
期限が迫る祈りの課題。
どうしても、主(しゅ)のお力が必要で、自分ではどうしようもない。
自分のことだけで済めば、諦めれば良いことなのだけど、身近な人に大きな迷惑をかけることになるため、ずっと悩んでいた。
聖書が言うように、心配することによって、私の心身が消耗して、がんと闘う免疫を下げていることも憂いに加わっていた。
ステージ4からの死ということは、全く考えていなくて、毎日を平安に明るく暮らせているのに、そこが一層しんどかったのだ。
だから、今日も御言葉(みことば=聖句)、「(主に)より頼む」の意味を考えていた。🤔
*believeとtrustが違うように、信頼するとは、(信じて)頼るということ…
頼るということは、任せるということ。任せるとは、自分の考えや感情から課題を切り離して、委ねるといこと…そう考える過程で、(日が迫っているプレッシャーがないことはないが)、心の重荷が少しずつ軽くなっているところ。
神様が、私に憂いを取るように、信頼しなさいとくださった御言葉なのではないか….
旧約聖書 箴言
心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。
運動したり気分転換をしたり、確かに闘病の良い薬を主が日々与えてくださっている❣️
なのに私は、環境に焦らされ、一人で圧を感じて思案している。
それって、主を信頼していないってことにならないか?
なるとしたら、それは主に大して大変失礼極まりないことではないか。🧐
心配することをやめる、忘れる…それも祈ろうかな。