神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

セルフ・イメージ

2014年10月28日 16時19分01秒 | 秘密の教え・密教とは

祈り・拝み 信じ 続けること・・・

 

何故に 毎日 欠かさず 祈り・拝み続けなければ ならないのでしょうか ?

 

人間は この世に生を享けてから 寿命が尽きるまで

生き続けなければ なりません。

いかに 生きていくことが 苦しくとも 辛くとも

自らの命を 自らの手で 絶ってはなりません。

 

私は お不動さまを ご本尊さまとして お祀りしております。

南無大聖大悲不動明王 と祈らせていただいております。

 

不動明王さまを信じて 道場の中央の上段に 安置しております。

ご本尊さまに向かって右には 胎蔵生(たいぞうしょう)マンダラを

ご本尊さまに向かって左には 金剛界(こんごうかい)マンダラを

中段には ご本尊さまの ご寶前に

不動明王さまと その眷属であらせられる八大童子さまの絵像を

その左右には ローソク立て さらに その左右に 常華(じょうか)を

一番下の段には 中央に 香炉 その左右の 供物台には果物やお菓子を供え

さらに その左右には 生花を生けた花瓶を 安置しております。

 

南無大聖大悲不動明王

 

薄暗くした道場の中にある ローソクに火を点すと やわらかい灯りが

不動明王さまを やさしく照らしてくださいます。

線香に火を点け 香炉の中央に真直ぐ立てると 

香の煙が上へ上へと 立ちのぼっていきます。

そして 雲のように ご本尊さまの 頭上あたりに香煙が漂います。

実に 神秘的な雰囲気の中での 祈りが 始まります。

 

南無大聖大悲不動明王

 

お不動さまを 思い 念じ 唱える・・・

 

不動明王さまの お姿 佛像 そのものは

不動明王さまの の あらわれであり  み心の あらわれであり

誓願(せいがん)の あらわれでもあります。

 

南無大聖大悲不動明王

 

密教の修行は 不動明王さまと 自らが一体に成るために 祈り・拝むのです。

あるいは 大日遍照金剛さまと 自らが一体に成るために 祈り・拝むのです。

 

私の 身体・言葉・を ひとつにして祈り・拝むのです。

身体は 背筋を伸ばし正しく坐り 姿勢を調え 合掌します。

言葉は お不動さまの真言を お唱えします。

心は お不動さまを信じ 念じ続けるのです。

 

南無大聖大悲不動明王

 

では どうして このようなことを しなければならないのか。

現代風に言えば セルフ・イメージを 高めるためにです。

自らの精神面を 向上させるためにです。

あるいは 自らの スキル・アップを させるためにです。

 

それは 最終的に 私が 不動明王さまと 同じ境地に成るためにです。

即身成佛と言うと とっつきにくく 小難しい イメージですが

要は 私の 悩み・苦しみを お不動さまは 救ってくださることを

大日遍照金剛さまは 救ってくださることを

そして お蔭をくださる 加護してくださる ことを 信じ続ける

自らの このモチベーションを 正しく 保ち続けるためにです。

 

そうすることによって お不動さまに 大日遍照金剛さまに 感化されて

悩み・苦しみから解放され 心の安らぎ・安心(あんじん)が得られるのです。

 

南無大日遍照金剛と お唱えするのもまったく 同じことが言えます。

 

南無大聖大悲不動明王

 

あなたには 無限の可能性が 秘められています

それは あなたが 大日遍照金剛さまと

無関係な存在ではない と言うこと。

それは あなたが 大聖大悲不動明王と

無関係の存在ではない と言うこと。

 

今までの セルフ・イメージを変えることで

考え方が 行動が 習慣が 発言の仕方が

結果が変わってくるのです。

イメージは変えることができるのです。

 

そして あなたの 隠れた才能を見出し 開花させるには・・・

 

最後まで読んでいただき ありがとうございます。

少しでも あなたの お役にたてればと思います・・・

 

南無大聖大悲不動明王 大日遍照金剛

南無大聖大悲不動明王 大日遍照金剛

南無大聖大悲不動明王 大日遍照金剛

 

ちなみに 毎月二十八日は お不動さまの縁日です。

ありがとうございました。

 

合掌

 

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私たちは大日遍照金剛なり

2014年10月18日 12時29分27秒 | 秘密の教え・密教とは

 名は 体を あらわす

 実体は 真実在なのです。

 そして すべては 元ひとつの 同体であると・・・

 

 私たちは 太陽の存在を知っております。

 太陽の働きも知っております。

 太陽という実体 存在があり 太陽という文字があり

 太陽という言葉があり 太陽とに出して言うことができます。

 太陽というが を 姿を を あらわしているのです。

 太陽の働きに関しては 太陽というものを 理解すればよいのです。

 例えば この世に太陽という存在がなければ

 太陽という言葉も 文字も 声に出して言うこともできないし

 太陽の働きも 存在価値も 知ることができないのです。

 

 南無大日遍照金剛と 念佛を唱えることは

 大日遍照金剛という文字があるから 言葉があるから

 声に出して唱えることができるのです。

 私たちの眼では 大日遍照金剛さまの実体を

 お姿を ありのままに 見ることは できません。

 それでは 実体がないということになりますし

 大日遍照金剛という 存在自体ないことになります。

 が、私たちが 南無大日遍照金剛と 唱え続けることによって

 念佛の行を 続けることによって

 私たち自身が 大日遍照金剛と 成るのです。

 私たち自身が 大日遍照金剛という実体に 他ならないのです。

 これが 密教の教えであり 即身成佛の 教えなのです。

 

 密教の教えに関する言葉のなかに

 如実知自心(にょじつちじしん)という教えがあります。

 実の如く 自らの心を知る 本来あるべき自らの心を 知ることなのです。

 自らの本性 本質を見極めることを 意味しています。

 私たちは 大日遍照金剛さまの 『み心』 と 同一の心を

 私たちは有しているのです。

 私たちは 大日遍照金剛さまと 同じ生命が宿っているのです。

 大日遍照金剛さまの 『命』 と 等しい命を 私たちは頂いているのです。

 

 遍照金剛という無限の ひとつの生命を 等しく分け与えられているのです。

 私たちは 大日遍照金剛さまと 無関係な存在ではありません。

 このことを 悟れば 大日遍照金剛という 実体と成るのです。

 この世の すべての ものごとは すべてに 行き渡り

 すべてのものには 繋がりがあります。

 本来 元ひとつの 同体なのです。

 自分も 他人も 佛さまも 区別も 差別もないのが

 区別も 差別もない世界が 真実在なのです。

 

 これらの教えを 実証するために 修行するのです。

 これらの教えを 理解するために 念佛を唱えるのです。

 

 南無大日遍照金剛

 南無大日遍照金剛

 南無大日遍照金剛

 

 どうか このことを よく理解し 体験することが

 神佛のご加護をいただくことになるのです。

 

 ありがとうございます。 ありがとうございました。

 

 合掌

 

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