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ちょっとした心の動きを綴ります

先輩ありがとうございます

2011-05-27 | 小説
「もう、いつまで同じこと言えばわかるの」
 チーフの声は冷たく私の胸に突き刺さる。コンと乾いた音が耳の奥で響く。
「もう貴女は学生じゃないの。間違って『ごめんなさい』って言えば許される立場じゃないのよ」
 今度はコンコンという音がした。さっきより周波数が高い音だ。
 それから私は様々な表現でお説教を受けた。その度に乾いた音の数は増え、周波数があがっていった。最後は目眩がして苦しくて仕方がなかった。
 チーフの矛が収まったのは、彼女に来客があったからだ。私は自分の席に崩れ落ちた。
 そんな私の肩を叩いてくれたのは5こ上の素子先輩だった。
「南ちゃん。大丈夫だよ。焦らないで」
 見上げると先輩の笑顔があった。そのまま立ち去る姿を見送った後、私は心の中で何度もつぶやいた。
「先輩、ありがとうございます」

シナリオ

2011-02-24 | 小説
 部長の書く脚本はいつもぎりぎりになって出来る。まったく役者の苦労を分かってないんだから。私たちは本を貰ってから台詞を覚えるのよ。それを自分のキャラにするにはもっと時間がかかるの。
 「とにかく、今回はお客さんに泣いてもらう」
 部長は悲劇を書いているようだ。本が書き上がるのを待っている私たちは巣の中の雛鳥みたいなもの。部長の動きをひたすら追いかけている。
 学園祭の公演までまだ日はあるけれど、私たちの芝居は一体どうなるのだろう。

妹の結婚式

2009-12-31 | 小説
 「南、私、結婚することにしたよ」
 妹の里子はあっけらかんと言い放った。里子は妹でありながら私のことを呼び捨てにする。以前そのことを注意したら、アメリカでは姉妹だって名前で呼び合うとかいう理屈で改めなかった。本当かどうか怪しいし、第一ここはアメリカじゃない。四歳年下の妹に呼び捨てにためぐちで話される筋合いはない。ずっと前にこれでけんかをしたことがあった。確か三日くらい口をきかなかった。でも、結局根負けしたのは私の方だった。
 里子は人からかわいがられるすべを心得ていた。言いたいことは言うくせに結構抜けたところも多いので憎めないのである。これは家族だけではなく多くの人が感じることのようで、妹には昔から友人が多い。しっかりしてるねと言われながら、なかなか本音の付き合いができる友達ができない私とは好対照だった。
 「今度家に連れてくるね。ヒロシっていうんだ」
 完全に妹のペースだ。ヒロシさんはどんな字を書くのだろう。一字で、博、弘、宏、洋もしくは寛なのか二字で博志か弘司か宏史か、もしかして比呂氏かも、いやひらがなかカタカナかもしれない。頭の中でパズルをしている私を無視して妹は重要な話をいとも簡単に話す。
 「あの、できちゃったとかそういうんじゃないんだ。やるべきことはやったけどね」
 なんでもあっけらかんといってしまうのが妹の流儀だ。こっちの方が勝手に赤面してしまう。こんなふうにいつのまにかに精神的主導権を握ってしまうのが妹の得意技なのだ。

 一週間後にわが家に訪れた寛さんは(こう書くのだった)とても優しそうな人だった。年齢を聞くと私よりも年上で、落ち着いた感じがした。とってもいい人に思えた。私は寛さんにとっては年下の義理の姉になるのか、なんだかややっこしいなと思っていたら、寛さんの方から話しかけてきた。
 「里子さんから、お姉さんのことはよくお聞きしています。これからよろしくお願いします」
 「お姉さん」という言葉が耳の奥でこだました。これは妹にとっての姉という意味なのか、寛さんから見た義姉さんという意味なのか。それにしても礼儀正しい人だと思った。まったく妹にはもったいない人だ。
 妹はいつもよりはおとなっぽく、かいがいしさまで感じられる雰囲気を醸し出していた。
 父は寛さんの仕事について尋ねていたが、それも話題の一つとして取り上げられたものであった。なんでも雑誌の編集の仕事らしい。雑誌の名前は知らなかったが、出版社は有名な会社だった。父も寛さんの人柄に感心したようだった。
 「こんな娘でいいんですか。こいつはおてんばですよ」
 父の言葉は妹の頬を膨らませたが、寛さんはいたって真面目に、
 「私こそ未熟者です。どうかよろしくお導きください」
 ときわめて紳士的に答えた。もちろん母はすでに寛さんのファンになっていて、頼んでもいないのにお茶を何倍もついだ。途中でコーヒーも出すので寛さんは和洋折衷に耐えなければならなかった。

 結婚式は家族だけであげることになった。地味婚は妹の発案だった。こんな不景気な時代に無理して披露宴なんかをやる必要はない。その分、家族で楽しくやりたいというのだ。父はこの提案に対しては最初抵抗した。娘の結婚式くらい盛大に、せめて人並みにあげさせたいという思いだったのだろう。寛さんも最初は妹の提案に驚いたようだったが、結局は妹の意見に合わせることになったようだ。先方のご両親も了解されているらしい。
 「盛大なやつは南の結婚式でやって」
 不適にも言い放った妹に、その予定がまったくない私は聞き過ごすしかなかった。

 それから、半年後、結婚式の準備は主に当事者だけで進められた。式を箱根の由緒あるホテルで行うこと。料金の安い平日の午後に始めること。参列するのは、新郎新婦と、私達の家族三人と寛さんのご両親、お兄さん夫婦の九人だけということになった。
 式当日、私は両親とホテルに向かった。平日というのに登山列車は観光客であふれていた。駅に着くとタクシーの運転手が私達の名前を書いた紙を持って待っていた。きっと寛さんの手配だろう。妹がそんなことをするはずがない。
 ホテルは過去に皇室や有名人も泊まった由緒あるもので、柱やてすりなどに凝った意匠がさりげなく施されていた。部屋も時代がかっていたが、どこに行ってもそうかわらないシティホテルに比べると風情があってよかった。
 妹と寛さんは先について写真撮影をしていた。ウェディング・ドレスを着た姿はさすがに大人っぽく見えた。でも、きっとあとでこう言うに決まっている、
 「やっぱコスプレっていいね。南もやってみたら」
 妹の考えることは何もかもお見通しだ。
 
 結婚式はホテルの中にある教会で行われた。主人公を入れて9人だけの式。それでもおそらくアメリカ人の神父さんや、オルガンとバイオリン、フルートそれにソプラノの4人の女性たちが式を盛り上げてくれた。私は聞いたことがあるがよくは分からない賛美歌をほとんど口パクで歌えばいいだけだったが、父は花嫁の介添えとしてバージンロードを歩く大役を果たさなければならなかった。父はやはり緊張していた。それに引き換え妹は随分余裕があるようにも見えた。
 結婚の宣誓、指輪の交換、サインなど一連の儀式が済んで結婚式はお開きになった。緊張したのは父だけであったようで、その後立て続けにタバコを吸っていた。私は妹に先を越されることに何かしらの思いが生まれるのかと思ったが、あまりそんな気は起こらなかった。ただ、妹が何か違った存在に見えてきた。そういえば、もう私と同じ苗字じゃないんだ。そんなどうでもいいことがじわじわと私を包んでいった。

 式のあと妹が小さな声で、
 「お姉ちゃん、いままでいろいろとありがとうございました。また、これからもよろしくお願いします」
としおらしく話しかけてきた時、私は妹が少し遠い存在に見えてきた。なぜかちょっと寂しかった。父は相手のご両親にねぎらいのことばをかけられてほっとしている様子だった。母は妹の衣装の崩ればかりを気にしている。寛さんは微笑んでいる。寛さんのお兄さんの夫婦は写真を撮っている。そして私は、そういうみんなの姿を目で負うばかりだった。

乗り遅れた電車

2009-11-23 | 小説
 「ああ、やっちゃった」
 私は駅前の雑踏で自分のバッグの中身をばら撒いてしまった。特に理由もなく遅れてしまった今朝はあせっていたのは確かだ。会社までの通勤は満員電車との格闘だ。少しでも早く着きたいと思って、経験上わずかにすいていると思われる7時18分発の電車に乗ることにしていた。その7号車の一番後ろの進行方向右側の扉。それが私の定位置だった。駅の改札まであと少しというところのわずかな段差に足をとられた私は、危うく転倒こそ免れたものの、書類などの入ったバックを投げ出すかのように落としてしまったのである。
 私と同じように先を急ぐ人ばかりだから、多くの通行者は私の撒いた書類の束を迷惑そうに避けて通り過ぎた。中には飛び越えていく人もいる。そういうなかをかき分けて自分のしたことの処理をしなければならなかった。雑踏でしゃがむのは結構むずかしい。
 「どうぞ」
 手伝ってくれる男子がいた。そう、男子というのがぴったりな制服姿だった。書類の束のいくつかとマーカーペンを拾ってくれた彼はスポーツでもやっていそうな高校生だ。きっと180センチくらいはあるだろう。その身長のわりにはほっそりとしていた。青と紺のストライプのネクタイは少し緩めて締められていた。
 「ありがとう。たすかりました」
 「よかった。じゃ」
 ぶっきらぼうに、彼は背中を向けると改札に吸い込まれていった。もっとお礼を言いたかったのに、と思ったのがあまりにあっけなく去ってしまった。ふと我に返るとすでにここで10分近くもロスしている。慌てて自分も改札に向かった。

 結局、いつもより2本後の7時29分発の電車に乗ることになった。もともと余裕を持って乗っているから会社に遅れる心配はない。上司よりちょっと遅れて着くからそれが気になるといえばなるところだ。大体私は何事にも余裕がないと失敗をやらかすからその予防策でもある。会社に早く着いてティーサーバーでそれほどおいしくはない緑茶をついでデスクに置く。これが私の朝の儀式なのである。今朝はそれができなくなるだろうことが気がかりだった。おそらくいきなり係長から今日の業務についての指示が下る。
 そんなことをあれこれ考えながら満員電車の中にいた。いつもと違う時間帯。乗客も違っているような気がした。おそらく、会社や学校までの距離や、始業時間の違いや、私のような朝の儀式のありなしでそれぞれがベストな電車を選んで乗っているのだろう。それでも寝坊をしたり、家族の影響を受けたり、信号がたまたま赤ばかりになったり、私みたいにドジを踏んだりしてその電車に乗り遅れることもあるのだろう。そういう偶然の詰め合わせがこの車内の乗客たちなのである。
 3つ目の駅はJRとの乗換えがあるのでかなりの人が降りる。また乗ってくる人も多い。ドアの近くにいるといったん車内から押し出され、新しい乗客と共に車内に乗り込むことになる。私もこれを毎日繰り返している。今日もそれを何気なく終え、車内に吸い込まれると、ちょうど自分の前に180センチの制服がこちらを向いて立っていた。駅で助けてくれた男子だ、と思った瞬間に目が合った。後ろからまだ乗客が乗ってくる。彼と私は向かい合わせになったまま身動きができなくなった。私は彼の肩の高さくらいしかない。彼も私もかばんを前に持っていたので腕と腕が接触した。それがなければ抱き合うみたいになってしまう、そんなことを思ってドキドキした。
 「先ほどはどうもありがとう」
 私は彼が私のことを覚えているかどうか不安だったが、思い切って言ってみた。
 彼は私の頭上から「どうも」とだけ答えた。確かに高校生の声だった。この制服はあまり見たことがなかった。この沿線にはない学校なのだろう。学校名を聞くのもおかしいと思ったので、そこで会話は途切れてしまった。
 彼と私は体を密着させたまま、無言の時間を送ることになった。なんかとても長く感じた。

 8つ目の駅もターミナルだった。また私は駅に一度降りなくてはならない。いまドアと反対の方向を向いているのでこのまま押されては危険だ。何とか反転しなくてはならない。そう思ったとき、彼が体をすっと引いた。それが私が回転するために隙間を空けたのだとすぐに分かった。なんてやさしいんだろう。私はその行為に甘えて彼に背中を向けることにした。ようやく回り終えると彼の手の甲が私のお尻にあたっている。彼は慌ててそれを引っ込めようとしているようだが、駅に近づいたためお利用する乗客がドアのほうに向かって圧力をかけてくる。ますます彼の手は私を押した。
 痴漢らしき被害はこれまでも何度か受けたことがあるが、はっきりしたものではないので泣き寝入りしてきた。今日は誰が私に触っているかはっきりと分かっているのに、それがうれしいのはなぜだろう。純朴そうな高校生には刺激的かもしれないが、このくらいは許してやろう、などと勝手なことを思った。
 駅について乗客が私たちを押し出した。乗り換えのホームに向かって走り出す人もいる。私は元の電車に戻るために必死になっていた。押し出されたままホームに下りるとすぐに反転して再び車内に戻らなくてはならない。
 うまく成功して振り返ってみると彼はいなかった。180センチはどこかに消えていた。彼の手は暖かかったな、そう思ってお尻に残ったわずかな感触を思った。変な気持ちだ。

 でも今日はいいになりそうな気がした。

晩御飯

2009-10-08 | 小説
 金曜日の午後に母と弟と一緒に買い物に行くのはその頃の我が家の行事みたいなものであった。学校から帰ると母は買うべきものを広告の裏にメモをして、私と弟とに声をかける。小学2年の弟は6時から始まるアニメに間に合うように帰ることを条件に買い物に付き合う。もっともついてこなくていいといっても絶対についてきたのだが。
母は私にはただ行こうという意味の目配せをするだけだった。行くのが当たり前のことだったのである。5年生になったばかりの私にも姉としての自覚のようなものができていた。とてももろく壊れやすいものではあったけれど。

 買い物は駅前のスーパーで済ませることが多かった。駅までは歩いて10分もかからないところだったので歩いていっていた。月に一度くらいは市役所のある駅の近くのデパートにいったが、その時は着ていくものが違った気がする。今日はそのままの服とちょっとぶかぶかの運動靴で出かけた。

 弟はお菓子売り場や飲み物の売り場の前では足を止めたが、あとはとにかく落ち着かず、無駄に走り回っては他の客の迷惑になっていた。母や私がたしなめようとしても一向にやめようとしないどころか、余計にエスカレートするのだった。
 私も広い店内を走り出したくなる衝動が起きるときがあったが、弟がいるとそれができなかった。私は姉の役割を果たそうとしていたのである。

 買い物を終えて家に帰る途中の道で、母は何気なく私たちにこう尋ねた。
 「えびとレタスを買ったから、お夕食はシーフードのパスタか、ピラフのどっちがいい」
 「ピラフってなに」
 弟はすかさず尋ねる。
 「ご飯の中にいろいろと入れて炒めたものよ」
 弟が母の説明の意味を考えているうちに、私は答えた。
「じゃあ、パスタにしようよ」
私はなんとなく気づいていたのだ。母が択一の問いを出す時、その真意は最初に言った選択肢にあると。それを察して母の気持ちを代弁したつもりになっていた。母は私の発言を聞いて一瞬喜んだように見えたのを確認したのだ。
 「いやだ、僕はご飯がいい」
 弟は大声を出して円満な決定をご破算にした。
 「絶対、ご飯がいい」
 「どうしてよ。パスタでいいじゃない」
 私は聞き過ごすことができなかった」
 「ご飯」
 「パスタ」
 「ご飯!」
 「パスタ!」
とお互い譲らなかった。

 向こうからゴールデンレトリーバーを連れたおばさんが私たちの言い争いを不思議そうに見ながら通り過ぎた。犬も私と弟の顔を見上げた。

 私は弟が反抗的なのが気に食わなかった。もう晩御飯はパスタでもピラフでもなんでもよかった。でも生意気な弟の言ったとおりになることだけは避けなくてはと思った。
 そこで私はこういった。
 「じゃあ、あそこの電柱まで走って先に着いたほうが決めていいことにしない」
明らかに卑怯な提案だった。私のほうが速いに決まっている。弟はまだ小さい。私は小学校でも学年代表になるくらい体育には自信があった。
 「いいよ。そうしよう」
 無謀にも弟はこの提案を呑んだ。私には絶対の自信があった。少し遅れて走り出したって絶対に負けはしない。
 「いいよね。お母さん」
 母の意志を確認するために私が訪ねると、母は何にも答えなかった。そして、私だけに分かる小さなため息をつくのが見えた。私はその時、我に返った。弟に勝ってはならない。

 弟は予測どおりフライングをした。でも私はすぐにそれを追い越していた。走り出すと生来の負けん気が手加減など忘れさせていた。弟の叫び声が聞こえた。私の勝利は目前だった。

 電柱まであと少しの時、私のはいていた運動靴が脱げた。立ち止まった私を抜いて弟が先に電柱の向こうに達した。私が靴を拾って履きなおした時、弟は勝ち誇って言った。
 「勝ったから僕の言うとおりにして」
 私はうなずくしかなかった。

 夕食の後片付けをしているときに母は弟に聞こえないように言った。
 「南、お姉ちゃんの役を果たしたね」
でも靴が脱げたのはわざとではなかった。弟の喜ぶ顔を見てまんざらではない気持ちになったのも事実である。でも、あの時はわざと負けたのではなかった。