5月から6月断崖にいるケイマフリ
知床日誌①
松浦武四郎はかってアイヌと半島を周り、詳細な地図を残している。その地名は現在でも通用する。当時は半島先端にアイヌの小集落があったという。
私たちが知っている文吉湾や恵吉湾などの地名は、和人に日本名を持たされた人たちの名前なのだろう。
知床が開拓されなかった理由は、そこが和人にとって役に立たない土地だったからだ。過酷な環境は和人の侵入を制限した。だから道も出来なかった。
羅臼の先のアイドマリまで道がひらかれたのは戦後しばらくしてからのことだ。それまで道はチエンベツまでにしか通じていなかった。
知円別は小説「ひかりごけ」の舞台となった村だ。主人公の青山船長は死んだ仲間の肉を食べて生き、流氷伝いに生還した。
知床は昔となにも変わっていない。海も山も変わらずに人を拒む。戦後長く知床は漁業で栄えてきた。千島からの引揚者や東北の漁師がそれを支えた。
根室海峡をはさんで30キロ先には国後島が長く連なる。しかしもうそこは日本ではない。そんな国境の海で私たちはカヤックを漕いでいる。
知床の海を漕ぐと色々なことを考える。私にカヤックの技術はないが、今更そんなことはどうでも良い。私は知床でかって情熱を傾けたヒマラヤを想い、アラカルフやアリュートの辿った道のことを考える。誰もが精一杯生きたのだろうと思う。手抜きすれば命を失くすのは今も昔も変わらない。
誰かの役にたつとは思えないが、何かのヒントにはなるかもしれない。
ガイド新谷暁生
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