知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌㊷

2023-04-29 17:35:39 | 日記
2023年の雪崩情報を終えて

4月中旬を過ぎて全層雪崩も落ち着き、ダケカンバの新芽や水辺のヤチブキが眩しい。この冬ニセコのコース外滑走区域での事故は幸いにもなかった。一方、今年は道内だけではなく全国各地で事故が起こり貴重な命が失われた。スポーツで命を落としてはならない。ニセコ雪崩情報は遊びで命を落としてはならないという思いから始められた。亡くなられた方のご冥福を祈りご家族に哀悼の意を表する。
4月中旬以降ニセコでは行方不明者の捜索が行われている。事故なのかも不明だが、もしそうならニセコルールで定められた立ち入り禁止区域への侵入が常態化した結果と言える。現場は湯の沢立ち入り禁止区域で全層雪崩の頻発地帯だ。パトロールの目を盗み、ロープを越えてこの谷を滑る人は多い。禁止エリアなのでいつも新雪がある。ロープをくぐれば誰かがその跡をたどる。それを繰り返せばやがて誰かが事故に遭う。最初にロープを越えた人は他人が事故を起こしても首をすくめるだけだ。それにしても雪崩が頻発する春の午後遅くに谷を滑る無知に言葉もない。ニセコはまた苦い経験を積み重ねた。
人が増えれば事故も増える。しかし数が増えても用心する人が増えれば事故は減らせる。30年前、ニセコは国内で最も雪崩事故の多い山だった。新雪滑走に目覚めた人たちがリフトを使って安易にスキー場コース外を滑るようになったからだ。スキー場外には素晴らしい雪があった。リフトが山頂直下の1150mまで延長された結果、事故の発生は加速した。捜索を繰り返す私たちは事故防止対策を模索した。ニセコルールはそのような歴史的経緯を経て始められた。
新雪滑走は素晴らしい。その自由は尊重しなければならない。しかし致命的な事故を起こしてはならない。ここでは滑走を禁じるのではなくそれを認めた上でルールを作った。しかし国はこの取り組みを未だに認めていない。曖昧に追認し黙認するだけだ。また当時の雪氷学会とそれを取り巻く権威ある教育者たち、また国に頭の上がらない各地のスキー場もニセコの取り組みに批判的だった。理由は科学的裏付けに乏しく前例がない、必要がない、また信用ならないなどだった。驚くことにこれらの批判は今も続いている。そしてこの迎合と同調の体質が雪崩だけではなく野外活動全ての健全な発展を阻害する要因になっている。国が推進するアドベンチャー・ツーリズムもそうだ。これをビジネスに結び付けようとするのは危険だ。日本にはその下地がない。 
雪崩には表層雪崩と全層雪崩とがある。事故は真冬の表層雪崩によるものが圧倒的に多い。ニセコ雪崩情報は毎日、その日の具体的な危険を呼び掛けている。表層雪崩は吹雪の最中とその直後に積雪内部が破断して起こる。一方で全層雪崩は地表上の雪のすべてが破断する。全層雪崩は春に多いが、ニセコのような多雪地帯では真冬でも起こる。そのため季節に関係なく、雪崩走路となる谷底を滑らないよう呼び掛ける。雪崩は自然現象だ。そこに人がいなければ事故は起きない。
日射の影響を受けやすい春の滝や湯の沢、そして水野の沢は急峻なため亀裂の有無、時期と雪崩の種類に関係なく常に危険がある。リフトからのアクセスが容易なこれらの谷は、雪崩コントロールが行われている水野の沢を除き、スキー場という立地条件の中では立ち入り禁止とせざるを得ない。ここはスキー場だ。大多数の安全のためにもスキー場にはルールは必要だ。国土交通省運輸局の外郭団体の日本索道協会の規則では、スキー場外の滑走は禁止されている。だがニセコではスキー場外のルール制定が急務だった。人が死に続けるからだ。
ニセコルールは従来の国の索道規則を補完し、より現状に即したものとして作られたと言える。重要なのは滑り手の意思の尊重だ。それは同時に滑走者の安全への配慮に繋がる。おそらくここがニセコの選択の特異な点かもしれない。それは自己責任の議論につながる。
ゲート開閉に反対するスキー場利用者は、自己責任で滑るのだからゲートは常に開けるべきだと言う。一方でスキー場は、場外事故の責任を回避して当事者にその責任を押し付けるために自己責任論を用いる。葵の御紋の印籠のように使われるこの言葉は便利な言葉だ。これは最近亡くなられた索道協会顧問弁護士の坂東先生の十八番だ。先生は裁判長に常にこれを問いかけ、スキー場を勝訴に導いてきた。しかし自己責任は限定された責任だ。登山には使えてもスキー場では使うべきではないと私は考えている。
ニセコは場外滑走の安全のためにゲートを各所に設け、それを開閉する。また雪崩情報等を利用者に提供している。そして利用者が不注意で危険地域に侵入しないよう、立ち入り禁止区域を設けている。しかし禁止区域を滑る人は後を絶たない。雪が良いからだ。実際のところ死ぬほどの雪崩は滅多に出ない。ルール軽視の誤りに気付くのは雪崩に遭った後だ。しかし時すでに遅い。死者は語れない。
私はこの問題に長く取り組んでいる。雪崩事故は防げると思う。雪崩教育が盛んになって30年経つが事故は起こり続けている。人が増えたことだけが事故多発の理由だろうか。また科学は事故防止に役立ってきただろうか。結局のところ、この問題は雪崩という物理的問題ではなく、人間の側の問題のように思う。雪崩講習会は盛況だ。そこで知識を得れば安心する。しかしどんなに雪崩のメカニズムを知り最新の道具に身を固めても、雪崩に遭えば生死は運でしかない。考えること。用心すること。事故を防ぐためにはそれくらいしかないのだ。人々は付け焼刃の知識を経験にすり替える。そして過信する。また経験を軽んじる。経験が役に立たないというのは真理だ。しかしそれを知るには自ら汗をかき経験を積むしかないのだ。そうすれば謙虚になり用心深くなる。
最近の雪崩研究の議論を概説する。まず層序構造から雪崩を予測する従来の手法を再検討する動きがある。雪崩は弱層から起こり、それを事前に知って危険を回避するという、従来広く知られた考え方に対し、積雪内部の構造的脆弱性から雪崩の原因を求めようとする研究だ。防災科学研究所は今年、モイワ見返り尾根に仮小屋を建ててふきだまりの発達の観測を試みた。目的は風雪時のふきだまりの発達過程とその構造の変化の観察だ。この研究は吹雪の日に事故が多い、というニセコ雪崩情報の考えを科学的に証明しようとする試みだ。また降雪結晶やアラレが原因とする説など、近年の地球温暖化と結び付いた研究も進んでいる。また唐突にストーム・スラブという言葉が使われ始めている。しかしいずれもすでに学説として定着している弱層理論に基づく従来の考えの域を出ていない。吹雪の日になぜ雪崩が出やすいのかは、1960年代の北米での研究にもあるように経験的に広く知られている。しかし実際にそれを科学的に検証する研究はこれまで行われてこなかった。主な理由は猛吹雪の中での観測が困難だからだ。防災科研の現地観測は今年で6年目を迎えた。研究にはスイス、オーストリア、ノルウェーの研究者も参加している。
事故防止に必要なのは教育だと思う。大勢が正しい知識を持てば事故は減る。未だに事故が減らないのは、教育そのものに問題があるからではないだろうか。権威体質は同質の者を生む。それを放置すればプーチンのような指導者が現れ、専制独裁の国が生まれる。私たちは何事にも無関心であってはならない。それが民主主義を形骸化させる。ウクライナの惨状に心が痛む。
ロシアでは裕福なロシア人がタイにバカンスに出かけ、ニセコでスキーをする。日本は官民あげて観光立国に浮かれている。ニセコに住み様々な恩恵を受けている私だが、観光を国の基幹政策に据えるのは誤りと思う。観光立国は成熟した主権国家が目指す道ではない。魅力があれば人は集まる。ところでもう私には気力がない。スポーツは若い人のものだ。雪崩情報のこの先が気になる。しかしなるようにしかならない。老い先短い私は束の間の自由を享受しようと思う。体も動かなくなってきた。ニセコ雪崩情報に協力してくれた大勢の人たちに感謝する。最後にジャクソンホール・パトロールのコーキー・ワードが残した言葉を引用してこの稿を終える。 My job is better than your vacation.  私たちには現場のプライドがあった。

ニセコ雪崩調査所 新谷暁生

知床エクスペディションに参加されるみなさんへ

2023-04-26 17:27:08 | 日記


★送迎 往路 女満別空港13時到着便までに集合
    復路 女満別空港14時頃解散予定(天候により日時が前後します。フレックスのチケットをお勧めします。)

★参加費用 150.000円 内訳は食費、装備費、保険費、送迎及びガイド費用です。個人装備は各自で用意してください。
    
◎個人で準備するもの
・カヤックの際着るものドライスーツやウエットスーツ(アンダーウェアはウールが良)
・防水バック
・ヘッドランプ(予備電池)
・寝袋(羽毛は小さくなるので良)
・マット(ウレタンの折りたためるものは便利です。)
・着替え1組・防寒着(中綿入りのジャケット・パンツ)
・パドリングシューズ(スニーカーでOK)
・上陸靴・丈夫な雨合羽・飲み水用ボトル・常備薬・歯ブラシ・軽量の1人用テント(ペグ不要)
・個人用酒・嗜好品
※足りないものがあればご相談ください。

 ◎準備しているもの
カヤック装備一式・炊事道具・食器・食料・熊対策用品

◎個人装備は最小限に抑えてください。装備食糧を各艇に分けて積み込むため容量に限りがあります。防水ドライバッグは濡らしてはならないものだけを入れます。個人装備は30リットルくらいを目安にしてください。(10リットル1つ+20リットル1つor10リットル3つ)

◎食事は集合日夕食から解散日朝食まで用意します。

◎装備は現地でチェックします。貴重品以外の海で必要のない荷物はお預かりします。

◎知床エクスペディションは参加者全員がチームとして協力しながら知床半島を一周する旅です。必ずガイドに従ってください。また水汲みや薪集め、食器洗いなどお手伝いください。

◎生水はエキノコックス症予防のため飲まないでください。
単独行動は控えてください。ヒグマが潜んでいる場合があります。ヒグマは臆病な動物ですが猛獣です。

ガイド新谷暁生


2023年知床エクスペディション始動

2023-03-14 22:00:31 | 日記
今年も凝りもせず知床エクスペディションを行うことにしました。
現在の予定としては5月2日から10日ころを考えています。
春の知床は過酷です。自分の事は自分でできる事と周りの状況に配慮ができる方のみの募集をします。
お問合せください。

ガイド 新谷暁生

知床日誌㊶

2022-11-30 16:03:07 | 日記


観光立国のおろかさ
 
人獣共通感染症といわれるコロナウィルスが地球上にひろく蔓延し、終息はいまだに見えない。これらの伝染病には地域性とともに季節性要因があるといわれ、日本でも再び冬に感染のピークが来ると専門家は言う。私たちの自衛策は人との接触を減らしマスクや手洗いうがいを徹底すること、室内の換気などだ。しかしウィルスの変異によるものか医療体制が充実したためか重症者は減り、発症者は多いが年寄りを除き死亡率は下がっている。識者によればそれは集団免疫が獲得されつつあるためだそうだ。一方で最近は免疫のない子供の感染が問題になっているという。しかしいずれにせよ人が亡くなることに変わりはない。国はこの病気に巨額の予算を振り向けているが最近その方向が変わり始めたという。確かに以前は素人が扱うのを制限していた抗原検査キットが薬局で手に入るようになり、陽性確認後の隔離日数も減った。また旅行の自粛もあまりやかましく言われなくなった。それどころか旅行を奨励しているようにさえ見える。私たちは右往左往する。本当に国民のためを思うなら無料で検査キットを配り、どこでも治療を受けられるなど、国民が安心できる施策に積極的に取り組んでほしいと思う。コロナ下で開かれた東京オリンピックもそうだが、何のため誰のためかわからないようなことをしているように思う。相変わらず発症しても住民票のある保健所に届け出なければ治療が受けられない。旅先で発症しても解熱剤を買い額にヒエピタを張って熱を下げ、ごまかして飛行機に乗って家に帰るしかないのだ。私たちの命は運を天に任せているようなものだ。マスク着用の同調圧力は相変わらず強い。
私はこの2年、知床エクスペディション参加者にガイドの責任として抗原検査を行ってきた。理由は外来の私たちから行く先に感染が広まるのを防ぐためだ。現地の不安を取り除くためにはそれしかない。参加前に発熱して参加を取りやめた人もいたが、参加者の日頃の用心のためか検査で陽性者は出ず、その後も発症者はなかった。おかげで知床の人たちは安心して私たちを迎えてくれた。ガイドは自分を守るためにも抗原検査などの積極的な対策をするべきと思う。しかしこのような素人の検査を疑問視する意見もある。一部の医者や識者はそれを真顔で言う。ツアーを否定する意見もある。だから自粛して保障金で生活するガイドもいる。しかしあの煩雑な手続きは私には無理だしその知恵もない。私たちは生きねばならない。広く私たち庶民を救済する対策を国が考えてくれることを強く願っている。今年は観光船事故の捜索を続けながら7回知床を回った。海は厳しく時に危険だった。ヒグマの活動は活発だった。事故は知床の観光に大きな傷跡を残した。海上保安庁や警察は引き続き遺体捜索を続けている。これから海は流氷が来るまで大しけが続く。現場を知る者として、くれぐれも無理をしないことを願っている。保安庁や警察は十分に責任を果たしたと思う。
東京オリンピックの不明朗な支出が問題になっている。逮捕者も出た。オリンピックは一大疑獄事件へと発展しようとしている。コロナ下のオリンピックは基本的に無観客で行われるということだった。その一方で子供の大量動員が計画されたという。何のためなのか。これは子供を危険に晒すだけではない。このオリンピックの性格をより鮮明に表すものだ。無観客ならそれに徹底すべきだし、それ以上にこのオリンピックは開かれるべきではなかった。招致から大会終了までの費用は4兆円と言われる。私たちには想像も出来ない数字だ。なぜこんな金がかかったのだろうか。
1972年の冬季札幌オリンピックを思い出す。この大会に公式記録映画の人夫として雇われたことが、私がニセコに住むきっかけになった。仕事はカメラマンをザイルで確保することだった。記憶にあるのはオーストリアのカール・シュランツがアマチュア規定違反で失格となり追放されたことだ。ミスター・アマチュアリズムと呼ばれたIOC会長のブランデージがシュランツのアマチュア資格を問題視したためだ。私は恵庭岳のダウンヒル会場のゴンドラでシュランツと一緒になったことがある。チロルの選手はヨーデルが上手かった。カール・シュランツは当時世界最速のダウンヒラーでありオーストリアの国民的英雄だった。公式練習のあとで追放されたシュランツは怒って帰って行った。
オリンピックは世界のトップアスリートが競い合う舞台だ。この点でプロもアマも関係ない。私は本番でのカール・シュランツの滑りを見たかった。優勝したのはスイスのベルンハルト・ルッシだ。ルッシは今、国際スキー連盟の理事としてアルペン競技のコース選定の責任者をしている。また2030年に計画されている冬季札幌オリンピックにも深く関わっている。札幌市は2030年冬季オリンピックの開催を強く希望しているが反対意見も多い。
1972年の開催で札幌は大都会となった。それはまた私がニセコに移住するきっかけにもなった。しかし私の気持ちは揺れている。私は雪崩事故防止のためのニセコルールの運用側としてコース選定に意見を述べてきた。予定コースがルール上の立ち入り禁止区域に入っているからだ。私には72年当時の思い出がある。だから協力してきた。しかし金にまつわる黒い噂を聞き、またこの世界の体質を見るにつけ、これ以上の協力はすべきではないと考えるようになっている。真のアスリートのためなら喜んで協力する。だが取り巻く環境が変わらない中での協力はこれ以上出来ない。ただでさえ短い余命がさらに縮まる。
それにしても2020東京大会の4兆円という費用は莫大だ。私には想像もできない。猪瀬都知事時代の当初予算は1兆円を超えていなかったという。それでも十分に多いが、いざ蓋を開けると役員の日当が30万円とか80万円だという。それなら金もかかる。驚く以上におかしいし、あきれてものが言えない。一方で多数募ったボランティアは無償だという。結局のところオリンピックはスポーツとは無縁な人たちの荒稼ぎのイベントに過ぎないのだろう。これでは競技者はコロッセオで戦うローマの奴隷戦士と変わらない。選手やボランティアが気の毒だ。だれがこのような仕組みを考えたのだろうか。IOCの体質だけが諸悪の根源なのだろうか。巷でささやかれているのは電通やパソナなどの大企業がオリンピックから巨万の富を得て政治家の懐も同時に肥やし、その不正を隠すために開催されたイベントだというものだ。そして大手メディアもそれに対してみて見ぬふりをした。もしそれが本当ならオリンピックの未来はない。
トップアスリートは2030札幌冬季オリンピック招致に対する小平奈緒の意見から学ぶべきだ。引退した小平奈緒さんは自分の言葉で意見を述べた。余談だが2020年、私たちは「僕たちのオリンピック2020」と称して50日間のアリューシャン遠征を計画していた。アリューシャン列島は知床半島とともに私の野外活動のフィールドであり冒険の世界だ。当然自費だ。しかしコロナ禍で延期せざるを得なかった。私は見るオリンピックに興味はない。スポーツは自ら汗をかき、自分のためにするものだからだ。
ネパールヒマラヤのソルクンブーというところにルクラという飛行場がある。世界でもっとも危険な飛行場と言われているところだ。今日ルクラはエベレストをはじめとするヒマラヤの高峰の出発地として、またトレッキングの基地として大きな賑わいを見せている。ネパールはヒマラヤというすぐれた資源を活用することで国を成り立たせている。私は1969年頃にこのあたりで暮らしたことがある。その後も何度か訪れたが、その変わりようには驚く。世界中から人が集まり、登山者だけではなくトレッキングをする人も爆発的に増え、それとともにヒマラヤの人々の暮らしぶりも変わった。チベット仏教を信仰するシェルパ族はそれに合わせて自らの道を切り開いている。ネパールは見るべきものが多い国だ。しかし一方で国の中心であるカトマンズはユネスコの世界危機遺産に指定されている。カトマンズは混沌の都会だ。
ネパールはインドと同じくヒンズー教の国だ。国の運営はブラーマンやチエットリーなどヒンズーの高位カーストによって行われている。しかし国の大きな財源である観光収入を支えているのはシェルパなどヒマラヤ山麓に住む人たちだ。だが彼らは政権には加われない。仏教徒のシェルパ族はネパールのカースト制度、つまりジャートの外にいる人たちだからだ。しかし彼らは生きるためにそれを受け入れている。そこには古来チベットとインドとの交易を仲立ちしてきた交易民族としてのしたたかさと賢い民族性が表れている。ネパールは自然だけで観光立国を推し進めたのではない。それはシェルパ族やライ族、タマン族などの山岳部族がいたからこそ可能だった。エベレスト登頂をはじめとするヒマラヤ登山の歴史と、それを支えて多くの犠牲を払ったシェルパや他の部族の努力がルクラやナムチェバザールの繁栄を築き、今日のネパールの観光立国政策を支えているのだ。
私は1970年にドゥード・コシという川を挟むルクラの対岸の道を歩いたことがある。この道は低地の暑さに弱いヒマラヤの家畜であるヤクとナク、その子のゾップキョやゾム、種牛のゾランをチベット高原からクンブー、そしてソルへと移動させるために古来使われてきた。道はソルのタキシンド・ラ(峠)から4000メートル近くまで上がって氷河のモレーンを縫うように続き、ルムディン・コーラという激流の谷を越えてクンブーのパグディンマに達する。ルクラへ向かう飛行機が頭上をかすめてルクラの滑走路に降りていくことや、無人の高原で原始的な罠をしかけて獲物を待つライ族の猟師に出会ったことなどを思い出す。雨季なのに水がなく、葉についた雨水をすすりながら歩いた。懐かしい思い出だ。
観光立国は言うほど簡単ではない。そこに本当の魅力があるかが問われる。ネパールにはそれがある。自然と人間、そしてその文化のすべてがすぐれた資源だ。だから人が来る。日本では京都、奈良、鎌倉などの歴史的な都市がそれにあたる。日本には神社仏閣などのすぐれた歴史遺産が多い。一方で自然はどうだろうか。日本アルプスや立山、北海道の山岳地帯は魅力的な山岳景観を持つ。知床も琉球もそうだ。問題はそれらが列島全体に広く点在していることだ。また都市や人口密集地に特徴がないのも問題かもしれない。街並みはどこも同じだ。もちろん感じ方は人によって違う。日本の田園風景は美しい。また四季のある日本は季節ごとに様々に変化する。だから時に思いがけない景色に出会う。風景だけではない。日本の武道に興味を持つ人もいる。秋葉原を目指す人もいる。しかし何かが足りない。原始景観だろうか。だから近年は北海道が注目されるのだろう。しかし観光のマーケットとして安易に北海道に目をつけるのは危険だ。北海道の自然は見てくれほど優しくない。それは夏のトムラウシ山の大量遭難や知床の海難事故を見てもわかる。北海道にも歴史がある。それはアイヌ民族の歴史だ。これも観光資源としか見ていないのだろうか。国が作った民族共生空間ウポポイという施設を見て私はそう思う。集客が進まないのには理由がある。言えるのは自己満足では人が来ないということだ。
スイスアルプスやヨーロッパの国々にはその自然景観とともに様々な歴史がある。オーストリアには山だけでなく音楽もある。東ヨーロッパやロシア、そしてドイツには自然とともに負の歴史がある。もちろんそれはどこにでもある。地中海にもある。だから世界中の人々がそれを求めて旅に出る。これらの国では過度な観光政策は取っていない。何もしなくても人は集まる。受け入れの努力をするのは当たり前のことだ。特別なことではない。
観光は無理に煽るものではない。笛を吹き太鼓を叩いても価値がなければ人は来ない。魅力は人工的に作り出せない。
ニセコは国内観光の成功例とされる。しかしそれは単に雪が良かったためではない。大勢が納得し信頼できる仕組みを作ったためだ。北国ならどこでも雪は降る。ニセコはスキーに適した山だが一方で事故も多かった。30年前、ニセコは国内で最も雪崩事故の多い山だった。国内最初のスノーボーダーの事故もここで起こった。私たちはやむを得ず事故防止に取り組んだ。今日のニセコの盛況は国の観光政策のおかげではない。地元が考え、批判されながらも身の丈にあった事故防止の取り組みを続けてきた結果だ。しかしこれから先はどうだろうか。過剰ともいえる投資の先に何が待ち構えているかは誰もわからない。
平和でなければ観光は成り立たない。だからこの時代に観光立国を謳うのはおろかなことだ。国も投資家も学者もニセコの成功を勘違いし誤解している。ニセコの取り組みは必要に迫られて行われたことだ。市場原理で動いたのではない。自分のことしか考えずにマーケットを見誤れば、ここにも廃墟の山が出現する。
ダライラマ14世の講話にある通り、私は目の前の仕事に真面目に取り組んだ。怠け者の私には荷が重かった。貧乏くじを引いた気がしないでもない。いつかまた自由に海を漕ぎ、知床の海岸で焚火をしたいものだ。また冬が来る。凄惨なウクライナの現状に心が痛む。

知床日誌㊵

2022-10-18 18:12:12 | 日記
定山渓天狗岳

2022年なだれ講演メモ 

はじめに
 
以下は2022年秋の講演資料として書いたものだ。お題は「森の中の雪は良い」。
 
資料 雪崩事故の概説 
 
日高山脈札内川10の沢 美瑛岳ポンピエイ沢 旭岳盤の沢 白井川林道 ムイネ山 定山渓天狗岳 ニセコ鉱山の沢 ニセコ大沢 ニセコ水野の沢 ニセコ春の滝 
チセヌプリ ニトヌプリ イワオヌプリ ニセコ鉱山の沢 尻別岳 羊蹄山 キロロ周辺
エベレストベースキャンプ ランタン谷 ラカポシ ウルタル ワスカランなど
 
ニセコ雪崩情報とニセコルールの理念
 
1960年代から90年代前半まで、ニセコは国内でもっとも雪崩事故の多い山だった。スキー場のすぐ外側の沢では毎年のように事故が起こり、死者の数は周辺の山を含めて12名に達した。事故は日高山脈や十勝連峰などの山岳地帯でも起こっていたがニセコは際立って事故の多い山だった。その理由はスキーに適した山だったとしか考えられない。
ニセコはリフトを使って容易に素晴らしい新雪を滑ることができる。スキーブームの中でリフトを使って簡単に新雪滑走ができるニセコで事故が多発したのは、その時代を考えれば当然のことだったのかもしれない。70年代にニセコに移住した私は事故のたびに捜索を手伝ったが、やがて事故防止に取り組むようになった。ニセコルールや雪崩情報はそのような経緯を経て作られた。
私は滑る立場に立って雪崩情報を作った。危険程度を示す国際基準があることも知っている。情報に批判的意見があることもよく知っている。しかし私はこのかたちを続けた。読むことで考える。それは頭のどこかに必ず残る。私は用心がもっとも有効な事故防止対策だと確信している。消防と同じく大切なのは予防なのだ。それは自分で危険を予測することだ。私はニセコ雪崩情報がその参考になることを目指した。
 
「午前5時南西10m/s、森の中の雪は良く板が走る。降雪推移、各データの検討から全体の雪崩リスクは低い。弱い風雪で時々視界不良。ゲートは開けられる。パトロールの意見を聞き準備してコース外に出ること。標高1200m以上の風はやや強い。常に慎重な行動を。ロープをくぐってはならない。凍傷、亀裂転落、立ち木衝突に注意。木には勝てない。沢への転落に注意。水は冷たい。良い一日を。」
 
「5時標高800m西寄り12m/s、森の中の雪は重いが悪くない。1100m以上で北西18m/sの風雪が続きふきだまりが発達、風は落ち始めるが風下側では午後まで滑走刺激による雪崩の危険か続く。ノールを不用意に刺激してはならない。沢底にとどまってはならない。雪崩は上から来る。ゲートは午前10時に開けられる予定、パトロールの指示に従うこと。安全な一日を。」
 
この情報は3名の翻訳者により交代で毎日英語に訳されて公開されている。また4名の調査員が機器の保守点検、情報収集と監視にあたっている。
 
ゲート開閉について         
 
ニセコには様々な人が訪れる。ルールの目的はゲレンデに隣接するスキー場外での事故防止であり、人種国籍経験装備技術等で差別せず公平性に留意している。主な対策は立ち入り禁止区域の設定、ゲートの設置とその開閉であり、開閉は各スキー場パトロールが行う。また「ロープをくぐってはならない」というのがニセコルールの公式の標語になっている。
 
ニセコアンヌプリ地区雪崩事故防止対策協議会
 
ニセコルールはニセコ倶知安両町とモイワ、アンヌプリ、ヒラフ、ニセコビレッジおよび花園スキー場の五つが共同して運用している。協議会はルール変更の議論や雪崩ミーティングの開催、ポスターや啓蒙チラシ、雪崩情報報告の制作をおこなっている。この協議会の会長は現在ニセコ町長片山健也があたっている。事務局は倶知安ニセコ両町持ち回りとなっている。ニセコ雪崩調査所は協議会の外にある。雪崩情報は協議会の委託を受けて調査所がだす。その費用は両町と前記スキー場が負担している。北海道は後志遭対協補助金がそれに充てられている。
 
雪崩調査とその方法         
 
朝4時からの観測と夜半から朝までの降雪推移の検討、6時の各スキー場パトロールの観察と意見によりゲート開閉が行われる。雪崩情報は午前8時までに出される。ニセコでは当日の危険を降雪推移から予測している。これは過去の事故が風雪時に多く発生していることによる。私はふきだまりの急激な発達と事故には因果関係があると考えている。
観測はニセコモイワスキー場のゲレンデ圧雪車で行う。関係者に感謝したい。調査時間は約1時間半で圧雪車のブレードによる衝撃試験と断面観察、ふきだまりの発達観察等を行う。参考データは気象庁各種気象データ、海上保安庁弁慶岬および神威岬風向風力波高データ、山系6か所の気象測器データ、2か所の赤外線カメラデータ、滑り手からの情報や意見などだ。
 
ニセコの考え
 
弱層理論は世界の結論だ。冬の雪崩の多くを占める面発生乾雪表層雪崩は吹雪や強風時に起こりやすい。従来その原因は当然ながら弱層に求められてきた。しかしニセコでは弱層とともにふきだまりの構造的脆弱性、つまりもろさに注目した。風雪時のふきだまりは短時間で急激に厚さを増す。私は雪崩は弱層ではなくふきだまり自体が破壊することで起こると仮定した。ガラスが衝撃で割れるようなものだ。発達中のふきだまりは砂時計の砂のように平均的に堆積するのではない。吹雪の強弱による降雪量の変化、その時の結晶の硬さ、湿度と温度やサイズの違いで不均一に量と厚みを増す。その時強い衝撃を加えれば瞬時に破断して雪崩を起こす。衝撃とは雪庇崩壊や滑走刺激などだ。何もなければ吹雪の収束とともに締まり雪として圧密し、均一化して安定する。
ニセコでは構造的に不安定な、発達中のふきだまりが雪崩の原因と考えている。もしふきだまりの中に弱層があるならそれは弱線とでも呼ぶべき三次元の層であり、層序構造の層ではない。いずれにせよ吹雪が収まりふきだまりが安定すれば雪崩は起きない。もし起きても死ぬほどの雪崩は起こらない。ゲート開閉はその考えに沿って行われる。
この考えは過去の議論である1次発生型雪崩と2次発生型雪崩の議論に関係するかもしれない。今はほとんど話されないが、ニセコの取り組みは事故の多くを占める悪天候時の雪崩、つまり1次発生型雪崩(ファースト・アクション・アバランチ)の事故防止のために行われていると言える。だから弱層が原因する2次発生型雪崩、つまり現代雪崩学の常識である弱層理論を否定するかのように受け取られ、批判されてきたのかもしれない。
新雪滑走は素晴らしい。その自由は尊重されなければならない。私たちはそのために毎朝ゲート開閉を議論する。ここはスキー場であり大勢が集まる。スキー場ではまだ危険が残る斜面にリフトを使って容易に行くことが出来る。だからルールが必要だしそれを守ってほしいと頼む。安易にロープをくぐる1本のトレースが、結果的に事故の引き金になるのだ。
 
 
雪崩講習会の功罪                                                
 
雪を掘れば多くの層がある。事故後に原因として特定される「弱層」にはコシモザラメと呼ばれる層が多い。雪崩発生面には必ずそれらしきものがある。それなら講習で学んだ通り事前にそれがわかれば事故は避けられたのではないのか。コシモザラメは便利な言葉だ。ピットチェックはパフォーマンスではない。
講習会の雪崩教育では先ず吹雪など悪天候時の危険を強調し、用心することを第一に教えるべきだ。専門知識を伝えるよりも先ず事故に遭わない方法を教えるべきだ。そうすれば事故は減る。雪崩講習会は大勢に雪と雪崩への関心を持たせてきた。しかしその一方で冬山遭難者の多くが雪崩講習を受講した人たちだ。その意味は重い。雪崩教育が知識と資格を得るだけのものにならないことを願っている。
私は長い間この状況を見続けた。現場は何事にも頑なになりがちだ。他人の意見を聞かず自説にこだわる。私もそうかもしれない。知識は必要だ。それは講習会で学べる。しかし経験は教えられない。それは汗をかき自分で会得しなければならない。「この時代は経験や修練というものが軽んじられ意味をなさなくなった時代だ。」これは1912年の南極スコット隊に参加したチェリーガラードの言葉だ。おそらく状況は100年前も今も変わっていないのかもしれない。
自然はそれほど優しくない。そこでは知識とともに知恵が試される。雪崩教育が果たす役割は大きい。生死に関わることだからだ。どうか受講者が事故に遭わないよう、親身になって正しい知識を伝えてくれることを願っている。
 
防災科学研究所の取り組み
 
ニセコでは防災科学研究所によりふきだまりと雪崩との関係についての研究が続けられている。この研究は従来の理論をあらためて検討し、ニセコの方法を学問的に明らかにしようとする試みだ。研究は現日本雪氷学会会長の西村浩一氏の構想ではじめられ、スイス、オーストリアなど海外の研究者もこれに参加している。
ふきだまりはその発達が止まるまで構造的に不安定な状態が続く。しかし構造的不安定とは何を指すのか、安定とはなんなのか。暴論だがひょっとして弱層と呼ばれるものは積雪安定の結果生ずる単なる層なのかもしれない。もしそうならふきだまりが原因する冬の表層雪崩を従来の手法で予測することは出来なくなる。
雪崩研究者と私はこんな議論を肴に酒を飲んでいる。問題は調査の困難さにある。天候回復を待って調査しても雪はすでに安定している。ふきだまりの脆弱性を見るには日夜、天候に関係なく調査を続けなければならない。今年はイグルーか仮設小屋を作り、そこで寝泊まりしながら調査を行う予定だ。ニセコは調査のすべてに協力している。防災科学研究所の研究が現場で役に立つ日が来ることを願っている。
 
古い本の紹介
 
以下は1974年に日本で出版された「アメリカ林野局著.雪崩 橋本誠二 清水弘訳」の冒頭の記載だ。「雪崩発生は雪量ばかりでなく、降り方にも問題がある。」「人名の奪われた雪崩の8割までは吹雪の間か直後に起こっている。」
この本は70年代に学園紛争で講義ができなかった地質学者、北大山岳部OBの橋本誠二先生が翻訳したものだ。この時代は荒れていた。大切な日高の岩石標本を投石の石に使われ、怒ってノルウェーの極地研究所の所長になった太田先生という人もいた。
 
おわりに
 
20世紀に社会進化論が否定されても、この国の欧米崇拝と権威への盲信は変わらず根強い。またプーチンに代表される優生思想の信奉者が再び台頭する時代になりつつある。多様性が叫ばれる一方で世界は自由に生きるのが困難な時代になっている。この30年、ニセコの取り組みは異端視され続けてきた。出る杭は打たれる。幸いにも打たれ強い私はそれに耐えてニセコルールを作り上げた。しかし未だに国はこのルールを公式には認めていない。その一方でニセコの成功を勘違いして官民あげての観光政策を推し進めている。
雪崩に興味を持つ人は増えた。山に行く人も多い。しかし世界には旅行など無縁な人も大勢いる。自由のない人も無数にいる。私はいつかバチが当たるのではないかと心配している。
私はこの土地に住む者の責任としてこの問題に関わった。ある人物は「ニセコの取り組みは科学ではなく、科学でないものは必ず滅びる」と言ったが、それを教えてくれたのは当時の倶知安警察署長だった。
しかし私はこの問題に科学的態度で臨んできた。過信せず調子に乗らないこと、命を大切にすること、他者に配慮することをあらためて自分に問いかけ、自戒したい。最後に、安全な冒険はなく冒険とビジネスを結びつけるのは危ういことを、意見として述べておきたいと思う。