EKKEN♂

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教えてクンはレベルが上がった!

2005-03-19 | WEBにまつわる話
 スタッフブログって面白いよねーでは「教えてクン」の存在がウザいよね、ということを書いたのですが、最近気付きました。
 教えてクンよりももっと強力な存在を。
 
 例によって、今、gooブログで一番面白いブログ、gooブログ スタッフブログのコメント欄に、奴等は存在します。
 
 「~が分からないから、教えてください」は、比較的丁寧な文体で書かれていることが多いし、自分の検索能力の低さを露呈している分「あたしバカなのー! うふふー!」という能天気さが感じられるから、場合によっては読んでいる人に優越感を与えてくれる、という癒し効果があります。
 はい、早くも「この記事が面白かったらクリックしてね」画像です。
 「癒し系」なんていう言葉は死語かもしれない、という心配はよそに、恥ずかしげも無く貼っちゃうぞぅ! ぺたぺたっと。
 
 
tesoro―池脇千鶴写真集 田中れいな写真集「田中れいな」 遥かに愛しい君のこと… ― 井川遥1st.写真集 De Mi Corazon-矢田亜希子写真集


 
 教えてクンの上を行く存在、それは「わからないクン」と「命令クン」です。
 どちらも教えてクンの亜種なのです。
 スライムに対するスライムベスや、バブルスライムと言ったところでしょうか。
 ピチュウ、ピカチュウ、ライチュウ、
 ショッカー、ゲルショッカー、ネオショッカー、
 ザク、ハイザック、ボルジャーノンでも良いのですけど……
 (悪乗りするといつまでも続くので、以下自粛)
 
 教えてクンが嫌われるのは、自分で調べようともせず、すぐに他人を頼って「教えてください」という他力本願な部分がダメダメだからなのですが、実は教えてクンは、人に物を教えることを喜びとする人種「教えクン」とその存在価値を分かち合っているのです。僕はどちらかと言うと「教えるクン」属性が強い物ですから、教えてクンの存在がゼロだと、ネットの楽しみが減ってしまうのです。
 それでも185問題について考えるに取り上げられているような問題児もいるわけでして、教えてクンは時として、自分の疑問を解決できない時(誰も相手にしてくれない、あるいは自分の望んだ回答が得られない時)に、逆ギレしてしまう所も大きな問題なのでしょう。
 しかし多くの教えてクンは人畜無害です。放置していてもさほど問題ないです。
 放っておいても、教えるクンが教えてクンの欲求を満たしてくれる物です。自分自身の欲求を満たすために。
 
 誰にも手をつけられないのが、「わからないクン」。
 こいつは、そもそも何をして欲しいのかさえわからないケースが多いのです。
 具体的な例としてはこんな感じ。
  • 画像がアップできない! ←それでどうして欲しいの?
  • リンクの仕方がわからない! ←それでどうして欲しいの?
  • YahooブログにPingがおくれない! ←それでどうして欲しいの?
  • CSSがカスタマイズできない! ←それでどうして欲しいの?
  • 彼女が出来ない! ←それでどうして欲しいの?

 たぶん、何か質問をしているつもりだと思うのですが、そのコメントでは、何をどうして欲しいのか分からなかったり、そもそもそのコメントがそこに残されるべき物じゃなかったり……
 教えてクンの場合は、これがわからないから、誰か教えてください! という「依頼」の気持ちがどこかに現れている物ですが、わからないクンの場合は、「だから何をして欲しいの?」という回答しか出来ない場合が多いのです。
 幼稚園児であれば、「おなかすいた!」「喉が痛いよぅ」「ママうんこぉ」でも仕方がないのですけど、せめて「空腹だからご飯食べさせてください」「うがい薬かトローチ下さい」と言ってもらいたいし、うんこは黙ってしに行け、と思うのです。
 既婚男性が配偶者に「メシ」「フロ」と命令口調の単語で言うことは、恐らく相手に不快な思いをさせているはずです。この場合、この男性はわからないクンから命令クンに進化している最中なのですが、口ごたえのできる配偶者なら、「メシがどうかしましたか」とかえされるのがオチですね。
 自分の欲求を的確に伝えることが出来ないと、意見された側は何をして良いものかわからないものです。
 こうなってくると、そろそろ「命令クン」の出番です。命令クンにとっては、全てオレルールが正しく、他人の価値観を一切認めません。
 自分の理想のみを訴え、それが誰にとっても理想であるかのような発言の仕方をしたり、善意で行われたことに対して、それを否定することでのみ、物事を訴えます。
  • 「何のメンテナンスだよ。もっとしっかりしろよ」
  • 「アクセス解析おかしいよ。直せよ」
  • 「苦情ばっかりだろ。謝れよ」
  • 「金返せ」

 このような口調でしか文句が言えないのでしょうか?
 サービスを提供する側が、「こっちはタダ同然でブログやらせてやってんだぞ」というのなら、そりゃあ問題外ですが、利用している側が、大したお金も払わずに(払っていても月290円ぽっち)、「こっちは金払ってんだ」などと訴えるのもなんだかなぁ。金を出せば、なんでも文句が通るというものでは無いでしょう。
 どうも「金を出している方がエライ」という風潮は好きになれんですな。
 「お客様は神様です」と言ったのは三波春夫だっけか。
 あれは間違いですよ。
 買う側も、売る側も、対等なはずです。サービス提供の代償として金銭を享受しているに過ぎません。そのサービスに要求される金額が気に入らないのなら、買う必要はないのです。なんだったら違う店に行っても良い。
 それをお店のほうで避けたいのなら、頑張ってサービス向上に努めるはずですし、その努力が認められないのであれば、いずれそのお店はつぶれます。
 違う店に行く、という選択肢が残っているのに、彼らはそうはしない。
 自分の都合に、周りが合わせてくれるものと信じている。
 命令クンは、世界が自分のためにまわっている、と思っているのかもしれません。
 
 
 なお、上のほうにある「この記事が面白かったらクリックしてね画像」ですが、「癒し系」という言葉を使ったものだから、それ風のタレントさんを並べてみましたが、実のところ、最近のお気に入りは、ココリコミラクルタイプの松下由樹であったりするから、全く侮れないものである。
 ココリコミラクルタイプ DVD-BOX

匿名はやっぱり推奨しないのです

2005-03-19 | WEBにまつわる話
 匿名・捨てハンドルがナゼいけないのか
 
 gooブログにおいて「Unknown」と表示される名無し、あるいはとってつけたような「七誌・774・通りすがり」という類の捨てハンドルの人が残すコメント、この全てが無価値ではないし、悪意に満ちた物と言うわけではないのですが、彼等の多くが議論する気などハナからもってないわけでして、明らかに罵倒と分かる場合はまだマシ、狡猾に意見と見せかけて、ブログ主からのレスを待ち、実は単なる揚げ足取りでしかないイヤミを発する者も存在します。
 そうした「一見論理的」なイヤガラセは、冷静になって読むと、実は記事の主旨・論点をずらしているだけで、ブログ主が本来の方向に変えていこうとすると、「議論のすり替えだ」と怒りだしたり、面倒になって放置、あるいは削除すると、鬼の首でも取ったかのように、言論統制だ、などと言い出す始末。
 「あなたの意見は間違っています、記事を書き換えてください」など、ナゼ間違っているのかの論拠も明らかにせず、単に自分の意見と違うことを不服として記事の訂正を求められても、当方としては対応のしようもないわけでして。
 まぁ、あのコメントは、ある意味笑える物だったので、削除せずに残しておりますが。
 
 ブログのコメント欄における「匿名への批判」を行うと、多くの匿名礼賛者は「ハンドルだって匿名だろう」と言い出します。実名を明かしていない限り、ハンドルも匿名なのはごもっともなのですが、自分の常駐場所(WEBサイトなど)を明かし、他人と区別できるハンドルを持った人は、Unknownとは全く別の存在でして、自分が恥をかく場所を用意していると言う点で、他人を批判する価を持っているのです。
 この考えは、下記引用部分において詳しく書かれていますので、ご一読いただければ幸いです。
論争に参加する人は、馬鹿なことを言ってしまったときに恥をかけるだけ十分に詳しく自己紹介を行なわなければいけない。

「匿名」による批判の禁止ルールについて

ただし、ここで「匿名」とは、自分自身の趣味・嗜好を明らかにせず、自分の所属も E-mail address も web site の URL も公開してない方のことです。最終的に「匿名」であるか否かの判定は管理者の主観によって行なわれますが、その基準は大体以下の通り。

実名や所属を隠し、ハンドルを用いている方であっても、自分の趣味・嗜好を十分に表現している方は「匿名」とはみなしません。例えば、ウェブ検索エンジンでハンドルを検索することによって、他の場所で自分の趣味・嗜好を十分表現していることを容易に確認できる方は「匿名」とはみなしません。もちろん、作家のペンネームなども「匿名」とはみなしません

黒木のなんでも掲示板:利用上の注意


 僕がトラックバックという機能を好きなのは、他人を批判するに当たって、ふざけた根拠を持ち出すと、批判した側が第三者に批判されるので、単なる罵倒による文句がつきにくい、という理由があるからです。もちろん、ユーザーの中には、てんで見当違い・あるいはどう読んでも悪口のレベルを脱しないトラックバックを送りつける者もいますが、彼等のトラックバックは、ほとんど賛同されることはなく、他人を馬鹿にするために送ったトラックバックによって、自分が馬鹿にされるものです。トラックバックの仕組みを理解している者は、そのことを知っているから、他人を批判する際は、その点を十分留意し、他人の賛同を得られる意見をもって批判を行うのです。
 
 しかし匿名で居続けることは、多くのブログサービスで認められた行為です。中にはEメールアドレスや、URLを入力しないと書き込めないサービスもありますが、その情報が虚偽のものであっても通りますし、魔除け的な役割はあっても、悪意のあるものを排除できないのが現実です。
 そういう面から、Exciteブログなどの、ログインしていない者のコメント受付拒否設定というのは、非常に優れた機能だと思うのですが(匿名排除のほか、成りすまし防止もできる)、この機能は同じブログサービスユーザー同士でしか交流が出来なくなるので、ちょっと閉鎖的になってしまいます。
 TypeKeyという、ブログサービスの垣根を取っ払って、自分を特定するIDを持つことで、発言に対する責任を持つことのできるサービスもあるのですが、これも対応しているサービスが限定されているので、全てのブログサービスがこの機能を導入してくれないと、その効果を発揮できません。
 
 匿名発言の全てがダメなわけではなく、たとえ相手を批判する場合においても、相手にとって有意義なコメントであれば、その発言は取り入れられるべきなのでしょうが、善意の匿名発言の多くが、悪意ある匿名発言の為に無効化されているのです。
 このことは何回も書いているのですが。(下記参照)
匿名そのものがダメだ、というわけではないのですが、匿名氏にこうした悪意しか感じ取れない発言が多いのは事実であることから、せっかくの善意の匿名発言までもが、価値のない物と誤った判断をされてしまいます。

もっと生産的なこと出来ないのか…


 そのブログの記事がどうしても気に入らない場合、単に嫌がらせをしたいのなら、匿名でも構わないのですが、もし嫌がらせをしたいアナタが、別のブログにおいては、匿名を保ったまま、まともなコメントをしたい場合、匿名発言には無価値な物が多いと思われていることから、まるで無視されるケースがあるということを知っておいたほうが良いでしょう。これは悪意ある匿名発言がなくならない限り、ずっと続く問題なのです。
 
 他にも匿名意見に対しては、こちらからの反応を返しにくい、というデメリットもあります。
 匿名でのコメントを残す者は、あるいは言いっ放しでも構わないと思っているのかもしれませんが、Unknownが複数名登場した場合、どの人に向けてコメントを返しているのか分かりにくくなります。誰と会話しているのか分かりにくいと、読んでいる第三者にとっても不都合が多いので、相手を真剣に批判したいのなら、むしろ匿名による発言は向いていないものと思います。自分が批判され返されるリスクを負わない人の発言には、こちらも真剣に向き合う気にはならないのです。
 
 

関連記事していそうな記事:
批判系サイトで気をつけたいこと
しつこく「批判すること」に関すること
批判なのか、悪口なのか。

更新は義務じゃないんですよ 反応集

2005-03-19 | WEBにまつわる話
 更新は義務じゃないんですよの反応をまとめてみました。
 LSTYさんブログを続けるコツを教えてあげましょうを読んで触発されたこの記事は、「日記は毎日つけるから‘日記’なんだよ」と信じている人の存在、ブログの更新という情報発信の手段が、いつのまにか目的にとって変わっている人の存在が気になって書いたものなんですが、概ね賛同していただいた模様です。
 全て把握しているわけではないと思いますが、目に付いた物をいくつか取り上げさせて頂きます。
 
更新が手段から目的にいつのまにかすり替わってるのが問題なんでしょう。
じゃあそもそも更新する目的は何だったのかというと、言いたいことがあったはずなんですよ。わざわざWeb上で公開してまで言いたいことが。

ぐだぐだと(仮) 無理することはない?

 更新が義務になってしまう人は、きっと「僕を見続けて」ということだと思うのですが、そのために書いた記事によって、ブログの質を落とすのはなんとももったいない話です。
 
ただ、問題は、この文章をblogで公開する意味があるのかということです。
記録として残すだけなら、なにもblogでやる必要はない。
自分で日記帳にでも書いておけばよいことですから。

なにより、このタイプの記事は、自分以外が読んだ時に面白いかどうかが、非常に疑問です。
本人以外には、なんだか愚痴みたいなことをグダグダと書き綴った記事にしか見えないかもしれない。

でも、私は今日もこんな記事を書いてしまう。

日々呟く。:近頃の生活と近頃のこのblog。

 とうとよさんは、僕がgooブログで始めたばかりの頃からの、細く長いお付き合いをさせていただいている方ですが、上記引用文が書かれたのは、僕が常日頃から「面白い記事、他人に読んでもらうための記事を書け」といっているせいでしょうか?
 とうとよさんのブログは、囲碁とモンコレのプレイ記録(モンコレ、というのが何なのか、僕は理解していないのですが、とうとよさんのブログを読むと、どうもファンタジー系のゲームではないかと推測されます)がメインなのですが、正直、僕がそれらの記録を面白いと思っていることは無いです。おべっかを書いても仕方が無いので、酷な言い方と思われるかもしれませんが、僕は囲碁にもモンコレにも全く興味がないから、当然のことです。
 自分のブログによくコメントを寄せていただく方のブログには、なるべくコメントを残したり、トラックバックを送りたいと考えているものの、儀礼的お返しコメントなんか、いらんいらんっ!で書いたように、僕自身が「コメント貰ったから、お返しに上がりました」的なコメントにはありがたみを感じないし、コメント返しを義務としていたら、本来自分の書きたいことを書く時間がなくなってしまいます。それでも、自分のブログによくコメントを残してくれる方というのは、僕の書いたものに何らかの共感を持っている、というケースが多いはずだから、その人が書く記事についても、そういうことが触れられることもあるはずで、だからこそ僕はよくコメントをくれる人のブログはRSSリーダーに登録して、新着記事のチェックをしているのです。そして実際に、僕が関心を惹く話題がたまにかかれていたりするものです。
 話がちょっとずれてしまいましたが、マイノリティな話題だから、存在価値がない、ということは決して無いです。そういうものに興味のある人の絶対数が少ないのだから、訪問者数の獲得は難しいのかもしれませんが、専門性の高いブログは、コメント数こそ期待できないものの、熱心な読者が存在すると、僕は思っています。
 とうとよさんの該当記事に残してきた、僕のコメントから抜粋します。
ブログをはじめてビックリしたことに、障害を持たれたお子さんをお持ちの母親が、たくさんブロガーとして存在する、ということでした。(日本語ヘンだけど、原文のまま)

みなさん、その子育ての大変さにめげることなく、中にはそうした子育てを大いに楽しみ、似たような境遇をお持ちの、見ず知らずのブロガーさん同士で情報交換されていることに、ブログのスバラシさを知りました。

日々呟く。:近頃の生活と近頃のこのblog。のコメント欄

 ブログの価値なんて、閲覧数が多いか少ないかで決まるものじゃないと思いませんか?
 たとえ読者が少ない物だとしても、自分のブログを熱心に読んでくれている人がいるならば、ありがたいことですし、次に情報発信をする時の、大きな励みになる物だと思います。

つまり、殆どの個人ブロガーの「ブログを書く目的」は、「書きたいという欲求」と「反応が欲しいという欲求」の二つに支えられている、ということをまずは言うことが出来るだろう。

不倒城: ブロガーがブログをやめる日

 自分の記事に言及したトラックバックは、それが反対意見でも嬉しい物ですが、不倒城のしんざきさんから頂くトラックバックは、いつもクォリティが高く、特段と嬉しいトラックバックです。
 引用部分だけでは、その記事の素晴らしさを伝えることが出来ないので、是非とも引用元の記事を読んでいただきたい。
 無論、しんざきさんが書かれていることに反対意見もあるでしょう。「書きたくなくても書いている」「反応なんかいらない」という人も中にはいるかもしれません。相当奇特な人だと思いますが。「反応なんか無くてもいい」については、後述しますが、「書きたくなくても書いている」=更新を義務だと持っている人っていうのは、一体どういう人なんでしょうねぇ。お金を貰ってブログを書いている=仕事で書いているのなら別ですが、個人が自分の趣味、つまりは欲求を満たすためにやっていることなのに、苦痛を感じてまで更新を続けるのは、マゾスティックな快感でも得ているのでしょうか。僕には理解しかねます。
 まぁ、とにもかくにも、しんざきさんの記事は凄く面白いので、読んできてください。

 僕の記事に同意する部分もありつつ、ちょっと否定する気もありますよ、という感じのトラックバックを頂いたのが、つむぎさん。
常々、「ブログは別に自由に書いていいんですよ、誰かに縛られて書くのは最早『日記』じゃないって」言ってます。
 これがですね、「なんでアクセス数が増えないんだろう?」って話になるとまた別問題でして。
 どんなものだって、面白くないものには人は寄り付かんですよ。

---略---

 要はですね。ブログとしてどうよ?って考えるならば、
 「日記」としてだけで書くなら自由に。極端な話、コメントとかトラックバックとか外してやりましょうと。
 「ネタ」としてどうよ?って思うなら他人に読んでもらえるような文章を書きましょうと。
 そんな感じです。
若干、特盛で。:ツマラナイブログ。

 僕の記事に否定的な部分も含めて、つむぎさんの意見にはほぼ同意なんです。
 アクセスアップに拘らない、仲間内で楽しめればいいという場合は、別に何を書いてもよろしいのではと思います(無論、法や利用規約に反しない範囲で)。
 仲間内で楽しんでいる場合だってあるだろう、ということを強く主張しているのが、「俺の道」(すみません、ブログ主さんのハンドルが分かりませんでした)の下記引用元の記事。
知らない人間からみたら全くもってくだらない文章であっても
その知人、友人から見たら全然そうではないというケースは絶対的にあるのだ。
それがただ一行の文であってもだ。

---略---

ハタからみたら全く意味のない文章を毎日書いてあるblogは本当にたくさんあるが、
その多くはblogを仲間内でのコミにケートツールとして使っているという事。

俺の道:更新の意味、モチベーション

 仰る通り、ブログはコミュニケーションのツールだと思うので、その相手が不特定多数だろうが、特定少数だろうが、それはどちらでも構わない、と思うのですね。コミュニケーションを否定するのであれば、つむぎさんの言うように、トラックバックもコメントも受付拒否にしてしまうのも、アリだとは思います。
 ただ、「俺の道」の執筆者がそうだ、ということではなく、記事の内容が「知り合い」にしか向けられていないブログをやっている人でも、不思議とアクセスアップを求めていることが多いものなんです。アクセスアップには全く興味がない、知らん奴はくるな、であれば、メーリングリストやSNSを使うとか、プライベートモード機能を持ったブログ(詳しくは知りませんが、Auto pageやはてなダイアリーにそういう機能があったかと……)を使えばよいのに、そうはしない。
 たまたま見つけたサービスが今のブログサービスだったから、という理由もあるでしょうが、公の場に公開していているのに、未知の人物が来た時に「おまえ誰? ヘンな奴来るなよ」はないでしょうし、何より親しい物同士の開かれた場での交流は、個人情報の漏洩に繋がることからも、僕はオススメしません。
 僕は「面白いことを書いたから、知らない誰かにも読んでもらいたい、できれば何らかの反応が欲しい」と思っているから、何の反応も期待できない記事を書いているつもりはないし、面白いことが思い浮かばなかったら、その日は更新をせずに、他人様の書いたブログを読むとか、ネットから離れて本を読むとかしているわけです。
 毎日更新を義務としてブログを続けるのも、絶対的にダメ、というわけではないですが、読者を増やしたいと考えているのなら、義務で書かれたつまらない記事がたくさんあることによって、ブログ全体の質を下げ、結果的に読者が離れてしまう可能性が高い、ということですね。
 「反応が無くてもいい」のなら、アクセスが少ないなぁ、等と愚痴をこぼすのはおかしな話だし、ましてや「反応なんかいらん」というのなら、なぜ反応の可能性がある場所で、自分の書いたものを公開しているのでしょうか? それこそ「チラシの裏」という奴では無いでしょうか。


 おまけ。ニュースサイトで書かれていた一言コメント。
書くことなくても無理矢理、日記書いてる人がここに一人。
私は更新については楽しみ7分、義務3分だと思ってます…。

BWS@HyperEdition

 リンク列記型ニュースサイトの場合、自分のサイト内でのコミュニケーションはあまり期待できないわけですから、訪問者を維持するためには、高頻度の更新が必須なのかもしれません。
 それでも更新に苦痛を感じるのなら、それを継続するのもおかしな話で、「楽しみ7分」があるからこそ、続けられることなのでしょうね。
義務だとつまんねぇじゃん。

プリキュア様崇拝日記

 最終的にはこれにつきますよ。
 周りから「更新マダー?」とか言われようが、本人に書きたい欲求がなければ書くことは無いし、やめたい時はやめちゃうし。
 
 たくさんの人に読んでもらうこと、たくさんの反応があることでブログを楽しむ人もいれば、仲間内でひっそりと楽しんでいる人もいるでしょう。
 楽しければ、更新の欲求が生まれてくるし、ブログを長く続けるための源になると思うのですが、ブログ主本人が楽しいと感じていないのに、無理やり更新をしたって続けられないだろう、ということですね。

 ブログサービスによくある、タレントのブログにつまらない物が多いのは、「本人に楽しんでいる感じがしない」から、だと思うのです。恐らくは仕事として請け負っているのでしょうから、書く事が無くても無理やり書いているのかもしれませんが、義務感で書かれたことが手にとるようなブログは、さっぱり面白くないのです。
 眞鍋かをりのここだけの話が人気あるのは、本人がブログを楽しんでいる事が、読者に伝わっているからだと、僕は思います。