神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

倖せに成るための八正道(はっしょうどう)とは

2018年12月19日 08時34分50秒 | 秘密の教え・密教とは

釈迦牟尼佛陀さまの教えに

八正道(はっしょうどう)というさとりに至るための実践方法があります。

八つの正しい道ということです。正しい道を歩むということです。

 

正見   しょうけん

正思惟  しょうしゆい

正語   しょうご

正業   しょうごう

正命   しょうみょう

正精進  しょうしょうじん

正念   しょうねん

正定   しょうじょう

 

先ずは、八正道という教えを知るということ。

 

正見とは・・・正しい物事の見方をするということです。

生老病死。愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五薀盛苦。

四苦八苦の真理を明らかにして、原因 結果の道理を信じて、

物事に対して正しい見解を持つということです。

自己中心的なものの見方を、偏ったものの見方をしない。

十善戒の不邪見ということになります。

 

正思惟とは・・・正しい思い。正しい考え方をするということです。

常に佛・法・僧を思い続けることでもあり、

悪意、怨み、憎しみの思い、邪まな考えを起こさないことです。

欲にふけらず、貪らず、瞋らず、害なう心のないこと。

十善戒の不慳貪、不瞋恚ということです。

自己中心的な考え方をしない。感情的にならないこと。

責任転嫁しないこと。聞 思 修の思です。

 

正語とは・・・正しい言葉遣いです。実りある言葉遣いでもあります。

十善戒の不妄語、不綺語、不悪口、不両舌ということです。

愛情のこもった言葉遣い、思いやりのある言葉遣いを心がける。

愛語の精神が大切です。とげのある言葉、言葉の暴力等、

口は禍の元です。言葉遣いには十分に気お付けましょう。

人を生かすも言葉、殺すも言葉です。

 

正業とは・・・業とは行為ということです。行いを正すということです。

正しい行動をとる。善いことは率先して行い、

悪い行いは極力避けるようにする。

常に人様に迷惑をかけないよう心がけ、行動しましょう。

十善戒の不殺生、不偸盗、不邪淫ということです。

 

正命とは・・・規則正しい生活をする。自らの命を育むということです。

人間として恥ずべき生き方を避けること。

身口意の三業を清浄にして、身心健全を心がける。

 

正精進とは・・・努力精進。正しいことに向って怠ることなく努力すること。

一生懸命になって努力する。向上心を忘れない。

日常生活の中で八正道を行ずる。聞 思 修の修です。

 

正念とは・・・正しい想念。正しい念(おも)い。正しく思慮深い心を保つこと。

常に佛 法 僧を念ずることです。正しい集中力。

常に真実を求める心を忘れない。八正道の教えを念じ続ける。

正しい心がけ、正しい心がまえ、正しい心遣いです。

優しい心、思いやりの心、慈悲心を育みましょう。

 

正定とは・・・正しく精神を統一すること。身口意の一致、三昧に入るということ。

手を合わせ、口に真言を唱え、心に大日如来さまを想うことで、

三昧(さんまい)入るのです。心をひとつにすること。

雑念や邪まな心を離れ、安心(あんじん)を得るという。

迷いのない、安定した心の境地に入ることです。

 

八正道ということを常識とする。

常に、自らの身 口 意の三業を真実の教えに照らし合わせて、

道を外さないように、一生涯を歩んでいただければ幸いです。

それは、あなた自身の為であり、あなたの周囲にいる人々の為でもあります。

 

神佛の加護をありがたく、素直にいただき、悩み 苦しみから解放され、

真の倖せをつかまれてはいかがでしょうか。

 

密教の教えはさとりに至る道のりの中で、

現世利益がいただけるということです。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

教えを信じて、実行する。

神佛は影のごとくに、寄り添ってくれております。

 

ブログ読者の抜苦与楽の為に・・・

 

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

 

最後まで読んでいただき、ありがとうこざいます。ありがとうございました。

 

合掌

 

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聞・思・修(もん・し・しゅう)の教え

2018年12月15日 12時18分26秒 | 秘密の教え・密教とは

聞 思 修(もん し しゅう)という教えがあります。

 

先ず、とは、聞くこと。読むこと。知ることです。

教えを聞く。教えを読む。教えを知ることです。多聞ということです。

 

次に、とは、見聞したことをよくよく考えること。

ただ闇雲に何でもかでも信じればいいということではありません。

教えを思うこと。教えの内容をよく吟味することです。

 

次に、とは、日常生活の中で教えを実践することです。

修行するということ。教えを得たならば行ずることです。

 

そして、信心・信じる・信ずる心です。では、何を信じるのでしょうか。

それは、佛・法・僧の三寶を信ずることです。

 

南無帰依佛 なむ きえ ぶつ

佛教の開祖 大恩ある釈迦牟尼佛陀さまを信ずる。

密教の教主 大毘盧遮那(だいびるしゃな)如来さまを信ずる。

 

南無帰依法 なむ きえ ほう

佛教の開祖 釈迦牟尼佛陀さまの教えを信ずる。

密教の教主 大毘盧遮那(だいびるしゃな)如来さまの教えを信ずる。

 

南無帰依僧 なむ きえ そう

三国伝灯列祖の諸大阿闍梨耶。

釈迦牟尼佛陀さまの教えを護持してこられた出家修行者たち。

正法護持の佛教教団。祖師先徳方。修行者たちを信ずる。

 

 一心頂礼 十方法界 常住三寶

いっしん ちょうらい じっぽう ほうかい じょうじゅう さんぽう

一心頂礼 十方法界 常住三寶

いっしん ちょうらい じっぽう ほうかい じょうじゅう さんぽう

一心頂礼 十方法界 常住三寶

いっしん ちょうらい じっぽう ほうかい じょうじゅう さんぽう

 

次に、常に懺悔(さんげ)感謝の真言念誦(ねんじゅ)を忘れないことです。

 懺悔文(さんげもん)

我昔所造諸悪業 が しゃく しょぞう しょ あくごう

皆由無始貪瞋痴 かい ゆう むし とん じん ち

従身語意之所生 じゅう しん ご い し しょしょう

一切我今皆懺悔 いっさい が こん かい さんげ

 

我、昔より造りし所の諸の悪業は

皆、無始の貪 瞋 痴に由る

身 語 意より生ずる所なり

一切を我、今、皆、懺悔したてまつる

 

三寶のみ名を唱え、至心に懺悔するのです。

これから先、受けるべきであろう悪業の報いを

大難から中難に、中難から小難に、小難は無難に変える。

ご加護を得るためには、真言を唱えることです。

行住坐臥(ぎょう じゅう ざ が)日常の振る舞いの中でも

常に懺悔心を、常に真言念誦を心がける、心構えが必要です。

例えば、歩きながら、待ちながら、坐りながら、横になりながら

心の中で、懺悔文を唱え、真言を念誦するのです。

 

真言念誦

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン

 

一心に真言を唱える。ただ、ただ、感謝の心で唱えさせていただくこと。

必ずしも佛前にて行うこととせずに、行住坐臥においても念じ唱えること。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

開経偈(かいきょうげ)

無上甚深微妙法 むじょう じんじん みみょうほう

百千万劫難遭遇 ひゃく せん まんごう なん そうぐう

我今見聞得受持 が こん けんもん とく じゅじ

願解如来真実義 がん げ にょらい しんじつ ぎ

 

無上、甚深、微妙の法は

百千万劫にも遭い遇うこと難し

我、今、見聞し、受持することを得たり

願わくは、如来の真実義を解し奉らん

 

そして、一生の間、信心を持続させることです。

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

神佛の加護をいただき、この身、今生において

即身に成佛させていただく。

 

前回のブログから時間が過ぎましたが

私自身、以上のようなことが感じられ

あらためて再確認させられる

今日この頃なのです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。ありがとうございました。

このブログを読んでいただいた方々の抜苦与楽のために・・・

 

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

合掌

 

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