岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

6(真・進化するストーカー女編)

2019年08月01日 16時56分00秒 | 鬼畜道 各章&進化するストーカー女

 

 

5(真・進化するストーカー女編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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 城山観光ホテルをチェックアウトし、俺は「自分で空港まで行くから大丈夫」と作り笑顔で彼女に優しく言った。でも、俺の心を分かってくれないのか、何故か友香は強引に休みを取ってまで空港へ送ると言い出した。彼女はここまで車で来ているのだ。他に断る理由のない俺は、操り人形のように従順に従うほかなかった。
 自然に囲まれた景色を眺めながら、車を運転しながら彼女は妙に一人ではしゃいでいた。
「今さ…、都内にはない壮大な景色を心に刻んでいるんだ。少し静かにしててくれ」
 俺はそう静かに言った。
「わー、龍一ってロマンチストね~」と彼女は何故か喜んでいた。
 このクソ女。何がロマンチストじゃ。確かに俺はおとめ座だよ。たまに女から「わー、目だけおとめ座してる~」なんて意味不明の事を言われるよ。「神威さんって目だけ安達裕美みたいですね~」なんて抜かした『ワールド』の従業員の頭を強く叩いた事だってあるさ。でもさ、別にロマンチックに言ったんじゃねえよ、ボケ。表情にも声にも出さず、俺は心の中で張り叫んだ。
 向こうでやるせない毎日を送っていた俺は、自分がいかに不幸だったかを考えていた。でもさ、それってハッキリ言えば、ただの甘えだよな? 金だって同世代よりも稼ぎ、店内じゃ俺以上立場の人間だっていない。それって結構幸せな事じゃん。何でそれをあんな風にしかとらえられなかったのだろう。自分の好きで、キャバクラや風俗に行っていたんじゃねえか。好きで行くのに、何故あんな難しい事を考えていたのだろう。そもそも金を気にせず、ああいった場所へ行ける自体、普通のサラリーマンやっている奴なんかよりも全然幸せだよ、俺は……。
 うん、やっぱり俺はこう自然が広がるような場所なんかじゃなくて、人の欲望がギラギラと渦巻く歌舞伎町のほうが、居心地いいのかもしれない。しれないじゃなくて、きっとそうなんだよ。

 これまで本能的に女を口説き、たくさん抱いてきた。己の欲望に従って動いただけ。でも、それってやっぱりいけない事だと思った。歌舞伎町の住人は、いい女と知り合った事や、いい女を抱いた話題になると妙に興味を示す。彼らは人間の本質など何も理解などしていない。まあ偉そうにこんな事を考えている俺だって理解していない。
 だから今、こうなってんだろ……。
 大きな溜息をつきたかった。でも、そんな事したら、また隣にいる人が「どうしたの?」と色々聞いてくるだろう。だから溜息一つさえ俺は自由にできない。
 そういえば本当に道を普通に歩いている人がいないなあ。人口が少ないのかな?
 流れていく景色をボーっと眺めている内に一つの看板に目がとまる。
『ドライブスルー 温泉シャワー 百円』
 どこがだ? 関越の高速道路に乗った時のサービスエリアを思い出すが、まったくそれとは違うものだ。ドライブスルーなんて書いてあるけど、普通の民家じゃねえか。下に何か書いてあるな。
「ん、温泉シャワー? 何だ、そりゃ?」
「こっちは温泉がいっぱいあるんだよ」
「へえ」
「何よ、あんな看板をジッと見て。珍しいの?」
「あ、ああ……」
「じゃあ、ちょっと寄っていく?」
「そうだね」
 昨日の夜から何も食べていないのでお腹が減っていた。ドライブスルーにはうどんや焼きそばなどが売られている。何故か客は俺たち以外誰もいない。温泉シャワーも浴びてみたかったが、体を清めると何だかまたヤバい方向に行きそうなので、我慢する事にした。
 うどんを注文してテーブルに座る。何故か友香は目の前の席に座り、両肘をテーブルについて頬に手を当てていた。おいおい、そりゃないぜ、セニョリータ。頬の肉が圧力ですごい持ち上がっているぜ? でも俺はダンディズムだからそんな野暮な事なんていちいち指摘しないさ。そう、すべて心の中でしか呟けない……。
 そもそもセニョリータって何だっけ? 確かスペイン語だか、フランス語だか忘れたけど、結婚していない女性を指す言葉じゃなかったっけなあ。まあそんなもん、どうだっていいか。
 馬鹿な事を考えている内に、うどんが運ばれてくる。見てビックリした。つゆがほとんど透明なのだ。思い切り手抜きして作ったんじゃねえの、この店。
「どうしたの、龍一?」
「うどんの汁が黒くない」
「はあ? こっちのうどんてそういうもんだよ。食べてみたら? おいしいよ」
「昨日君に食べられたけど、すごい僕は後味が悪いよ」と、言い返したかったがやめておく。いつだって言いたい事をストレートに言え、常に堂々としていると思っていた。
 何でこんなに自分の思っている事が口に出せないのだろう。
 こんな声に出せないなんて、大和プロレスのプロテストに受かり、チョモランマ社長の前に連れて行かれたぐらいじゃないのか。
 じゃあ、これって緊張? 絶対に違うよ。緊張なんかじゃない。だってあの時は頭の中が本当に真っ白になったもん。
 じゃあ何だよ? 知るか、そんなもん……。

 再び鹿児島空港へ向かうべく無言のドライブが始まる。
 俺は窓を全開に開けて、小気味いい風邪を顔中に浴びるよう、ちょっとだけ顔を外へ出す。
「危ないよ、龍一」
 横で何か言っているが、耳にたくさんの風が注ぎよく聞こえない。
 空気も澄んでいる。食事も素材はおいしいのかもしれない。でも、ここは旅行に来る場所であり、俺の居場所ではない。
 今日はこのまま帰って仕事か……。
 どうせ航空券なんてまだ取っていないんだ。一刻も早く空港に着いて、少しでも早く居場所へ帰ろう。仕事直前まで風俗行って、ちょっと寝ていても一興かもしれない。
 そういえばこの女、何時間運転しているんだ? もう二時間以上も俺は車の中にいるぞ。
 確か鹿児島空港から城山観光ホテルまで、約三十分ちょいで到着したよな? いくら何でもこんな時間掛かる訳がねえ……。
「おい、空港にまだ着かないのか?」
「うーん、あとここからだと一時間ぐらい掛かっちゃうかな?」
「何でだよ? 昨日俺がタクシーで来た時は夜だったかもしれないけどさ、それでも三十分ちょいで行けたぞ?」
「だって……」
「何だよ?」
「好きな人とこうしてね。ずっとドライブするのって、私の夢だったんだあ」
 こいつ…、その平和ボケした横っ面に、渾身の一撃をお見舞いしてやろうか? 何で俺がそんな夢の為に、こうしてつき合わせられないといけないのだ。
「あのさ…、俺はこれからあっちに戻ったら次の日とかじゃなくて、すぐ仕事な訳ね? その辺とか考えている?」
「だって龍一、夕方ぐらいにこっち出ればいいやって昨日言っていたじゃない」
 口は災いの元。昔の人って本当に心理をついたことわざを考えたものだ。
「そうだけどさ…。でも、やっぱ客商売だし、ちょっと早く戻って軽く睡眠とっておいたほうがいいなあって思ったんだ」
「寂しいなあ……」
 口を尖らせる友香。まるで可愛くない。
「バーテンダーって、人に見られる商売でもあるだろ? それに俺はその店の頭だ。やつれた顔なんかで仕事などできないだろう」
 うん、我ながら話していて素晴らしいいい訳だと感じる。ゲーム屋をラウンジに置き換えているだけの事だが、頭な事は事実だ。嘘にリアルさを追求すれば、すべてが真実に映る。
「龍一って責任感あるんだね」
 テメーも少しは持てよ。夜中に酔って二十回も電話なぞしやがって……。
「それよりあとどのぐらい空港まで掛かりそうなんだ?」
「だから一時間ぐらいだって」
「……」
 イライラするなよ? 変に焦らせて事故にでも遭ったらどうする。
 ポジティブに…。いい方向に考えようじゃないか。
 あと一時間で俺は解放されるのだ。

 ようやく鹿児島空港へ到着する。
 永かった……。
 確か『北斗の拳』の主人公ケンシロウも、宿敵であり義兄でもあるラオウに、こんな漢字を使って言ったよな。俺は今、彼の心境がとっても分かる。長いじゃなく、永い。誰もこんな心理など分からぬだろう。きっとこれは、俺とケンシロウだけの言葉なのだ。
「もう…、帰っちゃうんだね……」
「あ、ああ……」
「寂しいよ……」
「仕方ない。あの街が俺を必要としている」
 何か俺、すごい格好いい台詞を言っていないか? 必要以上に気取るな。
「おみやげとかは買わなくていいの?」
「いい。今回お忍びで来たし、誰にも言ってないから」
 島根の野郎。みんなに言いふらしてないだろうか? もし言いふらしていたら、どうしてくれようか。いつもマクドナルドのポテトばっか食いやがってよう……。
 いや、彼はまるで無関係だろ? 俺が図に乗って勝手に電話をしただけじゃねえか。人のせいにするな。これは自分で撒いた種なのだ。
「へー、そうなんだ」
「だからおみやげなど必要ないだろ」
 俺はチケットを取りに行く。
「……」
 運が悪いとはこういう事を言うのだろう。次の羽田空港行きは、あと一時間半も待つようだった。
「すみません。もうちょっと早い便ないでしょうか? 私、これから仕事で戻るようなんですよ。結構急ぎの用でして……」
「申し訳ございませんが、どうしても次の便が一番早いものになります。ご了承下さいませんか?」
「分かりました…。じゃあ、それを下さい……」
 俺の背後には友香がいる。あやつもこのやり取りを耳にしているのだ。きっと彼女は一時間半、俺と一緒に待つ事を選択するに違いない。
『ワールド』にたまに来る客むつきを思い出した。彼女の体は少し太目かと思っていたが、今思えばあれは肉付きがとてもいいのだ。ああいう女を抱けば良かった。
 あの時彼女は本気にしてもいいかと聞いた。答えられなかった俺。そして友香と文江の着信だかメールだか忘れたけど、こいつらに邪魔をされた。
 もし、俺が「本気にしろ」と言ったらどうなっていたのか? むつきと俺は結ばれ、裕美にふられる事もなかった。そしてここにいる事なんて絶対になかった……。
「良かったあー。あと一時間半も、龍一とこうやって一緒にいられるんだね」
「あ、そうだね……」
「どうしたの? 元気ないみたいだけど?」
「考えてみなよ? 昨日からこっちに来てさ、あまり睡眠も取ってないし、ずっと毎日のように仕事だったろ。疲れが出てきたのかもな」
「もう一泊してこっちにいようよ」
「あのさ、俺は店の店長な訳ね? そんな事が簡単に許される立場だと思う?」
「うーん、そうだね……」
「あと一時間半で俺は歌舞伎町へ戻る為、飛行機に乗る。仕方ないだろう」
「寂しいなあ…。でもね私、龍一とこうやって直に逢えて本当に幸せだよ」
「……」
 おまえはそうだろうな。だって俺は自分を一切偽っていなかったもん。ありのままで俺は接したつもりだ。
 でも、おまえは違う。性格とか声とかそういったもんは、確かにその通りだったよ。でもさ、あの写真と実物がどれぐらい違うのか、それぐらい本当は気付いているんだろう?
「ねえねえ、あそこのレストランで食事しようよ。龍一、さっきうどんしか食べていないでしょ。お腹減ったんじゃない?」
 おまえこそ、さっきうどんと焼きそばを二人前食べといて、まだ食うのかよ?
 もう何でもいいや。どうせあと一時間半は身柄を拘束されているんだ。
「そうだね。じゃあ、行こうか」
 レストランへ向かうまでの短い距離の中、友香は歩きながら俺の手を握ってくる。まあいいか。ここには俺を知っている知り合いなど、一人もいないんだから……。

 目の前にステーキとハンバーグのコラボが置かれる。つけ合わせのものは、フライドポテトにホウレン草のソテー。それにミックスベジタブル。あと甘く煮詰めたニンジン。彩りもさる事ながら素晴らしいのひと言である。
 その左横にはおいしそうな湯気を出すミートソースが並ぶ。
 うん、これってかなり男の王道だよな。人間、男はみな、肉食であるべきなのだ。
 そしてエレガントさを醸しだすようなメロンソーダが、王道料理の右横で申し訳なさそうにちょこんと立っている。ホウレン草とはまた違う緑色の飲み物。うん、君だってとても素敵だよ。昔っから君には首ったけだ。アイスなんか入れて、クリームソーダなんかになっちゃいけない。君の綺麗な緑が汚れるような気がしたんだ。俺っておかしいかい?
「……」
 馬鹿か、俺は……。
 何を食べ物や飲み物相手に現実逃避をしている。
 携帯電話を見て時間を確認した。あと一時間五分もまだあるのか……。
 向かい側では俺の注文した品に負けないぐらいの量を頼んだ友香が、すごい勢いで食べている。うん、見ていて気持ち良さを感じるぐらいいい食べっぷりだ。
 何故、君は男に生まれなかったのかい? そっと心の中で呟いた。
「あれ、龍一、食べてないよ?」
「あ、いや…、食べているよ。食事はよく噛んで食べる事にしているんだ」
「さすがスポーツマンだね~」
 俺は無視してナイフを右手に持つ。左手にはフォーク。ゆっくりと肉の弾力をナイフの刃で確認しながらスッと切れ目を入れる。
 ホテルで学んだサーバーの技術。浅草ビューホテルの最上階にあるトップラウンジ『ベルヴェデール』。あそこのランチタイムはイタリア料理のブッフェスタイルをとっていた。俺は常にランチタイムになると、ブッフェ卓に入り、客にパスタや料理を取り分けるサービスに没頭していた。
 右手にスプーン、そしてその上にフォークを持つ。中指と人差し指、そして親指の三本でクルリと回転させる。コツは指先でなく指の腹といえばいいのだろうか? そこをうまく使い、サーバーを回すのだ。俺のやり方はアメリカンスタイルと呼ばれ、スプーンとフォークを箸のように使う際、柄の部分が斜めに交差する。器用にブッフェ卓に並ぶ料理をつかみ、客の持つお皿にそっと形よく乗せる。報酬は客の嬉しそうな笑顔だ。
「ねえ、私にも少しミートソースちょうだいよ」
 俺は黙ったまま、小皿を目の前に置き、左手にスプーン、右手にフォークを持ち替える。フォークでパスタの麺を軽く刺し、底につく前にクルクルと三本の指で右回りに回転させる。フォークに絡みついたパスタの近くへスプーンをそっと持っていく。軽くパスタをすくい上げるとスプーンの上に乗せ、また右回りに回す。その状態で小皿へ持っていき、静かに盛り付ける。パスタを立てるようにそっと置き、俺は右手にスプーン、その上にフォークの背を乗せた。
「わー、格好いい、龍一って……」
 しまった…。こんなところでホテル時代の技術を使ってどうするんだ? つい長年の癖でやってしまったが、逆に相手を喜ばせただけに過ぎない。
 俺って馬鹿だ。本当に大馬鹿だ。実感した。後悔した。思い切り悔やんだ。
 待てよ、だいたい悔やむと後悔って同じ意味じゃないのか? いやちょっと違うよ、多分。だって悔やむって失敗した事を残念がるでしょ。後悔って、ああすれば良かったと過去が取り戻せない事に気付くって…。もういいよ、そんな事は……。
 友香は「ズズ…」っと音を立てながら目の前でパスタを口に運ぶ。
 おいおい、そりゃあちょっとないんじゃないかい、セニョリータ……。

 タバコを吸いながら適当に相槌を打ち、合間にメロンソーダを胃袋へ流し込む。
 そうやって俺は、一時間近くの時間を優雅に過ごした。
 そろそろ時間か……。
 俺は会計を済ませ、無言のままレストランを出る。
「ご馳走さま~」
 うん、君は本当によく食ったね。おかげで財布の中が二十四時間経っていないのに、残り五万しか残っていないよ。昨日はここに十五万もあったんだぜ。
 素直に家でマスターベーションして大人しくしていれば、こんな無駄遣いなんてしなくても良かったんだぜ……。
 俺って馬鹿だなよな。いや、男って生き物自体、すべて悲しい生き物なんだろう。
「ねえ、龍一……」
「ん?」
「また、逢えるよね?」
 さてと、今日の本当の正念場だぞ? 気合いを入れろ。俺は心の中で「ちょいさー」と雄叫びを上げた。
「……。結構俺、仕事が忙しいからなあ……」
 俺と親父の違い…。異性にノーと言えるか、言えないか。悪い背中をずっと見てきたのだ。違いを見せるのが息子の役目なんじゃないだろうか。
「そんな寂しい事を言わないでよ」
「ん、ああ……」
 どうしたんだ? 何が「ああ」なんだ? 早く言えよ。自分の思っている事をいつものように口にすればいいじゃん。俺は直球しか投げられないなんて、いつだって異性の前じゃ格好つけていたじゃないか……。
「あとさ……」
「あ?」
「龍一…、もうちょっと痩せてくれないかな?」
「……」
 今、こいつ…、何を俺に言ったんだ?
 正気で言っているのか?
 悪いけど俺はリングの上に立ったって、かなり絶賛されるような格好いい肉体を保持しているぞ。別に、自分で自惚れている訳じゃない。
 俺の店『ワールド』に来るホモビデオを作っている社長。彼からは百万出すから出演してよと何度だって懇願された。もちろん断ったけど。
 前なんて、美大の女から、「一回でいいからヌードモデルになって」とお願いされた事だってあるんだぞ。まあ、あの女はキャバ嬢だったかもしれないけど、現役の美大生ではある。そういった子に、肉体を褒められるぐらいなんだ。
 友香…、おまえは今ひょっとしたら、体重九十一キロの俺よりも身長が二十センチ以上低いのに、体重が重いかもしれないんだぞ?
 そんなおまえが、俺に痩せろ? ふざけんなっ!
「おい、どういう意味で言ってんだ?」
 さすがに声が低くなっていた。当たり前だ。どれだけこの体を作り上げるのに苦労したと思っている。何も、何の才能もない俺だけど、この体だけは財産だ。たくさんの時間を費やし、稼いだ金はすべて食費に回し、血の小便を出しながら作ってきたのだ。このぐらい誇りに思ってもいいだろう。何故なら俺は大和プロレスのリングに上がっていない。大勢の観客から賞賛の声を浴びていない。
 どれだけそれを望んだと思っているのだ……。
 女も抱かず、ひたすら苦しい鍛錬に耐え、肘だって、右の親指だって血だらけにしながらいつだって歯を食い縛ってきた。それなのに俺はチョモランマ大場社長の前に出た時、極度の緊張から何も言葉を発す事ができなかったのだ。俺が情けないんじゃない。自分より別格の器を持った人間が、本能的に目の前にいると分かったからだ。
 自分が目指したゴールには、こんな神のような化け物がいる。それを感じた俺は、本当に幸せだった。だからどんな屈辱だって辛さだってすべて受け入れ、やってこれたのだ。左肘を壊すまでは……。
 友香の発した言葉が、本当にせつなく悔しかった。俺は目に涙さえ浮かんでいる。
 俺の手前の両奥歯は未だ欠けている。大和プロレス時代あまりにもキツくて、何度も歯を食い縛った。その時の衝撃で奥歯が欠けてしまったのだ。俺は未熟だった。レスラーにさえなれなかった。でもあそこへ少しでも関わる事ができた自分に、誇りを持っていた。だから今でも奥歯は欠けたままだ。これは俺の唯一の誇りなのだ……。
「何で泣いているの?」
「お…、おまえになんか絶対に分からない……」
「何よ、その言い方……」
「この体は……、肉体は……。今は亡きヘラクレス大地さんが手塩に掛けてじっくりと作り上げてくれた体だ。簡単にくだらない事を抜かすな……」
 怒りなのか悔しさなのか分からない。でも、全身が震えていた。
「私はね…、ちょっと太めでしょ?」
 ちょっとじゃねえ。かなりだろうが!
「だから何だよ?」
「だから彼氏には病的なぐらい痩せていてほしいなと思ったの」
 本当につまらない事を抜かす女だ。
「だったら最初から俺に関わるじゃねえよっ!」
「好きなの! あなたの顔を見て、あなたの体に触れて、私はあなたが本当に好きなんだなって……」
「うるせーっ!」
 俺は大きな怒鳴り声を上げると、そのまま背を向けて歩き出した。

 社会人になって乗る二度目の飛行機。いや、違うか。自衛隊時代、朝霞駐屯地から北海道へ行く際に乗った。あと北海道で暮らしていた頃、正月休暇で実家へ帰る時も乗った。
 だから何だ? そんな事どうだったいいだろうが……。
 神経のすべてが苛立っていた。この体を馬鹿にされたから?
 違う。誇りを…、人間の尊厳を踏みにじられたからだ。
 あの豚女は、俺の触れてはいけない部分に土足で上がり込んできた。結果から考えれば本当に良かった。だってもうあれで、終わりにできる口実ができたから。
 ずっと初めて会った時から、どうやって終わりにすればいいのか分からなかった。あいつの流れに逆らえず、自分を偽っていた。そんな自分を嫌いになりそうだった。
 何故か? 答えは簡単だ。顔も見知らぬ女に、俺は一瞬とは言え心を奪われ掛けて、調子のいい台詞を吐いてしまったからだ。
 これまでのあの豚女とのやり取りを思い出し、鳥肌を立てた。
 早く羽田に着かないかな……。
 別に一刻も早く歌舞伎町へ行きたい訳じゃない。あの街は金を払って体だけは癒してくれるが、心の奥底までは癒しちゃくれない。しょせん金を遣って得るものなんて、そんなものなんだろう。
 何故早く着きたいのか? 飛行機の中が携帯電話の使用が禁止されている。だから早くあの豚女やのっぺらぼうの文江のアドレスをすべて削除したいのだ。
 あと、出会い系サイトなんか、すぐに退会しなきゃ。せっかく金を稼がせてもらっているのだから、『ワールド』の仕事にもっと専念しないといけないだろう。俺はあの店の店長なんだから……。
 友達の『友』に香りの『香』。友達が香る? 友達が臭うとでも言いたいのか? ふざけた名前をつけやがって、あの豚め。
「ふざけやがって……」
「え?」
 隣に座るメガネを掛けたサラリーマンが、ギョッとして俺のほうを向く。
「あ、何でもないんですよ。すみません…。気にしないで下さい」
 精一杯の作り笑顔をする。無関係の人を巻き込むな。少しは落ち着けよ……。
「は、はあ~……」
 ヤバい、何か勝手に勘違いして怯えているぞ? 無理もない。
 俺みたいな体のデカい奴の隣に座り、ただでさえ嫌なのに、いきなりそんな事を言われたら溜まったもんじゃないだろう。俺は心の底から深く頭を下げた。
 牛乳ビンの底のようなメガネの奥に見える昆虫ようなな目をパチクリしながら、サラリーマンみたいな人は「いえ」と小さい声で呟き、俺とは逆方向に体ごと向けた。
 それにしてもあの豚野郎……。
 ふざけた名前しやがって。いや、それはあの女の両親のせいか……。
 こんな精神状態で仕事になるのだろうか? ゲーム屋の客はわがままな奴が非常に多い。自分の好きで金をつっ込んでおいて、平気な顔をしながら帰り際に「今日は六万負けたよ」と偉そうにほざく生き物だ。別に「ここへ来て下さい」なんてひと言だってお願いした事なんてないし、「いくらまで金をつっ込んで下さい」なんて言葉も言った事ない。だいたいギャンブルなんてものは、競馬にしろ、パチンコにしろ、本人がやりたいから勝手に金を好きなだけつっ込むのだろうが。何でそれをわざわざ店長の俺に帰り際、嫌味を言う? 冗談じゃないよ、まったく……。
 イライラが全身を駆け回っている。これは決してカルシウムが足りないからじゃない。だって俺はこうして考える余裕があるのだ。つまり先ほどの豚女の言葉が、未だ憎悪となって全身の細胞が怒っているのである。
 そんな事を考えていると、飛行機は羽田空港へ無事、到着した。

 羽田空港からモノレールで浜松町へ。そして山手線で新宿へ。俺の非常に馬鹿げた二連休は、歌舞伎町に到着した時点で終わりを告げる。
 携帯電話が鳴った。訂正…。まだ終わりは告げていない。
 俺は電話に出ず、友香と文江の電話番号やメールアドレスを問答無用で削除した。
 あ、しまった……。
 あいつらの着信拒否とか、メール受信拒否とかしてないじゃん。
 考えろ、脳みそをフル回転させろ。
「あ、そっか」
 簡単な事だ。腐るほどあいつらからのメールや着信はあるのだ。それをもう一度携帯電話に嫌だけど登録し、そのあと拒否設定してからまた削除すればいいのだ。
 俺ってなかなか頭がいいじゃん……。
 馬鹿…、すぐ図に乗るな。
 頭のいい奴が、何であんな女の詐欺行為に引っ掛かる?
 何故ひと晩で十万ぐらい遣っているのに、ここまで悲しい想いをしているのだ?
 すべては俺自身が悲しくなるぐらい、馬鹿だからじゃねえか……。
 待てよ、今は反省よりも先にやる事があるだろう。
 俺は出会い系サイトに接続し、すぐに退会処理をした。
「ハー……」
 大きく息を吐き出す。これにて一連の騒動もやっと終わりだ。
 これから友香と文江、あの二人は携帯電話を持ちながら、その場で地団駄を踏むだろう。しょうがない。そのぐらいは償え。だって俺は心に本当に深い傷を久しぶりに負ったんだ。別に悪戯に傷つけたい訳じゃない。嫌がる俺に、まだしつこくするならそうなるよってだけの話だ。
 やめよう。こんな事をいつまで考えたところで、人間は成長などしない。もっと前向きに、そして未来に希望を持って……。
 新宿駅の東口から外へ出ると、もの凄い数の人間がウジャウジャといる。こういうのも鹿児島へ行ったからこそ感じられるのだろうな。何故か目の前の光景を見ていると、嬉しくなってくる。
 人混みを掻き分けながら、俺は一番街通りへ向かう。本当にすごい人の数だ。うん、これこそが俺の居場所である。
 スカウト共が通り掛かりの女にひたすら声を掛けまくるスカウト通り。女に夢中っ返してぶつかってきたスカウトマンの頭を平手で強めに叩き、「どけや、ボケ!」と真っ直ぐ歩く。靖国通りが見えてきたぞ。道路を横断してちょいと左に行けば、一番街通りだ。
 たった二日間、いや、本当は昨日も通ったはずなのに、何でこんなにも俺は懐かしさを感じるのだろうか。
 一番街通りの端にある『新撰組』という大袈裟な名前で品数も少ないコンビニを曲がり、我がアジトへ進む。やっと見えてきた『ワールド』の看板が……。
 地下へ行く階段をゆっくり噛み締めながら降りた。
 ドアを開け、店に入る。
 ピーローロー。プッ、プップッップップップ…。プッ、ピーローロー……。
 うん、懐かしいポーカーゲームをする音が耳に飛び込んでくる。
「あ、神威さん、お帰りなさいませ」
 休憩室で着替えをしている島根が、俺の姿に気付く。
「ただいま~」
「あれ、神威さん……」
「ん、何?」
「お、おみやげは……」
「ああ、ごめんよ。忘れちゃった……」
「え……」
「そうだ、これでおいしいものでも食べてちょうだいよ」
 俺はそう言いながら財布を取り出し、島根の手に五千円札を握らせた。
「ちょ、ちょっと…、何ですか、この金は?」
「いいから取っといてよ」
「いりませんよ!」
「お願いだからさ。その代わり、俺が九州に行ったのは、誰にも内緒だよ」
「え?」
「内緒だからね」
「は、はあ……」
 これですべて一件落着である。
 いつもの日常が始まった。俺はリストに立ちながら、ホール全体の様子を見る。サボっている従業員はいないか。客で負けが込んだ人は大丈夫か。今のビンゴは……。
 うん、歌舞伎町に帰ってきたぞ!

 気分良くホールを早歩きして、仕事を黙々とこなす。額ににじむ汗。うん、仕事をこうしてできるって本当に幸せな事だ。
 たった二日間の連休の間、かなり色々な経験を積み、そして学んだような気が知る。
 時計を見ると夜の十一時半。ちょっと奥で一服してくるか……。
「島根君」
「はい、何でしょう?」
「タバコ吸ってきてもいい?」
「ええ、どうぞどうぞ」
「リスト、お願いねー」
「任せて下さい」
 通路の先にある休憩室。俺はタバコに火をつけて、ゆっくりと煙を吐き出した。コーヒーでも淹れるか。キリマンジャロの豆をミル機で煎る。続いてモカ、最後に香り付けでブルーマウンテンを引き、ゆっくりと丁重にまんべんなくお湯を掛ける。
 うん、いい香りだ。ブルーマウンテンのちょっとした香りが鼻をつく。
 思えばこの街で、俺はずいぶんと成長させてもらったよなあ。
 様々な女とも出会った。よくよく考えてみると、歌舞伎町で知り合った女で、とことん酷いというのはいない。
 最近の時流の流れの酷さの原因は、出会い系サイトだった訳である。あれはよくない。何によくないかと言うと、まず体に悪い。何故ならイライラした精神状態が、体にいいはずがないからだ。
 携帯電話なんて昔はなかった。それでもみんな、普通に笑顔で過ごせた。それを思うと、まったく便利な世の中になったものである。便利過ぎて逆に、人間の心が歪んでしまう事だってあるのだ。今回の騒動で俺は、それを学んだ。
 便利さに流されず、自身を追及する行為は尊い。例えば俺の場合、未だ大和プロレス時代を誇りに思っている。それはその精神が尊いからだ。
 尊いの『尊』という字。
 尊敬……。
 尊重……。
 敬愛、これは字が違うか。
 尊厳……。
 うん、いい言葉ばかりではないか。あと他になかったっけ?
「……」
 いまいち思いつかない。学のなさを痛感する。いや、言葉じゃないけど一つ浮かんだぞ。
 武論尊……。
 かの有名な『北斗の拳』の漫画原作者だ。うん、『尊』という字には素晴らしいものがたくさん詰まっている。
 おっといけない、いけない。今は仕事中なんだ。ここに来て何分ぐらい経ったっけ?
 携帯電話を手に取る。
「……」
 俺は画面を見て、ギョッとしてしまう。そして携帯電話をそのまま床へ自然と落としてしまった。

 さっき俺はちゃんと着信拒否をしたはずだ……。
 なのに何故?
 頭の中が混乱していた。
 落とした携帯電話を拾う。画面を見ると、『Cメール48件』と表記されていた。Cメールとは俺の契約している電話会社の『au』、元は『IDO』で契約した会社であるが、普通のEメール以外に『au』ユーザー同士でできるショートメールの事である。ただしショートメールと言われるだけあって、文字制限は五十文字までしか打てない。
 誰かからのCメールなのか、すぐに分かった。でも、何だ、この四十八件という数は?
 俺が携帯電話を休憩室に置いた時間が夜の十時だとして、今は十二時十分前。約二時間弱の間に、こんなにメールを打ったと言うのか……。
「うぅ……」
 一気に体全身に鳥肌が立つ。尋常じゃないぞ、あの女……。
 一応、確認してみるか……。
 案の定、友香からだった。でも何故? 俺は電話番号も、メールアドレスも着信拒否にしたはず。再確認してみる。うん、そうなっている……。
 だとすれば、『au』がCメールまで受信拒否の対応をしていないって事だ。チクショウ。本当に『auショップ』まで乗り込んで暴れてやろうか。
 いや、そんな事よりもこのおびただしい数のメールの内容。中身を見るのが怖いが、確認しておいたほうがいいだろう。本能的にそう察知した。
 時刻が新しい順から届いているから、古い順から見ておいたほうがいいだろう。
《ねえ、何で私の番号が拒否になっているの? メールも? 友香》
「……」
 想定内の内容だ。何故拒否になっているか? 嫌だからに決まってんじゃねえか……。
《ちょっと龍一! 何を考えているの? 友香》
 何も考えていないよ。だから放っておいてくれよ。
《別れ際に私が言った言葉で怒っちゃった訳? 友香》
 当たり前だ。大和プロレス時代の事は…、いや、この体は俺の誇りだ。
《ちょっと、返事ぐらい返しなさいよ! 友香》
 する訳ねえだろ。
《私たち、結ばれたでしょ? 何でそうなの? 友香》
 結ばれてなんかない。冗談じゃない。あれは…、おまえが身動きの取れない俺を勝手に犯しただけだ……。
《ねえ、龍一。何でもいいから返事ちょうだい! 友香》
 嫌です。本当に勘弁して下さい。
《今、あなたは何を考えているの? 友香》
 本当にあの時ああ言っといて良かったって心から思っているよ……。
《龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一の馬鹿! 友香》
 気安く人の名前を……。
《龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一の馬鹿! 友香》
 文字を見ていてゾッとなった。あの女、やっぱりどこかおかしい……。
《返事ぐらいしなさいよ! ちょっと、何を考えているの? 友香》
 返事なんてしねえよ、馬鹿。誰がおまえなんかと二度と関わるか。
《ねえ、龍一…。何で電話が繋がらないの? 文江》
 ゲッ…、文江まで参戦かよ……。
《もう、このまま無視するなら私、訴えるわよ? 友香》
 勝手にしろよ……。
《口先で言ってるんじゃないからね? 本当にだよ? 友香》
 だから好きな風にしろよ……。
《もう、好きな人をそんな風にできるはずないでしょ? 友香》
 お願いだからもう…、嫌いになってくれよ……。
《あなたが好きなの。本当に好きなの。分かるでしょ? 友香》
 いや、悪いけどまったく分からない。
《龍一ー! 私はあなたを愛している。 友香》
 悪いけど、俺は無理だ。どう考えたって愛せないよ……。
《ふーん、龍一ってそういうじらしプレイしちゃうんだ? 文江》
 馬鹿か、この女…。何がプレイだ。ふざけるな……。
《龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一、龍一の馬鹿! 友香》
 またしつこいなあ…。以前送ったメールをまた再度送信した手抜きじゃねえか。
《本当は馬鹿なんて言いたくない! だから連絡ちょうだいよ! 友香》
 丁重にお断りします……。
《あ、分かっちゃった……。 文江》
 何が分かったんだ? 薄気味悪い……。
《これって龍一流のプロレスで言う死んだふりでしょ? 文江》
 おまえみたいな女がプロレスなんて言葉を使うな!
《今、私はいっぱい泣いています。涙がそれでも枯れません。 友香》
 勝手に泣いていろよ…。おまえは俺にフラれたんだ。そのまま自覚してくれ。
《初めて逢った瞬間の衝撃。私、あの瞬間からビチョビチョになってたの。 友香》
 俺は一旦携帯電話を置いて、便所へ駆け込んだ。便器に突っ伏すようにして、ゲーゲ―と吐いた。
 一体、どういうつもりだ、あの女…。いや、あいつら……。

 あの醜い贅肉がブヨンブヨンと、まるでプリンが皿の上に乗せた時のような揺れ。本当に悪夢だった。鹿児島の城山観光ホテルでの一室の出来事を思い出す。
「うぇ……」
 また俺は便器へ向かって吐いた。
 体がガタガタと震えていた。両肩を強くつかむ。落ち着け…。何を怖がってんだ。ただの文字だろうが。俺は今、こうして歌舞伎町にいる。あいつらは九州だ。これ以上、何ができる?
 そう思っても、震えはとまらない……。
 あんな恐ろしい女と、俺はやり取りをしていたのか? 何て馬鹿な事を……。
 トイレのドアをノックする音が聞こえた。
「神威さ~ん、入ってんすか?」
 従業員の島根の声。少しホッとした。
 そうだ。俺は今、仕事中なんだぞ? こんなところで吐いている訳にもいかない。
「ああ、入っているよ。ごめん、すぐ行くから」
 洗面器で手をよく洗い、両手で水をすくう。顔を何度も洗った。
 一度ホールへ出る。客数は全部で七卓。『ワールド』は全十四卓なので、ちょうど半分の客入りだ。ホール内では従業員の島根と山羽が所狭しと走り回っている。
 店長のくせに俺は何をしていたんだ。島根の肩に手を置いて、「本当にごめん」と声を掛ける。
「神威さん、どこか体調悪かったですか? いきなり手で口を押さえながら便所に駆け込んで」
「え、い、いや……」
「九州で何かあったんですか?」
「……」
 島根なら相談してもいいかもしれない。彼は俺よりも一つ年上だ。でも、この状況じゃ、さすがに無理か。
「え、九州がどうかしたんすか?」
 山羽が俺たちの会話に割って入る。
「何でもねえよ、ほら、十一卓さん! 札を上げているだろ」
「あ、はい」
 慌てて山羽は十一卓に座る客の元へ走っていく。
「島根君、とりあえず一服してきたら?」
「ほんと大丈夫なんですか?」
「うん、ありがとう。島根君出てきたら、山羽の奴を食事休憩に入れるよ」
「分かりました。いってきます」
 島根と入れ替えに、一週間前に入ってきた新人の北村が通路を歩いてくる。
『ワールド』は二十四時間営業で、早番と遅番に分かれる。遅番は俺も含め全部で五名いて、一人は誰かしら休むので、四人で夜の十時から朝の十時まで働かないといけない。夜の十時には三人出勤。夜十二時から朝の十時までの出勤を一人決め、一人だけ十二時間働くようだが、夜十時出勤の残り二人は朝八時になると帰れるようなシフトを組んでいた。
「おはようございます」
「おう、おはよう。ちょっとは仕事覚えたか?」
「はい」
「うん、頑張ってくれよ」
 俺は笑顔でINキーを渡す。ホールでは山羽が必死な顔で駆けずり回っている。あいつばかりにやらせておけないな。俺も一緒にホール内を駆けずり回った。

 島根が一服から戻ってくる。彼はタバコを一切吸わない。なので一服と言っても、いつも休憩室で柿の種を食べていた。変わっているのがセンベイだけ食べて、ピーナッツを残すのである。それでいつもホールにピーナッツだけ入った袋を持って、「神威さん、食べますか?」と言ってくる。誰もそんなもの食べないだろう。柿の種の主役はあくまでもセンベイだ。ピーナッツは一緒に食べるからこそあるようなもんで、それだけならいらない。
「神威さん、どうです?」
 いつものように島根は、ピーナッツだけの袋を渡してこようとする。
「だから、いらないって……」
「そうですか」
 そんな寂しそうな顔をしたって絶対に食うもんか。一回でもそれで受け取ったら、またピーナッツ攻勢が始まりそうだ。
「気持ちだけもらっておくよ、ありがとう」
「そういえば神威さんの携帯、さっきから何回も鳴っていましたよ?」
「えー……」
 背筋に冷たいものが走る。決して店内の冷房が効いているせいではないだろう。あの出会い系女二匹。奴らの仕業だ。
 まだしつこくCメールを送り続けているのか、暇人共め……。
 とりあえず俺は山羽を食事休憩に行かせる。新人の北村がホールを見ているのを目で確認しながら、俺は島根に話し掛けた。
「いやー、この間さ、鹿児島に行ったでしょ?」
「この間って今日帰ってきたばかりなんですよね?」
「ま、まあそうだけどさ…。そんな言い方しないでよ」
「何か変ですよ、今日の神威さん」
「いや、それがね……」
 俺は簡単に要点をまとめ、島根に一部始終を話した。
 島根はすごい勢いで腹を抱え、ゲラゲラ笑いだした。
 こいつ…、何て失礼な奴だ……。
 俺は島根を睨みつけながら、一卓へINに行く。
 入口のチャイムが鳴る。客か。
 振り向いて一瞬ギョッとなった。女の客だったからである。ゲーム屋の場合、ほとんど客層は男である。パチンコや競馬だって男のほうが断然多いだろう。もっとマイナーなゲーム屋は、さらに女の過疎化が必然的に進む。だからこうして女性客が一人で入ってくる事自体、稀なのだ。
 何故俺がギョッとしたかと言うと、その女性客が太っていたからである。だから一瞬だけ、鹿児島に住む友香が、関東の地まで上陸してきたと思ったのだ。
 目を擦ってまた見ると、まったくの別人なのでホッとする。
「またすっごいのが入ってきましたね~」
 耳元で島根が囁く。
「……」
 俺は無言でわき腹を肘でつついた。
「ひょっとして神威さんが九州で会ったのって、ああいう感じですか?」
「違うよ!」
「そんな怒らないでもいいじゃないですか」
「ごめんごめん。でもさ、俺にとってはかなり怖い話だよ?」
「まあ、とりあえず神威さんは、自分の携帯に届いたそのメールをひと通り読んでみる事ですね。山羽が食事から戻れば、次は神威さんの番でしょ? ちょうど時間もありますし」
「気持ち悪いなあ……」
「だって敵を知らなきゃ、対策のしようがないじゃないですか」
 なるほど、さすが一つ年上なだけはあるな。でも、あんな奴らの怨念が籠もったメールなんて、できれば二度と見たくないなあ……。

 

 

7(真・進化するストーカー女編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

この日、『ワールド』はそんな忙しくなかった。適度に客が入り、適度に負けた客が首をうな垂れて帰っていく。それの繰り返しだった。山羽が食事休憩から戻る。「神威さん、...

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