岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

7(真・進化するストーカー女編)

2019年08月01日 16時57分00秒 | 鬼畜道 各章&進化するストーカー女

 

 

6(真・進化するストーカー女編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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 この日、『ワールド』はそんな忙しくなかった。適度に客が入り、適度に負けた客が首をうな垂れて帰っていく。それの繰り返しだった。
 山羽が食事休憩から戻る。
「神威さん、携帯を製氷機の上に置きっ放しですよね?」
「ああ」
「電話じゃないみたいだけど、何か携帯鳴りっ放しでしたよ?」
「……」
 島根は何回も鳴っていたと表現している。しかし、山羽は鳴りっ放しという言い方をしている。一体何通のCメールが届いているんだ……。
 また背中にゾゾゾという悪寒が走る。
「じゃあ島根君、食事に行ってくるよ」
「はーい、頑張って下さい」
 何を頑張るんだ? まったく人事だと思いやがって……。
 俺は休憩室へ行き、早速携帯電話を開いてみた。
『Cメール89件』
「はぁ~……」
 画面に表示されたメール件数を見て、思わず溜息が出る。まだあれから四十分ぐらいしか経ってねえんだぞ?
 まあ敵を知るには何とやらか。まず見てみるか。えっと最初からのほうがいいよな……。
《もうさ、死んだふりしたって私には分かるんだからね。 文江》
 何が分かるだ、馬鹿。しかしこいつ、本当に薄気味悪いなあ……。
《もう一度あなたに抱かれたい。もう痩せてなんて言わない。 友香》
 今さら何を抜かしているんだ、このデブ。俺に言う前にテメーが痩せろ。
《あなたの筋肉質な腕が、まだ忘れられない。 友香》
 早く忘れてよ、お願いだからさ。人間って誰でも間違いってあるでしょ? あの女に腕枕して触れてしまった皮膚をすべて、移植したい気分だった。
《私さ、今何をしていると思う? 友香》
 知るか、ボケッ! 知りたくもないし、勝手にしてろって。

《昨日あなたに抱き締められた時服についた匂い。それを顔に押し付けてる。 友香》
 また鳥肌が立つ。一箇所訂正させて下さい。勝手にしちゃ駄目です。本当に嫌な事を言う女だ。あー、何で俺はあの時全力で走って逃げ出さなかったんだろう……。
《今ね、勝手に人差し指が、あそこに向かって動いているの。 友香》
 もう、本当に気持ち悪いなあ。マスターベーションなんて勝手にしろよ。いちいち俺に報告なんてするなよ……。
《あなたからいただいた温かいメールをずっと読み返しています。 文江》
 お願いだから、削除してよ、ねえ。頼むからさ……。
《ひょっとして龍一って、飴と鞭を使い分けている途中? 文江》
 馬鹿じゃねえのか、こいつ。何で飴と鞭なんだよ? ずっと無視しているだけだ。
《あん、本当に気持ちいい。あなたの匂いのついた服を嗅ぎながら……。 友香》
 ぞわぞわとしたものが震えと共に全身を走った。俺、まだこの先のメールを見なきゃ駄目なの? もう嫌だよ……。
《あっ、いっけない。濡れた指で私、メールを今、打ってる……。 友香》
 本当にこいつ、下品な女だな。そんな事すると、携帯電話が壊れるよ? 精密機械なんだしさ…。それに何かさ、妙に可愛い子ぶった言葉遣いだけど、俺は君の実物をしっかりこの両目の眼で見ているんだよ? 悪いけどさ、もう詐欺には遭わないよ。
《あー、指が…、指がとまらない。 友香》
 あのさ、俺、こんなメールにどうやって返事をすればいいの? あんた、馬鹿? 頭おかしいんじゃないの?
《一つ読んでは涙を流し、二つ読んでは涙を流し……。 文江》
 もう…、勝手に泣けばいいじゃんか。だいたいおまえが未だ写真を送ってないのが発端でしょ? でも、送ってきたとしても遅いよ。俺はさ、本当に酷い目に遭ったんだから。写真なんか、もう信用しないって決めたんだ。
《何回もね、龍一と一緒に暮らしている夢を見たんだ。 文江》
 勝手に見て下さい。想像だけは自由ですからね。まあ現実にはならないから、夢なんですよ。
《すごい気持ち良かったあ。まだ、はあはあ言っているの。私の声が分かる? 友香》
 はいはい、良かったね。分かる訳ねえだろ、この破廉恥デブが!
《何かまだ物足りない。またしていい? 友香》
 ご自由にどうぞ。でもさ、できれば俺の顔とかは想像しないでお願いします。
《すごい敏感になっちゃってる。どうしちゃったんだろ、私……。 友香》
 どうしたもこうしたも、あなたの行為は詐欺と嫌がらせになりますよ? 自覚してますか? してないですよね。こんなメールを何回も…。本当にいい加減にしろよ!
《白い清潔感溢れるシーツを毎日変えてさ、部屋の中も真っ白なの。 文江》
 おまえの頭の中が真っ白なんだろうが。いちいちそんなどうだっていい事を俺にメールするなよ。
《また絶頂にいっちゃった。昨日から合わせたら何回目? 友香》
 知りません。知りたくもありません。
《でもね、本当はまた龍一の太いのをねじ込みたいの。 友香》
 丁重にお断りさせていただきます。もう、絶対に嫌です。俺の心はあれからどれだけ深く傷ついたのか、あなたには分からないでしょうね。
《実はね。さっき、台所にキュウリあったからさ、キャッ! 友香》
 あのー、本当に訴えますよ。これは悪質な嫌がらせでしょうか?
《現実に戻ると近くに龍一がいないんだなって。寂しいよ。 友香》
 いや、もう会う事は絶対にありえませんから。どうしたらこいつ、何とかなるかな。
《今日のお昼はね、スパゲッティー食べちゃったんだ。 文江》
 鹿児島空港のレストランを思い出した。何で俺はあの時ミートソースなんて食っちまったんだろう。連想して思い出しちゃったじゃねえかよ、このムジナめ。
《さすがに茄子のほうが大きいよね。やだ、私ったら……。 友香》
 茄子はさ、俺が一番好きな食べ物なんだぞ? 粗末にするなよ、お願いだから。あとさ、野菜で俺をこじつけるのは法律で禁止されているんだよ? 知ってた? 本当にごめんなさい。何回だって謝ります。心の底から謝ります。懺悔だってします。だから早く忘れて下さい。
《これから私の考えたポエムを龍一に送っちゃうかな。 文江》
 何がポエムだよ。俺は吟遊詩人なんかじゃないからさ、そういうのっていい迷惑なんだよね。パケット代もったいないよ? 無駄遣いはやめようよ。
《ヒマワリを見た私は、アサガオのように時めいた。あら、朝露が一滴光ってる。 文江》
 もう、嫌だ。これ以上見るのは嫌だ……。
 俺は携帯電話を放り投げ、立ち上がった。こんなのを見て、どうやって敵を知るんだよ? 教えてくれよ。
 俺はまだ食事休憩中なのに、ホールへ向かった。

 夏…、夏…、太陽の照りつける夏。
 もう八月になりました。ふと、小学校の卒業式でみんなの前で言う、自分の用意された台詞を思い出しました。
 相変わらずCメール攻勢はやむ気配もございません。だからこの目で見るという行為はやめる事になりました。え、携帯電話? 私の服の中にでもあるんじゃないでしょうかね。
 今の心境を素直にひと言の漢字で表すとすれば、『鬱』の一文字でございます。
「ふざけんなっ!」
 右の拳を壁に叩きつける。血がにじみ、俺の拳はすごく痛い。
 何であいつら一向に諦めてくれないのだ? 世の中に男なんてウジャウジャいるじゃねえかよ。
 最近少し頬がこけた気がする。風呂上りに鏡を見ると、そんな事を思う。
 しばらく女はいらない。
 もう、懲り懲り……。
 懲り懲りとゴリゴリ……。
 ゴリと言えばゴッホ。俺は中学時代の同級生である岡崎勉ことゴッホに電話をしてみる事にした。
「おう、しばらくだね」
「ああ……」
「何だよ、妙に暗いじゃねえか」
「あのさ、俺…、本当にまいっちゃってんだ……」
「ふーん、言ってみろ。口に出せば楽になるかもしれねえぜ」
 ゴッホの友情に満ちた温かいお言葉。でも、口に出すなんて何回も実はしているんだよね。まったく楽にならないけどさ。
「話すと長くなるんだ……」
「じゃあ、いいや」
「何だと?」
「だって長くなるんでしょ?」
「まあ……」
「じゃあ、面倒じゃん」
「この野郎……」
「おまえが長くなるって言ったんじゃねえか」
「おい、俺がどれだけおまえに女の件で、これまで協力してやったと思ってんだ?」
「分かったよ…。聞けばいいんだろ」
「くっ……」
 こいつ、何て言い方をしやがる。それでも俺はゴッホに、火の国の女二人の話をした。
「大変なんだな」
「ああ……」
「でも、抱いた訳なんだろ?」
「違う! あれは半分犯されたようなもんだ」
「嘘こけ。おまえみたいな奴を犯す女なんて、この世にいる訳ねえだろ」
「だから、状況をちゃんと言ったじゃねえか」
「でも、やったんだろ?」
「だから何だよ?」
「責任取らにゃあかん」
 こいつ…、人事だと思いやがって……。
「この野郎…。おまえなんかに言ったのが間違いだったよ」
 俺が責任? 何の責任だ。冗談じゃない。
 電話を切る。あんな男に相談した俺が馬鹿だったのだ。
 毎日のようにひっきりなしにあるメール。最近じゃ見る事もなくなった。気持ち悪いだけで、キリがないからだ。
 以前島根が敵を知るのは見るしかないと言っていた。見たって何もならないじゃないか。
 しかしこのままでいいはずがない。直接電話をして友香と文江には迷惑だとハッキリ言ったほうがいいんじゃないのか? この状態が続くよりも……。
 携帯電話を手に取る。そんな行為だけで心臓の鼓動が早くなるのを感じる。別にドキドキ緊張している訳なんかじゃない。怖いのだ。
 鹿児島のおぞましい記憶は、もうできれば思い出したくない。
 あれは恋愛でも何でもなく、俺が詐欺に引っ掛かってしまっただけなのだ。一晩で十万なくなり、精神的に崩壊寸前、そして肉体を強姦されたようなものだ。大切にしてきた何かをあれで、俺は失ったような気がする。
 逃げていては駄目だ。レスラーは相手の攻撃を避けてはいけない。何をされても壊れない頑丈な体を作らないと駄目なんだ。そうですよね、師匠……。
 俺は携帯電話を開き、まずどちらに電話を掛けるか迷った。

 友香からにするか。それとも文江からか……。
 未だ彼女気取りの友香。彼女の特徴は、勘違い、思い込みが強い、そしてデブ……。
「はあ……」
 本当にまたあれに、話し掛けないといけないのか? 言うならば俺は被害者だ。それなのに加害者へこっちから電話しなきゃいけないの? 何か違うよ。
 じゃあ、文江からにするか。あいつのほうが顔だって知らないし、会った事もない。だから簡単だろう。
 よし、掛けるぞ!
「……」
 待てよ…、どうやって話を切り出すんだ? あの思い込みの強さは常軌を逸している。メールや電話のやり取りだけで、私を好きになれと平気で言う女だぞ? どこが簡単なんだ。どうやって諦めさせられるんだ?
 俺は携帯電話を布団の上に放り投げ、部屋を出た。フラフラと階段を降りて、一階の居間へ向かう。特に用なんてなかったけど、一人でいたくなかったのだ。
 居間ではおばさんであるユーちゃんが、インスタントコーヒーを飲みながらテレビを見ていた。
 本当に昔っから貧乏性で、一度俺がいいコーヒー豆とコーヒーメーカーをプレゼントした事がある。それなのにユーちゃんはまったく使ってくれなかった。数日経って何故使わないのか聞くと、「そんなおいしいコーヒーを飲んだら、インスタントコーヒーが飲めなくなるだろ」と言った。俺たちを育てる為に自分の洋服も何も買わず、必死に育ててくれたから、貧乏性が本当に身についてしまったのだ。だから俺はユーちゃんの好むインスタントコーヒーをたまに買ってやるようになった。
「何だ、暗い顔して」
「ん、いや…。しつこい相手にはさ、どうやったら迷惑なのか分かってもらえるかなと思ってね」
「女か?」
「いや、そういうんじゃないんだけどさ……」
「一番は無視だね。相手にしない事だ」
「だってそれだとしつこくメールとか来るんだよ」
「それでも無視だ」
「やっぱそうだよね。でもそれでも続く場合は一度言ったほうがいいかな?」
「相手にするから熱くなるんでしょ。だから無視しかないよ」
「そっか……」
 そう、俺はあのおぞましい二人を相手にしてしまったのだ。一人とはわざわざ九州の地まで行ってしまい、やられてしまった。
「今、ドラマがいいところなんだから邪魔するなよ」
「あ、ごめんよ…。じゃあね」
 再び階段を上がり、部屋に戻る。
 よく考えてみよう。何故あいつらが、あれほどまでに熱くなるのかを。原因が分かれば俺も対策のしようがある。

 まず事の始まりは出会い系サイト。もちろん俺から軽い気持ちで声を掛けた。たくさんの人間がいる中で、友香と文江は俺に返事をくれた。始めは日常会話。次第に自分をアピールして、向こうが俺の存在を気になるようになる。一日一回程度のやり取りが、気付けばいつメールが来るのか待ち望んでいた。そうなるともう日常の一部になってしまう。相手の事を知りたくて、勝手に美化しながらやり取りは進む。もっと知りたいから電話番号やメールアドレスも教え合い、出会い系サイトの枠から出てしまう。住所も教え、写真のやり取り。
 まずここで、文江が脱落した。多分きっとブスなんだろう。嫌われたくないからと本人は言っていたが、約束を破っている時点で嫌われる事に気付いたほうがいい。
 そう、前みたいに一人だけ相手をしていたほうがスムーズに進むのだ。ブランド女しかり、酢女しかり。俺はそうやって女を抱いてきたのである。
 文江を切り、友香へ。しかし友香の異常なまでの粘着性で、俺はうんざりした。いくら説得しても分からない友香に苛立った俺は、歌舞伎町の風俗店に行く。そこで知り合った裕美。外見だけは完璧な女だった。強引に抱いた俺は、心まで彼女に惹かれていった。しかし子供を取り戻す為にヘルスで働く決意をした裕美は、女性でなく母親だったのだ。
 失意のどん底に落ちた俺は、『ワールド』へたまに来る客のむつきと食事をした。彼女は俺に抱かれてもいいと思っていたはずだ。抱けるけど彼女にと望むむつきに対し、俺は応えてやれなかった。
 寂しい俺は、再び友香へ連絡を取ってしまう。そもそもこれが間違いの始まりなのだ。一度うんざりしたくせに、下半身で物事を考えるからそうなる……。
 突発的に行ってしまった鹿児島の地。確かにそんな行動をされたら、友香だって勘違いしてしまうだろう。
 でも、実物と写真は大いに違った。そこがこの件のすべてだった。詐欺行為にしか見えなかった。自我崩壊しないよう懸命に自分を抑える俺に対し、友香は強引に犯した。俺は何も望んでいない。あいつが勝手におっぱじめたのだ。
 俺に痩せろとあのデブは言った。自分の誇りを汚された俺は、怒り狂った。思えばあの場で怒らず、ちゃんとおまえとはもう無理だと説得していれば、こんな結果になっていなかったのに……。
 少なくてもそうしていれば、あとはゴキブリのようにしつこい文江だけだ。あの女、洗濯機でグルグル回しても、ケロッとしてそうだ。
 おばさんのユーちゃんは無視が一番と言った。本来なら本当にそれが一番だ。でも、俺はあの女に会ってしまっている。そんな事までユーちゃんに話したら、絶対に「責任取ってやりな」なんて言い出しかねない。
 もしおばあちゃんが生きていたら「美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる」とか言いそうだよな。ことわざみたいなものが大好きだったからなあ。でもさ、おばあちゃん、俺がこの現代に生き、そのことわざを進化させてみるよ。
『美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる。でも、デブは無理だ』
 そうでしょ、おばあちゃん? 少しは俺の身になってくれたかい。
 想像してみた。友香との生活を……。
 目の前に見える肉の塊。俺はあの日、肉に圧迫され、肉に思考回路を狂わされた。あんな生活が日常で毎日のように起きるのか?
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……」
 ふざけるな。冗談じゃない。友香の実物が、送ってきた写真通りだったら、まだいいよ。でも現実は違う。あれはまるで別人だ。何故あの時俺は、彼女に「写真と全然違うじゃねえかよ」とハッキリ言えなかったのだろう。ストレートしか俺は投げられないなんていつも気取りながら、小便カーブさえ投げられなかったのだ。
 こうして振り返ってみると、何度か窮地を脱出できたチャンスはあった。俺は垂らされた蜘蛛の糸に気付かず、ここまで来てしまった。もう蜘蛛の糸はないのだろうか?
 大和プロレスを駄目になった俺は、つらいけど生きると決めた。だから生きるなら、幸せにいたい。うん、これは間違っていないだろう。
 なら、変な風に考えるな。幸せをたぐり寄せる為にも俺は、蜘蛛の糸を見つけなきゃいけないんだ。
 少しだけ元気が出てきた。

 文江はとりあえず置いておいて、友香に連絡を取り、説得に掛かろう。じゃないと俺の明るい未来など、どこにもない。
 携帯電話を開き、届いているCメールをチェックする事にした。受信メール百件。絶対におかしいよ、これ。何で二人でこんな送ってくるのだろうか? 百件以上のメールは、自然と過去のものからなくなっていくようだ。面倒なので新しいメールを見てみる。
《友香、有休休暇取りました。川越プリンスホテルも予約しました。 友香》
「……」
 しばらく携帯電話を持ったまま固まってしまう。
 何だ、こりゃ?
 友香有給休暇って早口言葉じゃねえんだぞ?
 何だ、予約って?
 川越プリンスホテル?
 うちから徒歩五分だぞ? 
 おいおいおい……。
 メールを見といて本当に良かった。知らずにこのままいたら、危ないところだった。写真を以前交換し合うので住所はお互い知っている。つまり今、俺がいるこの場所へ、あの肉の塊は突然やってくる可能性があるのだ。
 こりゃ、ヤバいよ……。
 どうしよう……。
 すぐ連絡して、何とか分かってもらうしかないでしょ。
 しかしどうやって説得するんだ? 俺は態度で充分に分かってもらえるような行動をしたつもりである。一向に二匹の魔物たちは理解してくれなかったが……。
 いや、言葉で分かり易く言わないと、駄目な生き物なんだろう。別にあいつらに嫌われようが恨まれようが、ストレートに言葉をぶつけなきゃいけない。
 これは俺の人生の正念場でもある。
 魂の籠もった渾身の直球で、絶対に三振にしないといけないのだ。
 メールを続けてみると、どうやら肉の塊は一週間後に関東の地へ上陸するらしい。何故一人でこうまで勝手に盛り上がれるのだろうか?
 人生最大のピンチが訪れようとした瞬間、俺は事前に気付く事ができた。まだ運はある。いきなり目の前に姿を現したら、拒絶反応を起こしていたかもしれない。
 少し落ち着いて整理しよう……。
 肉が来るのは一週間後。本当に川越プリンスホテルなど予約しているのだろうか? ホテルに電話をしたところで、顧客情報になるからそんなの教えてもらえないだろう。
 あのメールの内容を信じるとして…、いや、それを念頭に置かないでどう対策を練るのだ。あの女は来る、一週間後に。それだけは決定事項なのだ。
 焦るな。落ち着け。一回深呼吸しよう。
 時間は一週間もあるのだ。それまでに説得できればいい。
 思い留まらせる決め手は何か? いかに俺が嫌いかを伝えるべきだ。
 あの女はこの鍛え抜いた肉体を侮辱した。そこに焦点を置き、絶対にそれは譲れない部分であり、いかに俺にとって大切な事なのかを言おう。だからおまえとは無理だと……。
 うん、なかなかいいんじゃないか。
 しっかりしろよ、俺。ボールは投げられないんだからな。ストレートだけだ。
 俺は着信拒否した番号の中から、友香の携帯電話番号をメモに写す。
 掛ける前に、もう一度ゆっくり深呼吸しておこう……。

 コール音が鳴る。
 一回、二回、三回、四回……。
「もしもし、龍一っ!」
 出た……。
 電話口の向こうには肉の塊がいる。
 しっかりしろよ。
「何で着信拒否にしてるのよっ!」
 ヤバい。いきなり泣き出したぞ。しばらく寝かせておいたから、熟成して凶暴になってやがる。まずは冷静にさせないと…。じゃないと意味がない。
「久しぶりだな」
「何が久しぶりだなよ?」
「落ち着けよ」
「じゃあ、早く着信拒否をやめてっ!」
「だから落ち着けって」
「その前にやめてって言ってんでしょっ!」
 嫌だよ。そんな事したら、また一日で二十回とか電話あるぞ。馬鹿、違う。心の中で呟くな。そういった事を口に出せ。
「い、嫌だっ!」
「何でよ?」
「あのさ…、もうちょっと人の気持ちを考えてくれよ、お願いだからさ」
「じゃあ、龍一も私の気持ちを考えてよっ!」
 こいつ、詐欺行為で人を騙しておいて、そこまでまだ要求するか……。
「あのね、落ち着いて聞いてくれない?」
「だから早く着信拒否をやめてって言ってんでしょっ!」
 ますます泣け叫びながら友香は、どんどんヒステリックになっていく。とてもじゃないが、ここで写真と実物が違い過ぎるなんて言ったら、かなりヤバくなるだろうな……。
「落ち着けって…。いいか? まず今はこうして話しているんだから、携帯の設定なんていじれる訳がないだろ?」
「だからやめてよ。早く元に戻してよ」
「じゃあ一旦電話切るよ?」
「嫌だっ!」
「どっちなんだよ?」
「だから着信拒否をやめてよっ!」
 頭が悪過ぎる。これはとりあえず空返事しといたほうが賢明だな。
「分かった分かった。やめるから落ち着いて」
「フー、フー……」
 肉の荒い息遣いが聞こえる。生理的にこの女は嫌だなあ……。
「あのね、君が俺と帰り際、何て言ったか覚えている?」
「や、痩せてって……」
「そう…、そうやって君は、俺の誇りをズタズタに切り裂いた。俺の大切なものを踏みにじり、土足で入り込んだんだ。それは分かるよね?」
 うん、いい感じの話し方だ。自分で自分を褒めてやりたい。
「分からない」
 くっ、こいつ…。何故分からないのだ?
「あのさ、君にも大事なものがあるでしょ?」
「君って言うのやめてよっ! 私は友香って名前があるんだからっ! 友香って前みたいに呼んでよっ!」
 見苦しい性格だな、このデブ。
「じゃ、じゃあ…、ゆ、友香さん……」
「何で『さん』なんてつけるのよっ!」
「いいかい? また同じ事を言うようだけど、俺はね、あれですっかり心が離れてしまったんだ」
 本当は実物を見た時点で心など、とっくに離れていたが、今はこのほうがいい表現だろう。あまり刺激するなよ、この女を……。
「何で離れる訳?」
「だってそれは俺がそういう風に感じたからでしょ? 自分の気持ちさえ自由に発言しちゃいけないの?」
「うん、いけない。絶対にいけないっ!」
「……」
 本当にこいつ嫌だ。何てわがままなんだろうか。
「絶対に駄目なんだから」
「じゃあ分かり易く言うよ? 別れよう。もう無理です」
 よし、よくぞハッキリ言った。ど真ん中直球ストレート。
「ふーん、そう……」
 よし、バッター空振り。三振スリーアウトチェンジ。
「あのひと言で、俺たちは終わったんだ」
「そうなんだ……」
 妙に冷めた友香の声。会心の一撃が決まった。

 永かった…。前にもこの漢字でそう思ったが、本当に永かった……。
 ようやくあの一連の悪夢から、これで開放される。
「ああ、すまないな」
 傷つけてしまった事は事実なんだから、せめて誠意を込めて謝ろうじゃないか。
「謝らないでいいよ。もう、私、死ぬからさ……」
「え?」
 一瞬目の前が真っ暗になる。今、こいつ、何て言ったんだ?
「遺書書くから電話切るね」
「おい、ちょっと待てよっ!」
「何? 何か用?」
「あのさ、ちょっとそういうのって酷くない?」
「何で?」
「だってさ、自分の胸に手を当てて考えてみ?」
「当てた」
「その状態でよく思い返してくれよ?」
「思い返した」
「だから、自殺するなんて言わないで、お願いだから冷静になってよ」
「じゃあ、川越に行っていい?」
「だから何でそうなるのよ?」
「じゃあいいよ。もう死ぬから」
「だからー……」
「龍一には関係ないでしょ?」
「……」
 こいつ、本当に汚い。汚過ぎる……。
「遺書に、ちゃんとあなたの名前は書くから安心して」
「……」
 自分で言っている事を認識しているのか、こいつ……。
「何で何も言わないの?」
「あのさ…、死ぬとかそういうのって、ちょっと違うでしょ?」
「何で?」
「逆にさ、俺がそう言ったらどう思う?」
「今すぐ川越に駆けつける」
「はあ……」
「何で溜息なんてつくの?」
「そう言う事を言うからでしょ?」
「ごめん、嘘ついた。今すぐなんて行きたいけど、現実はできない。でも、一週間後、ちゃんと行くからさ」
「……」
 こいつ、本当に死ぬ気なんてあるのか? でも、下手に触発して本当にそうなったら嫌だしなあ……。
「川越プリンスホテルは、ちゃんと予約取ってあるから安心して」
「あのさ……」
「な~に?」
「来ても、俺は会わないよ?」
「何で?」
「もうっ!」
 気付けば俺は、携帯電話を切っていた。

 どうする?
 どうしたらいい?
 どうやったら、あいつをとめられる?
 分からない……。
 どうしたらいいのか、まったく分からない。
 分かっているのは、一週間後、あの肉の塊が我が地元川越にやってくるという事実だけである。
『勝手に死ぬのはいい。でも遺書に俺の名前など絶対に書くな』
 そう言えば良かったのか? いや、逆にムキになって、もし死んだ時は俺の名前をこれでもかというぐらい書くだろう……。
 一つ分かっているのは、もう誰にもあの肉の暴走をとめられないという事だ。
 腹を括れ。自殺されるのは、やっぱり後味が悪いから嫌だ。それに自分の名前を遺書に書かれるのはもっと嫌だ。
 なら、向こうの希望通り、川越に上陸させるほかないだろう。
 どうすればあの女は諦めてくれる?
 腐るほど女を抱いてきたんだ。何かいい知恵を絞れ。ない頭で必死に考えろ。
 別れようと何度も言ったけど、駄目……。
 俺の誇りを傷つけたから無理だと言ったけど、駄目……。
 これで他にいい方法なんてあるのか?
 頭を使え。これは想像以上の修羅場なんだ。
 あの女の妄想は留まる事を知らない。
 自分をとても美化し、きっと少女漫画の主人公にでもなったつもりでいるのだろう。あんなのキャラクターで例えるなら、羽のついた豚だけど。
 今度漫画でも書いてみるか。『恐ろしき肉の塊』なんてさ……。
 馬鹿、俺が現実逃避してどうする。しっかりしろよ。俺の体が危ないんだぞ? 期間は一週間。それまでに方法を考えないと、俺は再び肉の塊に包み込まれ、再び悪夢を見る毎日になるのだ。いや、それどころか、そのまま関東に上陸しっ放しだったら俺の人生は終わりだ。そうなる可能性は確率的に言うと、かなりあるだろう……。
 夏なのに、全身鳥肌が立っていた。
 こういう時は、異性に相談してみたら、どうだろう? 彼氏や、旦那がいるような人。誰か身近にいないだろうか……。
「あ、いたっ!」
 俺の一番頭が上がらない先輩である最上さん。その奥さんの有子さんなら……。
 早速電話をしてみた。
「あれ、龍君。どうしたの? 悟はまだ会社だよ」
「いえ、今日は有子さんに用があって」
「どうかした?」
「ええ、かなり…。あ、その前に一つ質問あるんですけど、正直に答えてもらえますか? 突然で本当に申し訳ないんですけど……」
「え、別に構わないけど。今日の龍君どうしたの? 変だよ?」
「ええ、変なのは充分に自覚しています。なので質問に答えて下さい」
「その質問って?」
「えっと…、例えばですよ? 最上さんと別れるとしたら、どういう時になりますか?」
「え、何それ?」
「ですから本当にただの一例です」
「え、ひょっとして悟、浮気しているの?」
「ち、違いますよっ!」
「だって何でこんなタイミングで電話してきて……」
 ヤバい。幸せな夫婦を、いや家族を俺の訳分からない話で壊しちゃいけない。最上さんは、俺が大和プロレスを駄目になった時、会社を一週間も休んでそばにいてくれ、そして優しく温かい言葉「おまえは死んでは駄目だ。辛くても生きろ」と言ってくれた恩人だぞ。しかも二十九歳の時の総合格闘技だって、セコンドにああしてついてくれたじゃないか。あの時は有子さんと息子の麗一君しか、俺のそばにはいなかった。いわば一家全員で、俺の事を応援してくれたのだ。恩を仇で返してどうする。早く訂正しろ。
「落ち着いて下さい。すみませんでした。俺の言い方が悪かったんです。長くなりますkど、聞いてもらえますか?」
「うん、言ってみて」
 俺は最上さんの奥さんである有子さんに、出会い系サイトを始めた事から、九州へ行ってしまった事。最後に肉が、とうとう関東に上陸するという事まで赤裸々に伝えた。
 有子さんは何度も電話口の向こうで吹き出していた。きっと腹を抱えているのだろう。しょうがない。これは俺の懺悔なのだ。
 恥よりも命の尊さを取れ……。
「いきなり電話してきて、そんな事言うから、しばらく笑いがとまらなかったよ」
「有子さん、俺は真剣に言ってんすよ」
「うん、分かるけどさ…、ギャハハハッハハ……」
「……」
 いいさ。悪いのは俺なんだ。しばらく有子さんには心の底から笑ってもらおう。
「ごめんごめん…、本当におかしかったからさ。でも、龍君の現状を考えると笑ってはいられないよね」
「ええ、本当に笑ってられないんですよ」
「でも、何でさっきの質問になる訳?」
「うーん、話すと長くなったので、異性である有子さんの意見を聞いておきたいなあと」
「もし、私が万が一…、まずないけどさ。悟と別れるとしたら……」
「ええっ! ぜひ聞かせて下さいっ!」
「悟が浮気した時かな。まあ、あれじゃ生涯ないけどね」
 おしどり夫婦の最上さんと有子さん。それが崩壊するとしたら、『浮気』が起因。頭の中で何かが閃きそうだ。頑張れ…、脳みその皺を増やせ。
「なるほどっ!」
 俺は腹の底からデカい声を出していた。
「ちょっと、どうしたの?」
「いや~、ありがとうございますっ!」
「何が?」
「いいアイデアを思いついたんですよっ!」
「え?」
「まあ、今度ゆっくり話します。ちょっとこれから対策を練りますんで」
「う、うん…。頑張って」
「本当にありがとうございました」
 俺は興奮して電話を切っていた。
 肉の暴走はとめられない。それは分かった。実感した。ならば、『肉を切らせて骨を絶つ』しかない。
 昔の人は、本当にいいことわざを教えてくれるものだ……。
 いや、俺の場合は『肉を上陸させて、元から絶つ』。これだな。
 鏡を見る。俺の唇は悪魔のような笑みを浮かべながら、右側に少し釣り上がっていた。

 

 

8(真・進化するストーカー女編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

友香へ早速電話を掛ける。すぐに出る肉の塊。メチャクチャ泣きじゃくっていた。ここまでは想定通りだ。「ごめんよ。おまえがさ、無茶言うから冷たい事を言ってしまってさ」...

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