神佛の加護をいただく・・・ブログへ
お参りくださいまして、ありがとうございます。
善行院 雄徳です。
心静かに、手を合わせ、姿勢を正し
佛・法・僧の三寶に帰依し奉り
大日如来・遍照金剛に帰命し奉る。
常に懺悔す。
罪障消滅の為なれば
心から懺悔文を唱え
常に感謝す。
心に南無大日如来・遍照金剛を念ず。
十善行と南無八正道な生き方と
思愛和施(しあわせ)を行ずるは
心は清浄に、滅罪生善なれば
心を清浄に、懺悔滅罪の善行は
善行院なり。
神佛の加護をいただくには・・・
懺悔することが必要です。
先ず、三寶に帰依することです。
南無帰依佛・南無帰依法・南無帰依僧と
三寶に対して帰依することを誓うのです。
次に、大日如来・遍照金剛を信じるのです。
信ずることによって、帰命することによって
心のよりどころになるのです。
次に、懺悔あるのです。
今ある、悩み・苦しみの原因は
過去の悪業によるもので
自らの悪い行ないの結果です。
懺悔するということは
自らの悪業を認めることです。
自業自得といいます。
決して相手のせいにせず
責任転嫁しないことです。
相手を許すことです。
逆恨みをしないこと。
責任転嫁をする限り
苦しみは続くのです。
必ずしも相手のせいだけでは
ありません。
悪業の原因は
無始の貪・瞋・痴に由るのです。
貪り、瞋り、愚かさによって
意、心に想ったことが
言葉となって発せられ
行為・行動となるのです。
懺悔文 (さんげもん)
我昔所造諸悪業
かしゃくしょぞうしょあくごう
皆由無始貪瞋痴
かいゆうむしとんじんち
従身語意之所生
じゅうしんごいししょしょう
一切我今皆懺悔
いっさいがこんかいさんげ
姿勢を正し、手を合わせ
心から懺悔することが大事。
常に懺悔心をもって懺悔滅罪を祈ります。
何遍も、何遍も、懺悔文を唱えるのです。
そうすることによって
重い罪の報いを転じて
軽い報いを受けるように
してくださるのです。
神佛は自らの悪業に
向き合う者を救ってくださることを
心から信じるのです。
苦しみがあるということは
自分の悪業がひとつひとつ
苦しむほどに消えるんだと
罪業がだんだんと少なくなって
清浄な身になってくるのです。
これが懺悔・清浄心の功徳なのです。
ただし、この苦しみに対して
感情的にならず、不平不満を思わず
愚痴をこぼさず、素直に自業を認めるよう
心がけるのが善い結果を生むのです。
だから、懺悔することが必要なのです。
かといって
自らの記憶にない罪悪については
素直に心からの懺悔とはなりませんが
因果の道理は否定できません。
業の報いによって、教えられるのです。
要は誰かを苦しめたから
誰かに苦しめられるのです。
今生での悪い行ないが原因で
今生の間に悪業の結果として現れる。
前世での悪い行ないが原因で
今生の間に悪業の結果として現れる。
前世の前の前世の悪い行ないが
さらに前の前世の悪い行ないが原因で
今生の間に悪業の結果として現れる。
以上の三通りの現れ方が
因果の理法なのです。
無始以来の貪・瞋・痴に由るとは
私自身、無始以来の私なのです。
懺悔を続けることによって
無始の罪業にまで
さかのぼることになるのです。
姿勢を正し、手を合わせ
口に懺悔文を唱え
意・心に大日如来・遍照金剛を想うのです。
身・口・意の三業によって造られた罪業は
身・語・意の三業によって懺悔することが
悪業の罪を滅することになるのです。
南無帰依佛・南無帰依法・南無帰依僧
南無大日如来・遍照金剛 (お大日さま)
自己中心的な考え方をしない為に
三寶に帰依すること。
三寶を心のよりどころとすべきです。
大日如来・遍照金剛
お大日さまの
命に帰するのです。
禍転じて福となす。
ですので
懺悔することが、懺悔できることが
十善を行なうことになり
やがては
南無八正道な生き方と
思愛和施(しあわせ)を
成就することになるのです。
最後まで読んで頂きまして
ありがとうございました。
あなたに
神佛の
ご加護が
ありますように・・・
合掌
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