先行的腎移植をしたみっこ師匠のブログ

ドナーとして息子に腎臓を提供し2017年に生体腎移植をしたみっこ師匠の体験記と息子達との生活を綴っています。

5月30日 術後1日め

2024年09月29日 | 日記
「朝が来たね。
よく頑張りました。
あとは日に日に良くなるばかりだから無理せずにゆっくり行こうね。
何か飲みたい物はある?」と
ラインを送ると
「まだ気持ちが悪くて飲めそうにないからヨーグルトとかにしてほしい」と返信がきました。

13時からの面会で病室に入ると
「やぁ」と言うように
看護師クンが右手を上げました。

昨日より顔色も良く
落ち着いていましたが
まだ吐気があって食事は
食べられなかった様子でした。

担当看護師さんが来て
創処置をするとの事なので
病室を出てラウンジに行くと
お隣の奥さんとそのお母様と思われる方がいらしたので
「昨日は騒がしくてすみませんでした」と挨拶をしました。

お隣のご主人はドナーになり
息子さんに腎臓を移植する
腎移植手術を今日受けているとの事でした。

はじめての手術だそうで
昨日手術室から戻った看護師クンの「痛い!痛い!」を聞いて
不安になった奥さんが
「そんなに痛いんですか?」と
思わず看護師さんに聞いたみたいで
不安にさせてしまって申し訳ないやら恥ずかしいやら。

「その後
看護師さんが入ってきてからは静かになりましたよね」と言われたので
「あれから直ぐに眠りました」と言い
3人でクスっと笑いました。

ご主人と看護師クンはドナーなのかな?と話しをしていたそうで
私がドナーで腎移植手術を7年前に
受けた事などをお話ししました。

お隣の息子さんは
透析を挟んでの腎移植手術だそうで
腎臓病になった時の話や
透析になった事
移植を決めた経緯などを
話してくださいました。

私にも重なる部分があって
話をしながら3人の目には
涙がいっぱいでした。

腎移植手術は
透析からも離脱できるし
通常の生活もできるようになる
希望の手術なので
家族全員で乗り越えてほしいと
思いました。

看護師さんが呼びにきてくれたので
病室に戻ると
看護師くんがウトウトと
眠っていました。

時折看護師クンが目を開けて
「ごめんね」と言いました。

私が来てるのに
眠っていて悪いと思ったようで
「気にしないで眠って」と
声をかけました。

無事に手術が終わった事
何度もお腹を切って
病室のベッドで眠っている息子の横で
いろいろな思いはあったけれど
吐気や痛みが落ち着いて
眠ってくれているので
隣で静かに本を読んで
病室での時間を過ごしました。

隣のご主人も
無事に手術が終わって
病室に帰ってきました。

看護師クンは
夕食もあまり食べられなかったけれど
1日1日良くなる事を信じて
病室を後にしました。



退院する日が
待ち遠しいね!



5月29日手術当日

2024年09月23日 | 日記
「8時30分手術室入室予定なので
30分前には来て下さい」と
説明されていたので
朝の通勤ラッシュも考えて
朝6時30分に自宅を出発しました。

(今日が無事に終われば)という
思いがあり昨日に比べれば
気持ちは軽くなっていましたが
それでも食欲がなく朝も食べられませんでした。

途中カリメロの家の前を通るのですが
ちょうど通学時間帯で
(もしかしたら会えるかな~)と
思いながら外を見ていたら
ユウキが
「あの歩いている子達カリメロの子じゃない?」と言いました。

歩道で手を繋いで
ニコニコと歩いていた2人に
「ゆうちゃ〜ん!おうちゃ〜ん!」と
声をかけると2人は戻って来てくれて
「ししょーどうしたの?」
「今日看護師クンの手術なんだ」と
話ていると
家の中から「師匠〜!」と
カリメロも手を振りながら
出てきてくれました。

ちょうど赤信号での
思いがけない嬉しいやり取りで
私の気持ちも明るくなりました。

病室に入ると
手術着に着替えていた
看護師クンと
「おはよう。眠れた?」などと
言葉を交わし
ユウキと拳を合わせて
看護師クンは手術室に向かいました。

病室に戻る時間が
13時頃と聞いていたので
スタバに行き
私はコーヒーをユウキは朝食を
食べました。

「おかんも少し食べなよ」と
ユウキが半分にしてくれた
パンを食べながら
本を読み日記を書き
そして
手術が無事に終わりますようにと
祈りました。



本を一冊読み終えて
待ち時間車で
資格試験の勉強をしているユウキに
先に病室に戻っている事を伝え
私は病棟に行きました。

腎移植手術の時は
私も一緒に手術を受けていましたから
こんなソワソワしたり
しなかったのですが。

何をしていても
落ち着かないのです。

12時40分
手術が無事に終わり
看護師クンがストレッチャーで
部屋に戻ってきました。

移動が落ち着くまで
ラウンジで待ち
呼ばれてから病室に入り
「終わったよ。良く頑張ったね」と
声をかけると
看護師クンは
「うん」とうなづきました。

それからだんだん麻酔が醒めてくると
痛みも感じ出して
「痛い!」「痛い!」
「もうヤだ!」「もう無理」を
繰り返す看護師クンに
「痛いね痛いね」
「良く頑張ったね」と声をかけました。

今は術後直ぐに自室に戻り
各病棟の疼痛緩和チームが
術後のケアをしてくれます。

細かく観察してくれて
痛み止めを追加してくれました。

看護師クンが
酸素マスクを嫌がって外してしまい
頻回にアラームがなるので
鼻カテーテルに変更しようかと
相談していると
鼻からは嫌だった様でそれまで
外していたマスクを自分で口に
付けていました。

それを見て
担当の看護師さんと2人
クスッと笑ってしまいました。

教授も来てくださって
無事に手術が終わった事を
説明してくださいました。

ホッとしましたが
少しでも長く付いていたいと思い
面会時間ギリギリまで
看護師クンの隣にいました。

夜になって
夜勤の看護師さんにお願いをしてから
I医大をでました。

資格試験が近いユウキは
少しでも早く帰りたかっただろうに
何も言わずに待っていてくれました。

手術当日の夜は
痛みと麻酔による吐気等で
本当に辛いものですが
今日を越えれば1日1日と
良くなるばかりなので
ホッと一安心でした。

看護師クン
本当にお疲れ様でした✨


5月28日入院の日

2024年06月16日 | 日記
入院セットの用意なんて
慣れない方が良いのだけれど
プラスチックのカゴに
シャンプーやボディーソープ、
ハブラシなどの
洗面用品を入れておくと
そのまま病室に置いておけるし
使う時にはそのままシャワー室へ
持ち運べて濡れてもいいし
とっても便利だったので
今回もカゴに入れて準備しました。



朝、
大きなバッグやペットボトルなどの
重い荷物はユウキが先に
車に運んでくれていて、
入浴を済ませた看護師クンも
車に乗り込みました。

私は
「息子を守って下さい」と
神棚に手を合わせながら
私達が腎移植手術をした時、
ばぁちゃんが用意してくれた物には
お線香のにおいがした事を
思い出していました。

車に乗ってからも
気持ちが沈んで黙り込む私に
ユウキが途中のコンビニで
コーヒーを買ってくれました。

I医大の入院受付で
順番を待っている時
「限度額認定証持ってきてくれた?」と看護師クンに聞かれ
頭が真っ白になった私…

全く預かった覚えがないのです。

「封筒サイズだった?」
「A4の紙」
そんな大きな物渡された?

「昨日言ってくれれば良かったのに」
「おかーさんにデパートに買い物行く前に渡したよ」

そんなやり取りをしていたら
ユウキが一言
「昨日一晩あったのに2人して確認してないのが悪い!」

全くその通りです

自分でも
どうしてしまったのかと思う程
ヌケてました。

手続きの時に
忘れてしまった事を話し
明日提出する事にして
病棟に行って病室に入りました。

担当看護師さんから
今日の予定の説明を聞き
面会許可書の申請手続き、
先生から明日の手術の説明を受け
ました。

腹腔鏡視下手術で左腎臓を摘除する。
同じ腹腔鏡下でも
ドナーと違う所は
ドナーの腎臓は移植するため
傷を付けず摘出するので
傷も大きく
筋肉も大きめに割くそうで
そのため
術後の痛みはドナーの方が
強いとの事でした。

今回の場合は
既に機能していない腎臓で
萎んできているので
そのまま摘除するとの事。

一通り先生の詳しい説明が終わり
承諾書などへの記入が済んで
お昼ごはんが配膳される
時間になったので
ユウキと私は帰る事にしました。

エレベーターの前で
少しさみしそうに手を振る
看護師クンと「明日来るね」と
言って別れました。

帰り道
ユウキとお昼を食べていても
私は限度額認定証の事を考えて
ソワソワ

家に帰ってから
あちこちさがしたけど見つからなくて

リビングのサイドボード
寝室の引き出し
新聞入れなど
全部ひっくり返してみたけど
見つからない!

看護師クンに電話をして
電話で話しながら
受け取った時の状況を聞くと
💡もしかして!?

ありました!
神棚に大切に置いてありました。

封筒のまま置いてあって
開くとA4サイズ。

電話口で
看護師クンが「よかった〜」
私は「ごめん〜」と。

忘れないうちに
明日持って行くバッグに入れました。

いつの間にか気持ちも明るくなって
やる気も出てきました。

明日が無事に終われば
大丈夫だよね✨

そう思いながら
ひっくり返した引き出しの中身を
片付けました。

続きます


5月27日入院前日

2024年06月15日 | 日記
1日仕事を勤めてから
看護師クンは我が家に帰ってきました

夕食が終わって
「今日は美味しいアイスを食べる!」と言った弟にユウキが
「これで好きなアイスを買って来て」とお金を渡しました。

嬉しそうに看護師クンは
コンビニにアイスを買いに行き
自分のお金では買わ(え)ない
ハーゲンダッツを食べながら
「明日からはまな板の上の鯉だから」と言いました。

その言葉に
手術室に向かう時の
あのなんとも言えない気持ちを
思い出し
「逃げ出したくなるけれど
逃げるわけにもいかないし
手術室に行きたくないけれど
行かないわけにもいかないし」と
看護師らしからぬ発言をする私。

逃げ出したかったり
泣き出したかったりする気持ちを
こらえながら
誰もが同じ様な気持ちで手術室へ
向かうのだろうなと思いました。

手術が決まってからは
「手術嫌だなー」と言っていた
看護師クン。
いろいろ思う事があるだろうけど
その日の夜は何も言葉には出さず
2人で黙ってアイスを食べました。

入院の持ち物の中には
ナース会で行った浅草で
いただいてきたお守りと
今回の手術を知って
もらってきていただいたお守りも
入れました。



もらってきてくれた方達の
気持ちも一緒に入れて
病室のベッドに付けたかったので
お守り入れを作りました。



何かしていないと
気持ちが落ち着かなかったのですが
心をこめて作った袋に
お守りを入れたら
大丈夫な気がして
心が静まりました。

手術をしたら
しばらくお風呂に
入れないだろうから
今日はゆっくり
湯船に浸かっておいで。

そして
眠ったのか眠れたのか
わからないまま夜が過ぎて
看護師クンの入院の朝がきたのです。

続きます

先行的腎移植7年後の手術

2024年06月15日 | 日記
看護師クンが
5月29日に手術を受けました。

病名は『腎移植後左腎癌』

看護師クンに
私の腎臓を移植してから7年

その後も定期的に診察と検査を
受けていた看護師クンに
「3月のエコー検査で
残した自分の腎臓(左)に
腫瘍がみつかった」と
主治医の教授から電話がありました。

教授と看護師クンの予定の合う日に
外来で説明を受ける事になり
私も急遽休みを取って
一緒にI医大に行きました。

教授の説明は
「腫瘍は90%悪性。
まだ小さいので初期。
ドナーのお母さんと同じ手術法で腎臓ごと取り除きます」との事でした。

腫瘍は4cmまでが軽度
看護師クンの腫瘍は2cmなので
初期で軽度。
慌てなくても悪さは
しないだろうとの話でしたが
1番早く予定を入れられる
手術日が5月29日だったので
その日に予約を入れてもらいました。

夜勤明けで一睡もしていない
看護師クンと一緒に
診察後に入院予約の窓口へ。

その後術前検査をする為に
検査室へ。

夜勤明けでヘロヘロなので
スパイロ(肺機能検査)は
キツイだろうな~と
心配はしていたのですが案の定
なかなか看護師クンは戻って来ない。

やっと出てくると
「できなかった」と。

体力面の問題ではなく
コロナ感染後2週間経過してなかった
からだそうでした。

そうそう。
看護師クンはコロナに感染して
実家に帰ってきていたんです。

仕事復帰をしたその日に
教授からの電話だったので
本当にバタバタで。

なので、
問題なくできる
レントゲンと心電図検査だけ
してきました。

沈む私自身の気持ちを
ごまかすかの様に
何かの度に看護師クンに
「お昼は美味しい物を食べようね!
何食べる?」などと話かけていたのに
1時を過ぎ、2時を過ぎ
行きたいお店のランチは間に合わず、
会計が終わったのは夕方の4時過ぎでした。

帰り道でご飯を食べて
それまで気を張っていた看護師クンは
もう限界がきていたので
看護師クンの車を私が運転して
2人で帰って来ました。

「やっと軌道にのって順調にきていたのに。」って言葉を聞いて
なんて返してあげたらいいのか
わかりませんでした。

それから
仕事の事、お休みの手配など
看護師クンの入院、手術にむけて
準備を始めました。

腎移植の時は
仕事をしながら
私も入院して手術を受けたので
2人分の用意と家を空ける手配などで
とても忙しかったけれど
腎移植は希望の手術だったし、
看護師クンを助けてあげたいという
一心だったから、いろいろな事を
考えている時間も余裕もありませんでした。

今回は
看護師クン1人分の用意だけど
なんだか気持ちが沈んで
いろいろ考えてしまうんです。

機能していない腎臓だし
癌ができた腎臓を摘出してしまえば
大丈夫だと思っているけれど
何度もお腹を切らなくてはいけない
看護師クンを思うと
世の中不公平だな~なんて
思ってしまう。

久しぶりに会う人に
「看護師クン元気ですか?」なんて
言われると
「元気ですか?」って言葉は
案外残酷な言葉なんだって
思ったりもして。

そんなモヤモヤな毎日を送りながら
看護師クンの入院の日が
近づいてきたのです。

続きます