知床日誌②
火はその気にさせないと燃えない。雨の中で火を燃やす時、木を井桁に組むと空気が入りすぎて熱が逃げる。だから燃えない。
火を燃やすには熱を閉じ込め、空気の道を作らなければならない。乾燥した土地では木も乾いているのでそう苦労はないが、湿った土地では油でもかけない限り燃えない。
そもそも火を燃やす理由は飯を炊くためだ。キャンブファイヤーで米は焚けない。それは宴会の火だ。
私は許可された土地ならどこでも火を焚いてきた。ホーン岬でもアリューシャンでもカナダでも火を焚いた。アメリカはガイドやレンジャーが焚火を嫌うので燃やさない。
木なら生木でも腐っていても必ず燃える。しかし石は燃えない。だからかまどを石で築くのは賢くない。かまども木で作る。平行に二本の木を置き、熱を閉じ込めて流れを作り、対流を起こせば豪雨の中でも火は焚ける。
私の家には30年ものの割れて壊れかかった鋳物ストーブがある。生木や雪まみれの木はストーブには悪いが、私は毎朝いろいろな木でストーブに火をつける。安心するし、なにより私は寒がりだ。
火は繊細で危険なものだ。だから焚火には責任が伴う。私は鍋の中を想像しながら火を燃やす。私にカヤックの技術はないが豪雨の中、アルミの薄い鍋で米を焚く技術はある。
何年か前、台風の直撃で100mm/h、50m/sの風が吹く嵐の中、米を焚き麻婆豆腐を作ったことがある。
ビル火災は階段や吹き抜けを火が走ることで起こる。トレンチ効果というそうだ。バックドラフトという言葉もある。熱が発火点に達し、そこに空気が入ることで火は爆発的に燃える。
現代人はあまりにも火に無知だ。自分の行為の結果が想像できないのはそもそも罪だ。無知が罪なのだ。しかし社会全体がそうならその責任はどこにあるのだろうか。
今やそれを論ずること自体が無意味なのだろう。ともかく火は危険なものだ。私は京都の悲惨な事件を考える。断っておくが私も無知だ。しかし用心することは知っている。それでも足りないのだ。
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