岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 157(父と子編)

2024年12月15日 12時47分37秒 | 闇シリーズ

2024/12/15 sun

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目の前には親父が倒れている。

前にも同じこのようなシーンを見た。

お互いいい年をしてからの親子喧嘩。

あれだけ鍛えてきて肉体。

前より落ちたとはいえ、まだまだ一般人離れしている俺と、ただ好きなように遊び呆けてきた親父。

誰がどう見ても、どっちが勝つかなんて一目瞭然だろう。

生まれてから様々な事を知り、あれだけ憎いと思った親父には、拳で一度も殴った事がない。

殴ったら、これまでの憎悪から勢いで殺してしまう。

ずっとそう思っていた。

倒れている親父の姿を見て、以前の事を思い出していた。

もう加藤皐月もいない。

戸籍上、籍だけ入っているが、それはあの女がその後の金の為だけに入れているだけ。

自分だけは金をつかみ、長生きするつもりなのだろう。

親父は実印まで管理され、自分自身で銀行の金をおろす事すらできないのだ。

俺が南大塚の支店の土地の売買の話をまとめて登記などを済ませた金。

四千万円の金を加藤皐月は親父と一緒に家の仕事で使ったような顔をしているが、結局三年間で残り四百万になっていた。

その中で親父が使った金など、たかが知れている。

いくら毎日酒を飲むと言っても、金を遣うには限界がある。

その辺は歌舞伎町時代、金をしこたま稼ぎ、散々毎日のように無駄遣いをしてきた俺は分かるのだ。

キャバクラで毎日のように散財したって、毎日十万円の金などなかなか遣えるものではない。

そんな事をしていたら、身体のほうが先にパンクしてしまうだろう。

俺の全日本プロレス時代の師匠、誰もが知るジャンボ鶴田さん。

あの人はいつだって暴飲暴食だった。

内臓疾患を現役時代に患い、一戦から退いてしまった。

あんな化け物のような人でさえそうなのだ。

一般人が酒を煽るという行為。

そんなんで三年間で四千万円など消えやしまい。

うまい具合に加藤皐月が何回かに分けて他に移したのだろう。

俺が本腰を入れようと、加藤皐月の義理の息子の大室に確認したところ、ここ三年間の売り上げは、こんな不景気なご時勢なのにまるで落ちていない。

おじいちゃんが一代で築き上げ、たくさんの職人さんたちに支えられ、一店舗一店舗と支店を増やしてきた努力の賜物だろう。

なのでたった三年間で四千万という金がほぼ無くなったという理由は、加藤皐月の使い込みとしか考えようがないのだ。

天皇陛下から勲五等瑞宝章という勲章をもらったおじいちゃん。

俺にとっての自慢の祖父である。

そんなおじいちゃんの失敗は、二つ。

一つは親父を甘やかし、世間に出すと何をされるか分からないと、いつだってフォローしてしまった事。

もう一つは伯母さんのピーちゃんを嫁に出してやらなかった事。

いや、そんな事を思う資格など俺ら三兄弟にはない。

だってお袋が家を出て行き、俺が小学校二年生。

徹也は幼稚園の年長。

一番下の弟の貴彦なんて、幼稚園にすら行けない年だったのだ。

そんな残された俺ら三兄弟を一生懸命育ててくれたピーちゃん。

自分の婚期など気にする余裕などなかったのだろう。

おじいちゃんは政治家たちの選挙会長に駆り出され、クリーニング組合名誉理事。

そして交通安全協会の会長としても活躍。

さらに商店街の会長として動かなきゃいけない立場だった為、俺ら三兄弟を直に面倒みるなんて、多忙過ぎて無理だったのだ。

おばあちゃんは昔から病弱で、俺が知っているだけでも三回ぐらい入院生活を送っていた。

親父は外で遊び呆け、お袋は好き勝手に出て行った。

だからピーちゃんしかいなかったのだ。

俺たちを育てられるのは……。

自分の少ない給料から、毎週日曜日になるといつも俺たち三兄弟をファミリーレストランに連れていってくれた。

「ハンバーグとクリームソーダがいい!」とはしゃぐ俺に、ピーちゃんはいつも「食べ物だけにしな。クリームソーダはお腹いっぱいにならないから」と寂しそうに言った。

多分、飲み物まで出す余裕がなかったのだ。

そんな心理まで考えられなかった俺は、ピーちゃんってケチだなって幼い頃ずっと思っていた。

本当に馬鹿だった。

ご飯のお代わりは好きなだけさせてくれた。

成長期の俺たちに必要なものだけは無理をしてでも食べさせたかったのだろう。

俺は十九歳の頃、そんなピーちゃんと口論になり、無意識の内殴ってしまい、アゴの骨を折ってしまった。

何という馬鹿な事をしてしまったのだろうか?

あの時、ピーちゃんはどんな想いで立ち上がり、膝をガクガクに揺らしながら俺に向かってきたのだろうか?

俺は本当に業が深い。

生きている事自体が罪なのだ。

でも死ぬ事すらできない。

自殺が偉いと思っている訳じゃない。

どんなに苦しくたって生き抜く。

それが一番死ぬよりも辛い事なのだ。

動物という視野で考えると、親は絶対に子供に餌を与え、育てていく。

しかし、年老いた親に餌を与える子供はいない。

そんな事をするのは人間だけなのだ。

何故、俺たちは人間として生まれ、年老いた親の面倒まで見ようとする習性があるのだろう?

周りを見渡せば本当に何年経っても仲良しの親子なんてたくさんいる。

生まれた時から愛情というものを注ぐ親。

それを未だ覚えている子供。

だから仲良くいられるのかもしれない。

では、俺の家はどうか?

愛情なんて注がれなかった。

片方の親だけならまだいい。

お袋は操り人形のように扱い、自分自身いっぱいいっぱいになると捨てていった。

親父は愛情というものはあったかもしれないが、責任感というものが欠如していた。

両親共にすべて自分自身だけの為に生きていた。

そしてもう一人の戸籍上の母親になってしまった加藤皐月。

いつの間にか籍を入れていて、それに気付くまで五年間。

世界で一番嫌な女が戸籍上とはいえ、俺の母親になっていたのだ。

想定した以上、本当に汚い女だった。

おじいちゃんの家に住む俺や伯母さんのピーちゃんを回り近所に「まったくパラサイトが二人もいて、それの面倒を見るようだから大変よ」と言いふらし回っていた。

実際面倒など何一つ見てもらっていないが、加藤皐月はそういう事を平気で人に言いふらす。

頭の中は金の事しかないくせに、綺麗事を言って妙に自分を取り繕っている。

気付けば家に棲みついた物の怪。

親父以外、誰一人も歓迎などしない。

俺が高校時代に人妻三人で乗り込んできた事実。

親父が逃げ回っているのに、家の近くで毎日ようにストーカー行為を繰り返していた事。

ジャンボ鶴田師匠が亡くなったあと、俺が総合格闘技の試合前夜、家へ勝手に上がり込み、大騒動まで巻き起こした。

長年働いてきた職人さんたちに、「新しい社長の言う事が利けなければ辞めればいいのよ。金を出せばいくらだって人は雇えるから」と言い放ち、たくさんの人が辞め、それぞれの人生を狂わせた。

家業に入り込み、安定しているはずの店の金を徐々に抜いていった。

そんな女を誰が歓迎するだろうか?

加藤皐月自身は誰の前でも「私はお父さんに入れと頼まれた」と堂々と言っていた。

俺の前でも誰の前でも同じ事を言い続けた。

普段温厚なおじいちゃんが「私はそんな事はひと言も言った覚えがない」と強い口調で言っても、加藤皐月は「あーら、年を取るってやーねー、自分で言った事を忘れるなんて」と平気で惚けた。

何度この女を殺したいと思った事だろう?

弟の徹也は血の気が多く、当時いつも突っ掛かっていった。

そんな徹也に対し、加藤皐月は当たり前のような顔をして、家の電話を勝手に使い百十番した。

俺が受話器を奪い、電話機へ叩き付けるまで、涼しい顔をして座っていた。

親父より七歳も年上の物の怪。

俺が高校生の頃はあれだけ逃げ回っていたはずなのに……。

何故親父は、あんな女に捕まってしまったのだろう?

昔から近所の人々にちやほやされ『智さん』と親しまれ、大勢の仲間の笑顔に囲まれて育った親父。

俳優みたい。

あんな人がお父さんだったら幸せ。

そんな台詞を嫌というほど聞いて、俺は育った。

家の中と外の違い。

みんな、人間てものを見る目が何もないんだなと幼い頃から理解していた。

でも近所の人々を責めるつもりはない。

だって子供の養育費など何も気にせず、家から金を盗み、その金でみんなにご馳走を振舞っていたなんて、誰が分かるのか。

もし俺が親父と他人だったら、本当にこの人はいい人だなんて思っていただろう。

今、その答えが分かった。

親父はずっと孤独で寂しかったのだ。

自分でもどうしていいか分からず、無駄な事ばかりして、現実逃避していたのだ。

子供からも親からも、そして妹であるピーちゃんからもいつだって白い目で見られ、家の中でずっと疎外感を覚えていたのかもしれない。

あんな女とはいえ、常に親父の味方だけはしていた。

それが嬉しかったんじゃないか?

親父の人格や性格というものを知り尽くし、加藤皐月は自分の立てた計画に沿って、じわりじわりと家に入り込んだ。

そして二千十年二月六日……。

高校時代の榊先生に招かれ、いつも世話になり、先生の奥さんの手料理をご馳走になっていた俺は、自分で料理を作っていくと約束した。

前回といっても一年半近く前になるが、俺がご馳走を作って持っていくと、娘の由香ちゃんは大喜びした。

先生の奥さんの手をわずらわせたくなかった。

だから今回も俺が作ろうと思ったのだ。

前日からカレーを作り始める。

明日の夕方には行くようなので、今から作り、煮込んでおいしいものを食べさせたかったのだ。

本当は今執筆中の『鬼畜道 ~天使の羽を持つ子~』に専念したいが、約束は約束だ。

俺は由香ちゃんの喜ぶ顔が見たい。

買い物から始まり、十品以上の料理を作ろうとカゴの中へ野菜や肉などを入れていく。

ジャガイモの皮を剥くのは面倒で嫌だったけど、手間を掛けて作るから料理はうまくなる。

ニンジンを刻み、バターを引いて炒める。

弱火にしておき、俺はジャガイモの皮を剥いて適度な大きさに切っていく。

次にタマネギを切り、飴色になるまで炒めてから味付けをする。

ソーセージを縦に切り、一緒に炒め、インゲンも投入。

ヨーグルトを入れ、トマトホルダーの缶詰を開けて中に入れ、固形のコンソメを溶かしてよく混ぜ合わせた。

水の分量など気にせず鍋の三分の二ぐらいまで入れて、あとは強火でグツグツと煮込む。

常にオタマで鍋の底をかき回すようにしていれば、強火でも焦げつく事はない。

二時間ほどその状態でカレーを煮込んだ。

水分が蒸発し、鍋の分量がいつの間にか減っている。

また俺は水を付け足し、同じように手間を掛けて煮込む。

四時間ほどそうした作業をして、カレーはいい感じの匂いを出す。

弱火にしてそのまま煮込み続ける。

その間、俺はフライパンに小麦粉を入れ、軽く炒め、バターをたっぷりと入れて溶かす。

よく混ぜ合わせペースト状にしてから牛乳を少しずつ注いでいく。

ホワイトソースを作ると、挽肉を練ってハンバーグを作った。

アルミホイルに入れ、あとはオーブンで焼くだけ。

ホワイトソースハンバーグの完成だ。

俺は部屋から漫画本を数冊持ってきて、弱火でカレーを煮込みながら時間を潰した。

そこへ親父が酔って帰ってくる。

「無駄な電気を使うな」

そう言いながら火も消し、電気も消す。

「おい、おまえ、いい加減にしろよ? 毎日のように飲み歩き、帰っちゃ誰かに当たりやがってよ」

「偉そうな口を叩きやがって、何もできねえクズ野郎が」

俺は本気で親父に変わってほしかった。

だから以前、平手で何度も叩いたのだ。

それでもまったく変わってくれなかった親父。

自分の親に手を出すなんて、加減しても本当は嫌だった。

だからいつも親父がピーちゃんを理不尽に殴っても、力づくで押さえつける事しかできなかったのだ。

騒ぎを聞き、駆けつけたおじいちゃん。

俺は簡単に事情を説明した。

そしておじいちゃんは親父に対し、「いい加減にしろ、智っ!」と怒った。

そんなおじいちゃんに対し、親父は倒れながらも蹴りを入れようとした。

九十二歳のおじいちゃんにである。

その瞬間何かが弾け、生まれて初めて俺は親父の横っ面を叩いていた。

あまりに聞き分けのない親父を、この右の手の平で何度も叩いた。

「おじいちゃん、危ないから離れて。お願いだから」

おじいちゃんは寂しそうな顔をして、自分の部屋へ戻った。

心の底から「頼むからこの家から出て行ってくれ」と何度も叫んでいた。

「ああ、いつでも出て行ってやらー」と酒の勢いも手伝いそう応えた親父。

「じゃあ、紙に書けっ! おまえの言う事は何もあてにならない」

「いつだって同じ事を言ってやる。それより殺せ。殺してみろ!」

ずっとこの繰り返しだった。

どうして俺が親を殺せるのだろうか?

いくら言っても分からない。

どれだけの人間に、これまで迷惑を掛けてきたのか。

それを分かってほしかったのだ。

本気になって家のトラブルに首をつっ込んだ。

「兄貴はさ、いつだって自分の事だけじゃねえか。たまには家族の事を気に掛けろよ」

歌舞伎町時代が終わりサラリーマンという普通の生き方をしようとする俺に、弟の徹也は言った。

その言葉は心に突き刺さった。

確かに俺は、ずっと目を背けていた。

「ほら、どうした、この出来損ないが! おまえなんぞ、何一つできないだろうが!」

無言で親父の頬を平手でまた叩いた。

拳で殴った訳じゃない。

手の平でも加減をしている。

それ以上強く叩く事など俺にはできなかった。

「おまえみたいなクズはな、いいか? 世間様に笑われているぞ」

止まる事のない親父の減らず口。

「お願いだから、もう家から出て行ってくれ……」

「おう、出て行ってやるって言ってんだろっ!」

埒のあかない展開。

俺は伯母さんのピーちゃんに電話を掛け、親父が言った言質を証拠にしたかった。

「あ、ピーちゃん? 今どこにいるの?」

「三階にいるよ。自分の部屋」

「今、ちょっと下に降りてきて」

「何で?」

「親父の馬鹿がさ、またどうしょうもないから、俺、今日は初めて引っ叩いたんだ。それで出て行ってくれって言ったら、『おう、出て行ってやらー』って。だから下に来て」

「嫌だよ…。私が行くと、お兄さんは私に絶対に当たるから」

「だからさ! もうそういう事じゃなくて!」

「徹也や貴彦に電話しなよ。私は行かないよ」

そこで電話を切られてしまった。

自分が殴られている時は、俺でさえ助けを呼ぶくせに、逆の立場だと素知らぬふりをする。

「おい、キサマ! この役立たずが!」

親父は俺が膝で抑えているので、地面に倒れたまま身体を動かせない。

こんな事に柔術の技を使うなんてな……。

そんな状態なのに、まだ怒鳴りつけている。

徹也に電話をした。

この状況の中、俺と親父の二人でいるのが本当に嫌だった。

でも逃げ出せない。

だから誰かに来て欲しかった。

惨めに倒れ、俺に押さえつけられる親父を見て「やめろ、兄貴」と言って欲しかったのかもしれない……。

「兄貴、どうしたの?」

俺は事情を簡単に話し、すぐ来るように言った。

「無理だよ。今、お客さんが来ているし。落ち着いたら顔出すからさ」

徹也は自分の仕事がそんなに大事なのか?

俺が真面目に表社会でサラリーマンとして働いている時、構わず家の騒動には巻き込んだくせに……。

最近いつだって自分の仕事の事と金の事しか言わなくなった。

そんなにベンツを乗り回すのが楽しいのか?

簡単に一億円稼げば家を変えられるなんて抜かしていた。

金なんかじゃ、人間は変わらないのに……。

その時、誰も本気で親父を変えようという家族がいない事に気がついた。

俺は放心状態のようになり、親父を起こしていた。

「けっ、このクズが! 親に手など上げやがって!」

「おまえが親? ふざけるなっ!」

「よくもそんな台詞が言えたな?」

「ああ、ハッキリ言ってやる! おまえは親なんかじゃない。ただお袋に精子をぶっ放しただけの男だっ!」

「覚えてろ? キサマ…。俺にどれだけの知り合いがいると思っている?」

「じゃあ、たった今すぐ連れてこい。誰だっていいぞ? ヤクザか? それとも政治家か? こんな時によ。おまえの味方する奴なんて、俺がこの拳で全部砕いてやる」

「ふざけんな。全日本プロレスも務まらない中途半端なおまえに何ができる?」

親父は鼻で俺を見て笑った。

「確かに俺は中途半端だ。ただ、こんな状況でこの場に駆けつけおまえの味方をするような腐った人間は、絶対に俺はぶっ飛ばす。どんな奴でもだ」

「じゃあ、朝青龍でも呼ぶか? 俺はこの間あいつと一緒に飲んだんだ」

「だったら連れて来い! 本当に来るなら誰だってやってやる! 俺の強さはな、こういう時の強さだっ!」

「は、笑わせんじゃねえ」

「笑って誤魔化すな。家の金が今、あといくらあるのか知ってんのか?」

家のみんなが言っていた。

親父は加藤皐月にうまく操られていて、家にいくら金がとか一切興味がないと。

「知らねえな、そんな事。だいたいおまえに何の関係がある?」

「もう十分の一。たった四百万しか残っていないんだぞ?」

「だから何だ」

「現状を分かってんのか? あんな年増に好き勝手やられてよう。そんなんでいいのかよ? おじいちゃんがずっと苦労して一から築いた店なんだぞ?」

「おまえが安く売ったんだ」

この後に及んでまだ支店との土地騒動を憎む親父。

「使ったのはおまえらだろうがっ!」

「オメーが売った」

何でこんなに俺の親父は馬鹿なんだろう。

何故何も聞く耳を持ってくれないのだろう。

「それに従業員の伊藤さん。あの人に強制解雇の金、給料の一か月分から三か月分だって、何も渡していねえじゃねえか?」

「何だ、おまえはあんな女とつるんでいるのか?」

「ふざけるなっ! あの人はこの家をずっと心配して、おまえらが好き勝手やってても、残業代だってもらわず請求もせず、ずっと必死に働いてきたんじゃねえか」

「偉そうに抜かすな」

「毎日飲みに行く金あるならよ? 何故伊藤さんに残業代を払ってやらない?」

「大きなお世話だ」

「あの人は俺が整体を開業した時、なけなしの金なのに一万円も包んでくれた」

「一万なら俺だってやったろうが」

「加藤皐月がだろ? あんな金よ。袋ごと破って捨ててやったよ。それが俺の意地だ」

「この馬鹿が。おまえが何をできる?」

「リングの上で戦えば金をもらえる。小説を書ける。患者を治せる。カクテルを作れる」

「ふん、笑わせてくれる」

親父はテーブルの上にあった漫画を手に取り、呆れた顔で口を開いた。

「いい年こいて漫画なんて読みやがって。このクズが」

「俺が何をしてようと、おまえには関係ねえ」

「いいか? こうやってどんな内容であれ、本にした人間は偉いんだ」

「じゃあ、俺も偉いんだな? 俺だって『新宿クレッシェンド』を本にしている」

「ふざけるな、出来損ないが」

「いい加減さ…、自分の馬鹿さ加減に気付けよ?」

「ふざけんな」

親父はそのまま居間を出て行った。

完全な水と油。

俺は自分の部屋に戻り、小説フォルダーの中から『鬼畜道 ~天使の羽を持つ子~』を起動する。

キーボードを叩く手が止まる。

グーで殴った訳じゃないのに手が痛かった。

初めて親父を叩く。

本当に嫌な感触だった。

一発叩く度、心がズタズタに切り裂かれるような想いだった。

何で分かってくれないのだろう……。

視界が滲み、小説を書けない。

俺はインターネットを立ち上げ、

最近知り合ったしほさんのメールを眺める。

彼女は下読みをしていたという経歴の持ち主で、とある賞の選考委員をした事もあるそうだ。

ただ感想を言ってくる読者と違い、彼女の意見は常に的確で俺が唸るしかない。

最初の取っ掛かりの作品は『かれーらいす』。

俺が過去パクられた巣鴨警察の留置所の話の短編である。

しほさんはこの作品をとても不思議がっていた。

それから俺の作品に興味を持ったようである。

自信を持って書いた『忌み嫌われし子』を見せた。

最初は面白いと言ってくれた。

俺は得意げに『江戸川乱歩賞』にこれを応募したらどうかと尋ねた。

いい返事がもらえると思っていたのだ。

しかし彼女の意見は違った。

一次選考すら通らないと言われた。

作品自体、設定の甘さ、ちょっとしたケアレスミス。

様々な点をこれでもかとつっ込まれる。

素晴らしいと感じた。

この人なら俺の小説家としての能力をきっと伸ばしてくれるだろう。

回想に浸っている場合じゃない。

料理を榊先生の家へ作って持っていく約束をしただろ……。

悲しむ余裕あるなら…、メール読んでる暇あるなら料理の続きをしなきゃ。

自流の流れに沿って……。

 

二日間で調理に掛けた十二時間。

手間暇惜しまず途中で中断があったものの、ようやく完成する。

俺はミクシィの記事では、できるだけ明るく書くよう努めた。

前の記事では、末尾に変な事をちょっと入れてしまったからなあ……。

感情を小説以外に漏らすなよ。

自分自身へ必死に言い聞かせる。

 


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二千十年二月七日原稿用紙三千二百六十枚。

二千十年二月八日原稿用紙三千三百五十枚。

今日は高校時代の恩師に招かれ、お邪魔する事に。

毎回恒例なんですが。

今回は私が料理を作りますと約束したので、頑張ってみました。

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これが二日間で12時間掛けて作ったパーティー料理

【御献立】

・ミートローフ

・ホワイトソースハンバーグ

・最強唐揚げ

・エキゾチックナポリタン

・スパゲッティーJAPAN

・いんげんの金ゴマ和風味

・コーンの甘煮

・ポテトサラダ

・カレー

・ポテトフライ

・カレー風味のポテト

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先生宅より見える夜景。

実はこの写真、撮ったのは二回目。

何故かと言うと……。

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これは同時刻に撮ったものですが、何故か俺が写真を撮ると、たまにこうした不思議な光が写るんですよね……。

デジカメの小さな画面で見ても分かるぐらいだったので、撮り直した訳です。

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カレー風味のポテト

 

【ミートローフ作り方】

ミートローフとは本来アメリカの田舎料理です。

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豚八:牛二の割合でタマネギを微塵切りにして、キャベツ、小麦粉、パン粉、塩コショウ、ナツメグ、醤油、卵、パセリ、オレガノ、ローズマリーなどを混ぜ合わせる。

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ソースはピカントソースを作ります。

作り方は簡単。

ケチャップ、粉辛子、ナツメグ、砂糖を混ぜ合わせ煮詰めるだけ。

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あとは形をとった肉にソースをまんべんなく塗り……。

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アルミホイルで包みましょう。

千ワットオーブンで三十分間焼きます。

※そのあとで二百五十ワットのオーブンで五十分間じっくり焼きます。

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焼き上がると、このように肉汁が大量に出ますので……。

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今度はエキゾチックナポリタンを使う際の隠し味として投入します。

コンソメを溶かしたものも加え、ケチャップで味付け。

 

【最強唐揚げの作り方】

※歯の悪い人でも食べられるようにと開発しました。

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鶏のささみ肉を用意します。

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包丁で叩き、挽肉状態にしましょう。

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今回はキャベツと、モヤシを加え、味付けして混ぜ合わせます。

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そのまま素揚げします。

 

十二時間掛けて作っただけあり、榊先生家族は大喜びしてくれた。

家だと、誰も俺の作った料理食べてくれないもんな……。

榊先生は昔から俺に対し、一家団欒の温かい家庭を見せつけてくる。

「おまえもこういうの見たら、結婚したくなるだろ?」

理想的な家庭が、目の前にあった。

素直に羨ましい。

しかし俺は業が深い。

このような家庭を築く資格などまったく無いのだ。

先生以外女性家族なので、必然的にタバコはベランダへ出て吸う。

由香ちゃんや真由ちゃんは、昔から外で煙を吐き出す俺を見てキャッキャと笑う。

二十歳や高校生になっても、その様子は昔と変わらない。

昨夜は地獄の中にいたような錯覚。

そしてとてつもない孤独感さえ覚えた。

約束をしていたから気持ちを切り替え、ここへ来た。

だが先生の家族は、俺の心を修羅の境界から温かい世界へ連れ出してくれたのだ。

目の前にある理想。

家に帰れば地獄。

まったく絵に描いたような反比例。

自流の流れに沿って……。

そっか、先生からのあのタイミングでの電話。

俺は必然的に導かれて、癒されにここへ来たのか。

十数階のマンションからの景色。

奇麗なので写真を撮ってみる。

ん?

何だ、これ……。

白い膜のようなものが無数に写っていた。

もう一度同じ角度から撮り直す。

うん、今度はちゃんと撮れた。

俺が写真撮ると、何故か白い膜のようなものがよく写る。

家に帰り、パソコンを開く。

しほさんからメールが届いている。

 


しほちゃん

「プロの作家さんに自分の好き勝手な感想を書いてファンレターを送る読者」。

たぶんトモさんが売れっ子作家さんになって読者からファンレターが届いたら、み~んなこんなもんです。

自分の面白いと思ったところとか、今度はこんな話を書いてほしいとか。

自分で苦労して作品を作ってないからこそ、好き勝手言えるだけなんです。

私に同じものを書けって言われたら「勘弁して下さい」って泣いてあやまりますよ?

誰にも真似できないから、才能って言うんです。

私にはそんなえらそうなもんな何一つないです。

ただ、トモさんの作品が面白くて、夢中で読んでるだけ。

だからくれるとしたら、ファン1号の称号を下さいね。

もうファンはいっぱいいるか。

トモさんが世に出た時に「売れると思ってたのよね~っ」ってみんなに自慢するのが密かな野望です。

トモさんの作風って私が思うに純文学だと思うんですよね。

夏目漱石とか太宰治とかを読んだ時に近い感覚があります。

人間の深いところの慟哭、渇望 。

鬼畜道って虐待とか…、そういうのを超えて、一人の人間の慟哭、渇望、葛藤、そんな言葉がぴったりの作品だと思いませんか?

一人の男の生き様ですね。

格闘技今までまったく興味なくてというか、痛そうで、とても見ていられなくて。

見てるだけで泣きそうになっちゃうんです。

でもトモさんが格闘技に打ち込んでトレーニングしてる姿を読んで、みんなこんなに死ぬほどの思いして戦ってるんだ!

…ってすごく感動しました。

今度見てみよう!って思ったぐらいに。

目をそらさないで、真剣に戦ってる姿に感動したほうが戦ってる人にとっては喜びなんですね。

痛いからもうやめて!って言ってしまう私は、男心がわからないんだなあ。

…としみじみ思ったりしました。

ワンシーンワンシーンにすごーく感想があるんですよー。 


 

俺の作風が純文学?

『新宿クレッシェンド』を出した出版社のサイマリンガルが「この作品て何のジャンルになるんだろう?」と首を傾げ、書いた俺自身さえ何のジャンルになるのか分かっていなかった。

これが純文学になるのか?

夏目漱石に太宰治?

俺でも知っている文豪。

それに近い?

さすがにお世辞にも程がある。

俺のモチベーションを彼女は上げる意味合いで、そう言ってくれたのだろう。

気持ちはありがたいが、持ち上げ過ぎだと返信する。

このまま小説は書き続けるさ、何があっても……。

ただ目の前に置かれた状況が色々山積み過ぎる。

加藤皐月が家を出て行ったのは、一時的な話らしい。

月に一回はここへ戻ってくるようだ。

親父の暴走ぶりも酷くなっている。

好き勝手に生きているはずなのに酒を飲んで帰ってくると、居間にいる叔母さんのピーちゃんに対し怒鳴りつける毎日。

言い返すようなものなら、また暴力が始まる。

どうすればいいのか?

考えるだけでうんざりした。

俺自身の仕事もどうするべきなのか。

家を継ぐ?

こんな状態で?

俺と親父、数名の職人でうまくやっていけるのか?

でも家から近くにいないと、おじいちゃんが心配だ。

加藤皐月が完全に切れた訳ではないのだ。

ピーちゃんと養子縁組をして弟じゃなくなった貴彦は信用できない。

徹也も調子がいいだけ。

先日徹也から言われた事を思い出す。

「兄貴は何で貴彦に、あそこまで怒っているんだよ?」

「当たり前だろ! 内緒で養子縁組して、挙句の果てに追及したら白を切ったんだぜ? これで頭来ないほうがおかしいだろ」

「そんな事ぐらいで兄貴もいちいち怒るなよ」

内緒で養子縁組をして兄弟じゃ無くなった事が、そんな事か……。

おそらく徹也も何か一枚嚙んでいるのか。

俺はこのやり取りで、徹也も信用できなくなった。

一階へ降りる。

居間では叔母さんのピーちゃんがテレビを見て寛いでいた。

いつもの光景。

だがこの人は俺には内緒で、弟の貴彦と養子縁組をした。

俺の姿に気付くと「おまえもいい加減プラプラしていないで、とっとと働け」と言ってくる。

別に迷惑など掛けていない。

今はKDDIを辞めたあとの休業補償で、生活をしているだけだ。

あの会社で習った事の一つにパラランゲージというものがある。

分かり易い例えだと、「はい」という一つの返事取っても、気怠そうに「はい…」と答えるのと元気に小気味よく「はい!」と言うのでは、大きな開きがあるというもの。

それはその通りだ。

人間は感情の生き物である。

同じ事を相手に伝えるにしても、言い方一つでいくらでも争いに発展してしまう。

ピーちゃんは相手を思いやる気持ちがほとんど無い人だ。

何度諭したところで「言い方など関係無い」と一言で済ましてしまう。

俺がピーちゃんに何を話したところで、また喧嘩腰の答えが返ってくるだけ。

「別にプラプラなどしていない。あんたこそ、毎日働きもしないでプールへ行って、この時間になると居間で寛いでテレビ見ているだけじゃねえか。自分のしている事を振り返って少しは考えてから、話をしたほうがいいと思うよ」

冷静に言った。

「ふざけんな! おまえなんかと一緒にするな。私は……」

何かの逆鱗に触れたのだろう。

劣化の如く怒りだす叔母さん。

俺は無視して階段を上がり、部屋へ戻った。

 

闇 158(三十八歳の私史実編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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