正覚ノ門 徒然帖

正覚者の言葉、日々の雑感。
・金剛般若経・無著頌 R2/1/7〜3/11 7/20〜
・長老偈経 3/14〜7/17

金剛般若経 十四b

2020-01-31 04:36:10 | 日記
おはようございます。
静かな風が吹いています。天上から飛行機の音が聞こえてきます。
本日も宜しくお願いします。

十四b しかし、師よ、この法門が説かれているときに、わたくしがそれを受け入れ、理解するということは、それほど難しいことではありません。しかし、師よ、これから先、のちの世になって、第二の五百年代に正しい教えが亡びる頃に、ある人々がこの法門をとりあげて、記憶し、誦え、研究し、他の人々のために、詳しく説明するでありましょうが、その人々はもっともすばらしい性質を具えた者ということになることでありましょう。

☆ 今回は本文に関する追加説明はありません。
今朝の夢は「捜査線を突破」でした。逃げたゴーンと逃したコロナウィルスがダブります。





金剛般若経  十四a

2020-01-30 04:50:03 | 日記
おはようございます。
たくさんの雲の合間からいくつかの星がのぞいています。穏やかな朝です。

十四a そのとき、スブーティ長老は、法に感動して涙を流した。かれは涙を拭ってから、師に向かってこのように言った。―「師よ、すばらしいことです。幸ある人よ、まったくすばらしいことです。《この上ない道に向かう人々》のために、《もっとも勝れた道に向かう人々》のために、この法門を如来が説かれたということは。そして、師よ、それによって、わたくしに智が生じたということは。
師よ、わたくしは、このような種類の法門をいまだかつて聞いたことがありません。師よ、この経が説かれるのを聞いて、真実だという思いを生ずる求道者は、この上ない、すばらしい性質を具えた人々でありましょう。それはなぜかというと、師よ、真実だという思いは、真実でないという思いだからです。それだからこそ、<真実だという思い、真実だという思い>と説かれるのです。」(中村元 紀野一義 訳  岩波文庫)

※ 無著の頌を引用します(無著造 世親釈 長尾雅人訳注 中公文庫)。
頌24b-d   (スブーティの言うように、この教えは)得難いもの、最高の意味あるものであるから、また知恵の対象は、(知恵の完成としての)彼岸にまで達し得ない性質のものである(すなわち「 知恵の完成』は……完成ではない 」のである)から、さらに("真実であると言う思いを生じる"ことは、仏教にのみにあって)他にはない独自のものであるから(説法の功徳ははるかに大きい)。

※ 「 知恵の完成』は……完成ではない 」  ー  十三a節

金剛般若経 十三e

2020-01-29 04:43:05 | 日記
おはようございます。
雨は上がり、少し暖かな朝です。

十三e 師は言われた―「また、実に、スブーティよ、ひとりの女、または男が、毎日、ガンジス河の砂の数だけの体を捧げ、捧げ続けて、ガンジス河の砂の数ほどの無限の時間の間、その体を捧げ続けたとしても、この法門から四行詩ひとつでもとり出して、他の人々のために教え示し、説いて聞かせる者があるとすれば、こちらの方が、一層多くの計り知れず、数えきれない功徳を積むことになるであろう。」
(中村元 紀野一義 訳  岩波文庫)

※ 無著の頌を引用します(無著造 世親釈 長尾雅人訳 中公文庫)。
頌24a   (自らを捧げ供養し)その結果(として享ける身体)は最もすぐれたものであるが、(同時にその身体を無限に捨てることは)苦に満ちたものであるから(その功徳は劣っている。説法の功徳はそれに比して、はるかにすぐれている)。

金剛般若経 十三d

2020-01-28 04:44:37 | 日記
おはようございます。
微かな雨。雪は降っていません。

十三d  師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。如来・尊敬すべき人・正しく目ざめた人は、偉大な人物に具わる三十二の特徴によって見分けられるであろうか。」
スブーティは答えた―「師よ、そうではありません。如来・尊敬すべき人・正しく目ざめた人は、偉大な人物に具わる三十二の特徴によって見分けられるものではありません。それはなぜかというと、実に、師よ、『如来によって説かれた、偉大な人物に具わる三十二の特徴は特徴ではない』と如来が説かれているからです。それだからこそ<偉大な人物に具わる三十二の特徴>、といわれるのです。」
(中村元 紀野一義 訳  岩波文庫)

※ 偉大な人物に具わる三十二の特徴 ー 1月11日のブログ、金剛般若経五<特徴>と同じ。
無著の頌を引用します(無著造 世親釈 長尾雅人訳 中公文庫)。
頌23d   (七種の宝の功徳よりも三十二相の功徳はまさり、それよりも説法の功徳はさらにまさる、このように順次に)劣ったものよりもまさっているから(説法の功徳は最もすぐれたものである)。


金剛般若経 十三 c

2020-01-27 04:34:16 | 日記
おはようございます。

十三c 師は問われた―「スブーティよ、どう思うか。この果てしなく広い宇宙の大地の塵は多いであろうか。」
スブーティは答えた―「師よ、それは多いですとも、幸ある人よ、それは多いですとも。それはなぜかというと、師よ、『如来によって説かれた大地の塵は、大地の塵ではない』と如来によって説かれているからです。それだからこそ、大地の塵と言われるのです。また、『如来によって説かれたこの世界は、世界ではない』と如来によって説かれているからです。それだからこそ<世界>と言われるのです。」
(中村元 紀野一義 訳  岩波文庫)

※ 無著の頌を引用します(無著造 世親釈 長尾雅人訳 中公文庫)。
頌23c   (七種の宝の供養が煩悩の原因となるのに対して、土の塵も世界も煩悩の原因ではない。まして説法は)よごれの原因とはならないから(その功徳はきわめて大きい)。