神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

真実の体験者

2015年11月08日 05時23分06秒 | 秘密の教え・密教とは

南無帰依佛  私は佛陀・釈尊に帰依いたします。 

大日遍照金剛さまに帰命いたします。

 

南無帰依法  私は佛陀・釈尊の お覚りになられた み教えに帰依いたします。

佛陀に成るための み教えに 帰依いたします。信心いたします。

 

南無帰依僧  私は佛陀・釈尊の み教えを 伝えてくださった

お弟子さま方 僧に帰依いたします。

 

佛寶 法寶 僧寶の 三寶を心に念じます。 南無一切三寶

 

まずは 信じる心を育んでください。

信心する。

 

私たちは 真実の体験者なのです。

肉体的な苦悩である 生苦・老苦・病苦・死苦が それです。

 

生苦生きることの苦しみを知っていますし 感じています。

今の時代は特にそうです。

特に悩みや苦しみを抱えている人たちにとっては

生苦そのものを 直に体験しているのです。

信心しょうが 信心しまいがです。

釈迦牟尼佛陀さまは このことを覚られました。

 

老苦いつまでも赤ちゃんのままではいない。成長するということ。

少子高齢化の現代 老いることは苦しみなのです。

いつまでも若さを願っていても この世に生まれた限り

人間 老いることが真実です。

 

病苦病は苦しみである。四百四病といわれる病気の種類があるのです。

風邪をひけば 咳もすれば 熱も上がる。節々に痛みを感じます。

その最たるものは 癌でしょう。その苦しみたるは 業苦の表れなのです。

 

死苦死への恐怖。死ななければならない宿命があります。

すでに お亡くなりになった方々は 死を体験しました。

 

精神的苦悩もあります。

愛別離苦イジメにより自らの命を絶ってしまう。

両親や祖父母にとって 最愛の子供との 永遠の離別が それです。

夫は妻を 妻は夫を亡くす。祖父母を亡くす。

生別 死別。病死。交通事故死など。突然の別れ。

 

ここに問題があります。子供を亡くして 分かることがあるのです。

生きている今 イジメられなければならない苦しみは

生苦と死苦をも孕んでいます。

 

親の因果が子に報い です。

親が信心していないから また その親たちも信心していないから

不信心な 親にして 子や 孫に 加護があるわけないのです。

 

自宅に佛壇があって ご本尊さまに 先祖の位牌があって

ローソク 線香 ご飯に お茶や お水 お花に 供物を お供えして

朝晩のひと時 家族全員で 手を合わせて

ご本尊さまへの ご先祖さまへの 感謝の念を捧げている人間が

今の世の中 何人いるのでしょうか。

 

神棚があって 神社がお札をいただいて お祀りする。

榊を お水に お神酒 お塩に 洗米 あるいは ご飯を お供えして

作法通りに 朝夕のひと時に お参りしている人間が

今の世の中 何人いるのでしょうか。

 

怨憎会苦イジメの加害者と被害者の関係がそれです。

職場や家庭内などでのモラハラ パワハラも その中に入ります。

 

求不得苦 求めても得られない苦しみ。

自分の思い通りに ことが運ばないことへの苦悩が それです。

 

五薀盛苦ごうんじょうく と読みます。

難しい言葉ではありますが 自らの肉体的欲望

精神的欲望が盛んであるということ。

俺我 俺我 私我 私我ということに 執着し過ぎていることです。

 

誰にでも思い当たる節があるはずです。

もうそのようになっている事実 それこそが真実なのです。

四苦八苦の教えなのです。

 

南無釈迦牟尼佛  南無釈迦牟尼佛  南無釈迦牟尼佛

 

神佛に感謝する心。人さま 世間さま 自然さまに感謝をする心。

この感謝の心なくして 思いやりの心など育ちません。し

神佛の加護はいただけません。

 

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

 

信心する心があれば 行動に表れます。

背筋を伸ばして正座をして 手を合わせる。

腹式呼吸をして 心を落ち着かせる。

口に おん あび ら うん けん ばさら だと ばん と、お唱えする。

心の中では 南無大日遍照金剛 と念じ続ける。

このことを 同時に行うのが 密教の三密の行です。

 

密教の教えは 現世利益が得られ

信心を 信仰を続けることによって 即身成仏佛できる

生きた人間のためのものです。

 

例えば 病気のことで 悩んでいるとします

イジメのことで 悩んでいるとします

そのことを機縁に 神佛の加護を求めるのです。

神佛の加護がいただける人間に成ること。

 

教えに出遭ったならば 信心するようにする。

信仰心なくしては 救われることはないのです。

 

南無帰依佛  南無帰依法  南無帰依僧

 

以上のことを 迷信などと一笑に付す者は 地獄に堕ちるのです。

 

そうならないためにも この佛縁を大事にしてください。

 

終わりまで読んでいただき 有り難うございます。

 

合掌

 

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