nojyucal moonの趣味

仏教が大好きで仏教を楽しみながら趣味として成り立ててます。僧侶では無く仏教ファンの視点から記事を書いてます。

私の好きな仏像(釈迦如来)

2023-04-23 15:21:20 | 日記
私の好きな仏像の中の一つに釈迦如来座像が有ります。
なぜ、立像では無く座像が好きと言うのは機会が有れば今後、書くかもしれません。

様々な仏様が有りますが地球上の人間が悟りを得てブッダとなられたのはお釈迦様ただ1人です。
産まれた瞬間に立ち上がり「天上天下唯我独尊」と言い放ったと言うのは有名な話ですね。

およそ2500年前にインドの北部で
釈迦族の国の王子として産まれゴータマ・シッダールタと言う名前でとても大事にされて、何不自由無く幼少期を過ごしましたが、成長して行くにつれ
人々はなぜ病気になるのか?
なぜ歳をとり老化していくのか?
なぜ死んでしまうのか?
今は苦労も無く生きてはあるが、いずれ歳をとり病気になり苦しみながら死ぬのなら、今こうして生きている事になんの意味が有るのか?
と悩みました。そんなある日、シッダールタは散歩中に出家修行者を見かけました。出家修行者は見た目はみすぼらしい姿でしたが、シッダールタの目には修行者のオーラを放つような姿や輝く目を見て、出家修行者に憧れを覚えました。

それからというもの、シッダールタは徐々に自分も今の生活や身分を全て放棄して出家して修行をしたいと思うようになりましたが、その頃妻である
ヤシュダラ(ヤショーダラー)が子を妊ってしまいます。シッダールタは出家したい気持ちに妻が居る事で悩んでいましたが、子が出来たとなると更に出家への迷いに妨げが生じてしまった思いました。

☝こちらはヤショーダラーの肖像
美しく描かれてますね。
たぶんかなり美人だったと推測します。

話を戻しまして

産まれた事を報告しに来た付き人がご子息のお名前は?と聞いた時、シッダールタは、うっかり声に出して「ラーフラ」と叫んでしまいました。ラーフラとはインドの言葉で妨げを生じると言う意味なのですが、付き人はそれを聞いてシッダールタ王子が、ご子息の名前をつけたと思いこみ、産まれた子供はラーフラと言う名前になってしまったようです。
(-.-;)えっマジかよ?
と、言うお釈迦様の姿が目に浮かぶようです。(笑)

で、結局その後に出家をして修行の旅に出ると家族に相談した所、猛反対されました。
しかしシッダールタは出家を諦めきれずに皆が寝し寝静まった夜中に出家してしまいます。出家と言うより家出と言った方が良い感じもしますが!(笑)

ってな訳で出家したシッダールタは
バッカバ仙人やアーラーラカーラーマの元で修行を積みますが、あっと言う間に境地へと達っしてしまい、物足りなさを感じて苦行への道を求めて断食等苦痛を伴う修行を続けました。
☝苦行してる時を模した仏像

断食して、死ぬ一歩手前までの状態で
悟りを得る事が出来ずいると、近くを通りかかったスジャータと言う名の少女から乳がゆを頂き、一命を取り留めて苦行では悟りは得られないとして原点に戻り菩提樹のたもとで座禅での瞑想をしました。
そこでシッダールタは悟りの境地に達してブッダとなりました。

それ以降、シッダールタの名前を捨てて仏陀や釈迦として仏道を世に広める活動をして仏教開祖として80歳まで
布教する人生を歩む事になります。

仏教の教えには出家修行者と在家修行者と2通りの教え方で仏道を世に広めて行きました。
こちらに関しても、もう少し詳しく書きたいのですが本日書きたいのは違う事なので今回は・・・

と、簡単では有りますがお釈迦様の生涯を書いてみました。
お釈迦様のエピソードとして、特に私が好きなお話を一つご紹介してみようと思います。


世の中には、お釈迦様のように多くの者立ちに尊敬される者を妬む者もいましたし、元々はバラモン教の聖地で有るインドで仏教を広めて行った事に不満を持つバラモン教徒からも恨まれたりしてました。
お釈迦様はある時、お釈迦様の弟子達と共に仏道を求めて集まって来た庶民達の前で説法や法話を説いていました。
お釈迦様を妬み恨む者が、その様子を見て庶民の前でお釈迦様に恥をかかせてやろうと企てて、お釈迦様に近づき
お釈迦様のある事無い事の悪口を言いました。
弟子達はそれを悪口を聞いて胃の中が煮え繰り返ってましたが、お釈迦様は
動じる事も無くただ合掌したままの姿でその悪口を淡々と聞いていました。
妬み恨む者は、動じる事の無いお釈迦様を見て更に酷い悪口を続けましたが
遂にネタ切れして疲れはててしまい、最後には,「やい釈迦、一言も弁解出来ない所を見ると本当の事を言われて言葉も出ないようだな! なんとか言って見やがれ!」と怒鳴り散らしました。

お釈迦様
「ならば言ってやろう、お前さんは、友人を家に招く事は有るのか?」

妬みを持つ者
「そりゃ時には家に招く事は有る」

お釈迦様
「ならばその時に招いた客人に食事を出す事は有るのか?」

妬みを持つ者
「招いた客に食事は出す事は有る。

お釈迦様
「そうか、ならばもしその客人が出された食事はいらぬと、言って来たらその出された食事は誰の物になるのか?」

妬みを持つ者
「食事をいらないと言うので有ればそれは私の物である。」

お釈迦様
「そう、お前さんの言う通りその食事はお前さんの物である」

妬みを持つ者
「それがどうした?何が言いたいのだ?」

お釈迦様
「私は、お前さんの出した食事はいらないのである。なのでお前さんの出した食事はお前さんの物で有るから自分自身でお好きなだけ食べなさい。」

と、妬みを持つ者に合掌したままの姿で一礼をして一言、
南無阿弥陀仏と唱えると背を向けて
庶民の方へ向きなおり、動ずる事無く何事も無かったごとく庶民に対して説法を続けました。

お釈迦様は、悪口を食事として
例え話をしたのですね。

つまり他人から悪口を言われても
怒りをあらわにせず、要らぬ物は自分に取り入れ無ければ、何も苦痛に感じる事でも無く、かえって悪口に対して反論して悪口でののしり返したならば、その者が出した食べたく無い食事を食べてしまう事になる。と、言う教えだったのです。

この話を知らなかった頃の私は、私に対して屈辱をして来た者に対して、一緒に食事をしてました。(笑)

この話を知ってからは食べたく無い食事は食べ無いように心掛けるようになりました。
この話は有名な珍話なので知ってる方も多いかと思いますが、初めて知った方々はこの話を知った事で僅かでは有りますか悟りの境地に一歩近づけたような気はしませんか?

お釈迦様のエピソードで私が1番好きなお話でした。
まぁ、そう言った事で様々な仏様の中で唯一人間から仏陀となられたお釈迦様が大好きなので有ります。
私が初めて購入した仏像も釈迦如来座像でした。

我が家の釈迦如来座像仏像です。
決して高価な仏像では無いけど優しい表情のお釈迦様とメッチャかっこいい蓮華の台座が素敵です。

今後も楽しく仏教を学ぶ事や、為になる仏教を専門的では無く仏教ファンの視点から書き込みして行きますので
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お釈迦様ご真言
🙏😌ノウマクサマンダボダナンハク
ノウマクサマンダボダナンハク
ノウマクサマンダボダナンハク



































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