知床日誌㉒
装備の軽量化、食糧の簡素化は旅の重要な課題だ。余計なものを持たず何も忘れないことが計画を左右する。何も足さない。何も引かない。なんだかウィスキーの広告のようだがこれは真理だ。人はものを持ちすぎる。
私はリストを持たず食糧や装備を頭で考える。米の量やテントの数、修理道具やロープなど安全装備、医薬品や酒の量、自分の個人装備などだ。だからよく忘れ物をする。出発すれば何も手に入らない。だから準備は注意深くしなければならない。しかし必ず何か忘れる。これは私の基本的資質、杜撰さやいい加減さのせいだろう。用心深く臆病な性格が私を生き続けさせた。しかしこれも運と確率の問題だ。いつか破綻するだろう。醤油やゴマ油を忘れるくらいならまだ良い。前回はノコを忘れた。ゴムボーイは必需品だ。私の装備リストの中では常に上位にある。しかしそれを忘れた。流木を適度な長さに切って焚火の土台を作ることが米焚きの基本なのに、なければ木を切れないのだ。
ゴムボーイは私にとって個人装備のようなものだ。風や雨の中で火を焚くにはそれなりの準備がいる。着火剤をいくら使っても木組みが悪ければ燃えない。石は燃えない。だからかまどは木で作る。風を制御して対流を起こせば雨の中でも火は燃える。火事の原因となる煙突効果だ。キャンプフアィヤーで米は炊けない。だから調理に適した良いかまどを作るためにノコは欠かせない。知床では大量の米や汁を作る。上陸後最初の仕事は焚火だ。それから水をくむ。身の周りのことは一番最後だ。着替えもしない。大抵はそのうちに乾く。雨の時は面倒がらず雨具を着る。漁師ガッパは濡れて冷えた体を速やかに温めてくれる。
知床羅臼側で最近2件のトレッカーの水難事故が起きた。いずれも岩場のトラバースで引き波にさらわれたのが原因だ。場所はトッカリ瀬(トッカリムイ)というところで、石浜が急に岩場になるところだ。2年前の事故は東京から自転車で来た2人の学生が起こした。一人は助かったがもう一人は2か月後に海岸で見つかった。私は彼らに自転車の置き場所を教え出発を見送った。私たちも出艇したがすぐ先の崩れ浜で北風が強まったのでアイドマリに戻った。風は竜巻が起きるほど強く波も急激に高まった。彼らは運悪く引き波にさらわれてしまったのだろう。
いつも思うのだが海岸トレッカーの装備は多すぎる。昔モイレウシからウトロまで二日で歩いたことがある。わずかな食糧と装備はエコバックのような小型ザックにすべて収まった。それを背負い浜に落ちていたロープで編んだ草鞋と地下足袋で飛ぶように岩浜を走った。ツエルトは持ったが寝袋は持たなかった。1977年の盆明けだった。一緒だった石川裕二は翌年のカラコルム・バツーラ2峰への遠征が決まっていた。石川は北海道山岳ガイド協会の会長を長くしているが昔も北海道を代表する登山家だった。彼はヒマラヤのみならず斉藤燦(あきら)とともにグランドジョラスのウォーカーバットレスも登攀している。私たちは二日でウトロに着いた。途中タコ岩のトラバースで溺れかけた。石川は利尻出身で河童だ。しかし私は泳ぎが苦手だ。暑い日で股ずれが出来た。それで半ズボンを脱ぎねじり鉢巻きに全裸でナップサックという変な類人猿のような恰好で浜を歩いた。当時はまだ番屋がたくさんあり、そのたびにズボンをはき賄いのおばさんに挨拶をして通りすぎた。おばちゃんも汚い裸の男の突然の出現にさぞ驚いたことだろう。その後私も石川とともに翌年のカラコルム遠征に隊員として加わった。しかし荷揚げにつぶれ高山病で死にかけた。
軽量化は安全性を高める。プラス気温の夏の知床で道具は最少で良い。しかし今日のトレッカーはまるでそれが当然のように大型ザックにテントからザイルまで持ち、ヘルメットを被り重い靴で海岸を歩く。腰にはハーネスを着け熊ガスもぶら下がっている。これが今の知床海岸トレッキングの定番的スタイルだ。知床財団はクマスプレーをレンタルしている。しかしそれなら首に巻きつける旅行用枕型の浮き袋も一緒に貸したほうが良い。頭も保護する。知床ではクマよりも海のリスクのほうがはるかに高い。浮いていれば助かる可能性がある。引き波にさらわれると溺れてもがく。そして沈む。海岸トレックの装備は極力減らしたほうが良い。軽い荷は行動半径を広げる。身軽さは安全につながる。それはカヤッカーにも言える。私はカヤックにも発想の転換が必要と思う。
防水バッグにテントからマット、靴まで入れることはない。どうせ濡れる。また寝袋をスタッフバックに入れたまま詰めると容積を大きくする。なによりもスタッフバックの多用はパッキングに手間取りそれだけ他の準備が遅れる。私は濡らしてはならないものを除き防水バッグには入れない。だから寝袋に着替えやセーターを入れても10リッターのバッグに半分ほどの容積で収まる。個人装備が少なければそれだけ他のものを持てる。行動も早い。ミニマリズムは遠征の重要な要素であり真剣に取り組むべきことなのだ。
前回の知床に別府さんという人が参加した。彼はマラソンを2時間30分代で走る若いアスリートだ。装備はシンプルで少なくそのため準備も早い。また雨の中でも常に薄着だ。薄いと乾きも早い。そんな彼でも漁師合羽は重宝していたようだ。カヤックの経験はほぼないが終わる頃にはシングル艇を体で漕ぐようになっていた。水くみから薪集めまで率先して手伝ってくれた。有難かった。結局のところ道具が何であっても漕ぐのは自分だ。必要なのは馬力と意志だ。道具ではない。楽な漕ぎはない。昔は知床を12時間半で回り冬山では重荷を背負って延々とラッセル出来た。しかし私にそんな馬力はもうない。今は艇の乗り降りにも手間取り時々転ぶ。昔を懐かしんでも始まらない。この先も漕げるものなら漕ぎ続けたいものだ。そしていつか再びヒマラヤを見たいものだと最近はよく思う。
装備の軽量化、食糧の簡素化は旅の重要な課題だ。余計なものを持たず何も忘れないことが計画を左右する。何も足さない。何も引かない。なんだかウィスキーの広告のようだがこれは真理だ。人はものを持ちすぎる。
私はリストを持たず食糧や装備を頭で考える。米の量やテントの数、修理道具やロープなど安全装備、医薬品や酒の量、自分の個人装備などだ。だからよく忘れ物をする。出発すれば何も手に入らない。だから準備は注意深くしなければならない。しかし必ず何か忘れる。これは私の基本的資質、杜撰さやいい加減さのせいだろう。用心深く臆病な性格が私を生き続けさせた。しかしこれも運と確率の問題だ。いつか破綻するだろう。醤油やゴマ油を忘れるくらいならまだ良い。前回はノコを忘れた。ゴムボーイは必需品だ。私の装備リストの中では常に上位にある。しかしそれを忘れた。流木を適度な長さに切って焚火の土台を作ることが米焚きの基本なのに、なければ木を切れないのだ。
ゴムボーイは私にとって個人装備のようなものだ。風や雨の中で火を焚くにはそれなりの準備がいる。着火剤をいくら使っても木組みが悪ければ燃えない。石は燃えない。だからかまどは木で作る。風を制御して対流を起こせば雨の中でも火は燃える。火事の原因となる煙突効果だ。キャンプフアィヤーで米は炊けない。だから調理に適した良いかまどを作るためにノコは欠かせない。知床では大量の米や汁を作る。上陸後最初の仕事は焚火だ。それから水をくむ。身の周りのことは一番最後だ。着替えもしない。大抵はそのうちに乾く。雨の時は面倒がらず雨具を着る。漁師ガッパは濡れて冷えた体を速やかに温めてくれる。
知床羅臼側で最近2件のトレッカーの水難事故が起きた。いずれも岩場のトラバースで引き波にさらわれたのが原因だ。場所はトッカリ瀬(トッカリムイ)というところで、石浜が急に岩場になるところだ。2年前の事故は東京から自転車で来た2人の学生が起こした。一人は助かったがもう一人は2か月後に海岸で見つかった。私は彼らに自転車の置き場所を教え出発を見送った。私たちも出艇したがすぐ先の崩れ浜で北風が強まったのでアイドマリに戻った。風は竜巻が起きるほど強く波も急激に高まった。彼らは運悪く引き波にさらわれてしまったのだろう。
いつも思うのだが海岸トレッカーの装備は多すぎる。昔モイレウシからウトロまで二日で歩いたことがある。わずかな食糧と装備はエコバックのような小型ザックにすべて収まった。それを背負い浜に落ちていたロープで編んだ草鞋と地下足袋で飛ぶように岩浜を走った。ツエルトは持ったが寝袋は持たなかった。1977年の盆明けだった。一緒だった石川裕二は翌年のカラコルム・バツーラ2峰への遠征が決まっていた。石川は北海道山岳ガイド協会の会長を長くしているが昔も北海道を代表する登山家だった。彼はヒマラヤのみならず斉藤燦(あきら)とともにグランドジョラスのウォーカーバットレスも登攀している。私たちは二日でウトロに着いた。途中タコ岩のトラバースで溺れかけた。石川は利尻出身で河童だ。しかし私は泳ぎが苦手だ。暑い日で股ずれが出来た。それで半ズボンを脱ぎねじり鉢巻きに全裸でナップサックという変な類人猿のような恰好で浜を歩いた。当時はまだ番屋がたくさんあり、そのたびにズボンをはき賄いのおばさんに挨拶をして通りすぎた。おばちゃんも汚い裸の男の突然の出現にさぞ驚いたことだろう。その後私も石川とともに翌年のカラコルム遠征に隊員として加わった。しかし荷揚げにつぶれ高山病で死にかけた。
軽量化は安全性を高める。プラス気温の夏の知床で道具は最少で良い。しかし今日のトレッカーはまるでそれが当然のように大型ザックにテントからザイルまで持ち、ヘルメットを被り重い靴で海岸を歩く。腰にはハーネスを着け熊ガスもぶら下がっている。これが今の知床海岸トレッキングの定番的スタイルだ。知床財団はクマスプレーをレンタルしている。しかしそれなら首に巻きつける旅行用枕型の浮き袋も一緒に貸したほうが良い。頭も保護する。知床ではクマよりも海のリスクのほうがはるかに高い。浮いていれば助かる可能性がある。引き波にさらわれると溺れてもがく。そして沈む。海岸トレックの装備は極力減らしたほうが良い。軽い荷は行動半径を広げる。身軽さは安全につながる。それはカヤッカーにも言える。私はカヤックにも発想の転換が必要と思う。
防水バッグにテントからマット、靴まで入れることはない。どうせ濡れる。また寝袋をスタッフバックに入れたまま詰めると容積を大きくする。なによりもスタッフバックの多用はパッキングに手間取りそれだけ他の準備が遅れる。私は濡らしてはならないものを除き防水バッグには入れない。だから寝袋に着替えやセーターを入れても10リッターのバッグに半分ほどの容積で収まる。個人装備が少なければそれだけ他のものを持てる。行動も早い。ミニマリズムは遠征の重要な要素であり真剣に取り組むべきことなのだ。
前回の知床に別府さんという人が参加した。彼はマラソンを2時間30分代で走る若いアスリートだ。装備はシンプルで少なくそのため準備も早い。また雨の中でも常に薄着だ。薄いと乾きも早い。そんな彼でも漁師合羽は重宝していたようだ。カヤックの経験はほぼないが終わる頃にはシングル艇を体で漕ぐようになっていた。水くみから薪集めまで率先して手伝ってくれた。有難かった。結局のところ道具が何であっても漕ぐのは自分だ。必要なのは馬力と意志だ。道具ではない。楽な漕ぎはない。昔は知床を12時間半で回り冬山では重荷を背負って延々とラッセル出来た。しかし私にそんな馬力はもうない。今は艇の乗り降りにも手間取り時々転ぶ。昔を懐かしんでも始まらない。この先も漕げるものなら漕ぎ続けたいものだ。そしていつか再びヒマラヤを見たいものだと最近はよく思う。
新谷暁生
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