知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌㊲

2022-08-08 21:14:27 | 日記

今年5度目の知床が終わった。今回は波と風に痛めつけられた。回数を増やせば悪天候に遭う可能性も高まる。それにしても天気が悪い。雨も多い。そして寒い。以前は夏の知床の常風は南東だった。太平洋高気圧が強いからだ。しかし今は違う。千島に高気圧が居座り、津軽海峡を繰り返し通る低気圧との気圧傾度が緩まない。波は風が起こし風は気圧の傾きでできる。気圧差が大きければ風は強まる。北東の風には特に注意が必要だ。その風に潮が合わさると始末が悪い。今回岬の通過は危険だった。知床岬は潮が速い。潮と強い風がぶつかると大きく不規則な波を作る。高さは電信柱ほどもある。一度沖に出ると戻るに戻れない。漕ぎ続けるしかない。岬手前は風が強く水場もない。それで風裏のオホーツク側、文吉湾近くまで行こうとした。しかし失敗だった。私の判断の誤りだ。水は10リッター積んでいた。しかし貴重な飲料水だったので欲張って流木と沢水のあるところまで行こうとした。風が弱まるのを待つべきだった。アリュートのことわざにあるように「風は川ではない」のだ。防氷堤を越えて爆発する巨大な波に呑み込まれれば生死は運でしかない。運を期待してはならない。転ばぬよう励まし続けるしかなかった。危険だった。久しぶりに口の中がベトベトに乾いた。オホーツクに回り込んでも風は強い。その後も風の合間を縫って漕ぎ、ルシャのだし風に一度追い返され、3日間しぶとく漕いでなんとかウトロの圓子さんの浜に上がることができた。久しぶりに予備日を使った。良いチーム、良い旅だった。
知床を漕ぐようになって30年が過ぎた。正確には34年だ。ずいぶんと月日が経ったものだ。多くの人々に出会い、迷惑をかけ、世話になって今日まで漕ぎ続けてきた。知床と出会わなければパタゴニアもアリューシャンにも行くことはなかったろう。何よりカヤックを続けることもなかったと思う。人には色々な生き方がある。後悔もするが今さら反省しても遅い。漕げなくなる日が来るまで迷惑をかけず人生を全うしたいものだ。それにしても体のあちこちが痛い。両手は不自由なままだし春に痛めた左足首の捻挫は、少しは良くなったが今もゴロタ石の浜で水を運んだり流木をかついだりするのはきつい。腰も痛い。しかしまだ動ける。それにしてもそう長くは続けられないだろう。75歳なのだ。今の願いは15年前に動かなくなった左の小指を治してまた音楽家に戻ることだ。人生は思い通りにならない。だれもが老いる。夢は夢として今は手抜きせず目の前の仕事を続けようと思う。終わりはそのうち勝手に向こうからやってくるだろう。
観光船の事故以来、知床の観光客は明らかに減った。小型観光船も以前のように鈴なりの客を乗せるほどの賑わいはない。知床観光を通過型から滞在型にするために、環境省は知床五胡を整備して入り口に立派な施設を作った。それは集客につながっただろうか。現状の変更を嫌い目先の利益を追い求めた結果が観光船の事故につながった、という認識は相変わらず地元にはない。
知床は可能性を秘めた土地だ。しかしそれを言っているだけでは何も変わらない。地域を活性化させたいなら林野庁も環境省も北海道も地元も、続けてきた従来の考えを転換する時期に来ている。知床の自然に触れたい人は多いが、現状では選択肢が少なすぎる。ここには登山とカヤック、トレッキング、それに観光船による奥地の遊覧しかない。硫黄山からカムイワッカへの登山道も今は通れるが、長く通行止めだった。世界遺産に便乗して北海道が道路整備を始めたためだ。その時に道の役人が言った「たかが登山者のために道は開けられない」という言葉は今も語り草になっている。
若いころ北海道の冬山で修練を積み、羅臼岳の暴風雪をイグルーを造って凌ぎ、カラコルムのトレーニングとしてモイルスからカムイワッカまでの海岸を2日で歩いた者として、私は知床への思い入れが強い。そしてこれほど優れた野生の土地は他にないと思っている。だからこそ大勢がそれに接する機会を作るべきと思う。私はこの国の観光政策に賛成しない。客を金としか見ず、一部の利益の追求しか考えていないからだ。世界遺産も良い。国立公園も良い。しかしそれを守ることが目的となってはならない。現状では全てが自らの権益を守ることに汲々としている。その結果誰もが排他的自己満足に陥っている。発想を変えるべきだ。たとえば特定の人しか知床林道を使えないのは公平ではない。それは文吉湾避難港にも当てはまる。これらの道路や施設は大きな自然破壊の下に作られた。アメリカオニアザミもこの時代に工事の客土に混じり半島先端まで拡がった。
現在ごく一部にしか使われていないこれらの道や施設は、今後はより大きな目的のために使うべきと思う。日本の国立公園のより良い利用のかたちを示すためにも、知床の人たちに知恵を出してほしいと思う。ただ漁業と観光の利害を調整するだけではなく、この素晴らしい自然をより多くの人たちに見てもらう仕組みを作ってほしいと思う。私はそれが将来の知床国立公園に明るい未来をもたらすと確信している。知床の観光は岐路に立っている。
晴れていれば半島羅臼側から30キロへだてて国後島が長く横たわるのが見える。島はあまりにも近い。9月にかけてここではロシア軍の演習が行われると言う。当然中国軍も参加する。日本は台湾や尖閣の動きに神経質になっている。しかし台湾有事でなく北海道有事の可能性はないのだろうか。安倍晋三氏の事件のように背後の警戒が弱すぎはしないか。台湾や尖閣への中国の挑発が本音を隠した陽動作戦だとしたら、恐ろしい話しだ。しかし国もメディアもほとんどこれに触れない。何か理由があるのだろうか。それとも誰かが私たちが身の回りのことしか関心を持たないよう仕向けているのだろうか。
春から秋まで1年の半分を知床で暮らし、漁師や町の人たちと話していると色々考える。ロシアと中国の指導者は崇高な共産主義の名のもとに自由社会の資本主義経済を徹底的に利用して懐を肥やしてきた。私たちは覇権国家、専制主義国家そしてその指導者たちの野望にそろそろ気づくべきだ。ロシアはソ連邦の復活を望んでいる。中国は漢民族の繁栄のためにチベットやウイグルなど周辺民族の民族浄化、漢化(同化)政策を推し進めている。ハンバーガーを食べるモスクワ市民や見てくれだけを求める中国の富裕層、そしてプーチンのロシア連邦や中華人民共和国の指導者の顔色を窺いその抑圧政策に目をつぶれば、そのつけは必ず私たちに回ってくる。
14億の中国人民のうち12億は未だに貧困だ。私は80年代に中国北部を訪れたことがある。その当時、人々は貧しくも幸せだった。その後50年、中国では14億のうち2億がマンションや車を買い贅沢を享受する可能性のある人たちになっている。14億中2億のために日本もヨーロッパもアメリカも中国に投資する。2億のマーケットは確かに大きい。だが残りの12億がその恩恵を受けることはない。物質的豊かさは果たして幸せの指標だろうか。そこに自由がなければ、住む家が泥レンガからコンクリートの集合住宅に変わっても幸せになったとは到底言えないのではないだろうか。中国共産党は人々をすべて檻の中に閉じ込めようとするのだろうか。
私は冬のニセコで仕事をしている。そこでは様々な人に出会う。多くは決まりを守って新雪滑走を楽しむ。しかし守らない人もいる。その人たちに共通するのは権威に媚び、他人を見下す体質だ。権威主義に染まった一部日本人も同じような体質を持っている。ニセコルールが必要から生まれたものであり、人種国籍年齢宗教を問わず公平だと説明しても彼らは聞かない。そして否定する。このような人はなぜ生まれるのだろうか。育った環境だろうか。教育だろうか。私も無知だがこのような人たちの無知を気の毒に思う。1974年以降に生まれた中国人にも似たようなところがある。強い反日教育のもとで成長した彼らは、日本人が決めたルールは守る必要がないと公言する。彼らはチベットやウイグル問題を中国の内政問題だと言い切る。それは香港の民主活動家であっても同じだ。私は郷に入らば郷に従えなどと言っているのではない。自分の言葉も考えもなく何かに盲従して他人を否定するのは良くないと言っているのだ。見下さず、一度は尊重したほうが良いと言っているのだ。その上で意見を言えば良い。国境の海を漕いでいると色々考える。自由は尊い。この海はそれを実感させる。


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