マメモ

適当な日々のメモ。
写真 犬 育児 何かの感想 植物 たまに落書き が主です。

スーパー

2011-04-03 | 日常日記
今日は休みで、スーパーに行きました。

毎日やってはいるのですが、5時には閉店してしまうので
仕事のある日は行けないのです。

いやー。

物が増えてきてる!!

水もあるし、お惣菜もはじまってるし。
というか、2時過ぎに行ったのに、まだこんなにある驚き(笑)


封鎖された棚は、ほとんどなくなりました。
レトルトや、カップ麺も並んでいます。

あと、子供たちが、ゆっくりとお菓子を選んでいるのが
変に久しぶりな感じがしました。

震災後、やっと空いたスーパーはもちろん
だいぶたってからでも
「○○ちゃん!ママはお豆腐かうんだから、早く!!」
というふうに、とにかく必要なものを買う親にせかされてたり
お菓子コーナーでも、大袋のとかを無造作にかごに
ザザっと入れていく姿が多かったように思います。
それに、震災後は子供を手元から離さなかったのかな。

子供だけでお菓子コーナーでのんびりお菓子選べるのって、
いろんな余裕があってこそなんだなぁとおもいました。

ブログ

2011-04-03 | 日常日記

久しぶりに行った、某バンドの日記で紹介されていた
被災地に行った看護師さんのブログです。

読みながら、泣きそうになったけど
私なんかが泣いてはいけないなと思って、読みました。


私は普段から、他人を思いやるのとかがへたくそで、
想像力の足りなさにいつも歯がゆくなるのですが

今回のことは、もちろん想像しきれないけれど
もっと、もっとできる範囲で知ろうとして、感じようとしたいきもちと
そうすべきだ、自分だけぬくぬくしちゃダメだ。みたいな気持ちと
もし、想像できたら飲みこまれてしまうだろうなとか
それよりも、なんか、もっと、笑ったりするべきなのかなとか

そんなことを考えてる暇があるのなら
やれることをやったほうがいいんですよね。

想像しかできない。想像ではとても足りない。
でも、気持ちに本当には寄り添えなくたって
なんか、できることとか一生懸命考えたらいいのかな。

私の地域は、電気がつく。水も飲める。暖かい部屋にいる。

ならまず、心を平らにして
周りの人に、笑顔でいたり、優しくいたり
そういう、普段でも当たり前のことをちゃんとまずやらないと。


落ち込んで、余裕なくして。
それは思いやってるつもりで、本当は誰にも優しくない。

一緒に、前に進めるような気持ちではいよう。
明るく居よう。

うん。明るく居よう。

それはただ、自分が楽しくだけじゃなくって。
うまくいえないけれど。

お金は使うよ。安月給だから、限度はあるけど
自粛して、物のない気持ちを味わったって、経済は沈んで
結局復興の妨げになるだけ。

きれいごとになるけれど、できるのならば

足りないのなら分け合えばいいし
あるのならば、回せばいいし

遠慮して、売ってるパンを腐らせるのなら
しっかり食って、元気になって、べつのパンを届けたらいい。
パンを届けられないなら、届ける人を手伝ったらいい。
届ける人やパンを作る人がやっていけるように
お金を使って後ろから応援したらいい。

うう、なんかうまく言えないけれど。

被災したひと、被災が少なかった人、被災しなかった人
できることや、やるべきことは人ぞれぞれ

自粛は、やりすぎたら、一緒に自滅しちゃう。
気持ちによりそうのも大切だけど、その上で
先の心配事については「大丈夫だよ!」って笑って
迎え入れられるくらいの状態でどーんと構える。
被災が少なかった地域でやれたらいいですよね。


このぐちゃぐちゃした思考を
何かに活かせるように、できる範囲で動きだすのが目標です。

うごこう。

今日できるのは、買い物くらい。
深呼吸して、優しい自分でいるくらい。
あとは、募金。

それっぽっちの自分。
でも、そういうのが積み重なったら良いはずだと思ってます。

ランドセル

2011-04-03 | 日常日記
ちょっと、腹立たしかったので書きます。
これは、暗いというか不快なニュース話題なので、すみません。


ネットのニュースなので、どれくらい本当なのかわかりませんが
とある人が、被災地に来て、ランドセルを見つけて

「なんとか直人(タイガーマスク:伊達直人)がくれたのかと思った」

と、冗談を言ったそうです。


その地域では、津波に飲まれて行方不明になった子供たちの
泥だらけのランドセルだけが、たくさん回収されているのだそうです。


どんな場面で、どんなニュアンスで言ったのかはわかりませんが
もし、その地元の人が聞こえるところで笑って言ったのであれば

許せないな、と思いました。



他人事、とかいうレベルじゃないですよね。
配慮に欠けるとかいうレベルでもない。

何をしに来たの。
そして、そんなことをいう人が、ちゃんと何かできるの?



それとも、私が過敏なんですかね?
そのランドセルの数だけ、亡くなったかもしれない子供や、
悲しんでいる親や、親戚がいたり、
もしかしたら、悲しんでくれる人すらいなくなってしまった
ランドセルかもしれないのに。

なんで、傷ついて、不安で、苛立っているだろうひとの所に
おしかけて、さらに傷口に塩を塗れるんだろう。


ボランティアで、無力感を感じる人とか
何もできなかった人だって、いると思うんです。
一生懸命やっても、配慮不足でうまく話せずに、傷つけて
しまって、自分を悔やむひともいると思うんです。
でも、これは別次元。


ある程度立場があるなら、尚更。

現地に行くには、情報と覚悟があるべきだと思うのですが。

まぶしい。

2011-04-03 | 日常日記
最近、ネットなんてロクにやってなかったのですが
毎日みたいに行ってたHPとかに、2年ぶりに行ってみました。



いやー。

まだ、変わらずありました。


一瞬、我が目を疑うくらい、変わらぬペースで更新してたり
相変わらずのマイペース更新だけどちゃんと続いてたり。


なんか、すごくうれしくて
ちょっとさみしいですね。

自分がやらなくなったくせに、逆に取り残されたような。

なんだかまぶしくて、あまりちゃんと見ずに帰ってきました。



あ、先日コメント下さった方、有難うございました。
うまくお返事できないのですが、自分なりにしっかりしようと思いました。


継続するって、難しくてすごく大切
震災への気持ちも、援助も、そのほかのことでも、なんでも。

最近、そうおもいます。

これから、これから。