盆を過ぎると知床の海は変わる。水温は20度近くまで上がるが日照時間が減り行動が制約される。また西風が続きオホーツクの海況が悪化する。この時期の知床は油断ならない。しかし岸近くの浅瀬をカラフトマスが走り母熊が子供に狩りを教えるのを見るのもこの時期だ。秋の知床は春と同様に厳しく素晴らしい。そんな海を私は漕ぎ続けてきた。電波のない知床で手に入る情報は少ない。多くは気圧計と観天望気で行動する。NHK第二放送の気象通報はそんな中で唯一手に入る外部情報だ。気圧配置がわかれば変化が読める。この情報は以前は1日3回流されていたが、今は夕方4時の一度だけだ。一度だけでは流れが読めない。しかしNHKにも都合があるのだろうからやむを得ない。あるだけましだ。私は無い知恵を絞って天気を読み行動を決める。
この海を漕ぐようになって30年、私は天気図を引き続けている。しかし描いても天気が良くなるわけではない。漕ぐのは結局自分だ。海では判断の誤りが命取りになる。まだ行けると思ってもその時はもう遅いかもしれない。海は判断5秒の世界だ。逃げるのを躊躇すれば漕ぎ続けるしかなくなる。そして痛い目に遭う。臆病な私はフクロウのように首を回して周りを伺いながら漕ぐ。考えるのは安全な上陸地だ。なにしろ知床エクスペディションはコマーシャルツアーなのだ。参加者の安全を一番に考えなければならない。そんな時、私の口の中はカラカラになる。雷が落ち始めれば最悪だ。数珠を出して天を仰ぐしかない。
7月に入り大陸中国の情報から天気が消えた。気象通報は各地の風向風速天気気圧を知らせるが、なぜか大陸の天気が放送されなくなった。理由はわからないが大気汚染が進んで天気表示が無意味になったのか、それとも天気を知られたくない理由が他に何かあるのかもしれない。いずれにせよインターネットでどこでも天気予測が出来る時代、気象通報の役割は終わろうとしている。今では実用で天気図を取っているのは私くらいのものかもしれない。長く続いたNHKの気象通報も私と同じように役割を終えようとしている。
私はGPSも衛星携帯も使わず海を漕いできた。不自由と不安が冒険の理由であり価値と思うからだ。大事なものはそう多くない。雨風をしのぎ床が平らで食べ物があれば良い。それに酒と煙草があれば幸せというものだ。
楽な漕ぎはない。そして海はその苦労に報いてくれるところだ。私は海や山から多くを得た。しかし同時に多くを失った。その中には悔やんでも悔やみきれないものもある。もっと違う人生があったろうにと思うこともある。しかし後悔しても始まらない。結局のところ今の場所で与えられた役割を果たす他に道はないのだろう。それにしても73才で知床のガイドをするのはあまりにも無茶だ。両手が悪いせいもあるが最近は艇の乗り降りに手間取るようになった。そろそろ年寄らしく孫の子守や盆栽などをして余生を送りたいものだと思う。しかし鮫やマグロのように動き続けることが私にとっての生きるということなのだろう。
この海を漕ぐようになって30年、私は天気図を引き続けている。しかし描いても天気が良くなるわけではない。漕ぐのは結局自分だ。海では判断の誤りが命取りになる。まだ行けると思ってもその時はもう遅いかもしれない。海は判断5秒の世界だ。逃げるのを躊躇すれば漕ぎ続けるしかなくなる。そして痛い目に遭う。臆病な私はフクロウのように首を回して周りを伺いながら漕ぐ。考えるのは安全な上陸地だ。なにしろ知床エクスペディションはコマーシャルツアーなのだ。参加者の安全を一番に考えなければならない。そんな時、私の口の中はカラカラになる。雷が落ち始めれば最悪だ。数珠を出して天を仰ぐしかない。
7月に入り大陸中国の情報から天気が消えた。気象通報は各地の風向風速天気気圧を知らせるが、なぜか大陸の天気が放送されなくなった。理由はわからないが大気汚染が進んで天気表示が無意味になったのか、それとも天気を知られたくない理由が他に何かあるのかもしれない。いずれにせよインターネットでどこでも天気予測が出来る時代、気象通報の役割は終わろうとしている。今では実用で天気図を取っているのは私くらいのものかもしれない。長く続いたNHKの気象通報も私と同じように役割を終えようとしている。
私はGPSも衛星携帯も使わず海を漕いできた。不自由と不安が冒険の理由であり価値と思うからだ。大事なものはそう多くない。雨風をしのぎ床が平らで食べ物があれば良い。それに酒と煙草があれば幸せというものだ。
楽な漕ぎはない。そして海はその苦労に報いてくれるところだ。私は海や山から多くを得た。しかし同時に多くを失った。その中には悔やんでも悔やみきれないものもある。もっと違う人生があったろうにと思うこともある。しかし後悔しても始まらない。結局のところ今の場所で与えられた役割を果たす他に道はないのだろう。それにしても73才で知床のガイドをするのはあまりにも無茶だ。両手が悪いせいもあるが最近は艇の乗り降りに手間取るようになった。そろそろ年寄らしく孫の子守や盆栽などをして余生を送りたいものだと思う。しかし鮫やマグロのように動き続けることが私にとっての生きるということなのだろう。
新谷暁生