ちょっとした日常

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すきっぷつうしん85号

2017-08-16 14:37:46 | 訪問便り
 訪 問 だ よ り 
○月○日
ある日の朝
「おはようございま~す」とヘルパー
『あっ、おせん姉ーさん!待ってたよ~』
寝たきりで1人暮らしのO様。おせんさんはO様の
1番上の大好きなお姉さんだったとのこと。
このヘルパーさんもO様には身内に…。

       相南       90歳代 女性
■月■日 
いつもは〇職員を探して話ししようとするD様
今日は珍しくK職員と会話・・・・。
話しが弾み笑顔で『会話って~のは今日みたいなこと
を言うんだよ~。』と、時々感情が不安定になるが

      上鶴間      80歳代 男性

すきっぷつうしん85号

2017-08-16 14:31:08 | ちょっとした日常
 「世界の平和は子どもから」
今は日本とアメリカは大変仲が良い国どうしになっていますが、
九十年前は大変厳しい対立した国と国の関係でした。

昭和二年(1927年)に日米関係が悪くなった中、一人の日本人と一人のアメリカ人が立ち上がり民間交流の大切さ、子供世代からの国際交流の重要性を唱え、「世界の平和は子供から」をスローガンに、まずは青い目の人形がアメリカから日本へ贈られ、日本からアメリカへ答礼人形の市松人形が贈られた。

その後、日米関係はさらに悪くなり、第二次世界大戦に入り、日本の青い目の人形の大半は、アメリカを敵視する風潮の下で、敵性人形として、竹槍訓練の標的にされたり、焼却されたりなどして滅失し(現在残っている青い目の人形の中には当時暴行を受けた痕跡が見られるものもあるとのこと)、また、空襲や災害で失われたり、戦後、校舎改築等の際に見つかっても、寄贈された経緯を知らずに古い人形として廃棄されたのも少なくないと・・・。

しかし、戦時中、処分を忍びなく思った人々が人形を奉安殿備え付けの棚や天井裏、床下、物置、石炭小屋、教員の自宅などに隠し、戦後に発見されたこと。そして、この人形交流の事実は戦前戦後を通じて、大変な苦労の中、全国の有志により青い目の人形の保存が行われて全国で三百体を越える人形が保存確認されていると・・・。

現在、人形は日米親善と平和を語る資料として大切に保存されているそうです。

この平和が孫子の時代を超えて永遠に続きますように!