知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌㉓

2020-08-03 18:44:25 | 日記



考えるところがありジョージ・ダイソンの「バイダルカ」を読み返した。ダイソンの「バイダルカ」は、19世紀から20世紀はじめにかけてのアリュートカヤックの変遷を知る上で優れた本だ。再読することで以前は見落としていた点に気付いた。それはダイソン自身の原稿からではなく、帝政ロシア時代の毛皮ハンターの行動の記録やその変遷の歴史、後に聖者に列せられたロシア正教のヴェニヤミノフ大司教など何人かの神父、ジェームス・クックや当時の航海者の記録、記録作成者の写真や絵などからだ。この本にはアリュートカヤックを考える上での重要な示唆が詰まっている。

「バイダルカ」に書かれた土地や入り江、ウナラスカやカシェガ、マクシン、アクーン、アクタンなどの土地をかって私は訪れた。だから具体的な想像ができる。「バイダルカ」にはロシア人による侵略の歴史の記述が多いが18世紀以前のアリュート文化の記述はないに等しい。しかし彼はラフリンや少数の考古学者以外取り組まなかった文献や記録の発掘を行った。ダイソンの業績はそこにある。アリュート民族の歴史を正しく後世に伝えたとは言えないが埋もれていた過去に光を当てたことは評価できる。この本の序文でケネス・ブラウワーが言うように、これはダイソンの心の変遷の記録なのだろう。

10年を経てダイソンの理想は振り出しに戻る。彼の最後のアリュート・バイダルカがそれまでの非現実、理想的コンミューン、つまりヒッピー文化を具現化した船ではなく、文化の滅亡が始まる18世紀中庸の狩猟用カヤック、つまり伝統的なアリュートカヤック、イクャックを再現したものであることは興味深い。「バイダルカ」は出版時のままで一人歩きしているがダイソンの思考の変遷は続く。今日のジョージ・ダイソンはインターネット社会のカリスマだ。

私はパタゴニアの迷路のような水路で滅んだヤーガン族と同じように日々の安楽を求めて知床の地面に寝る。ヤーガンの土地には土がない。彼らはムール貝を食べ尽くすと貝塚を残して次の浜に移動する。そして狭い砂利浜に毛皮のテントを張り獣脂を塗って海に潜り貝を採る。1954年、この土地で数千年生きた最後のヤーガンを英国の登山家エリック・シプトンが見ている。場所はマゼラン海峡だ。彼らは風雨の中、粗末な樹皮製のカヌーで安全な水路を目指して必死に漕いでいたという。

人類は無数の民族を滅ぼして拡大した。滅ぼされた人々に幸せという言葉はない。平地に寝られて食べ物があり雨露をしのげればそれが幸せだった。人間は多くを求めすぎた。だが求めることで文化を培った。ゆとりがなければ文化は生まれない。きっとアリュート文化もそうだったろう。しかしそれが優れていたがために彼らは滅んだ。

こんなことを書くつもりはなかった。私は今、危険な感染症が蔓延する中、知床でカヤックを漕いでいる。そして行く先の人々に感染を広げないために無い知恵を絞る。国はなぜPCR検査をもっと広く速やかに普及させないのだろうか。そのもっともらしい説明を聞くたびにあきれる。きっと命は他人事と思っているのだろう。しかし地元はそうではない。何故地方に寄り添わないのだろう。一般人を「あいつら」と呼んで区別する人々に期待するほうが間違っている。人は弱者を作って優越感を持つ。なにはともあれ命と仕事は自分で守らなければならない。用心深く生きねばならない。手洗いうがいの励行とマスクの着用を。そして検査を。

新谷暁生