「こういうの私は誤魔化さないから」と冷静に言われ、仕方なく判を押す。遅刻は遅刻だからしょうがない。しかし不満なのは、この嫌味な事務員はよく遅刻しているのである。事務員だけがうまくそれを手直しできるので、自分の時だけは常に遅刻をそれで間逃れていた。汚い女である。金をいくら積まれても抱きたくないタイプの女だ。

「お願いだから、たまには営業電話の業務もして」と佐山に頼まれたので、嫌々やっていると、パートのアポインターのおばさんが電話の合間によく話し掛けてきた。

 誰かと常に話していないと気が済まないおばさんのようで、非常にウザかった。話題のほとんどが、この会社の愚痴である。ここで愚痴っていても何一つ変わらない。それなのに「私は宅建の免許持っているから不動産にも誘われている。この会社はおかしい」と同じ事を繰り返し喋り続けていた。ならとっととその不動産へ行けばいいと思うが。

 途中でうちの畑の野菜はおいしいという会話になり、時期的に茄子が今できているらしい。食べ物の中で俺の一番の大好物は茄子だった。つい会話に加わり、そのおばさんは明日、茄子を会社へ持ってきてくれると約束した。

 おせっかいだが、人の面倒を見るのが好きなのだろう。

 朝の遅刻の件もあったので定時の五時半になると、俺はタイムカードを三十一分で押し、「お先に失礼しまーす」と会社をあとにした。これが今の俺にできる精一杯の嫌味だった。

 翌日アポインターのおばさんは、本当に茄子を山ほど持ってきてくれた。他にピーマンや玉ねぎなどもごっそり入っている。この行為に感激した俺は、この日も定時キッカリで上がり、もらった野菜を作ってトマトソースのパスタを作った。こう見えて俺は、気分で料理をするのだ。

 五時間ほど掛けて、社内の従業員数の二十五人前を作る。世話になっているPC長や野菜をくれたおばさんの分だけでも良かったが、また混乱を招く恐れもある。なので人数分を不本意ながら用意したのだ。

 会社へパスタを持っていき、みんなに配る。俺が料理をするなんて思わなかったらしく、一同驚いた表情で見ていた。昼休みになると、女子社員は「神威さん、いただきま~す」と嬉しそうに言い、食べ終わったあと「すごいおいしかったです」とお礼を言ってくる。野菜をくれたおばさんも嬉しそうに食べてくれた。

 問題なのは男の社員である。俺が作ったパスタを食べておきながら、ひと言のお礼さえない。店長は野菜をくれたおばさんに「パスタご馳走さまでした」と言い、おばさんが「え、これ作ったの神威さんですよ?」と話すと、そのまま俺には何も言わず自分の席まで行ってしまう。何故素直に礼すら言えないのだろうか?不思議でしょうがなかった。

 会社の命令を利かない俺を嫌うのはいい。ただ食べておいて、無視はないだろう。

 俺はこの日も定時なると、とっとと帰る事にした。

 

 このぐらいから俺はインターネットを使いブログを通して、会社の中傷記事を書くようになる。一つ気になった事があった。

『素晴らしい作家さんですよね。でも私は神威龍一さんの小説が一番大好きでハマっています』と自分のブログで嬉しいコメントを書いてくれたらんさん。彼女の容態が思わしくないらしい。

 しばらく彼女のブログ『ランの気まぐれな日々』は、更新がなかった。最後に更新があった記事では『夢』というタイトルで長い文章の記事が書かれている。

―夢―

 高校三年生。私は自分の道がなかなかさだまらへんかった。でも、進学する気はサラサラなかった。これ以上勉強するなんて考えられへん!

「サイン・コサイン・タンジェント」

 一体いつになったら、使う日が来るんやろうか……。

 そんな思いで過ごしていた。

 就職…、どうせするなら、少しでも自分が興味を抱ける仕事がいい。色んな迷いがあって、結局はフリーター(ニート?)という道を選んだ。やってみたい事はいっぱいあるんやけど、踏み出せへんくて……。

 高校を卒業してから、しばらく考えてみたほんまに自分がやりたい事。『美容の道』それしかなかった。と思う。タイミングよくオープンする店があって未経験でもいいって書いていたので、オープニングスタッフの面接に行った。

 もちろん経験者が多い、そして不採用。

 せっかく見つけた道を一瞬で遮断された私はまた迷ってしまった。(今思えば、他の店に行けばよかっただけの話やねんけど。)

 でも、とりあえず働かなあかん。そう思って近所のパチンコ屋に面接に行った。即採用。

 二ヶ月くらい経った時に、美容室のオーナーから電話があった。欠員が出たから来ないかという話やった。ちょっとは迷ったけど、やっぱりやってみたいと思ってお願いした。そして美容学校の通信部(週一の登校)に入学した。

 初めて聞く名前の道具、薬液、美容室の裏側、すべてが新鮮で楽しかった。私が入社した時にはまだ昔気質なスタイリストが多くて上下関係も今までにないくらい厳しかったし、細かいとこまで怒られた。

 私が負けず嫌いじゃなかったら続けられてなかったやろうなぁと思う。そのおかげか、飲み込みが早いからか一年も経たん内に、中習の位置までいき、新人指導する事もできた。同時にメイクの講習会に行き、結局メイクの学校に入学した。少ない給料から美容学校とメイクの学校の授業料を支払うのはめっちゃきつかった、常に「お金がない…」って言っていたかも。

 一年半でカットの練習もさせてもらえて、毎日が楽しくて楽しくてたまらんかった。店舗を増やす事になり、私は新店舗へ移動が決まった。

 社長が私のためにメイクコーナーを作ってくれたし、ジュニアスタイリストという地位も用意してくれた事が嬉しかった。でも私はまだ、自分の技術や知識に自信がなくて戸惑った。

 たった一年半の間で、めっちゃ色んな事件があった。とてもトラブルの多い店やった。スタイリストの解雇に、アシスタントの目まぐるしい入れ替わり。営業中に「帰れ!」というような当日解雇というひどいものもあって、必要とされている人間が次々におらんくなる。

 社長は不動産や建築しか知らず、美容については何もわかってない。そんな社長夫婦に日々疑問を抱いてて、気づけば私のタイムカードは上から三番目という古株になっとった。

 新店舗オープン時にも、たくさんのスタッフが入り準備も着々と進めてきた。新店舗は、社長の自社ビルに入る為、本店になる。本店で私は、新人・アシスタント教育を全面的に任された。私としては、不満を言う前に自分達の立場を考えて欲しいと言っていた。

「ここへ勉強しに来ている、指導してもらっている」それでお給料がもらえているという事。それを理解してもらうのは難しいみたいで、やっと営業で使えるってくらいになって消えていく……。

 それでも毎日朝早くから、夜遅くまで残ってレッスンしてアシスタントの為と、自分の技術向上の為に一生懸命やった。

 そして私は、アシスタント兼ジュニアスタイリストで指名も取れるようになって、一番忙しい時期やったかもしれん。そのせいか私の手荒れがめっちゃひどくなってきた。

 そんな中、また社長のせいで新しい店長を迎える事になった。ひと昔前の美容師?服装がすごく古く感じた。ツータックてやつ?ズボンも裾が細くなっていくの。その赤いジャケットはどうかと思います……。

 この店長が曲者で、彼の言い回しのせいで一人辞め、二人辞め、アシスタントがどんどんおらんくなっていく。

 守ってやれんかった悔しさと、この人に対する嫌悪感が増すばかりで、先輩Nさんの「一緒に頑張ろ!」って言葉が、私の心をギリギリのとこで支えてくれていた。

 こんな店長に「君たちも、おしゃれするように」なんて言われてビックリした。

 君たちもって事は、自分はおしゃれやって事よな? ありえへん! 時代が違うねん!

 二年半、三年目になる頃には自信を持ってスタイリストとしてやってた。まだ仕事は好きで楽しいと思えていたけど、純粋に楽しんでいた頃とは違ってきていた。

 ある日の営業後、店長から私の技術について言われた。

「何それ?! 今まで何やって来たん?!」こう言われた瞬間私の心は壊れた。私が未熟なのは分かっている、けど私を指導してくれた前店長をもバカにされたようで……。

 美容師としての自信も意欲もなくしてしまっていた。小さな事件もいろいろあって、社長夫婦への不信感もピークになった。私はこの時、この店を辞めようという気持ちが固まった。

 一から私を育ててくれた店や、マネージャーNさんの為にも後任のスタッフが入るまでは、手を抜くことなく一生懸命やった。

 みんなが引き止めてくれたけど、美容師としての自信も意欲も情熱も失ってしまった私が、店に立つ事はお客さまを侮辱する事になる。

 それだけはしたくない、それが私の美容師としての小さなプライドでもあった。

 けど、まだ学校が終わっていなかった。

 あと数回と、一番大切な国家試験。

 美容師を続ける事に迷いはあったけど、ここまでやったら取るしかないやろ。せっかく高いお金払って来たんやもん、一発合格したるわ。

筆記と技術のテストがあって、筆記は四択。何とかなるやろ。技術は、カットと『ワインディング・ローラーカール・オールウェーブ』の三つあって、試験の数日前にどの技術か発表される。かなりの正確さが求められ、審査はめっちゃ厳しい。少しでもずれたりすると不合格になる。

 人間ほんまに緊張するとこんなに手が震えるんやなぁ。でもやるだけの事はやったという満足感があった。

 合格発表…。当然合格しました!

 練習する場所もないのに、頑張ったなぁと自分でも思う

 美容師免許を取得しても、この時の私には使い道がなかった。バイトを掛け持ちして、朝から夜中までずっと働いた。ずっとずっと悩んでいた。美容師の仕事は好きやけど、どうしたらいいんやろう……。

 たくさんの葛藤があった。

 Nさんが、ずっと戻って来たらいいやんって言ってくれていた。一度だけ気持ちが揺らいだ事がある。あの店長が解雇されたと聞いたから。

 でもあの店に戻るには、社長との戦いがある。Nさんが社長に聞いてくれたけど、結果はノー。店を辞めた私は、社長にとって裏切り者やから。

 そんな時に、バイト先の会社が撤退するという事になり、私たちも辞めるか、時給は下がるが違う会社に移動するかという選択を迫られる。

 めっちゃいい機会やと思った私は辞める事にした。美容師に戻ろうという決意ができたのです。そして面接に行きました。

 そこは、男性の店長と女性のスタイリストとアシスタント一名の少人数でやっていました。

 一年半ほどのブランクがあるので、また一からという事でお願いしました。

 驚くほど手が動かない! ブランクというやつは恐ろしいものです。それでもやっぱりこの世界が楽しいと思えました。でも店長がとても苦手でした。

 二週間ほど経った朝、出勤すると雰囲気が違う。

 なんと、アシスタントの荷物がなくなっていたのです。理由はなんとなく分かっていた。

 店長のセクハラ……。

 私もめっちゃ苦痛で溜まらんかった。その子に電話して聞いてみたら、やっぱりそうで前にいた子も、それで辞めたんだと聞きました。

 私も悩んだ、今まで二分されていたセクハラが自分に向くと思うと……。

 結局私も、新しいスタッフが入ってから辞めました。ちゃんと店長にも言いました。

 それはあなたのコミュニケーションなのかもしれないが、私たちはそれによって苦痛を感じていた。

 せっかくチャンスを与えてもらったのに申し訳ありません。

 そしてまた、途方に暮れてしまう。

 これが、私が美容師として働いていた最後の瞬間です。

 最初の店を辞めた事はめっちゃ後悔した。もっと頑張ればよかった、もっと強くあればよかった。そう思います。

 でも美容師だったという事は誇りに思う。美容師という夢は中途半端に終わってしまったけど、それを恥じる気持ちはまったくない。私はそれだけの事をやったと思ってる。

 今からでもと、思われるかもしれません。もう私は美容師には戻れないんです。

 美容師免許を取得の条件。

『てんかんにかかっている者には美容師免許を与えない』

 私の『てんかん』という後遺症。もう免許はあるので問題ないですが、シザーは握れません。なので最終的に旦那さんと我が子のカットができたらいっかと思います。それか、美容室の受付でもできたらいいかな。う~ん、でも美容室におったら参加したくなるやろうなぁ……。

 長くなってしまってごめんなさい。

 最後まで読んでいただいてありがとうございます!

 これ書いたのは自己満なんで申し訳ありません。―らん―

「……」

 前にもらんさんは具合が悪く、入院していたと書いていた事があった。この『夢』という記事。彼女の今までの想いがすべて詰まっているのを感じる。

 しばらく更新のないらんさん。現在彼女の具合はどうなのだろうか?何事もなければいいが…。俺は祈る事ぐらいしかできなかった。

 

 朝、仕事へ行く準備をしていると、おじいちゃんから呼ばれる。

「おまえにこれを渡しておこうと思ってな」

 手渡された一枚の名刺。『株式会社飯田電気 取締役 飯田政子』と書いてある。記憶にない名前だ。

 おじいちゃんが法人会の会議に行った時、「昔、龍一君を教えていた事がありまして」と言われ、名刺を渡された人がいたようだ。

「う~ん、思い出せないなあ。俺を教えたって?」

「ピアノを教えたとか言ってたぞ」

「……!」

 幼い頃の記憶が広がる。まだお袋が家にいた時代。小学生一年生の俺は、強制的に八つの塾や習い事をさせられていた。

 ピアノ、絵画、合気道、学習塾、体操教室、習字、スイミングスクール、そしてお囃子。

 合気道とお囃子は、親父がやっていたから。残りはすべてお袋が勝手に決めてきた。どれ一つとして自分で行きたいと思った事はない。すべて強制だった。

 一週間一日も休みの日などなかった。多い時は一日で三個の塾へ行く事もある。

 小学校二年生の冬。お袋は黙って家を出て行った。俺ら三兄弟を捨てた。それまで理不尽な虐待をずっと受けてきた。未だ左目に残る二つの傷痕。

 しかし悲しさなど何もなかった。家族と仲が悪かったお袋。笑顔で自由に笑う事さえ、暴力によって禁じられていた。おじいちゃんやおばあちゃんと自由に話もできない日々。一緒にご飯すら食べられない地獄の毎日から、お袋が出て行った事により、ようやく解放されたのだ。

 お袋が出て行ってから自然に出た行為。それは心の底から自由に笑えるというものだった。

 そして習い事をしていた塾はピアノ以外すべて辞めた。別にピアノを弾きたくて通っていた訳ではない。ピアノの先生だけが俺に優しかったのだ。いつもピアノを弾かず、俺は先生に家の事を言った。先生は優しく話を聞いてくれ、帰り道、喫茶店によりピザトーストを食べさせてくれた。俺はこの先生が大好きだったのだ。だから小学校六年生までこのピアノだけは通った。

 しかし一度も真面目にピアノを弾いた記憶などなかった。

 高校を卒業したあと、俺はピアノの先生の家を思い出し、久しぶりに会いたいと思った。 歩きながら昔を振り返り懐かしむ。

 先生の家に到着しベルを押すと、おばあさんが出てきた。ずいぶん年をとっているが、先生のお母さんだとすぐに分かる。俺の事、分かってくれるかな?半分照れながら笑顔で「お久しぶりです。神威龍一です。覚えてますか? 自分が小学生の頃、先生にピアノを習っていたんですけど……」と言うと、先生のお母さんの表情がガラリと変わった。

「あれ、忘れちゃいました?」

「……」

 何でこの人は、こんな冷めた目で俺を見ているんだろう?

「あの~……」

「お願いだから、うちの娘には接触しないでちょうだい。あんたのお父さんのせいで、うちの娘はどれだけ傷ついたか……」

「え?」

「お願いだから帰って!」

 訳も分からず、俺は先生の家をあとにした。帰り道、何故先生のお母さんがあのような態度をとったのか考える。

「あんたのお父さんのせいで……」

 確かにそう言われた……。

 何となくだが理解した。うちの親父と先生は、当時男と女の関係だったのかもしれない。母親が家を出て、強制的に通わされていた塾は全部辞めた。しかし、ピアノだけは六年生まで通い続けたのだ。今になって思い出すと、あの時点でピアノだけは通わされていた。先生が優しかったから、続いたというだけだ。少し記憶がおかしい。

 よく考えると不自然だった。小学生の俺を先生は本当に可愛がってくれたが、帰り道に喫茶店に行き、身銭を切ってご馳走してくれた。一回や二回じゃない。毎回だった。

 親父との関係に後ろめたさを感じていたからこそ、ああして俺へ優しくしていたのではないだろうか?

 考え過ぎだろうか……。

 そのあと俺は、独断でお袋のところへ会いに行った。両親どちらとも歩み寄る気配がなかったし、お互い別の相手がいるのは昔からである。お袋は別の人と一緒に暮らしながら店を経営していた。

 家では「何でおまえのお母さんが離婚しないか分かる? 家の財産が目的なんだよ」と言われ続けてきた。だから大学へ行かず、高校卒業と同時に初めてお袋へ会いに行き、「離婚しませんか?」と話し合いに行ったのだ。

 お袋は俺の言い分を了承し、離婚届を出してくれた。それで初めて俺はお袋の言い分を聞こうと思った。両者の意見を公平に聞いているのは俺だけなのである。だから自分の考えに従いたかった。

 そのせいで俺は家族から白い目で見られ、様々な誤解を受ける。「お袋が恋しいのか」とも罵られた。親父からは「おまえなど神威の性を捨てろ」と言われた事もある。「おまえのケツを拭きに行ったんだぞ」と当時は激怒したものだ。

 その後お袋は徐々に俺に慣れたせいか、地を出してきた。昔の感覚が蘇る。この人は何も変わっていない。それに気づいた俺は、お袋に「生涯俺に関わらないで下さい」と言い、縁を切った。それ以来、お袋とは一切関わっていない。

 こんな経緯があったピアノの先生。その先生がおじいちゃんを通し、俺と連絡を取る為に名刺を渡してきた……。

 過去に親父とどんな関係があったにせよ、俺は先生に一度会いたかった。当時を振り返りたかったのだ。小学六年と言えば、十二歳である。今が三十四歳だから、二十四年間も会っていないのだ。もちろん言葉一つ交わしていない。

 笑顔の先生に会いたかった。俺は『飯田電気』と書かれた会社へ電話を掛けてみた。

 事務員らしき女性が出て、「社長は只今席を外しています。折り返し連絡させますので」と言うので、俺は自分の携帯番号を教えた。

 ピアノの先生とまた会えるかもしれない。すぐ話せなかったのは残念だが、俺はこのタイミングでの再会のきっかけを嬉しく思う。

 

 埼玉の支社は全部で六店舗ある。恒例の朝の会議で、社長の無茶な鶴の一声が始まった。

「まず埼玉。さいたま支社、川口支社、川越支社、所沢支社、浦和支社、熊谷支社。全部で六店舗ありますが、君たちはこの数の分の仕事をちゃんとしてません。よってさいたま、川口、川越。この三つだけ残し、あとの支社は撤退する事にします。今日が金曜日。なので月曜までには移動して下さい。浦和は川口へ。所沢は川越へ。熊谷やさいたまへ。それぞれ統合という形をとります」

 始めは冗談で言っているのかと思った。しかし大真面目に言っているのだ。会社の基本的な休みは、土日曜祝日。今日が金曜日なので、本来なら明日明後日は休みである。月曜日にここ川越に移れと言う事は、休みを返上して用意しろと命令しているようなものだ。

 かなりムチャクチャな会社。労働基準監督署に訴える人間がいないのが不思議なぐらいである。

 店長が「明日、明後日所沢の手伝いに行くぞ」と言い出した。俺は上司の佐山に聞く。

「当然休日出勤手当てなんてないんですよね?」

「そんなの当たり前じゃないですか」

「じゃあ俺は休日なので休みます」

「でも神威さんがそんな事したら、あとで私が責められます」

「じゃあ佐山さんも一緒に休んじゃいましょうよ。馬鹿らしいじゃないですか」

「そんな訳にいきませんよ」

 今の俺は、ここをクビになっても構わないという気持ちがある。北海道に家族を残した佐山はそうはいかない。言い方が少し意地悪だったかもしれないと反省した。

「あ、神威さん。今日夕方なんですけど、ちょっと不備是正でお願いしたいところがあるんですよ。行ってもらえませんか?」

「夕方からですか。場所はどこです?」

「え~とちょっと待って下さい…。秩父ですね」

「秩父ですか?定時に帰れないじゃないですか」

「お願いしますよ。私も自分の仕事が詰まっていて……」

 まあ今日終われば明日明後日は休みだ。たまには協力するか。仕方なく俺は受ける事にした。

「分かりましたよ。行く場所のデータもらえますか」

 顧客データをもらい、住所を調べる。見て唖然とした。秩父とは言っても秩父市でない。秩父郡両神村となっている。川越から埼玉の山奥まで行くようなのだ。ほとんど群馬県に近い。車で片道三時間は覚悟しなければいけないような距離である。

「お願いしますよ」

「分かりましたよ……」

 渋々了承した。準備をしていると、店長からも「神威君、悪いんだけど、ついでにここもお願いできないかな?」と頼まれる。これから向かう両神村の通り道なので、了承した。

「あ、神威さん。もう一つ頼んでもいいでしょうか?」

「ん、どこですか?」

「ここなんですけど、同じ秩父なので」

 地図を見て愕然とする。長瀞だった。

「冗談じゃないですよ」

「え、でも同じ秩父じゃないですか」

「どれだけ距離があると思っているんですか? この間で山をいくつ越えれば済むと思っているんです? 距離にして何百キロあると思っているんですか。自分で実際に行ってみれば、俺の言っている事分かると思いますよ。前にも言いましたけど、俺は残業などしたくないんです」

 苛立ちながら会社をあとにした。

 

 秩父郡両神村へ向かう途中、店長に頼まれた二軒の日々是正を終え、ガソリンのメーターが半分近くまで減っていたので燃料を入れる。

 この時ですでに五時半を回っていた。これから両神村か……。

 まだまだ果てしなく先へ行かなければいけない。往復でこっちへ帰ってくるの、下手したら夜中になるだろう。昨日は早めに寝て夜中の一時に起き、ずっと小説を書いていた。それからずっと起きっ放しだったので、慎重に運転を心掛けないといけない。

 果てしなく続く一本道。目の前にはトロトロ走る車。クネクネと曲がった道。その真ん中には追い越し禁止の為に設置してある無数の鉄の棒。普通なら何でもない事がイライラした。同じ景色をずっと見ているので目がしょぼしょぼしてくる。これは気が抜けない。

 こんな仕事請けなければよかった。何度も後悔しながら俺は向かう。

 知らない番号が携帯電話に掛かってくる。もしかしてピアノの先生だろうか?

 電話に出ると、ピアノの先生だった。

「あれ、政子先生ですか?」

「お久しぶり~、龍君」

 感慨深いものが込み上げてくる。二十四年間の空白。俺はその間子供からいい大人になった。先生はあれからどうしているのだろう。分かっているのは、ピアノの先生から一つの会社の社長を現在やっているというぐらいだ。

「先生、覚えてます? 俺が帰り道よく喫茶店に行ってピザトースト食べたり、インベーダーゲームやったり」

「ん、何の事?」

「嫌だな~、忘れちゃったんですか? 俺、あの時からピザトースト大好きになったんですよ。先生が優しかったから、ピアノだけは六年生まで続けられた」

「え、龍君に私が教えていたのは小学二年生までよ?」

 どうも話が噛み合わない。楽しかったから俺が強烈に覚えているだけだったのか……。

「近い内、先生に会いたいです」

「私も龍君に会いたいわ」

「じゃあ、また連絡しますよ」

「うん、待ってるね」

 先生との電話を切り、七時半頃ようやく両神村へ到着。少し広めの一車線の県道があるだけで、辺り一面真っ暗だった。県道を抜け、細い道へ入る。会社で渡された地図だけが頼りだった。

「あれ?おかしいなあ……」

 地図通り走っているつもりが、道に迷ったようだ。再び大きな県道沿いに出て走る。途中で大きなスーパーがあったので、買い物客に聞いてみる事にした。親切な地元の人は、丁寧に口で説明してくれ、「あ、私が途中まで一緒に行くから、後ろから車で着いてきてもらえます?」とまで言ってくれる。感謝の念でひたすら頭を下げた。

 大きな社のある神社のところまで案内してくれると、その人はそのまま去っていく。

 顧客の家はこの近辺な事は間違いない。道から少し外れながら細い道を走っていくと、車より高い雑草が生い茂った訳の分からない場所へ出る。恐ろしいほどの雑草の数。見た事のない虫が車のライトに向かって集まり、フロントガラスにぶつかってきた。このまま迷ったらどうしよう。仕事をするという心境にはなれなかった。

 結局数時間、顧客の家を探すが、土地勘もなければ明かりもない。見つからずじまいだった。会社へ電話すると、店長が「お疲れさま、もう戻ってきていいよ」ようやくそう言ってくれる。

 秘境の地へ迷い込んだ感覚を受けた俺は、すぐ県道に戻り、帰り始めた。

 腹が減っていたので、秩父市二九九号沿いにある定食屋へ寄り道する。携帯電話の電池も電波の悪いところにいたせいか、一メモリーしかない。充電もさせてもらおう。

 店内へ入ると、客は誰もいなかった。メニューを見る。妙に安い。ラーメンが四百円。定食も安いのだと五百円からある。

「何がお勧めですか?」

「うちは全部お勧めだよ」

「じゃあ茄子味噌定食をもらえますか」

「あいよ。お兄さん、ラーメン三百円にするから食べていきなよ」

「あ、はい。じゃあラーメンも下さい。それとすみませんが、携帯の充電をさせてもらってもいいでしょうか?」

「その辺で差込口あるでしょ? 勝手に使いな」

「ありがとうございます」

 雑誌を読んでいると、おばさんが食事を運んでくる。茄子味噌におしんこ、ご飯、ラーメン。味噌汁がないので聞いてみた。

「すみません、味噌汁は?」

「ラーメンの汁があるからいいでしょ」

「あ、はい……」

 このおばさん、恐るべし。なかなかの強者である。味はそこそこいけたので、九百円の会計を千円札渡し、「お釣りは結構ですから。ささやかな感謝の気持ちです」と言って店をあとにした。

 帰り道、四つん這いの幽霊が出る事で有名な正丸峠のトンネルを通る。このトンネルは二キロも続くのだ。しかし疲労と寝不足の俺は何の気にもならなかった。

 夜の十一時過ぎに会社へ戻ると、店長と佐山が待っていた。お疲れさまのひと言もない。俺は書類をテーブルの上に放り投げると、タイムカードを押して「お先に」と会社を出た。十八時間ぐらい起きっ放しだったので、家に戻ると泥のように眠り込んだ。

 

 月曜日に出社すると、見知らぬ顔が増えていた。所沢支店から川越に社員が移ってきたのだ。

 土日まったく手伝いをしなかった俺を見るみんなの視線は冷たい。ここでずっと働く気のなかった俺は、特に気に留めなかった。どうでもいい事だ。

 家に帰ると、家族が集まり神妙な顔で食卓を囲んでいた。常に自由奔放に生きているので珍しい光景だった。

「どうしたの、みんな揃って」

 尋ねると、「兄貴はいつだって無関心じゃねえかよ」と弟の龍也が食って掛かってくる。

「いきなり何でそんな喧嘩口調なんだよ?」

「この状況を見て、兄貴は何も感じないのかよ?」

 俺ら三兄弟を育ててくれた祖父におばさん。そして弟二人。親父を除いたすべての家族が一同に終結していた。何かあったからぐらいは分かる。

「詳しく教えてくれ」

 弟がこれまでの経緯を話し出す。俺は話を聞きながら、これまでの事を思い出していた。

 親父は不特定多数の女と遊び、過去人妻が三人家まで乗り込んで来た事があったぐらいだ。一人は俺が小学生時代から付き合っている女。もう一人は家でパートで働いている女。最後に近所の店で働く女。昔から付き合っていた三村弥生という女が、この三人の中で非常に醜かった。他人の家に乗り込んでくるぐらいだから、全員それなりの覚悟はあったと思う。しかし三村だけが図抜けて図太かったのは今でも覚えていた。

 六年前に俺が総合格闘技の試合に出た前日も、以前来た人妻の三村が家に上がり込み、俺の部屋までやってきた。

「龍一ちゃん、あなたのお父さんがね。あなたと同じ年の病院の看護婦と一緒になるんだって。これからここに連れてくるから、おまえは消えろって。私、どうしたらいい?」

 前日なので早めに寝ようとしていた俺は、三村に向かって怒鳴りつけた。

「いい加減にしろ。俺は明日、試合なんだよ? 分かってんのか? おまえと親父の問題なんて、いちいち俺に振ってくんな。関係ないだろ」

 三村は泣きながら親父の部屋へ消えていく。そのあと親父が本当に別の女を家に連れてきたものだから、一気に修羅場と化した。俺と同じ年の女も相当の覚悟を持って家まで来たのだろう。それが三村相手に一分ともたない現実。女の末恐ろしい一面を垣間見たような気がした。

 それから一年後、三村が再び俺のところへやってきた。

「ねえ、私とお父さん。結婚しちゃ駄目かな?」

 そう聞いてきたので、「別にするのは構いません。ただ条件が二つあります。一つは俺ら三兄弟の母親になろうなんて思わない事。もう一つはこの家に絶対に入らない事。三村さん、あなたはうちの家族、親戚だけでなく、回り近所からも嫌われているの自覚していますか?なので結婚するなら、親父を連れて、この家には入らないで下さい」と答えた。

「そ、そうよね。分かったわ」

 そう三村は言っていた。最近その三村が、通い妻状態でよく家に来ているのは知っていたが……。

「兄貴、ちゃんと俺の話聞いているのかよ?」

「あ、ああ。聞いているよ」

 弟の龍也は話を続けた。

 俺ら三兄弟で家の家業を継いだのは一番下の弟である龍彦だった。七年間頑張ってやっている。その龍彦が、家を辞めると言う。

 以前龍彦がサーフィンで脇の下を切り、仕事ができない期間があった。金もなく鬱病のように部屋でジッとしている龍彦。俺は可愛そうに思い、毎日のように小遣いをやった。一日で三千円から五千円。たまに一万円をあげ、月に七万から八万ほどの小遣いをコンスタントにやっていた。弟の彼女の誕生日には、新宿プリンスホテルでいい部屋を取ってやり、中華料理をご馳走した。最後に龍彦の彼女に金を渡し、「龍彦と上のラウンジで酒飲んできな」と格好をつけた事もある。

「兄貴たちが好き勝手にやったから、俺が継いだんだじゃないか!」

 たまに龍彦から、そう責められる事もあった。嫌なら継がなきゃいいじゃねえか。そうは言えなかった。金をあげたのも、せめてもの罪滅ぼしと思っての行為だったのだろう。

 しかし龍彦は俺に対し、何の感謝も示さなかった。「兄貴は金の遣い方を分かっちゃいねえ」と公言し、「金だけは稼いでいるからな」と友人にも言っていた。金を受け取っておいて、その言い方はないだろうと喧嘩になり、それ以来金をやる事はなくなった。

 こういった件も踏まえ、俺は家の会議と言われても関わらないようにしていた。

 三村には俺より年上の娘が二人いるらしく、両方とも結婚をしているらしい。その上の娘婿を親父が家に入れたと言うのだ。親父が社長になると、今まで十数年働いていた従業員は辞めるとみんな言い出しているようだ。家族、従業員全員の反対にあっているというのに、親父は自己のエゴを通そうとした。その背後にはあの三村の影がある。

 弟の龍彦は体を張ってその状況を変えようとしたが、親父には何も通じなかったらしい。諦めた龍彦は、家業を辞める決意をしたという訳である。

 各支店を持つ家業ではあるが、それにムチャクチャな親父が社長として就任する。それはある意味崩壊を意味していた。昔から甘やかされて育てられた親父は、わがままでエゴの塊だった。

 親らしい事など何一つしてもらった事などない。俺らを産むまでは、家の金を遣い、F1レースのような道楽をしていたとも聞いている。俺が幼い頃、親父は「俺は国際B級の免許持っているんだぞ」とよく自慢していた。部屋にはレース中の写真が飾られてある。

 養育費など一銭も出さず、おばさんが自分の婚期を逃してまで俺ら三兄弟を育てあげてくれた。その妹であるおばさんにまで、親父は理不尽な暴力を振るう。おばさんの鼻は折れ、未だ疼くらしい。

 配達で集金した金は、すべて自分の遊びに遣う親父。月に何百万という金で、親父は毎日のように飲み歩き、近所の連中に酒を振る舞った。道を歩いていると、「先日はお父さんにご馳走になりまして、よろしく言っておいて下さい」と何度も言われた事がある。その度俺は、親父に憎しみを抱いた。家の事は何一つしないくせに。

 しかも三村弥生といつの間にか籍まで入れ、結婚していたのだ。通い妻状態で家に来ていた三村は、親父の社長就任会議になると決まって顔を出し、反対する邪魔者を排除していった。そしていつの間にか家に棲みついていたのである。

「経営者に対し、文句言う従業員なんてクビにすればいいの。お金さえ出せばいくらだって人は雇えるんだから」

 そう言って、長年働いてきた従業員たちの心を折っていったようである。しばらく家の事に対し無関心でいる間に、ここまで酷い状態になっているとは思いもよらない。さすがに悪い事をしたと感じる。

 あんなくだらない会社で働いている訳にはいかなくなった……。

「すまなかったな。今まで好き勝手に生きてきて…。今回の件、俺も協力する。今度から話し合いの場には呼んでくれ」

 俺は家族に対し今までの非礼を詫び、心から頭を下げた。

 

 翌日会社を辞める事を店長へ言おうと、二人で話せるタイミングを待った。

 昼前に店長がトイレへ向かったので、俺は廊下で出てくるまで待つ事にする。なかなか出てこないので、トイレに入る。すると凶悪な臭いが充満していた。もの凄い臭さである。店長のクソの臭いを嗅いで待つ訳にもいかない。俺はまた廊下へ出て、待つ事にした。

 店長がようやく出てくると、俺は家の状況を簡潔に伝え、会社を辞める意思も伝える。嫌そうな顔をしながら「辞めないで何とかならないのか?」と聞かれたが、「十数年ずっと続いてきた因縁ですので」と返した。

 何故か店長は社内へ戻り、自分の席へ逃げるように向かう。俺は追い駆け話をしていたが、一切何も答えてくれなかった。仕方なく「今日はとりあえず仕事をします」とだけ言い、自分の業務へ戻る。

 佐山には簡単に家の事情を伝え、ここで働けるのもあと僅か。だから佐山の仕事を俺は率先して手伝うから自分のポイントにしてくれとも言った。

 必然的に債権回収の仕事が増える。それでも陰湿な社内で仕事をするより、外の空気を吸いながらのほうがマシに思えた。

 佐山に頼まれ、俺は三つの債権回収へと向かう。

 一つの仕事をこなし、二つめ東松山市に住む顧客のところへ行く。今回面倒なのが、借りた本人ではなく、その保証人から金を取り立てるという嫌な仕事だった。

 保証人の自宅へ行き、会社名を名乗る。すると保証人は怒り狂ったように家から出てきた。

「テメー、あの会社の奴か! 家まで来やがってふざけんじゃねえぞ」

「お気持ちは分かります。しかし連絡を何度してもお出にならないので、こうして来ました。最低限、連絡だけは出て下さい。そうすれば私もこんな真似をせずに済むのです」

「今から借りた奴のところ行ってくるから待ってろ」

「少々お待ち願えますか?」

 俺は会社に電話を入れ、状況を話した。店長はどこまでも一緒についていけと言うだけである。電話を保証人に代わると、彼はさらに怒っていた。

 まだ仕事の時間内なので、保証人と契約者の家まで向かう。しかし留守である。再び会社と電話で話した保証人は、やり場のない怒りを俺にぶつけてきた。

 時計を見る。五時四十分。もう定時は過ぎている。

「ちょっといいですか? 今まで会社の仕事時間だったので素直に従ってきましたが、定時を過ぎました。これからは私個人の意見だと思って聞いてもらえませんか?」

「ん、何だよ?」

 俺の言い方に保証人は不思議そうな顔をして、大人しく話を聞く姿勢を見せてくれる。

「まず連帯保証とは、紙切れ一枚でこういう風になってしまうので、今後は絶対にならないでほしいです。うちの会社、契約で揉めても裁判で絶対に勝てるように契約の際、何枚も契約書を交わし、公正証書まで作っているじゃないですか? こうなると何をしても法律がうちの会社の味方をするんですよ。ハッキリ言います。私は今のこの会社のやり方が大嫌いです。商売人の気持ちも分からず、エリート面で舐めている会社の連中も大嫌いです。お客さまのそのやり場のない怒りや気持ち、私は分かります。もちろんこんな事をお客さまの前で言っているんです。当然辞めるとも上司には伝えてあるんですよ」

 正直に自分の心境を言った。するとそれまで怒っていた保証人は真面目な表情になり、俺の目を見ながら「あんたみたいな人間もいるんだな」と静かに言ってくれた。そして自ら手を差し出し、握手を求められた。

「気に入った。あんたがこうやって来るなら、俺は金を払ってやる。悔しいけどな」

「ありがとうございます」

 俺は頭を下げ、誠心誠意心からお礼を言った。この人と気持ちが少しでも通じ合えたのだ。こういう仕事なら俺もやり甲斐を感じる。

「何であんたのような人間があんな会社にいるんだ?」

「このご時勢で焦ってロクに調べもせず、大企業だからと入ったらこんな会社でした。でも、こうしてあなたのような方とこうやって話をする事ができて本当に良かったです。もう、残業代もらってないので、私じゃなく俺ってあえて言わせてもらいます。俺、実は小説を書いているんですよ。信じられないかもしれないけど。この腐った会社の体制。いずれ俺が文字に、文章に投影して潰すか変えさせてもらいます。本当に今日は嫌な思いをさせてすみませんでした!」

「おい、神威さんって言ったな。もう一度握手してくれ」

 笑顔で保証人と別れ、最後の顧客の下へ向かう。次の客は情報によると刑務所上がりらしく、誰もが行きたがらなかった。前に一度ここには訪問し、連絡だけはちゃんと受けるか、するようにしてくれと伝えていた。それなのにまったく連絡がつかない状況なので、また俺がこうして来るハメになったのだ。時間は七時半を回っている。イライラしていた。

 刑務所上がりの客のアパートへ到着する。彼は俺の顔を見ても、ヘラヘラしていた。

「何故連絡に出てくれないのですか?」

「刑務所上がりだろ、俺は」

 アロハシャツを着た客は、暑そうにパタパタと服を仰ぐふりをしながら、刺青を見せてきた。本当にこういう奴って多いよなあ……。

「それと連絡と何の関係あります?」

「兄ちゃんさ、若いからって血気盛んなのは分かる。でもな、務所上がりの人間を簡単に見ちゃ痛い目に遭うかもしれないぜ?」

「そうですか。刑務所行くと、そんな偉いんですか?」

「そうは言ってないだろ?」

「じゃあ、一つ質問なんですけど、留置所上がりはどのぐらい何でしょう?」

「はあ?」

「実は私、巣鴨の留置所にも世話になった事ありましてね。歌舞伎町の住人たちから、全員じゃないけど、カリスマって呼ばれた時代もありました。刑務所? 何人もまだ仲間が入っていますよ? それに痛い目にって仰いましたが、いいですよ、殴っても。私、体がデカいでしょ? 昔になるけど、チョモランマ大場社長の時代の大和プロレスにいた事あるんですよ。ちょっとやそっとじゃ壊れませんよ? 全力でパンチしてみます?」

「え…、あの…、いや…、へへ……」

「でも、今はそんな話じゃなくて、お金を返せないのは事情ってあるからまだ私も分かりたいんですよね。だけど何で連絡一つくれないのかなって思ったんで、こうやって私が、あなたの元へ来たんじゃないですか」

 相手に合わせ、多少威圧感を増したように話してみる。

「いや~、仕事探しているもんでさ~」

 のらりくらりと交わす客。

「おい、ガキの使いでここまで来てる訳じゃねえんだよ。おまえのせいで俺は残業代も出ず、こうやって動き回っているんだぞ? 分かってんのかよ? 何でそんなヘラヘラしてやがんだ?」

「……」

 突然怒鳴り出したので、相手は下を向き黙っていた。

「金の貸し借りなんて、俺にはどうだっていいんだよ。ないもんはしょうがねえからな。ただ連絡だけはちゃんとしろってだけだ。いいな?」

 自分より目上の人間に対する言葉遣いじゃないのは自覚している。しかしこう言わないと分からないと思った。

「は、はい…。すみません……」

 俺は返事を聞き、会社へと戻った。家に帰った俺は、いずれこの事は小説として書くだろうと感じ、ブログに記事という形で残した。

 

 恒例の朝礼のあと、PC長の佐山が「この文字なんて読むか分かりますか?」と聞いてきた。

『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』と書いてある。

「どういう意味だか分かります?」

「ちょっと待ってて下さい。調べますから」

 さすがに意味まではよく分からない。確か三国志の時代で使われた言葉のような気がしたが……。

 社内のパソコンはセキュリティーが引かれ、他のサイトの閲覧が一切できなくなっていた。グーグルも使えなければ、ヤフーだって無理だ。知り合いにメールをして、意味を調べてもらう事にした。知り合いはすぐに調べ、返信をしてくれる。

《臥薪嘗胆とは、復讐の為に耐え忍ぶ事。また成功する為に耐えるという意味みたい》

 俺はそのメールを見せながら、佐山に説明した。本社の上司から佐山宛てに来たメールで『臥薪嘗胆である』と偉そうに書いてあったのだ。よくもまあこんな言葉をこの会社の奴が使えるものである。ある意味感心した。悪いのはこの会社だ。おまえらが使うべき言葉ではない。これは俺の言葉だ。

 昼休み、上司の佐山が呑気に弁当を食べながら、「神威さんって本当に歌舞伎町にいたんですか?」とからかい半分で言ってきた。

 自分の書いた小説を何作品か見せた事があるのに、今さら何を言っているのだろうか?面白くなかったので、俺は「証拠でも見せましょうか?」と会社の電話の受話器を取った。

 説明するのも面倒なので、リアルに見せればいいだろう。そう感じた俺は、以前捕まった事のある巣鴨警察署へ電話を掛けた。

「すみません。巣鴨警察ですか?生活安全化の出川さんお願いします」

 いきなり電話をした先が警察と知り、佐山の顔色が変わる。数十秒経ち、パクられた際、世話になった出川警部が出た。

「あ、お久しぶりです。神威ですよ。お元気ですか? 一年ぶりぐらいですかね」

「おーこれはこれは、神威大先生じゃないですか」

 出川警部はご機嫌だった。現状を簡単に説明し、小説も書き応募をしている事を伝えた。過去捕まった際、俺は小説の話を取調べ中にずっと言っていた。出所したあと、俺は自分の処女作である『川越デクレッシェンド』をプリントアウトし、本としてまとめたものをプレゼントした。

 数日後それを読んでくれたのか、出川警部から電話があった。

「神威…、おまえ、昔、妹さんを亡くしていたのか……」

「はあ? 何を言ってんですか?あくまでも小説だって言ったじゃないですか。それに俺は調書でも言ったように、男三兄弟ですから」

「そ、そうか…。おまえ、この小説、ひょっとしたらひょっとするぞ?」

「ありがとうございます。いずれ俺は小説を世に出しますから」

「期待して待ってるぞ。楽しみにな」

 こういったエピソードが過去にあったので、今でもこうして自然と話せる間柄になった訳である。

 話の途中、俺は佐山に向かって「変わってみます?」と意地悪そうに聞いた。当然佐山は首を横に振り断る。

 電話を切ると、佐山は黙々と仕事をして、俺に一切話し掛けてこなかった。そういえば『真風舎』に応募した小説の結果がそろそろ出る時期だな。そんな事を思いながら、俺も黙々と業務をこなした。

 夕方になると、ピアノの政子先生の会社でも訪問と称し、顔を出してみようと思った。電話をしてこれから向かう事を伝える。

 政子先生の会社は車で五分ぐらいの場所にあった。小学校六年生、つまり十二歳以来だから、二十四年ぶりである。先生の会社飯田電気へ着くと、俺は車を飛び降り、受付へ向かう。

「龍君、久しぶり~」

 俺を見るなり政子先生は笑顔で出迎えてくれた。

「忙しいところすみません。先生こそ元気そうで何よりです」

「変わってないわね~。小さい頃からそのまんま大きくなったって感じ」

「え、俺、変わってないですか?一時レスラー目指していたから、六十五キロしかなかった体重を無理やり九十六キロまで増やしたんですよ?」

「体は大きくなったけどね。目とかそういったパーツが何も変わってないもの。見てすぐに分かったわ」

 お互いの空白期間を手短に話した。しかし高校卒業後、先生の家へ行き、追い返された事だけは黙っておいた。余計な事を言う必要など何もないのだ。

 近日中に飲みに行く約束をして、俺は先生と別れた。先生も仕事中だし、色々と忙しいのである。

 会えて本当に良かったなと思える。この日はずっといい気分のまま仕事ができた。

 

 

先生と呼ばれて 03 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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