おはようございます。
たくさんの雲の合間からいくつかの星がのぞいています。穏やかな朝です。
十四a そのとき、スブーティ長老は、法に感動して涙を流した。かれは涙を拭ってから、師に向かってこのように言った。―「師よ、すばらしいことです。幸ある人よ、まったくすばらしいことです。《この上ない道に向かう人々》のために、《もっとも勝れた道に向かう人々》のために、この法門を如来が説かれたということは。そして、師よ、それによって、わたくしに智が生じたということは。
師よ、わたくしは、このような種類の法門をいまだかつて聞いたことがありません。師よ、この経が説かれるのを聞いて、真実だという思いを生ずる求道者は、この上ない、すばらしい性質を具えた人々でありましょう。それはなぜかというと、師よ、真実だという思いは、真実でないという思いだからです。それだからこそ、<真実だという思い、真実だという思い>と説かれるのです。」(中村元 紀野一義 訳 岩波文庫)
※ 無著の頌を引用します(無著造 世親釈 長尾雅人訳注 中公文庫)。
頌24b-d (スブーティの言うように、この教えは)得難いもの、最高の意味あるものであるから、また知恵の対象は、(知恵の完成としての)彼岸にまで達し得ない性質のものである(すなわち「 『知恵の完成』は……完成ではない 」のである)から、さらに("真実であると言う思いを生じる"ことは、仏教にのみにあって)他にはない独自のものであるから(説法の功徳ははるかに大きい)。
※ 「 『知恵の完成』は……完成ではない 」 ー 十三a節