まず、更新を出来ずに申し訳ありません。長らく更新をしてきませんでしたが、単純に書こうとすることが中々纏まらなかっただけなので、ご心配には及びません。
さて、今回はいつにも増して「個人的な」内容となっておりますが、愚痴でも聞く気持ちで読んでいただければ幸いです。
『fate/grand order』というアプリをご存知でしょうか。有名な作品ですので紹介をするなどと書くのはおこがましいですが、端的に言えば「人類史を救う」物語です。
あまり詳細な紹介は致しませんが、現在第2部として新たな展開がなされており、物語に深みが増していく状況です。
さて、この作品は所謂型月作品であるfateシリーズの作品なのですが、色々と賛否ある所であり、原作を知る人からの批判もあるようです。確かに、ルールに則って判断する場合、これをfateシリーズと見ることが果たしてどの程度まで許容されるのかという問題も生じて来ますが、私はこの論争に入り込めるほどシリーズを知りませんので、これについての言及は避けます。門外漢の私が出る幕もない、と言うことですね。
さて、本題に入ります。実は今回の話題はこの作品自体に関してではなく、この作品に登場する人物(?)の言葉がずっと僕の心を捉えていたのだ、と言う話です。以下はネタバレ(第2部第1章の壮大なネタバレです)が数多くありますので、苦手な方はブラウザバックを推奨いたします。
その人物が、パツシィ という人物です。人物というか、その種はヤガと呼ばれています。端的に獣人だとイメージして頂けばなんとなくわかると思います。
この人物が最期に語る台詞が、ずっと引っかかっていたのです。そこで、考えがまとまったので、少し思うところを書かせていただきます。
それは、彼の言葉は、物書きとして非常に心に響くということです。特に、誰にも評価されない作品を描く人にとって、これほど響く言葉は少ないと言えるでしょう。
物語を書くことは、どうしても他人の評価に晒されます。しかも、それが目に見えて現れるのです。
商業化作品は人気があり、主人公や、そうでない人達が力強く描かれています。あまりにも強いという作品さえあります。そして、そういった作品は良くも悪くも人気を集めているのです。自分の作品がいかに矮小か、拙いか。心が折れそうになるのです。
そんな時に、パツシィ の言葉が聞こえたら、どうなるでしょうか。
「こんな、強いだけの世界に負けるな」と。
「お前たちの世界の方が、───
───きっと、美しいんだ。」と。
本編のシナリオからは遠く離れた解釈です。然し、この言葉にはそれを思わせる力が確かにあります。
しかも、この台詞のポイントは、「勝て」とは言わずに「負けるな」、「生き残るべきだ」と書かれている点にあります。
はっきり申し上げます。勝ち目はありません。どう努力しようと、私の作品は世間的には面白くもないでしょうし、商業化作品の多くの方が明らかに面白いのでしょう。
それでも、「負けるな」というのか、「生き残るべきだ」と言ってくれるのか。そんな風に捉えられる言葉でもあるのです。
また、彼は、流行という視点においても、中々示唆に富んだ言葉を残しています。仮に今の流行が過ぎ去った後に、今の商業化作品の何が面白いのかわからなくなった時に、「間違った世界」にも意味を与えてくれるのです。
そして同時に、私たちの作った作品が間違った世界なのだと言われた時、あるいは、そう気づいてしまった時にも、きっと「その間違いにこそ、意味があったはず」なのでしょう。
筆を折った多くの仲間たちがいます。中には、面白い作品を残した人もいました。まだ出会ってもいない名作もあるのでしょう。
そうした人達にも、ここに、その筆があるのだと、どうか伝わるように。
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