コロナ禍 3年振りに催行された2022祇園祭 後祭の山鉾巡行です。
コロナの流行が第7波に入ったとの発表を受け、4回目のワクチン接種を済ませ、マスク・除菌スプレーを持参して緊張の面持ちで新幹線に乗りました。 上洛は3年振り、祇園祭は8年振りのウォッチです。
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≪続く≫
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2012/04の画像フォルダーにありましたぁ !!! 雨の中、松尾大社 神幸祭(おいで)の「船渡御」をウォッチした翌日、お土産に頼まれた「みすや針」を求めに行った時の写真です。
三条通寺町東入ル北側、店の間の狭い入口を行った処に、「三條本家みすや針」の老舗があります。
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◆洛中では大店でも間口が狭く、鰻の寝床の様な敷地の奥に、坪庭の様な空間が広がっています。 !!! (^―^)(^m^)
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先日、新聞で新刊本の案内を見て図書館を検索したら、「珈琲店タレーランの事件簿」の本を(6)まで蔵書してるのを知り、(3)~(6)を借りて先日読み終えた処です。 (1)(2)は既に読んでおり2014/02の旧ブログに掲載済みです。 昨日、図書館を検索してたら新刊(7)が〔購入中〕になってるので、早速 予約しましたが順番は4人目です。
7週間は優に掛かるので、ヨドバシで買っチャイましたぁ !!!
「珈琲店タレーランの事件簿(7)」悲しみの底に角砂糖を沈めて
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◆若者向きで お爺さんが読む本では無いと思いますが、京都が舞台でベストセラーになっていると知り、勢いで読んでいます。 図書館の本を読むのは、京都に関する歴史・地史、中世の時代小説、それと澤田ふじ子さんの小説に偏っています。 最近は澤田ふじ子さんの新刊が無いので、娘 澤田瞳子さんの時代小説にしています。 澤田さんの小説には通りや路地の名が頻繁に登場するので、市街図を見ながら土地勘を養っています。
◆事件簿では、「純喫茶タレーラン 京都市中京区、二条通と富小路通の交差点を少し上った場所に、その店はある。 レトロな電気看板に描かれた人差し指のマークが示す、双子のように二軒並んだ町屋の軒が作るトンネルをくぐると、京都の街中であることを忘れるように広々とした庭に出る。 その最奥にある、古めかしい木造の平屋が、いま僕のいる純喫茶タレーランだ。」との記述が毎回出て来ます。
この文章から何時も想像するのは、三条通寺町東入ル北側に在る 狭い路地を入った処のぽっかりした空間に佇む「三條本家みすや針」の老舗を思い出します。
※ 写真は撮ったのですが、膨大なライブラリーで整理が悪く、見つかりませんでした。
◆著者の岡崎琢磨さんは1986年福岡県生まれ、京都大学法学部卒で作家人生に入りました。
それ故か気になるのが「二条通と富小路通の交差点を少し上った場所に」のフレーズです。 京都人が場所を示す場合、何通りに面しているかを先に、次に近い交差する通りは何か、そこから「上ル・下ル・西入ル・東入ル」で表して、「町名」を付けると教わったからです。 “上った場所に”ですから南北の通り名は「富小路通」になり、「富小路通二条上ル鍛冶屋町」が正解でしょうかぁ !!! (^―^)(^m^)
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昨日は久し振りの友人を案内して鎌倉を散策して来ましたぁ !!! 鎌倉駅西口で待ち合わせ、ゆるゆると歩きながら六地蔵から和田塚へ、予約した鰻屋さんで早めの昼食、昔話に花が咲き店を出たのが12時半、大仏を参拝しようと寄り道しながら高徳院鎌倉大仏へ行きました。
近県の6年生修学旅行御一行様と思しき団体が記念写真を撮っていました。
大仏参拝の後、銭洗い弁天へ行ける尾根筋のハイキングコースがあると、55年前の体験を話したのは余計だったが、行って見ようかと 高徳院を出て大仏坂トンネル脇の登り口へ行きますと、少しの間に男女数人が階段を下りて来ます。 山道の様子を尋ねると、銭洗い弁天・佐助稲荷から大仏へが楽なコースで、逆だと登りが大変だと言われる。 (此処で止めておけば良かった) 20代に槍ヶ岳を登った相棒なので、ゆっくり行きましょうかと階段を登りました。 長い階段を上がった処で、早くも分岐点が、何方だろうと思案、チョット先に標識を発見(此処で間違えました)、それに従ったら道が下るではありませんか、嫌な予感がしましたが、先で右に曲がり続いているので進むとあれっ?迷っチャッたぁ !!! その先で反対から来る人に遭遇、その人は迷いながらスマホのGPS案内を頼りに来たと言われ、相棒がスマホで探すと近くに公道があり、その方向に進んで道へ出ました。
道路を下った処で佐助稲荷への道を尋ねて、常盤山団地へ下りてしまった事が分かりました。
【青線が歩んだ道筋・黄線は尾根筋のコースです。】
大仏坂トンネル脇の階段を登り切った処が要注意です。
銭洗い弁天です。
最後は、鶴岡八幡宮を参拝。
夕陽がしずみかけていましたぁ !!!
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◆賢明な人は、銭洗い弁天・佐助稲荷から大仏への尾根筋を辿りましょう !!! (^―^)(^m^)
◆歩んだ距離は13㎞、此の2年で最長のウォーキングとなりました、腰が痛くて、足が痙攣を起こしそうです。
家の裏山で高齢者が迷い遭難なんて、身近であり得る話ですねぇ !!! (^―^)(^m^)
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テレビでは皆既月食の話題で盛り上がっていたので、見えるかなぁと双眼鏡を抱え 近くの丘に上ったら、東の低い角度に半分ほど陰になった月を見つけました。 夕焼けが綺麗だったので カメラを取りに引き返し、戻った時には 雲に覆われて見えませんでした。
食後、玄関ポーチから 斜め向かいの家の上に 右下が残った月が見えました。(欠けた月のイメージ画像)
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◆国立天文台のHPには、昨夜の月食は部分月食との解説です。
◆欠けた部分の残像が“せんべい”のこげた色に見えたのは 私だけでしょうかぁ !!! (^―^)(^m^)
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「香炉峰の雪いかならむ」と問われても 学の無い私には分かりません、興味があれば 直にWebで検索すれば 大凡の意味が分かる便利な時代となりました。 しかし、意外にも即興で解説する博識なタレントさんを見ました。
BS日テレ10/19放送「ぶらぶら美術・博物館」のMC山田五郎さんです。
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◆展覧会監修 山下裕二先生が「香炉峰は中国の名峰。戦争画として戦闘機を大きく描きながら、同時に雄大な中国の自然も描こうという龍子ならではの突飛な発想です。」との解説に、番組レギュラーMCの山田五郎さんが「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」とも掛かっているのでは?との発言です。
◆早速「香炉峰の雪は」を検索した処、「白居易」が左遷され、景勝地「香炉峰」の麓に新居を構え、詠んだ詩句を、
清少納言が「枕草子」第280段「雪のいと高う降りたるを」で、中宮定子が「少納言よ 香炉峰の雪はどんなであろう」と仰せになるので、女官に御格子を上げさせて、御簾を高く巻き上げたところ、お笑いあそばす。
「簾を上げる」が正解だったのです。 川端龍子画伯は戦前の人、白居易の詩、清少納言「枕草子」の一節を掛けたのではと、現代人には考えつかぬ博識を山田五郎さんは説かれましたぁ !!!
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半世紀前の日中国交正常化 絡みだと思いますが、横浜山下公園で開催されていた中国物産展で買った記憶があります。 1枚が数千円だった様に思いますが、ポスター感覚で買い求めました。
◆“清画 王宸”でググると【王宸(オウシン) Wáng Chén】1720~1797、清 乾隆期の文人画家。 字は子凝、号は蓬心。 江蘇省太倉の人。 清朝体制派の一人 王原祁(オウゲンキ)の曾孫。 王原祁の婁東(ロウトウ)派の傘下で清朝画院の保守的、臨摹(リンモ)的な山水画は婁東派の枯渇した画調の域を出ることなく、ついに独自の画風を打ち立てるに至らなかった。 用筆は墨汁を重ね粗荒さが目立つが、晩年はさらに枯れ、画面の構成には遠大さが欠けていた。 著に「絵林伐材」10巻がある。 と記述されています。
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◆当時 パソコンは無いので 写真のプリントではありません。 れっきとした絹本の肉筆画です。
観光物産展ですから、お土産用に作られた模写なのでしょう、額に入れて飾っていましたが、カビ汚れが目立って来たので、スキャナーで画像ライブラリーに保存しチャイましたぁ !!! (^―^)(^m^)
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【祇園祭「鷹山」約200年ぶりに化粧姿よみがえる】(京都新聞) 2021/05/24
水引や胴懸で飾り、ご神体人形を乗せた姿が初披露された「鷹山」、鷹狩りの様子を表し、外からも見やすいように置かれた3体のご神体人形。
2022年の祇園祭 後祭での巡行復帰を目指す「鷹山」(京都市中京区三条通新町東入ル)が24日、修復中の山を初めて水引や胴掛で飾り、ご神体人形を乗せた姿を披露した。 鮮やかな懸装品に彩られ、鷹狩りに興じる人々の姿を表した山の姿が200年近い時を経てよみがえった。 山の製作を担う安井杢(モク)工務店(京都府向日市)の木工場(京丹波町)で、「鷹山」復原検討会が開かれた。 染織や人形制作の専門家からなる検討会メンバーが、人形の配置や全体のバランスを確かめる目的で、巡行時に近い姿を再現した。 鷹山のご神体人形は、左手に鷹を留めた鷹遣い、犬を連れた犬遣い、酒樽を背負いちまきを食べる従者の3体から成り、鷹狩りの風流を表現する。 宵山期間の会所飾りでは3体の人形を並べて展示しているが、巡行の際には山の舞台上の正面に鷹遣いを配し、従者はちまきを食べる姿が山の後ろを飾る見送りの隙間から少し見えるようにする予定。 中央には松の山に見立てた緑色の布と犬遣いを置く。 昨年度末までに織り上がった胴掛や、二番水引、三番水引も仮仕立ての状態で山に取り付けられた。 屋根も載せた山を見た「鷹山」保存会の山田純司理事長は「骨組みだけの時と全然違う。 涙が出そうになった」と感無量の面持ちで語った。 人形の位置を確認した検討会座長の村上忠喜・京都産業大教授は「鷹狩りの様子を表したドラマチックな構成は他の山鉾にはない姿で、私もわくわくしている」と来夏に迫った巡行への期待を示した。
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◆京丹波町の安井杢(モク)工務店 木工場で組立中の「鷹山」
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◆元治元年蛤御門の変で焼け残った「鷹山」の御神体は、宵山期間 三条通新町東入ルの会所で見る事が出来ます。
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◆2014年祇園祭 後祭で復興した「大船鉾」に続いて、2022年後祭に曳山「鷹山」が復興します。
◆2022年祇園祭は前祭(7/17)が23基、後祭(7/24)は「鷹山」が加わり11基による山鉾巡行となります。
久々に「鷹山」を撮影がてら祇園祭 後祭の山鉾巡行を目に焼き付けて来ましょうかねぇ !!!
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今回作ったBMW R75/5 他 4つのプラモデルです。 バイクの色は黒と白にし、エンジンはクロームシルバーにしました。
マーク等のデカールは古いので保留とし、ケーブルのハーネスは細か過ぎるので省略しました。
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書棚を片付けて、こんな感じで飾っています。 (^―^)(^m^)
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◆バイクのプラモはもっと有ったのですが、家の建て替えで仮住まいしたので、引っ越し等で壊れたものは捨てています。 此れ等も最後は廃棄されるのでしょうが、五重塔の木製模型は位牌代わりに残して貰いたいなぁ !!! (^―^)(^m^)
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