オドラデクの心配事

日常にゆるやかに乱入する舞踏家の由無し事

親しみへの奥の手

2010年02月25日 | 道路劇場の記録
河北新報青森県内版 「日曜随筆」 
1999年7月25日から転載


六月下旬。大学の授業で踊る。
土曜の四時。夜間部の学生が八十数人。
いかにも国立大学らしい変哲のない階段教室だ。
 急きょ楽屋となった研究室。
じっとしていれば何事もなく授業が終わる。
学生も突然の正ちゃんダンスに出くわすことなく人生を終える。
一瞬かすめた甘い躊躇を払いのけ、舞踏家は授業中のドアを開いた。
教員だけが知ってい静かな乱入。
ざわめきとニヤニヤが次第に凍りつき、約束の二十分があっという間にすぎた・・・。

数日後、札幌の先生から礼状が届く。
学生の中には、精神科の看護婦経験者もいた。
彼女は、踊る私を向こう側に行ってしまった人として疑わなかった。
舞踏家が立ち去り、先生が素性を明かすと、
授業はいつになく和やかな雰囲気で進んだ。
先生にもあんな人間くさい友人がいたのだ、
と学生が一様に安心したらしいと結んであった。
「もしかしたら学生たちは、少年少女の日々に置き去りにした、
体いっぱいの情けない宿題の答えを一瞬見つけたのですよ」。
片山健の画集を眺めながら宗教学の先生に私は電話でこたえた。

小さな集落や露店の宵宮で踊ると子供たちは興奮して近寄ってくる。
恐いもの見たさや弱いものいじめの衝動。
それとともに踊り手の人間くさい情けなさに
無意識に親近感を抱いてしまうのかもしれない。

そもそも私は、ダンスがうまく踊れない。
リズム感がなくステップがうまく踏めないのだ。
三歳児が音楽に合わせようと片足で床を踏んでいるようなものだ。
それに笑顔がうまく作れない。
いつも無理して笑い顔を作っている。
アルバムの少年は、歯を見せて思い切り作り笑いをする写真ばかりだ。
ついでに言えば赤面症でもある。
人前で話したり、主張するなんてドキドキものだ。
胴も長い。がに股だ。指も短い。体も硬い。
そのうえ最近は髪の毛が薄くなり、小腹が出はじめたのだ。
平たくいえば、私のダンスは、コンプレックスが動いているようなものである。
しかし、このくらいでなければ舞踏家としては失格である。
コンプレックスこそ固有の表現になり得るのだ。

それらを丸ごと日常に放り出し、偶然に出くわした人と迷宮入りの宿題を共有してしまおう。
抜き差しならない関係から舞踏は始まっていく。
がに股のぎこちない歩行。リズムが外れたステップ。
少年の作り笑い。稚拙な回転。赤面舞踏。
それらは見るものを親しみの果てへと導く舞踏家の奥の手なのだ。



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