神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

加害者たちの罪と罰

2015年07月08日 14時37分50秒 | いじめ

加害者たちの 悪願は 成就したのです。

悪願とは 自己中な 身勝手な願なのです。

そういう願いもあるのです。

イジメを苦に 自らの命を 絶ってしまった 被害者がいました。

それに いじめで 自殺にまで追い込んでしまった 加害者たちがいるのです。

殴られ 蹴られ 首を絞められたり 死ねと言われたりしていたという。

やめて くださいと言っても イジメは続いていたという。 

そして 自殺をほのめかす言葉を遺して・・・。

イジメる側の 加害者たちの 思いは成就したのである。

相手に死ねと強要して 相手が死ぬまで続けた イジメ。

相手の死 願いが叶った瞬間なのでしょう。

悪願が成就したのちに イジメの加害者たちは どう思ったのでしょうか。

人間としての尊厳を保つために 決して どのようなことがあっても

殺生をしてはならない。人を殺してはならない。死に追いやってもいけない。

人の命を奪うこと。心の中で 殺意も抱いてはならないのです。

他人はどうなってもいい 邪魔なら殺してしまってもいい。

そんな おぞましいことを考えるようでは

人間として どうなのでしょうか。

相手に肉体的であれ 精神的であれ 苦痛を与えるということは

たとえ未成年であっても 許されることではありません。

何故ならば 自らの行った行為は 業となって

自らの意識下に蓄積されるからです。

殺生の業 という罪を犯したからです。悪業を犯したことになるのです。

そして 罰せられるのです。

その罰せられ方というのは 自分がしたことをされるのです。

イジメる相手がいるうちは 優越感にひたれるでしょうが

相手がいなくなれば どうなるでしょう。

また別のターゲットを見つけ出し  いじめを続けるのでしょうか。

成人した社会人が 殴ったり 蹴ったり 首を絞めたり

相手に危害を加えれば 犯罪者となり罰せられます。

イジメの加害者たちが 糾弾される日は来るのでしょうか。

糾弾される内容としては イジメをした事実について・・・。

強引に金品を要求して奪えば 盗みをしたことになる。

それは 偸盗(ちゅうとう)の業を犯したことになる。

お互いに口裏をあわせて嘘をつく。イジメの事実はないと嘘をつく。

イジメの事実を訴えた方が 逆に嘘つきになってしまうのでしょうか。

いじめ そのものも うやむやにされるのでしょうか。

イジメそのものは 犯罪であり それも 重罪です。

そして イジメの加害者たちは 死後 地獄に堕ちます。

地獄に堕ちる悪業を犯したから 地獄界で責め苦を受けるのです。

南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛

地獄の存在を信じようが 信じまいが

悪いことをしたら 地獄に堕ちる。

善いことをしたら 光の世界に赴くことができる。

決して 他人を犠牲にして しあわせになれる道理はありません。

イジメの有無を 今更 調査したところで

ノートには イジメで悩んでいることを相談しているのに・・・。

それとも イジメの加害者たちを 探し出すつもりでいるのでしょうか。

イジメの傍観者たちは イジメの犯人たちを知っている。が・・・。

校長をはじめ 学校側 担任の教師たちは 町教委は

このことについて どう 決着をつけるのでしょうか。

南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛


愛別離苦 あいべつりく

愛する者と別れ離れになる苦しみ

怨憎会苦 おんぞうえく

怨みをもつ者と 憎い者と会わなければならない苦しみ

 

罪は償わなければ 救われません。

罪悪感がなければ 救われません。

南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛

 

合掌

 

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いじめは犯罪です

2013年08月13日 21時43分06秒 | いじめ

災い転じて福となす。

因果応報。行いの善悪に応じて、それぞれの報いがある。と、言うことです。

悪因悪果。悪いことをすれば、悪い報いを受ける。

他人を苦しめ、悩ましめ、不幸にすれば

今度は自分が、他人に苦しめられ、悩み、不幸に成るのです。

これが、ものごとの道理です。

信じないから罰はあたらないなんてことはないのです。

他人をいじめること自体、すでに罰があたっているのです。

確かに、いじめられる被害者にとって、いじめられることほど

つらく、苦しく、みじめな思いをさせられる。

肉体的な苦痛に、精神的な苦痛も伴います。

疎外感に、孤独感、それが絶望感に変わったら、どうなると思いますか。

 

いじめは犯罪です。

いじめられている人の心を傷つける行為です。

いじめられている人の命をないがしろにする行為です。

自分より弱い者しか、いじめない。

決して、自分より強い者には向かってはいかない。

やはり他人を苦しめたならば、その責任はとってもらいたいものです。

 

例えば、小学生の時、誰かをいじめたら、その報いが

中学生になった時に、いじめられる。

あるいは、高校生になった時に、いじめられる。

あるいは、社会人になって、職場でいじめられる。

いじめと言う悪業を犯しておいて、今後、平穏無事と言うことはない。

その悪果が、いつ、どのような形で起こるかは

本人自ら知る由もないことです。

災難は忘れたころにやって来る。

 

いじめられている人も悲観ばかりせず、自らを卑下せずに

悪いほうへ、悪いほうへと

自分を追い込むことを しないで下さい。

このようには考えられないだろうか。

いじめられない人間になろう。

加害者よりも強い人間になろう。

例えば、護身術を習得する。

剣道でも、柔道でも、空手でも、合気道でも、ボクシングでも

精神と肉体を鍛え、相手を見返してやる。

決して、いじめられた恨みを晴らすために強くなるんではなくて

あくまでも、自分自身を変えていくのです。

自分が変わらなければ、何も変わらないのです。

自分が変われば、環境も、状況も、変わって来るのです。

相手に変わってもらう、いじめをしないように、なってもらうの。

自分が自分で、いじめられないようになる。

 

今現在、いじめを受けている人に対して

酷なことを言うように聞こえましょうが

私自身も苦しんだ過去があります。自殺をも考えましたが

死への恐怖の前に、死の苦しみを考えると、死にきれませんでした。

せっかく親からいただいた命です。これからの人生を全うするために。

私は、基本的に、いじめを受けている人間の味方です。が

いじめられる側の人間も、いじめる側の人間も、共に救われる道を

考えずにはいられません。

祈りで、人間の心を変えることができるのでしょうか。

合掌

 

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