神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

いじめは犯罪です

2013年08月13日 21時43分06秒 | いじめ

災い転じて福となす。

因果応報。行いの善悪に応じて、それぞれの報いがある。と、言うことです。

悪因悪果。悪いことをすれば、悪い報いを受ける。

他人を苦しめ、悩ましめ、不幸にすれば

今度は自分が、他人に苦しめられ、悩み、不幸に成るのです。

これが、ものごとの道理です。

信じないから罰はあたらないなんてことはないのです。

他人をいじめること自体、すでに罰があたっているのです。

確かに、いじめられる被害者にとって、いじめられることほど

つらく、苦しく、みじめな思いをさせられる。

肉体的な苦痛に、精神的な苦痛も伴います。

疎外感に、孤独感、それが絶望感に変わったら、どうなると思いますか。

 

いじめは犯罪です。

いじめられている人の心を傷つける行為です。

いじめられている人の命をないがしろにする行為です。

自分より弱い者しか、いじめない。

決して、自分より強い者には向かってはいかない。

やはり他人を苦しめたならば、その責任はとってもらいたいものです。

 

例えば、小学生の時、誰かをいじめたら、その報いが

中学生になった時に、いじめられる。

あるいは、高校生になった時に、いじめられる。

あるいは、社会人になって、職場でいじめられる。

いじめと言う悪業を犯しておいて、今後、平穏無事と言うことはない。

その悪果が、いつ、どのような形で起こるかは

本人自ら知る由もないことです。

災難は忘れたころにやって来る。

 

いじめられている人も悲観ばかりせず、自らを卑下せずに

悪いほうへ、悪いほうへと

自分を追い込むことを しないで下さい。

このようには考えられないだろうか。

いじめられない人間になろう。

加害者よりも強い人間になろう。

例えば、護身術を習得する。

剣道でも、柔道でも、空手でも、合気道でも、ボクシングでも

精神と肉体を鍛え、相手を見返してやる。

決して、いじめられた恨みを晴らすために強くなるんではなくて

あくまでも、自分自身を変えていくのです。

自分が変わらなければ、何も変わらないのです。

自分が変われば、環境も、状況も、変わって来るのです。

相手に変わってもらう、いじめをしないように、なってもらうの。

自分が自分で、いじめられないようになる。

 

今現在、いじめを受けている人に対して

酷なことを言うように聞こえましょうが

私自身も苦しんだ過去があります。自殺をも考えましたが

死への恐怖の前に、死の苦しみを考えると、死にきれませんでした。

せっかく親からいただいた命です。これからの人生を全うするために。

私は、基本的に、いじめを受けている人間の味方です。が

いじめられる側の人間も、いじめる側の人間も、共に救われる道を

考えずにはいられません。

祈りで、人間の心を変えることができるのでしょうか。

合掌

 

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加護をいただく為の実践方法

2013年08月09日 17時52分58秒 | 秘密の教え・密教とは

教えを信じたならば、実行しましょう。

自業自得。

善因善果。

善いことをすれば、善い結果が得られる。

 

まず、一日のうちで一人になれる時間をつくることです。

とりあえず、机の前に座りましょう。

この時、背筋は伸ばし、肩の力を抜いて、

両手を胸の前で合わせます。

顎を少し引き気味にして、

鼻先に合掌の手の先っぽが見えるようにします。

目は半眼にします。薄目を開けている感じです。

 

次に、息を吐きます。ゆっくりと息を吐きます。

この時、腹式呼吸をします。

息を吐くときには、お腹がへこんでいくようにします。

今度は、息を吸います。ゆっくりと息を吸います。

この時は、お腹が膨らむようにします。

 

人間は肺で呼吸をしていますが、

お腹で呼吸をしているように、意識してください。

息を吐きながら、お腹がへこんでいく。

息を吸いながら、お腹が膨らんでいく。

これを、十回は続けてみてください。

息を吐いては、吸う。息を吐いては、吸う。

 

次に、心の中で、

無大日遍照金剛

なむだいにちへんじょうこんごう・・・と、唱えてください。

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

 

時間が許す限り、自分の気のすむままに、

心の中で心を込めてお唱えするのです。

たとえ五分でも十分でも続けてみてください。

 

耳栓をすると、より集中することができます。

 

このようにして、自分の心と向き合うのです。

自分に親しむのです。

 

始めたからには、一日一回でもいいですから

毎日毎日、続けてみてください。

 

その日、嫌なことがあったならば、そのままにせず、

姿勢を正して合掌する。呼吸を調えてから、

南無大日遍照金剛・・・と心の中で唱え続けてみる。

 

その嫌な気持ちを、解消するようにしてください。

身心がスッキリできれば、それがお蔭です。

 

合掌

 

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問題は自らの心にある

2013年08月07日 18時16分38秒 | 秘密の教え・密教とは

人間には心があります。そして、命が宿っております。

 

自分にも心があり、そして、命が宿っております。

他人にも心があり、そして、命が宿っております。

 

心は命であり、命は心でもあります。

 

心を、ないがしろにしては、ならないのです。

そして、他人の心も、ないがしろにしては、ならないのです。

自分の命も、他人の命も、また、同じ心なのです。

 

では、心とは、どのようなものなのでしょうか。

心という字は、バランスで成り立っています。

こころは、コロコロ、コロコロと心変わりをします。

 

まずは、自分の心と向き合うことです。

自分の心に親しむことです。

そして、心を育てること。心を成長させることが必要です。

 

お一人、お一人に、ご本尊さまが寄り添っておられます。

信じてみる。信じる心。ご本尊さまの存在を信じる。

そして、ご本尊さまが救って下さることを、信じることです

 

心に信心を持つことにより、ご加護がいただけるのです。

このことを常に心がけるのです。心構えが必要です。

 

ご本尊さまは、そのことを見ておられます。

そして、ご本尊さまによって、善き方向へと導かれて行くのです。

 

合掌

 

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神佛の加護をいただくには

2013年08月05日 19時40分59秒 | 秘密の教え・密教とは

聞くは一時の恥。聞かぬは、一生の損。

 

佛法僧の三寶のみ名を聞くことがなければ、一生の損失なのです。

 

神佛の加護をいただくには、

先ず、佛法僧の三寶に帰依することです。

 

南無帰依佛  なむきえぶつ

南無帰依法  なむきえほう

南無帰依僧  なむきえそう

 

とは、真言教主の大日如来さまを信じます。

佛教の開祖である釈迦牟尼佛陀さまを信じます。

 

とは、大日如来さまの教えを信じます

釈迦牟尼佛陀さまの教えを信じます。

 

とは、正法を護持する佛教教団を信じます。

 

神佛のとは、佛法守護の諸天善神さまをいいます。

 

悩み苦しみから解放されるには、

ご本尊さまを信じる心で、

南無大日遍照金剛  なむだいにちへんじょうこんごう と唱える。

 

信ずることによって、ご加護がいただけるのです。

 

今の現状を、変えることができるので、

決して、悲観にくれることはありません。

そのために、ご本尊さまの存在意義があるのです。

 

大日如来さま、遍照金剛さまに帰命いたします。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

一人では心もとないので、

ご本尊さまを心のよりどころに

心の支えになっていただくのです。

 

このことが善因であり、そして、善果となるのです。

 

そして災難は、大難は中難に、中難は小難に、小難は無難にと・・・

 

自業自得。このことをよくよく考えてみますと、

自らの心がけ次第で、どのようにでもなるものなのです。

 

合掌

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ご加護をいただく方法とは

2013年08月04日 18時17分10秒 | 秘密の教え・密教とは

初めまして、善行院 (ぜんぎょういん) 雄徳 (ゆうとく) と申します。


密教の修行体験で得られたことや、佛教用語を分かりやすく読み解き、

実践の仕方などを書いていきたいと思います。


どうぞ、よろしくお願いいたします。


それでは、

神佛の加護をいただく・・・ブログを始めさせていただきます。    合掌

 

その方法とは・・・


神佛の加護をいただくには、


神佛の加護をいただけるような、人間になればいい。

神佛の加護をいただけるような、生活をすればいい。

 

なぜ、悪事や、災難や、不幸な目に遭わなければならないのでしょうか。


それは、

自我中心的な考え方や、自己中心的な行為であり、行動なのです。


感情主体    常に感情的であり、感情に流されている。


責任転嫁    悪いのは、すべて他人のせい、世の中が悪いせいにする。

素直に謝れないことや、素直に感謝できないこと。

自分に原因があることを知らない。あるいは認められない。

 

先ずは、ものごとの道理を知ることです。


自業自得

自分自身の行った行為の結果は、自分自身に返ってくる。

これが、ものごとの道理です。


悪因悪果

我、今現在、受けるところの苦しみ、あるいは災難は

過去あるいは過去世において、悪いことをした報いであり、結果なのです。


善因善果

あるいは、我、今現在、受けるところの楽しみ、喜びは

過去あるいは過去世において、善いことをした報いであり、結果なのです。


佛教の教えは、業因業果の教えです。


諸の悪を作すこと莫れ

諸の善を行い奉れ

自らのその心を浄くする


神佛の加護をいただくには、どうしたらよいのか。

神佛の加護をいただくには、どうすべきなのか。


南無帰依佛  南無帰依法  南無帰依僧


善い結果を得るための、最初の一歩になります。


合掌

 

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